ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

OK牧場の決斗

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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馬鹿なことをしたくなった時

人間は、「良い選択をした」と思った時は、大抵、間違った選択をしている。

1881年10月26日、アリゾナ州コチセ郡トゥームストーンので起こった銃撃戦、通称『OK牧場の決闘』を題材に、多くの映画が作られた。
その中で最も有名なものが、1957年公開の、バート・ランカスターとカーク・ダグラスが共演した西部劇『OK牧場の決斗』だ。
日本では、史実を『OK牧場の決闘』、映画を『OK牧場の決斗』と表記するが、英語ではいずれも“Gunfight at the O.K. Corral”だ。

『OK牧場の決斗』で、こんな印象的な場面がある。
賭博師のドク・ホリデイ(本名はヘンリー・ホリデイ。歯学博士を取得している元歯科医)が、名高い名保安官ワイアット・アープに、何と、儲け話を持ちかける。
それは、ワイアット・アープが、悪名高いドク・ホリデイを町から追っ払うために来た時だった。
ホリデイはアープに、自分に千ドル投資すれば、大儲けさせてやるというが、もちろん、アープが耳を貸すはずがない・・・と思いきや、アープは承諾してしまう。
しかし、いかに、ホリデイが話術に長けた詐欺師でもあっても、百戦錬磨の名保安官アープが騙されるはずがない。
吹き替え版では、アープは「一生に一度くらいは馬鹿なことをやってみたくなった」と、半ば言い訳を自分にする。

アープが、ホリデイに男惚れし、友情を感じていることは見れば分かるが、ホリデイは誰もが認める最低のクズだ。
だが、最初に述べたように、人間は「良い選択をした」と思う時は、大概、愚かな選択をしている時だが、「馬鹿な選択をした」と思った時は、それが正解なのである。
理屈の頭は、いつも間違うのだ。
直観と理性が対立した時は、直観を選んで良い。

同じことが再度起こる。
アープが、殺し屋3人を逮捕に向かおうとした時、助手が出払っていて1人もいなかった。
近くでそれを聴いていたホリデイは「俺が手を貸そうか?」と言うが、当然、アープは「馬鹿を言え。俺1人でやる」と言い捨てて出て行く。
だが、アープは立ち止まって戻って来ると、ホリデイに「右手を上げろ」と言う。そして、保安官助手採用の簡易儀式をやり始めるが、すぐにアープは、「馬鹿らしい」と言って取りやめ、口で「保安官助手採用だ」と言って、ホリデイと出動する。

馬鹿なことをやったことがない人生は淋しいものだが、今は、そんな人が多い。
参議院幹事長、蓮舫(れんほう)氏が、新型コロナウイルスで親の収入が激減した等の理由で、大学を辞めざるをえなくなっている人のことを「高卒になってしまう」と言って、低学歴者を差別したとして非難されたが、私なら、「高卒になっちゃえば良い」と思う。
大学に通っている者の多くが、実は内心、「辞めた方が良い」と思っているのに、それは、理屈や理性では「馬鹿な選択」なのでそれが出来ない。
もし、コロナのおかげで、そんな「馬鹿な選択」をする後押しがされたなら、乗ってみてはどうだろう?
素晴らしく楽しい人生になるかもしれない。
まあ、後で後悔するかもしれないが、この程度の後悔は安いものに違いない。責任は持てないが(笑)。

本当は、「馬鹿な選択が正しい」と言うよりは「気持ちに素直な選択は正しい」と言うべきだろう。
だが、「素直な選択」は、やはり馬鹿に見えることが多い。
スティーブ・ジョブズが大学を辞めたのは、元々、やる気がなくなっていたのと、里親の財産を使い果たすのが嫌だったからだ(ジョブズが在学していたリード大学の学費は、今で言えば年間400~500万円以上)。
『まちカドまぞく』で、優子がバイトをして、桃への借金を返しに来た時、桃は、優子のバイト代全部を巻き上げるのが嫌で、返済を拒否する。
それを優子も拒否するが、桃の家庭事情の一端を垣間見て(桃に家族はいない)、何かを感じて、それを受け入れる。
どれも大正解であったが、ジョブズは、あの有名なスピーチで、その最善の部分を説明していない。自分でも気付いていなかったのだろう。













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真の男の酒の飲み方

真の男とは、片時もゆるまない男だ。
真の男は、引き締まるために酒を飲み、偽物の男は、ゆるむために酒を飲む。
酒を飲んで酔っ払うような男は本物の男ではない。

ブルース・ウイルス主演の映画『ラストマン・スタンディング』で、ウィリス演じる凄腕ガンマンのジョン・スミスが、バーで、ウイスキーだろうか、酒をグラスに注がせては、何度も一気に飲み干す場面があるが、その度にジョン・スミスの顔が引き締まっていくのを私は印象深く覚えている。
『ラストマン・スタンディング』のラストマンとは、「最後の本物の男」という意味ではないかと思うが、まさに、本物の男の酒の飲み方はこうである。

アニメ『エル・カザド』でも、殺し屋のリカルドは、仕事(殺し)の前に、ショットグラス(強い酒を原酒のまま飲むための小グラス)に注がれた酒を一気に飲み干すと、その顔は完全に引き締まった殺し屋のものになり、目が妖しくも強く輝いていたのに私は惹き込まれた。

『OK牧場の決斗』では、伝説の英雄である保安官ワイアット・アープが、クラントン一家との決闘に赴く直前に、グラスの酒を一気に呷(あお)って、一層表情が引き締まる場面があったと思う。
こういうのを見ると、酒を飲む男を本当に格好良いと思うのである。

ロナルド・レーガンが大統領時代、中国を訪問した時に、北京の長城飯店(グレート・ウォール・ホテル)において、晩餐会の席で、ウォッカ並に強い酒である中国のマオタイ酒を、男らしく一気飲みしたことを、私は、アーマンド・ハマーの自伝『ドクター・ハマー』で読んだ。当時でも、レーガンは70歳をかなり超えていたはずである。酒に強そうな顔ではあるが。
もちろん、レーガンは、より引き締まり、見事に中国要人達との交友を果たしたに違いない。
私は、個人的に長城飯店は思い出深い場所で、何だか、レーガンの一気飲みの場面が目に浮かぶようである。
私も、金持ちのボンボンが、彼は慣れているのだろうが、目の前で、マオタイ酒を一気飲みするのを見て、負けてなるかと、同じようにマオタイ酒を一気飲みしたことがある。
隣で、友人だったIT企業の社長が悲鳴を上げるのが聴こえた。
私は、普段はほとんど酒を飲まないに関わらずであったが、気力が充実していれば、さしたることはない。
まあ、よく死ななかったものだと、後で思ったが。

ところが、時々、お会いしたことがあった政木和三さんが、海外で、相当なアルコール度数の酒を一気飲みし、全く平然として、周囲の人達を驚かせたらしい。
政木さんは、普段は、赤玉スイートワインを寝る前に、小さなグラスで一杯飲むだけと言われた。
政木さんは、「信念のある者は酒に酔わない」と言われていたが、「信念のある者」は、決してゆるまず、ゆるまない者だけが信念を持つのである。
そして、ゆるまない者・・・心が引き締まった者は酒に酔わないのである。
それは、上に挙げた、「本物の男達」の例から分かると思う。
ただし、私はそれほどの男ではないので、かなりきつかったが、それでも、ちゃんと電車に乗り、さらに、駅から1.6kmをしっかり歩いて帰ったのだ。
幸い、その時は、私も、それなりに引き締まり、ゆるんでいなかったのだろう。そうでなければ、いまごろ、こんなことをしていなかったかもしれない。

酒とは、引き締まるために飲むべきである。
だが、ゆるむために酒を飲む愚か者が多い。
普段からゆるんでいる者が、酒を飲んでさらにゆるみ、人様に迷惑をかけているのだ。
私は、様々な酒を原酒のまま、ぐいっと飲み、ゆるんでいないことを確認することが時々ある。
私は、普段、あまり飲まないので、強い酒はやらないが、最近は25度のカンパリ(リキュール)を気に入っている。
日本では、ジンのような酒でもそうだが、リキュールといえば、何が何でも何かで割らないといけないと思い込んでいる者が多いが、これら見事に調合された酒は、本来、原酒で飲むものである。特にイタリアあたりで、本当に酒の分かる人達は、リキュールでもジンでも原酒で飲むと聴くが、その通りだろうと思う。
私は、ジンは香りが特に好きで、やはり原酒のみ飲む。私が飲むのはイギリスのゴードンズだ。これは、250年近く、同じ製法で作られている伝統あるジンである。
とはいえ、普段は、1本500円前後の安価な赤ワインを、寝る前に一杯飲むだけである。

とにかく、酒に酔うようなやつは、ゆるんでいるのであり、そんなのは本当の男ではない(女性も同じと思うが)。
私は、楽しみのために酒を飲むことは全くないが、心の引き締まり具体を試したり、あるいは、心を鍛えるために、たまに飲むのは悪くないと思う。









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西部劇に登場する真の男の姿に学ぶ

人生の知恵はどこから学ぶかというと、1番はやはり仕事であろう。
ただ、人気があって儲かるスポーツ選手やタレントの場合は、本人に余程の謙虚さと節制がないと、むしろ完全に目が眩み、普通の人よりはるかに馬鹿なものだ。実際、彼らの多くが、引退したり、落ち目になってしばらく経った後で、やっとそれに気付くのだ。
また、ニートなら、それは普通の人にはなかなかできないことなのだから、遊び呆けていないで、しっかりニートとして学ばないといけない。その心がけがあれば、一発逆転などわけもない。
私の場合、ニートの間に、人間には心があることを深く学べたと思う。また、毎日、行くところがあることの有り難さもだ。それだけで、世間ではそこそこうまくやれている。
植島啓司さん(宗教人類学者)のように、自分で命懸けでギャンブルをやる人というのは、そこから多くを学ぶのだと思うが、私はギャンブルは一切しない。

ところで、娯楽大活劇というものでしかないはずの西部劇映画には、鋭い学びを得られるものが多いのではないかと思う。
私の場合、最近では、『怒りの荒野』(1967)と『OK牧場の決斗』(1957)の2つが、特に素晴らしかったと感じている。
面白いことに、両方共、主役は2人と言って良い。彼らは、現代日本の作り物で偽者の「いい男」など話にならない本物のナイス・ガイである。
『怒りの荒野』は、イタリアの俳優ジュリアーノ・ジェンマとアメリカのリー・ヴァン・クリーフの競演だ。私は、ジェンマほど格好の良い二枚目男優は、後にも先にもいないと思っているが、クリーフの悪の魅力はそれを上回るほどに感じる。本当によい男は禿げたって全く構わないのだと分かる。
この『怒りの荒野』では、「ガンマン十戒」として有名な、ガンマンとして生き残るための十の教えが出てくる。「人に頼るな」「人を信じるな」から始まるが、私は、第6の「危険な時ほどよく狙え」を実際に、困難な状況でよく思い出し、何度も助けられた。これは、軽い言い方をするなら、「焦るな」「冷静さを失うな」ということになるのだろうが、この「危険な時ほどよく狙え」という言い方は、なんとも素晴らしい表現であると感動する。

『OK牧場の決斗』は、実話を元に制作され、やはり、二枚目俳優のバート・ランカスターと、こちらも二枚目とも言えるが、ややニヒル(暗い影がある様)で硬派な大俳優カーク・ダグラスの共演だ。ランカスター演じる名保安官ワイアット・アープと、ダグラス演じる元歯科医だが身を持ち崩した賭博師でかつ早撃ちガンマンのドク(ドクター)・ホリデイ(ジョン・ホリデイ)の奇妙な男の友情も良いものだった。尚、ダグラスは96歳の今も現役俳優で健康であるらしい。
『OK牧場の決斗』は、学びの宝庫だ。
この映画のスタージェス監督は、映画の出来が不満で続編の『墓石と決闘』(出演俳優は変わっている)を創ったといった話があるが、私は、勝手なことを言うと、それは違うと思う。両方の映画を見て感じたのは、スタージェスはものごとの異なる面の中での男の友情を描きたかったのではなかったのかと思う。『OK牧場の決斗』では、アープ兄弟とドク・ホリデイがクラントン一家との決闘で勝利してハッピーエンドで終った感があるが、『墓石と決闘』では、アープやホリデイが、クラントン一家殺害の罪で裁判にかけられるところから始まる。すでに立派な法治国家であったアメリカでは、どんな理由があろうと、決闘なんてものが認められるはずがないのである。『墓石と決闘』では、こういった現実面が前面に出てくる。
先にも述べた通り、『OK牧場の決斗』は、学ぶ処は多いが、いくつか取り上げる。
ホリデイはプロの賭博師で、街から街に渡り歩く際も、(実際はそうはいかないかもしれないが)荷物は、今着ている洒落た服と、内ポケットに入れたカードだけだ。
ホリデイが初めてアープに、賭けに乗ることを誘いかけた時、当然、お堅い保安官のアープは断る。ホリデイは「俺に投資しろ」と言ったのだが、これほどの悪名高い賭博師がそう言うからには、危険な賭けに乗れという意味しかない。アープでなくても、応じる方がおかしい。
しかし、アープは、ホリデイの自信満々な態度に魅かれたのではないかと思う。アープは、自分で、「馬鹿もいろいろやったが、これほどのはなかった」と言いながら、なぜかホリデイの申し出に乗ってしまう。これには、ホリデイも少々面喰った感もあった。そこには、男の友情も始まっていたのだろう。
アープはホリデイに「なぜ負けないと言えるのだ?」と問うと、ホリデイは「負けるはずがない」と言う。
その理由が良いのだ。
それを、2種類の字幕で見たが、「負けるのは命が惜しいやつだ」と「勝つことに目の色を変えるやつが負けるのだ」だった。
これほど人生の真理を表す言葉もないだろう。
ホリデイは、「俺は失うものは何もないし、命も惜しくない。だから負けないのだ」と言う。私は、これぞ男だと感激してしまった。
男に限らないかもしれないが、捨て身の人間ほど恐いものはない。
無論、いかに捨て身でも、実力がなければさほどのことはない。
「窮鼠(きゅうそ。追い詰められたねずみ)猫を噛(か)む」と言っても、勝つか負けるかというと、鼠はやはり負けるのだ。
だが、ホリデイは、1人でいる時も、いつもカードを手にして真剣に動かして腕を磨いていたのだ。自分の努力で、鼠でなくなることが必要だ。
我々も、こうでないといけない。
誰かが、インドの聖者ラマナ・マハルシに、「私は、時々、バガヴァッド・ギーターを読むべきでしょうか?」と尋ねると、マハルシが「いつもがよい」と答えたのが印象的だ。
「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎が、「念仏を唱えるなら、生活しながら念仏するようでは駄目だ。念仏しながら生活しなければならない。生活しながら静坐するようではいけない。静坐しながら生活しなさい」と述べたのも、それに通ずるように感じる。
この心がけを持つ限り、私は一生豊かで、傷付くこともない。あなたもそうあるように。

尚、『OK牧場の決斗』と同じ、ワイアット・アープとドク・ホリデイの物語を映画にしたものは、1946年のジョン・フォード監督の屈指の名作(『駅馬車』と並ぶほどと言われる)の『荒野の決闘』(My Darling Clementine)がある。
実は私は、10年近く前、あるプロのイラストレーターのサイトで、そのイラストレーターがこの映画を大絶賛するのを見て、この映画のDVDを購入していたが、なんと、いまだ見ていない。
ただ、ディスクから発する最高の波動は感じていたので、10年近くも、いつも身近に置いていた。この映画が『OK牧場の決闘』だということも、直感だけで分かっていた。それは普通の人から見れば超感覚的知覚、いわゆる、超能力かもしれない。見るべき時期まで必然的に見なかったのだろう。いよいよ、今日見るつもりである。









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「お友達」を欲しがるのは男ではない

話に聞くだけだが、多くの大学入学生が、大学で友達が出来ないことが不安であり、そして、心配した通りに友達が出来ないと、1人で昼食を食べていて「友達のいないつまらないやつ」と思われるのが辛くで、トイレで食べたりする者がいるらしい。
下らない話ではあるが、私も、昔、大学の学食で1人で昼食を食べていると、そんなのは私くらいのもので、友達と「つるんで」食べている者達が、私を蔑んでいるように感じた憶えは確かにある。

だが、友達なんかいなくていい。いや、いてはならない。
それがどういうことか、少し説明しよう。
私は、昨年一度、通勤の時に乗る電車の車両を変えている。
よく空いていて、快適であったし、おまけに、いつも見る素晴らしく可愛い女の子もいて、目の保養になっていたのだが、それでもそうしたのだ。
その訳はこうだ。
大学生だろうと思うが、3人の男子がいつも一緒に乗って来た。スマートフォン嫌いの私も、こんな時ばかりは、この連中がずっとスマートフォンをいじって静かにしてくれればいいと思うのだが、仲良くおしゃべりをしている。
そんな連中が近くにいるような車両に乗っていることに耐えられなかったのである。
断言するが、大学生にもなって、いつも一緒に学校に通う通っているようなのは男ではない。

君達は、こんな気持ちの悪い「お友達」が欲しいというのだろうか?
大学の学食で一緒に昼メシを食ってる男なんてのも、やっぱり男のうちには入らないのだ。
もし、孤独を感じるとしても、それを背負って1人で、隅の席で食べるのだ。

最近、テレビで、1957年の西部劇『OK牧場の決斗』を見て、私は本物の男の友情に震えた。
カーク・ダグラス演じるドク・ホリデイは、ある夜、興奮したせいで持病による発作を起こして昏睡状態となるが、朝日の中で意識を取り戻すと、保安官ワイアット・アープが勝ち目の無い決斗に挑むことに気付き、歩くこともできないような身体に銃を下げると、黙ってワイアット兄弟に同行する。
ドクとワイアットは、世間で言う友達なんてものじゃあない。
ワイアットは西部に名を轟かせる凄腕の保安官。一方、ドクは、元は歯科医だったが、病気のために廃業すると、酒浸りの賭博師になる。だが、ドクは、早撃ちのガンマンでもあり、彼の心の傷からか、トラブルを引き寄せてしまい、殺しもやり、悪名高い札付きだった。
そんな2人は、なぜか縁があるが、良い関係であるはずもなく、ワイアットは町の治安のために、ドクを町から追い出そうとする。
ワイアットはドクを見下し、ドクはワイアットの足元を救おうと狙っているようにしか思えなかった。
そんなワイアットは、かつて、保安官としての義務からだが、ドクの命を助けたことがある。ドクはそれが気に入らず、ワイアットの命を助けて借りを返していた。つまり、もうドクには、ワイアットを助ける義理など、どこにも無いはずだった。
ワイアットは、悪党共に19歳の弟を殺され、まんまと私怨の決斗に応じさせられる。悪党共も、連邦保安官としてのワイアットを殺して、国家を敵に回すという割に合わないことをする気はなかったが、私闘なら問題はないと踏んでの策略だった。そんな卑怯な罠に、ワイアットと彼の兄弟は、まんまとはめられたのだ。
ワイアットは兄と弟の3人、敵は6人で、しかも、決斗の地は敵の本拠地の牧場だ。無謀な戦いだった。
その敵の情婦になりはてていたが、本心ではドクを慕うケイトは、ドクを止める。
「行けば必ず死ぬわ」
するとドクは言う。
「俺は何の価値も無い人間だが、唯一の友と死にたい」
男にとっての友とは、こういうものである。
映画では、他にも、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンが共演した『さらば友よ』でも、やはり、本物の男の友情が描かれている。
そうせなら、今流行りの、面白いだけの映画などは見ずに、せめて、こういった映画を見ることだ。
そして、こういった友が出来ないなら、それも運命であり、神の意思だ。安っぽい「お友達」など、男には不要である。
私には、神が唯一の友である。
何も言うことを聞いてくれる訳ではない。だが、何の価値もない役立たずの私と違い、神にできないことは何もない。
神は、私の願いを叶えてくれることはない。だが、離れずにいることだけは赦されるのである。
もし、人間の本当の友が出来ても、何かが起こらない限り、離れていることだ。そして、そんな何かは起こらないに越したことはない。死ぬまでに、もう一度会えればそれで良いのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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