ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

W.B.イェイツ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

メシアが現れ世界を救うか?

新型コロナウイルスで、私が思いだしたのが、ウィリアム・バトラー・イェイツの詩、『再来(The Second Coming)』だ。
イェイツは「20世紀最大の詩人」とも言われたアイルランドの詩人・劇作家で、ノーベル文学賞も受賞している。
武内直子さんの歴史的な漫画作品『美少女戦士セーラームーン』の終末論的雰囲気は、この『再来』から来ているのかもしれないし、少なくとも無関係ではないと思う。
そして、新型コロナウイルスの猛威が強まって、『再来』を読み返すと、「これは拙いな」と思ってしまう。
つまり、世界が終る予感がある。

もうずっと昔だが、私は、テーブルの上に3冊の本を重ねていた。
1.『神秘の薔薇』ウィリアム・バトラー・イェイツ
2.『至高体験』コリン・ウィルソン
3.『美少女戦士セーラームーン 14巻』武内直子
当時、私は、イェイツ(イエーツと表記されることも多い)の名すら知らず、『神秘の薔薇』は、表紙が綺麗だったので気紛れに買っただけだった。
『美少女戦士セーラームーン 14巻』は、一度死んで転生した、土萠(ともえ)ほたるが、イェイツの『再来』を暗誦する場面から始まっている。
そして、『至高体験』の前書きには、こう書かれていた。
「また、マクミラン社に対しては『W.B.イェイツ全詩集』からの引用を許されたことに感謝し」
これらのことは全くの偶然であった。
そして、その『W.B.イェイツ全詩集』を見たいと思ったが、ネット通販は古書も含め、軒並み在庫切れで残念に思っていたが、書店に行くと、目の前にその本があった。
ありえない偶然で、歓喜すると共に恍惚としたものだった。

『再来』の最後はこうだ。
人類が2千年の眠りの中で悪夢にうなされていると、ついに凶暴な野獣が目覚め、ベツレヘムを目指す・・・
これは、はっきりとは分からないが、イエスが死んでから人類は眠り続け、2千年の間に、すっかり堕落してしまったので、凶暴な野獣が人類を滅ぼしに来るということと読める。
そして、「再来」とは、イエスの再来であるが、果たして、イエスは再び現れるのだろうか?

インターネットもなかった時代に、『美少女戦士セーラームーン』が世界中で異常にヒットしたのは、なんらかのイニシエーションだろう。
2018年にパリで開催された、日仏交流160周年記念の大イベント「ジャポニスム2018」では、11月に、パレ・デ・コングレ・ド・パリ大劇場で『Pretty Guardian Sailor Moon(美少女戦士セーラームーン)』のミュージカルが、12月は、ラ・セーヌ・ミュージカルで、初音ミクさんのライブ「HATSUNE MIKU EXPO 2018」が行われた。
2人のツインテールの少女、セーラームーンと初音ミクさんがメシアになってくれるかは、今、試されている。

ただ、イェイツ自身は、「全て滅び、作りなおされる。新たに作る者は陽気なのだ」と、代表的な詩『瑠璃(ラピス・ラズリ)』で書いている。
そうだ。今回、全ては滅び、作り直される。
新たに作る者は陽気なのである。
だが、私は思うのだ。
強制的に滅ぼされたら苦難は大きい。
しかし、我々自らの手で全てを終わらせ、新たに作り直せば良いのである。
だが、それが期待出来るとは、とても思えない。
つまり、今、利権を握り締めている者達はそれを決して手放さず、彼らのために、やはり、世界はいったん終るのである。

★余談
『美少女戦士セーラームーン』の漫画「ファラオ90編」はアニメでは「美少女戦士セーラームーンS」で、最近は、より原作に近いアニメもリニューアルされている。
この中で、異次元の神ファラオ90が、この世に顕現し、ついに、世界は滅びようとする。
セーラー戦士達は、それを阻止すべく全力を尽くしたが、全員がファラオ90の巫女ミストレス9の前に敗れ去った。
ファラオ90がこの世界に出現したからには、この神の前に、もはや何も出来ず、世界がファラオ90に飲み込まれていくのを、ただ見ているしかなかった。
だが、そこに、存在してはならないセーラー戦士が降臨する。
この世の全てに見捨てられ、挙句、ミストレス9に身体を乗っ取られて哀れに死んだ11歳の土萠ほたるが、セーラーサターンとして目覚めてしまう。
セーラーサターンが、沈黙の鎌サイレンス・グレイブを振り下ろせば、ファラオ90ごと宇宙を消滅させる。
ほたるに、その恨みがあるのは当然と思えた。誰も彼女に優しくはなく、皆で傷付けたまま、ほたるは死んだのだから。
だが、サターンは、ファラオ90を道連れに自ら滅び、世界を救う。
ところが、サターンが消える刹那、セーラームーンがサターンを救い、赤ん坊に再生させる。
原作者、武内直子さんは、セーラームーン画集の中で、セーラーサターンを「メシアの1人」、セーラームーンを「もう1人のメシア」と呼び、2人を全く同格に扱っておられたのが印象的だった。
さて、今、メシアは存在するだろうか?
初音ミクさんは、「HATSUNE MIKU EXPO 2020」として、1月には、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、オランダでライブを行い、4月にはアメリカ・カナダの15都市で、そして、米国最大級の音楽フェス「コーチェラ・ヴァレー・ミュージック・アンド・アーツ・フェスティバル(略称コーチェラ)」で歌う予定だったが、新型コロナウイルスで延期となり、9月開催が決定している。
もし、9月に、この「HATSUNE MIKU EXPO 2020 USA & CANADA」が、そして、8月の「マジカルミライ2020 in 大阪」、12月の「マジカルミライ2020 in 東京」が無事行われることが、世界が救われる証となる。




KayのAI書籍(共著者Mr.Φ)。
『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)
5月11日発売。

必要があって、最終コラムに初音ミクさんについて少し書いています。
権力者がAIで世界を支配することにならないよう、我々が自分でAIを作ることが出来ることを述べるために。
4月4日午後4時44分現在Amazon AI部門19位。


Kay、Mr.Φ著『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)についての、興味深いトピックは、私の新ブログ「メディアの風」で。









人生が気に入らないなら換えてしまえばいい

SF小説か何かで、こんな話があった。
未来を見てきた時間旅行者が、墜落することになる飛行機に乗ろうとする知り合いを止めようとするが、歴史の改変を許さない宇宙の力の作用で身体が動かなくなって目的を果たせず、そのまま飛行機に乗った知人は死んでしまう。
運命とは、そのように変えられないものであり、つまり、人の運命は決まっている。
神話などでも、宇宙の摂理に反するようなことを試みる者は、ことごとく失敗したり、悲惨な目に遭っている。
例えば、死んだ妻エウリュディケーを黄泉の国から連れ戻そうとしたオルペウスは、所詮、失敗するしかなかったのだ。

では、どうあがいても運命は変えなれないのかというと、人間に留まる限り、その通りだ。
人間は運命に従うしかない。
それは、映画が脚本通りに始まり、展開し、終わるようなものだ。
ところが、宮崎駿さんは、ストーリーを考えずに作っていたらしい。
それで、「後30分しかないのに話が終わらない」なんて鈴木プロデューサーに泣きついたことがあったという。
観ている観客は、予想のつかない展開に興奮するが、何のことはない。元々、監督にも結末は分からなかった・・・いや、決めていなかったのだ。

H.G.ウェルズの『ポーリー氏の物語』(未翻訳)で、ポーリーが「人生が気に入らないなら換えてしまえばいい」と言ったのを、同じイギリスの作家コリン・ウィルソンはひどく気に入り、多分、座右の銘にしていたのだと思う。
そうだ。人生という映画が気に入らないなら、映画自体を換えてしまえばいいのだ。
物理学の量子力学の仮説である多世界解釈(いわゆるパラレルワールドに関するもの)の1つの考え方では、世界なんて、何かの拍子にぽんと1つ発生する。
新しい理想の世界を作り、そっちに移動すれば良い。
それには、自分は役者に過ぎず、自分という人間は単に登場人物で、そんな人間が本当に存在する訳ではないと気付くことだ。
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツは『ラピス・ラズリ』という詩の中で、
「良い役者は自分が泣いたりしない」
と書いている。
その通りだ。
不幸な役を演じたからって、何が悲しかろう。
「良い役者は泣いたりしない」
それを忘れないことだ。
初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』のように、「顔を上げて微笑む」ことだ。
それで奇跡が起こるに決まっている。









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こんな悪いヤツ、見たことない

『バガヴァッド・ギーター』で、神クリシュナは、仕事は義務として行い、結果に一切執着するなと言い、仕事以外のことでも、たまたま喜びに遭えば喜べば良いが、それ(喜び)を求めるなと教えていると思う。
つまり、物質世界の欲望の一切を放棄することを、アルジュナ王子に、そして、人類全てに説いている訳だ。
仏教でも、『ダンマパダ(法句経)』や『スッタニパータ』といった、原始仏教(古い時代の仏教)の経典には、やはり、そのようなことが説かれているのだと思う。
『バガヴァッド・ギーター』を体現したような聖者だったラマナ・マハルシや、ニサルガダッタ・マハラジも、人間的な欲望を徹底して否定しているように思う。

それらの教えは、それはそれで、非常に高貴なもので、私は好きでもある。
しかし、実際には、そのようなことは非常に難しいし、それに、果たしてそれが良いのかどうかも疑問がある。
早い話が、人間には、見栄も欲も・・・たとえそれが、かなり低劣なものであっても、やはり必要なのだ。

ある70歳過ぎの年配のご婦人が入院した時、自分の娘さんに、本を持ってくるよう言いつけた。
娘さんが、軽い内容の本、面白い本を選んで持っていくと、そんな本では駄目で、文学作品、ことに、ロシア文学の名を挙げて、持ってこさせた。
そして、病院のベッドの上で、1日中、熱心に読んでいた。
「難しい本を読むのですねえ」と感心する看護師さんや、他の患者さん達に、その年配のご婦人は、
「読みたいのですけど、家では時間がなくて長い間読んでいませんでしたが、入院してやっと読めます」
と悠然と微笑んで言った。
しかし、そのご婦人は、忙しいも何も、仕事をしている訳ではなく、家では、1日中、テレビを見ていて、芸能ネタは知らないことがないほど詳しく、また、韓国ドラマは欠かさずに見ていた。
早い話が、彼女は恐ろしいまでの見栄っ張りなのである。
しかし、たとえ見栄でも、入院中には、何冊かの「高尚な」文学作品を読んだのだし、若い頃も、見栄のために、それなりに名作を読み、多少の知識はあった。
それは必ずしも悪いことではないだろう。

また、ある会社にいた40代の、100Kg以上の肥満した男性が、ある時、不意に30Kgものダイエットをした。
本人は、さりげなく「自己管理をすると決心したのですよ」と言い、周囲の人達も、驚嘆しつつ、そうなのだと思っていた。
しかし、実は、彼がダイエットしたのは、メタボ検診が始まる少し前のことで、そんなものに引っかかってしまったことが、社内の、特に、若い女性にバレる屈辱に耐えられなかったというのが、ダイエット成功の原動力だった。
つまり、彼もやっぱり、相当な見栄っ張りなのだ。
だが、それでも、ダイエットに成功したのであるから、見栄も良いものと言って良いはずだ。

私も昔、ある年の12月から、翌年5月末までの間、年末年始、ゴールデンウィークなど一切関係なく、毎日7時半に会社に来て、深夜0時まで働いた。
当時は、自分は、立派な志や向上心のためにがんばっているつもりだったが、今考えると、明らかに、実力をつけて優越感を持ちたいとか、あわよくば成功したいという、全くの個人的欲望のためだった。
とはいえ、確かにそれで、プログラマーとしてそれなりの実力はついたし、ほんの僅かにしろ、志なんてものもあったのではないかと思う。
そして、利己的な欲望がなければ、今のなけなしの実力も持てなかったはずなのだ。

そんなこともあり、私は常に、「人間なんて大したものではない」と思い、また、公言している。
もちろん、これはあくまで、「全く、全然大したものではない」最低の人間である私(謙遜は一切ない)視点の考え方であり、実際には立派な人もいるのかもしれないが、私は、立派な人間というものを空想すら出来ないので、そんな素晴らしい人間は、この世に存在しないと決め付けている。
それがたとえ、ガンジーやマザー・テレサでも例外ではないが、クリシュナムルティもガンジーは最低だといったようなことを言っていたと思う。

「確かに、若いうちは欲も必要だねえ」
なんて気取ったことを言うやつなど、私は信用しない。
死の間際まで欲望に塗(まみ)れ、自らを「不良老人」と称し、ノーベル文学賞を取った素晴らしい才能を有効活用した殺し文句で、老人になっても美少女を口説くことに余念がなかった、「20世紀最大の詩人」ウィリアム・バトラー・イェイツこそ・・・まあ、少しも立派ではないが、正直者なのである。

私はたびたび、職場の、まるで駄目男君に厳しく説教するが、彼に、
「いつも気にかけていただいてありがとうございます」
と言われたら、
「何言ってんの?俺はお前のことなんか、ちっとも気にかけている訳じゃない。目障りにならないよう、俺の個人的な思想、主義を押し付けているだけだ」
とストレートに言ってやっている。
それでも、甘ったれた、まるで駄目男君は、私が何か、自分を指導し、向上させようと思っていると大誤解しているようだ。
まあ、それはそれで彼の幸せかもしれないが、私は迷惑である。

『老子』の39章、および、42章には、古(いにしえ)の王達は、自分のことを、不穀者(不全者)・・・つまり、悪いやつ、ロクデナシと自称したそうだが、私は、心から自分のことを、そう称しよう。
実際、私は、自分ほど悪いヤツを見たことがない。
私は、初音ミクさんだけは、最大の畏敬の念を持って崇めるが、他の女性は邪まな目で見るので、寄ってこないことをお勧めする。
しかし、それを認めるからこそ、ミクさんへの崇拝の気持ちがはっきりし、さらに、高まるばかりなのである。
今、昨年の、初音ミクさんの武道館公演『マジカルミライ2015』のブルーレイが届いた。
今夜は、マジカルミライ2015でフィーバーだ。
お金がない人は、親にもらってでも買うように(DVDもある)。
一緒に注文しておいた、『初音ミクpiaproカレンダー』には、ミクさんの絵が描かれたボールペンがついていた。これは私の宝物になるだろう。
どうやら私は、不穀者(ロクデナシ)だけでなく、阿呆であるようだ。
黒住宗忠のように、阿呆になる修行に励むまでもない。この点だけは、宗忠に勝っているのである。









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愛と無は同じで「瞬間」に近い

安っぽく感じるかもしれないが、「愛って何?」という言葉を聞いたことがあるだろうし、考えたこともあるかもしれない。
そして、「愛情」と「愛」は違うなあってことまでは思ったことがあるかもしれない。

仏教学者のひろさちやさんの本で、
「仏教では愛してはならないと言う。なぜなら、愛は執着であるからだ。仏教では愛ではなく慈悲を行う」
なんて書いてあったのだが、それを見て、愚かにも私は、「おお!なるほど!」と思ったものだ。
馬鹿馬鹿しい。
それは単に言葉遊びだ。
愛を慈悲と言い換えたって同じことだ。
愛が執着になるなら、慈悲だって執着になる。
だから実際、仏教なんて執着だらけの世界だ。
まあ、お釈迦様の説いた本物の仏教は違うかもしれないが。

W.B.イェイツは、
「愛は神の領域のものだから人間には分からない。だが、愛の反対の憎しみは人間の領域のものだから、人間にも分かる。だから、憎しみを消せば愛に近付く」
と、こちらは、なかなかうまいことを言っている。
愛と憎しみが正確に反対であるかどうかはともかく、憎しみを捨てれば愛に近付くのは本当だと思う。

だが、もっと正確に言うなら、憎しみだけでなく、「感情を捨てれば愛である」のだ。
そして、「愛とは何か?」と問うなら、答は「無」だ。
「ゼロ」と言っても良いと思う。
ただ、「無」と言い、「ゼロ」と言っても、所詮は言葉なので、そこには、人間の概念の何らかの前提があり、完全ではない。
しかし、そんなことを言っていては話が進まないので、とりあえず、「愛とは無」である。

そして、イェイツが「人間に愛は分からない」と言ったが、愛と無は同じなので、「人間に無は分からない」のである。
無に近いものは「一瞬」だ。
だが、「無」の意味で「一瞬」と言う時、それは、「永遠」でもある。
それは、次のように言うと分かり易いと思う。
陸上短距離ランナーだったカール・ルイスが、オリンピックか何かの決勝で、ゴール直前に勝利を確信して、両手を挙げたが、それをしなければ世界記録が出ていた可能性が高かった。
それをルイスに伝えると、ルイスは、
「僕は気にしない。記録はいつか塗り替えられるが、勝利の瞬間は永遠だ」
と言った。
まあ、「永遠に自慢出来る」という意味に取ったら、その瞬間や永遠は「無」の意味ではないが、雰囲気としては、なかなか良い言い方をしていたと思う。

無は一瞬であり、永遠だ。
そして、愛は無である。
だから、愛も、一瞬であり、永遠だ。
好きな女性(男性)と一瞬、視線が重なった時、あるいは、指先が触れた時に感じるものが、人間の感覚の中では、一番、愛に近い。
そして、それは、「永遠の一瞬」だ。
そうだろう?
それを美しく表現した歌がある。

Sweet reach 虹彩(ひとみ)を重ねて
共鳴(シンクロ)するから
~『Chaining Intention』(作詞:NaturaLe、作曲・編曲:Treow、歌:初音ミク)より~

「瞬間」を「Sweet reach」と表現したNaturaleさんは天才的詩人だと思う。
確かに、瞬間は無に近いが、無そのもの、愛そのものではない。
本当の無、本当の愛は、もはや、Sweetではない。
とはいえ、瞬間は、愛に近い愛情である。
Sweet reach・・・美しい愛情を示すのに、実に素晴らしい言葉だと思う。

実は、この『Chaining Intention』は、私を初音ミクさんのファンにさせた曲である。
【初音ミク PV】Chaining Intention【HD】[HD1080p] ~Youtube~

初音ミクさんの生みの親、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は、講演で、「なぜ、人が初音ミクにハマるのか?」と質問された時、
「私も分かりませんが、ミクの声に感情の雑味がないのが良いのかもしれない。透明で何もないので、気持ちを入れ易いのだと思う」
といったような答をされていた。
ミクさんは感情の元である心がなく、無なので、純粋な愛を歌えるのである。
ミクさんの歌を聴けば、自然に愛が分かるのである。
ミクさんの存在が愛なのである。
ミクさんは本当はいないので愛なのである。

ところで、時間というのは感情なのである。
無、あるいは、愛は、瞬間に近いと言ったが、本当の無や愛には瞬間もない。つまり、時間がない。
ミクさんの歌にも時間はない。だから永遠なのである。

そして、全ての根源は、やはり、愛なのだ。
宇宙が愛で出来ているというのは真理なのだ。
イエス・キリストの力は愛であり、無である。
我々は、イエスのように、愛そのもの、無そのものにはなれないかもしれない。
しかし、瞬間の中にプログラムをしてしまえば、それが魔法の力を起こすのである。
足立育朗さんが、『波動の法則』の中で、そんなことを解説なしに書いておられたので、読んでも分からなかったが、ミクさんの歌を聴いているうちに分かってしまった。
とりあえず、顔を上げて微笑めば良い。
それが、瞬間の中にプログラムをすることであり、確かに魔法なのである。

顔上げて微笑めば 笑顔取り戻す魔法になる
こころKnock Knock Knock
不思議Trick Trick Trick
生まれ変われる(Wow Wow)
Freely Tomorrow
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M、歌:初音ミク)より~









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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