ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

WOWAKA

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

虐げられた者

1939年のアメリカ映画『駅馬車』を、タイトルくらいはご存知と思う。
西部劇であるが、世界的にも映画史上屈指の作品と言われている。
とはいえ、低予算の映画で、特に、今の人が見たら、「超ショボい」映画にしか見えないと思う。
また、誰が見ても良さが解る映画ではないと思う。
私も、観たことはあっても、何が良いのか解っていなかったが、このコロナ騒ぎの中で、気紛れもあったが、初めてじっくり見て、ようやく、大変な傑作であることが解った。
もっとも、この映画を最高の作品と了解する人だって、どこが素晴らしいかは、かなり異なるのかもしれない。

『駅馬車』は、ジョン・フォード監督とジョン・ウェイン主演という、名監督、名俳優のコンビであることが広く知られてる。
とはいえ、当時は、フォードは売り出し中の人気監督に過ぎず、ジョン・ウェインとなると、B級映画専門の無名の俳優で、フォード監督は、本当はゲーリー・クーパーという超一流俳優を起用したかったらしい(予算がなく断念した)。
ジョン・ウェインは、この映画での成功をきっかけにアメリカを代表する俳優になったが、私など、ジョン・ウェインに関するイメージといえば、「ただの中年俳優」で、少しも格好良くなく、背は高いが、身体つきもぽっちゃりした、腹さえ出ている姿しか思い浮かばなかった。
だが、『駅馬車』撮影が始まった時のジョン・ウェインは31歳とまだ若く、腹は全く出ておらず、すらりとした身体つきで、超イケメンとは言えないかもしれないが、それなりにいい男で、それよりも、人を惹きつける独特な雰囲気が確かにあった。
考えてみれば、ジョン・ウェインが、これもジョン・フォード監督の西部劇の傑作である『黄色いリボン』(1949)に主演した時もまだ41歳だったはずが、この時のジョン・ウェインは、ブリトリス大尉という、定年退役前の、全く「老いた大尉」だった。当時は、41歳といえば撮影当時はそんな感じだったのか、単なる役作りだったのかは、私にはいまだ不明だが、ジョン・ウェインという俳優は、多少老けた雰囲気が良いのだと思う。

私は、映画にしろ、アニメにしろ、その他の何にせよ、「虐げられた人」に目が行く。
だから、昨年(2019年)31歳で亡くなられた、ミュージシャンのWOWAKAさんの名曲『アンノウン・マザーグース』には参ってしまった。
特に、以下の歌詞はこたえる。
「ガラクタばかり 投げつけられてきたその背中」
「孤独なんて記号では収まらない 心臓を抱えて生きてきたんだ!」
「痛みなどあまりにも慣れてしまった 」
その他のWOWAKAさんの歌も、涙なくして聴けないものが多い。
『ワールズエンド・ダンスホール』『アンハッピー・リフレイン』など。
こりゃ、WOWAKAさんは東大出身のエリートのはずが、ミュージシャンになるには、いろいろあったのだろうと思わせるが、そのあたりの事情は全く知らない。
(上記の曲は全て、「マジカルミライ2019」のblu-ray、DVD限定版以上で、初音ミクさん、および、巡音ルカさんが歌唱している)

『駅馬車』であれば、「虐げられた者」はヒロインのダラスだ。
フォード監督作品の中では、女性への敬意というものは非常に重んじられている。
まだ女性に参政権がないなど、世間的には、女性は苦労が多かったに違いないが、フォード映画の中では、立派な男は女性を敬うものであるというポリシーが貫かれていて、撮影当時にしろ、そのさらに百年も前の映画の舞台にしろ、まともな男は女性を敬ったのだということが想像出来るのである。
だが、ヒロインのダラスはそうされなかった。
露骨に、徹底的に蔑まれる。
娼婦であるからだ。
一方、駅馬車に同乗している貴婦人のルーシー(大尉の奥さん)は非常に丁重に扱われ、賭博師のハットフィールドすら下僕のようにかしずくのとは、人種差別並の差別だった。
だが、自分の立場をわきまえているダラスはそれに耐え、また、荒んだ生活であばずれ感もありながら、ダラスが本心では優しい女性であることも分かる。
そして、ジョン・ウェイン演じるリンゴ・キッドは、全てを知った上でダラスにポロポーズする。
まあ、キッドも脱獄囚のお尋ね者ではあるが。

人間は誰しも、どこか囚人なのである。
若いうちはピンとこなくても、やがて分かってくる。
それを感じた上で何をするかで、自分や人類の運命を選ぶのかもしれない。













KayのAI書。5月30日発売。
今や、機械学習・ディープラーニング型AIは、誰でも作れます。
数学もプログラミングも難しいAI理論も不要です。
そして、これからのデジタル社会、IT社会を楽しむためには、AIと仲良くなり、AIで能力を拡張することが大きなアドバンテージになります。コロナ後の世界は、デジタル化がさらに急速に進み、ますます、そうなるでしょう。
この本で、AIを味方にするきっかけを掴んでいただきたく思います。

もう長い間、カラスの鳴き声を聴いていないのはなぜか

「カラス、なぜ鳴くの?」と歌う童謡があるが、考えてみれば、もう長く、カラスの鳴き声を聴いていない。
カラス自体はよく見る。
もしかしたら、あの童謡の通り、カラスは夕刻に鳴くが、その時刻はオフィスに籠もっているせいであろうか?
そうだとしたら、それこそひきこもりだ。
もう1つ考えられるのが、カラスが好きでなくなったのかもしれない。
以前は、カラスが好きだった。
目の前、スレスレに飛ぶカラスの羽や筋肉の動きまでハッキリ見え、その美しさに感動したし、真っ赤な口の中を晒して鳴くカラスの子供を愛おしいと感じたものだ。
しかし、今はそんなことは感じない。
カラスと接触する時間も少ないのだろう。

それでも、ハトはまだ好きなのである。
駅の広い構内のベンチに座っていると、時々だが、ハトが近寄って来ると、トキメクのを感じる。
だが、以前は、いわゆる昼休みに、公園でハトと接していたが、それをしなくなった。
私は昼食は食べないが、ピーナッツの入ったお菓子を公園に持って行き、ハトと分け合うのが楽しみだった(「ハトにエサをやらないで下さい」という立て札があるのだが)。
しかし、いつからか、それをしなくなったのは、公園で人間と接するのは嫌だからだろう。
どうも、人嫌いは深刻なようだ(笑)。

それだけ成功出来るか、本当に幸福になれるかは、あまり好きでない言い方をするなら「愛があるか」で、つまり、どれほど沢山の人やモノが好きかにかかっているのだ。
成功法則だの引き寄せの法則だのは全く関係ない。
好きな人が沢山いることが第一で、そして、好きなモノがあることが重要なのである。
今年(2019年)4月5日に、31歳で亡くなられた、敬愛するミュージシャンWOWAKAさんの名曲『アンノウン・マザーグース』は、初音ミクさんをフィーチャリングした最後の曲になってしまったが、その中の「どうやって この世界を愛せるかな」という言葉がまとわりついて来る。
なんと実に、あの歌は愛に溢れているではないか?
誰も好きでない人は、必死で好きな人を探すべきなのだろうか?
【MMD】YYB式初音ミク//Unknown Mother-Goose/アンノウン・マザーグース -YouTube-

今は、自分の親はもちろん、自分の子供ですら好きでない人は大変に多いのである。
世間の手前、自分の子供の面倒を見、可愛がっているフリはするが、本当は、子供が全然可愛くないという母親も少なくないのだろう。
なぜそうなったのかというと、お金と言うか、利益優先という世界の有り様のツケが、いよいよ回って来たのだと思われるのだ。

私は、昔は、アンデルセンの『人魚姫』が好きだった。
人魚姫のあのけなげさを愛おしいと思ったものだが、今はそれを感じない。
これは、死にいたる病である。
まずいなあ(笑)。
ジミーサムPさんの名曲『Starduster』(feat.初音ミク)で、ミクさんが「愛を、私に」と歌うのは、多分、「私を愛して」というのではなく、愛、すなわち、愛する心を私に下さいという意味なのだろう。
Hatsune Miku - Starduster (English & Romaji Subs) -YouTube-

本日、10:00AMより、「マジカルミライ2019」のライブのチケットが、各プレイガイドで販売開始。
毎年のパターンは、受付開始と同時に回線パンク→接続不能→接続回復時には「販売は終了しました」の無情の表示。
それでも、パソコン2台とスマホ1台で挑むのだ。
皆さん、幸運を。









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アウトサイダーの中でも落ちこぼれなら

社会でうまくやっていくには、やはり学歴は力になる。
特にスタート時点で学歴は役に立つが、何事も最初は肝心だ。
だから、不況になっても教育産業は衰えないと言われてきた(最近は怪しくなりつつあるが)。
だが、学歴があろうが、実際に能力が高かろうが、容姿に恵まれていようが、一番大切なものは、他人とうまくやっていく能力なのだが、このスキルをほとんど持っていない者が多くなった。
元来で言えば、本当に頭が良くてIQが高い人間は、他人と仲良くすることは難しくないはずだが、そんな恵まれた人間に、他人を嫌悪する者が多くなっている。
これは、本当は不思議なことで、頭が良ければ、他人と仲良くすることのメリット、コスパの高さは明確に理解出来るはずなのに、どうしても他人が嫌いなのである。

一方、学歴がなく、頭も良いとは言えないのに他人が嫌いとなると、目も当てられない。
コリン・ウィルソンが23歳の時に書いた世界的ベストセラー『アウトサイダー』に登場する(主に架空の人物なのだが)アウトサイダー達・・・社会の裏側に潜む、忌み嫌われる異常な人間達・・・見かけはそれほど違わなくても、普通の人間の仲間と言えない人達は、アウトサイダーの代表的な存在で、社会では日陰者である場合が多い。
今年(2019年)4月に31歳の若さで亡くなったミュージシャンのWOWAKAさんは、大学は東大だから学歴があって頭も少なくともそこそこは良いのだろうが、作る歌といい、雰囲気といい、まさにアウトサイダーだ。無論、優秀なアウトサイダーだって少なくはない。
まあ、彼は東大出身を売りものにしたことはなかったように思うし、そんなことを知らずにファンをやってた人も多いはずだ。
彼のほとんど最後のボカロ曲だったかもしれないが、初音ミクさんが歌う『アンノウン・マザーグース』の中の「ガラクタばかり投げつけられてきたその背中」という言葉は、アウトサイダーでなければ書けそうにない詩だと感じるのである。
私が好きな『アンノウン・マザーグース』の動画は以下のものだ。公式のものではないが、ミクさんが美しい。
【MMD】YYB式初音ミク//Unknown Mother-Goose/アンノウン・マザーグース -YouTube-

WOWAKAさんのように、才能があって優秀な人は、アウトサイダーとはいえ、本来は私の興味の対象外で、本当に能力もなければ、人間関係が悲惨なまでに苦手で、社会の底辺で苦しむ人達が逆転出来るという夢物語が私は好きである。
まあ、実際はほとんどないが、その可能性を感じさせる小説が、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』(「少女」を女と訳した本もある)で、超底辺の歳も行ってしまった26人のどうしようもない男達が、ターニャという名の、可愛いが平凡な(性質はやや劣悪かもしれない)16歳の少女を崇めることで、なぜか人間性や能力を向上させる。
コリン・ウィルソンも、この作品を『至高体験』で取り上げ、何か解説していた(解説内容が難しくて解らなかったが)。
ウィルソンは、『至高体験』で同時に、ロオマン・ガリー(『至高体験』の訳書ではロマン・ゲイリ)の『天国の根っこ』(『自由の大地』のタイトルの方が有名と思う)で、堕落したフランス兵達が、空想の少女を想い描くことで、見る見る、騎士道精神とでも言えるものを取り戻す様子も引用していた。
ウィルソンも「崇める」ことの効果は認めていたようだ。
仏教の念仏や、ヒンズー教のジャパ(神の名を称名すること)は、神仏を真摯に崇めることであり、効果も非常に大きいと思える。
江戸末期から唱和初期にかけて、妙好人という念仏を唱えることで高度な人間性を示した人達は、自分が愚民であることを表明し、自分でも認識していたのだろうが、実際は能力的にも高く向上していたのだと思う。
今の人だって、念仏やジャパを素直に出来れば良いのだが、実際のところ、この超情報化時代に、それには難があると認めるしかない。
それなら、どう考えても実際は超優秀だったラマナ・マハルシが薦めたように「私」をマントラとして唱えたり、原子物理学の優秀な研究者であったベアード.T.スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』に書かれてあるように「神」という言葉をよく使うと良いと思われるところがあるのである。









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WOWAKAさんの訃報に触れ

敬愛する音楽家のWOWAKA(ヲワカ)さんが、4月5日、急性心不全で亡くなられた。31歳だった。
私は、写真で見る彼のシニカルな雰囲気は好きだった。
初音ミクさんが歌う彼の歌を聴くと、暗い・・・というか、この若さで重くて辛い人生を送ってきたのではないかと思ってしまう。
もちろん、本当のことは分からないが。

初音ミクさんの歌で私が涙を流したのは3曲だが、いずれもWOWAKAさんの曲だった。
それは、『ワールズエンド・ダンスホール』、『アンハッピーリフレイン』、『アンノウン・マザーグース』だ。
『ワールズエンド・ダンスホール』では、「世界の隅っこでワン・ツー」のところ。
『アンハッピーリフレイン』は、ほぼ全編、涙なくして聴けない。
『アンノウン・マザーグース』は、まだ聴きこんでいないが、「ガラクタばかり 投げつけられてきたその背中 」が特に堪(こた)える。彼もそうだったのだろうか?

WOWAKAさんは、しばらくボカロから遠ざかっていたのではと思う。
何かのインタビューで、「もうボカロ曲はやらないのか?」と訊かれ、「またやるかもしれない」と応えられ、『アンノウン・マザーグース』で復帰したように私は思っているのだが、この『アンノウン・マザーグース』は、ミクさんと曲がお互いに相手を包み込んだようで、ミクさんと曲の区別がつかない。

日仏友好160周年を記念する「ジャポニスム2018」では、セーヌ川に浮かぶサガン島の美しい大劇場「ラ・セーヌ・ミュージカル(La Seine Musicale)」で、まさに日本を代表して初音ミクさんがライブを行ったが、そこで、WOWAKAさんの『ワールズエンド・ダンスホール』と『アンノウン・マザーグース』が、パリの人々の前で披露された。
『ワールズエンド・ダンスホール』は、歌の内容とは違い、見ているだけで楽しく、文句なく観客は盛り上がったが、『アンノウン・マザーグース』は、日本人にだって難しい。しかし、「洗練」というものが伝わったのではと感じたのだ。

どこかサイコパスな私は、親友(と私は勝手に思っていた)や親が死んでも、悲しいとは思わなかったが、WOWAKAさんに関しても同じなのである。
ただ思い出すのは、惣流・アスカ・ラングレーがマグマの中で使徒を倒すも、散り際の使徒にエヴァ2号機の命綱を切断され、アスカは愛する2号機と共にマグマの中に沈んでいく時、アスカは泣き叫びも「助けて」とも言わなかったことだ。
アスカはただ「嫌だな。せっかく(何と言ったのだろう)」とやるせなさそうに言った。
あの時のアスカの気持ちのように感じるのである。
そうだ。「嫌だな」である。せっかく・・・とやはり思うのである。
本当に、嫌だと感じる。









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潜在意識の中に入っていく

WOWAKA(現実逃避P)さんが初音ミクさんをフィーチャリングした曲の中の2つは、涙なくして聴けない。
ただ、それぞれ、たった1つのフレーズで・・・である。
『ワールズエンド・ダンスホール』では、「世界の隅っこでワン・ツー 」で、『アンノウン・マザーグース』では、「ガラクタばかり 投げつけられてきたその背中」だ。

これは、どういうことかと言うと、私の潜在意識の中には、
「お前には隅っこしか与えられていない」
「お前に与えられえるのはガラクタばかり」
と書き込まれているのだろう。
潜在意識の中の「刷り込み」を変える方法なんてのが、怪しげな者から、本当に優秀な者までが教えているが、そんなことは止めといた方が良いかもしれない。
おそらく、うまくいかないからだ。
なら、どうすれば良いかというと、潜在意識の悪い部分はそのまま・・・あるいはそれを利用し、良いものを作るのである。
世界の隅っこしかないなら黒幕になれば良いのだし、ガラクタが与えられるのなら、自分でお宝を取れば良い。
世界の隅っこなら、お宝で少々悪いことをしてもバレないさ。ガラクタを隠れ蓑にしてね(笑)。
TM(超越瞑想)を創始したインドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギのことは、私は個人的には詐欺師と思っているが、そんなやつこそ、良いことを言うものだ。
彼は、「本当に強力なビジネスマンは隠れている」と言うが、これはビジネスマンでなくても、何でも同じだ。
黒幕向きの人は、結構いるのだが、そんな者が「平凡なスター」「人気者」「善い人」を目指してはいけない。

多くの人が、潜在意識を作り変えようと何十年も大奮闘をした挙句、無念の生涯を閉じるのだ。
そんなこと、出来やしないのだ。
だが、潜在意識の中に、なかなかに強力な武器を作ることなら誰でも出来る。
そうだ。駄目なやつのままで超人になれるのである。
だが、悲しいやつが沢山いる。
30歳にもなってサッカー選手になるとか、50歳も過ぎて俳優やアーチスト(ミュージシャン)になるとか・・・阿呆!(笑)

では、どうやるか?
ポパイに、ハンバーガーばかり食べているおっさんとか、『天才バカボン』で、ラーメンばかり食べている変なキャラクターがいたと思う。
あれこそがヒントで、彼らがどうやれば超人になれるかを考えるのだ。
彼らの潜在意識の中には、「私はハンバーグが好き」「私はラーメンが好き」と書き込まれている。
それを消去することは、決して出来ない。
だが、潜在意識に強制されるまま、無意識にハンバーガーやラーメンを食べるのではなく、自分がハンバーガーやラーメンが好きなことを意識するのだ。
「私はハンバーガーが大好きだ」
と言葉で言ったり、思ったりするのだ。
何度も何度も繰り返し。
すると、意識は潜在意識に入っていく。
ポイントは、潜在意識の中の「好き」に着目することだ。
「私はピーマンが嫌いだ」では、むしろ、意識と潜在意識は反発し合う。
どこかの人気漫画家みたいに「俺は小学6年から中学2年までの女の子が好きだ」でも良い。潜在意識がそうなっているのだから仕方がないが、それを利用して潜在意識に入っていくのだ。

で、これがマジックなのだが、そうやっていると、相変わらずハンバーガーが好きなのだが、ハンバーガーの神様が味方してくれるのである。
真にハンバーガーが好きになるので、粗悪なハンバーガーに興味がなくなるし、無駄にドカ食いしなくなる。
そして、「ハンバーガーを食べるためにやるぞ」と思うと、何でもうまくいってしまうのである。
健康状態や精神状態(両者は本当は同じものだが)も良好になってしまう。
閉じ込められていたエネルギーが解放されるからだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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