本当の自分を知ると、全ての潜在力が開き、事実上、超人になる。
アニメ『MADLAX』で、それを象徴する印象深い場面がある。
リメルダ・ユルグは、マドラックス(ヒロイン。17歳)と互角に戦える超人的女性戦闘員で射撃の達人である。
そのリメルダが、すぐそこ(十数メートル先か)に身を晒しているマドラックスを銃撃する。
リメルダの腕なら、いかなる小さな的でも楽々撃ち抜く距離である。
だが、マドラックスには当たらない。
リメルダが当てようとしていないわけではない。本気でマドラックスを殺そうとしているが、マドラックスは、リメルダが連続して撃ってくる弾丸を涼しい顔で交わしてしまうのだ。
少しは焦りを見せながら、リメルダはマドラックスに、「どうしてそんなことが出来るの?」と問う。
すると、マドラックスは「本当の自分を知ったから」と答える。
そんな実話を、これまで何度も書いた。
1つだけ再度書くと、英国の作家コリン・ウィルソンは、19歳の時、人生に絶望し、劇薬の青酸カリが入ったビンのフタを開け、まさに口に含もうとした。
その時、世界がガラリと変わる。
ウィルソンの意識には、崇拝する英国のSF作家H.G.ウェルズの自伝小説『ポリー氏の人生』のポリーの言葉が浮かんだ。
「人生が面白くないなら、変えてしまえばいい」
完全ではなかったかもしれないが、ウィルソンは本当の自分を知ったのだろう。
それ以降、彼の人生は変わる。
では、彼らはなぜ、自分を知ったのか?
それは、死の体験によってである。
マドラックスは脇腹を撃たれて深い傷を負い、数日、生死の境をさ迷った。
そこから回復した時に変わっていたのだ。
コリン・ウィルソンも、死を受け入れたのである。
インドの聖者ラマナ・マハルシも、17歳の時、不意に訪れた死の体験によって、偉大な聖者に生まれ変わった。
そして彼はずっと、「私は誰か」と自分に問えと世界に訴えた。
まさに、彼は、真の自分を知れば、自分が全てであると分かることを示したのだ。
では、我々はどのようにそれをすれば良いのか?
ラマナ・マハルシの方法(「私は誰か」と自分に問う)は、難しいと思われる。まあ、難しいという観念こそが邪魔なのであるが、実際に、成功者は少ない(あるいはいない)と思われる。
1つ、こんな方法がある。
呼吸を出来る限り微かにするのだ。
うまくいけば、数時間で死の体験が出来るかもしれないが、これは危険を伴うので、お勧め出来ない。
そこで、やはり、マントラ(真言)なのである。
気に入ったマントラなら何でも良い。
ただ、普段お勧めしている観世音菩薩の真言「オン・アロリキャ・ソワカ」や「南無観世音菩薩」は、『観音経』によれば、どちらかというと現世利益のマントラである。
唱えれば、確実に恵があるが、真の自己を知るにはどうであろう?
実は、全く問題なく使えると思うが、このマントラが現世利益のためのものであるという観念が強いと、必ずしもうまくいかないかもしれない。
そもそも、まずは、現世利益が大切であり、皆が皆、そこまでのこと(真の自己を知って宇宙と一体化する)は望まないかもしれない。
だが、やはり真の自己を知りたい場合は、例えば、阿弥陀如来真言「オン・アミリタ・テイセイ・カラウン」を唱えると良いかもしれない。
もちろん、「南無阿弥陀仏」でも良い。
そして、真言密教の最高位であった織田隆弘氏は、大日如来真言の中でも、「オンアビラウンケン」を特に推奨されていたようである。
※【密門会ホームページ 】 真言宗の根本真言参照
私個人は、この真言でも、あるいは、「アジマリカン」でも「トホカミエミタメ」でも、全く同じという立場であるが、高度な専門家の意見も尊重する。
アニメ『MADLAX』で、それを象徴する印象深い場面がある。
リメルダ・ユルグは、マドラックス(ヒロイン。17歳)と互角に戦える超人的女性戦闘員で射撃の達人である。
そのリメルダが、すぐそこ(十数メートル先か)に身を晒しているマドラックスを銃撃する。
リメルダの腕なら、いかなる小さな的でも楽々撃ち抜く距離である。
だが、マドラックスには当たらない。
リメルダが当てようとしていないわけではない。本気でマドラックスを殺そうとしているが、マドラックスは、リメルダが連続して撃ってくる弾丸を涼しい顔で交わしてしまうのだ。
少しは焦りを見せながら、リメルダはマドラックスに、「どうしてそんなことが出来るの?」と問う。
すると、マドラックスは「本当の自分を知ったから」と答える。
そんな実話を、これまで何度も書いた。
1つだけ再度書くと、英国の作家コリン・ウィルソンは、19歳の時、人生に絶望し、劇薬の青酸カリが入ったビンのフタを開け、まさに口に含もうとした。
その時、世界がガラリと変わる。
ウィルソンの意識には、崇拝する英国のSF作家H.G.ウェルズの自伝小説『ポリー氏の人生』のポリーの言葉が浮かんだ。
「人生が面白くないなら、変えてしまえばいい」
完全ではなかったかもしれないが、ウィルソンは本当の自分を知ったのだろう。
それ以降、彼の人生は変わる。
では、彼らはなぜ、自分を知ったのか?
それは、死の体験によってである。
マドラックスは脇腹を撃たれて深い傷を負い、数日、生死の境をさ迷った。
そこから回復した時に変わっていたのだ。
コリン・ウィルソンも、死を受け入れたのである。
インドの聖者ラマナ・マハルシも、17歳の時、不意に訪れた死の体験によって、偉大な聖者に生まれ変わった。
そして彼はずっと、「私は誰か」と自分に問えと世界に訴えた。
まさに、彼は、真の自分を知れば、自分が全てであると分かることを示したのだ。
では、我々はどのようにそれをすれば良いのか?
ラマナ・マハルシの方法(「私は誰か」と自分に問う)は、難しいと思われる。まあ、難しいという観念こそが邪魔なのであるが、実際に、成功者は少ない(あるいはいない)と思われる。
1つ、こんな方法がある。
呼吸を出来る限り微かにするのだ。
うまくいけば、数時間で死の体験が出来るかもしれないが、これは危険を伴うので、お勧め出来ない。
そこで、やはり、マントラ(真言)なのである。
気に入ったマントラなら何でも良い。
ただ、普段お勧めしている観世音菩薩の真言「オン・アロリキャ・ソワカ」や「南無観世音菩薩」は、『観音経』によれば、どちらかというと現世利益のマントラである。
唱えれば、確実に恵があるが、真の自己を知るにはどうであろう?
実は、全く問題なく使えると思うが、このマントラが現世利益のためのものであるという観念が強いと、必ずしもうまくいかないかもしれない。
そもそも、まずは、現世利益が大切であり、皆が皆、そこまでのこと(真の自己を知って宇宙と一体化する)は望まないかもしれない。
だが、やはり真の自己を知りたい場合は、例えば、阿弥陀如来真言「オン・アミリタ・テイセイ・カラウン」を唱えると良いかもしれない。
もちろん、「南無阿弥陀仏」でも良い。
そして、真言密教の最高位であった織田隆弘氏は、大日如来真言の中でも、「オンアビラウンケン」を特に推奨されていたようである。
※【密門会ホームページ 】 真言宗の根本真言参照
私個人は、この真言でも、あるいは、「アジマリカン」でも「トホカミエミタメ」でも、全く同じという立場であるが、高度な専門家の意見も尊重する。