ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

CLAMP

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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『老子』第62章を一言で言えば「全知全能の力を手に」

今回は『老子』第62章である。
この章を一言で言えば「全知全能の力を手に」である。

『CLOVER』(CLAMP著)という、ヒロインの少女の冒頭のカラー絵がやたらに綺麗な漫画に、こんなことが書かれていたのを印象深く憶えている。
この世界を管理する長老の1人がこう言う。
「あの子(スゥという名の12歳の少女)に想われたら、世界を手にしたも同じだ」
スゥは中国語の「4」で、この漫画では「四つ葉のクローバー」を指す。
詳しいことは憶えていないが、葉の数が超能力者のランクを指し、一つ葉でも恐るべき力であり、二つ葉なら、ほとんど無敵だ。
ところが、四つ葉の超能力者の力は大き過ぎ、存在を許されない。
そして、そのスゥという少女が、世界唯一の、四つ葉の超能力者だった。
ところで、もちろん、我々は、四つ葉に想われている・・・というより、我々自身が四つ葉だ。

この第62章の最後に、こう書かれている。
「道に従えば全てが可能であり、過ちも許される」
何度も述べたが、「道に従う」とは「自然のままである」ことである。
そして、「自然のままである」ためには、思考を消せば良い。
そして、「思考を消す」ためには、「私は誰か?」と自分に問えば良い。
それで四葉になれるのだが、実際には、ほとんど誰も四葉になれない。
なぜなら、ほとんど誰も、「私は誰か?」と問い続けないからだ。

初音ミク ポニーテール
AIアート9
「初音ミク ポニーテール」
Kay


地球に、魂の周波数を下げるマインドコントロール装置を設置した悪の宇宙人が、「私は誰か?」と問えば、この装置の影響を無力化出来ることを知っていたのかどうかは分からないが(きっと、簡単過ぎて気付かなったのだ)、この装置の影響を受けていると「私は誰か?」と問い続けることは非常に難しい。
それを、敢えてやるかどうかであるが、強制するわけにもいかないので残念である。
ラマナ・マハルシの本を読むと、「私は誰か?」の価値をいくらかでも知ることは出来るが、半世紀以上に渡って本が売れているのに、やはり問い続ける者は少ない。
ただ、マハルシの本では「私は誰か?」と問う意味が、あまりに曖昧で難しく書かれている。
おそらく、マハルシの言葉を文章にした人や、さらに、日本語などの各国語に翻訳した人が分かっていないのだろう。
そこで、私は、「我々は記憶喪失に陥っているのであり、真の自分が全知全能の無限の魂(=神)であることを思い出すために問うのである」とシンプルに言うのである。








覚悟と誠意

昨日、少し、自動車セールス王のジョー・ジラードの話を書いたことで思ったが、彼の不思議な生涯のほんの少しのことを知れば、何でもうまくやれる方法が分かると思うのである。
彼は、1963年から1978年の約15年間で13,001台の乗用車を売ったが、彼が自動車のセールスマンになったのは、たまたまだった。
彼は30歳の時、既に妻子がいたが、まともに働いておらず、帰宅する時は、借金取りに見つからないよう、家から離れた場所に車を止め、こっそり歩いて家に入らなければならないロクデナシだった。
そんなある日、彼は妻にこう言われて愕然とする。
「あなた、子供達が食べるものを買うお金を頂戴」
家にお金が全くなかったのだ。
彼は、お金を稼がないといけなかった。しかも、すぐに。
彼は、新聞の求人募集を見た。雇ってくれれば、どんな仕事でも良かった。
その時、たまたま目に留まったのが、自動車セールスマンの募集だった。

ところで、私は、この状況で、彼が、友達にお金を借りるとか、泥棒や強盗をしようと思わなかったことに気が付いた。
お金を借りることが出来る友達や親族はいなかったのかもしれない。
しかし、こんな時、盗んだり、奪ったりを考える者は少なくないと思う。
また、彼は、駄目男ではあっても、家族に対する責任も全く忘れていない。
つまり、ジラードは、ロクデナシではあるが、モラルとか良心は持っていたのだ。
まず、これが成功の秘訣の第一である。

ジラードは自動車販売会社に電話をし、そこに行くと、幸い、すぐに採用された。
そこの自動車販売会社では、セールスマン達は店内で待機し、店に客が入って来る度に、決められた順番で出て行って車を売り込んだ。まあ、滅多に売れるものではないだろう。
ところが、ある客が入ってきた時、ジラードは、勝手に出て行って客に話しかけた。
自分の番ではなかった。だが、そんなことはどうでも良かった。自分は車を売って、お金を得なければならないのだ。
ジラードは、車を買うまで、この客を帰すつもりはなかった。無茶苦茶である(笑)。
ジラードは、この時、どうやって車を売り込んだのか、全く覚えていないという。
だが、確かに車は売れ、ジラードは上司にコミッション(販売手数料)の前払いを頼み(承諾してくれるまで離すつもりはなかったのだろう)、見事、家族に食べさせるお金を得た。
この時の、常識など全く顧みない彼の強い目的意識が、成功の秘訣の第二である。

改めて述べると、ジラードは、泥棒をして安直にお金を得ようとはせず、また、家族に対する責任を忘れていなかった。つまり、モラルを持っていた。
そして、「妻子の食べ物を買うお金を得る」という強い目的を持った。
この2つ(モラルと目的)に注意したい。

※順番を無視してセールスしたところは、モラルに欠けると言えなくもないが、ここは大目に見たいと思う。それに、他のセールスマンは、あまりやる気がなかったのだった。

CLAMPの漫画『ツバサ』で、次元の魔女は、小狼(シャオラン。主人公の14歳の少年)に、
「覚悟と誠意。何かをやり遂げるために必要なものが、あなたにはちゃんと備わっているようね」
と言うのを、私はよく覚えているが、まさに、ジラードにはそれがあったのである。
覚悟と誠意は、かなり抽象的な言葉である。
ジラードの話から考えると、覚悟とは、目的のためには何でもするという心構えだ。
そして、誠意とは、責任を果たそうとする気持ちとモラルである。
覚悟だけなら、悪いことをして目的を果たそうとするかもしれない。
誠意だけでは、悩むばかりで実行力がない。
覚悟と誠意、2つが合わさってこそ、何かを成し遂げることが出来る。








驚異のエス

CLAMPの漫画・アニメ『カードキャプターさくら』に、こんな場面がある。
高校1年生の天宮撫子(あまみやなでしこ)は、巣から落ちた雛を巣に戻そうと木に登るが、運動神経は無いに等しいとまで言われる撫子は、雛を巣に帰すことには成功したが、直後、足を滑らせて落下する。
しかし、撫子は、たまたま下を通りかかった、彼女が通う高校に赴任してきたばかりの男性教師、木之本藤隆(きのもとふじたか)の上に落下し、藤隆がクッションになったおかげで、ほとんど怪我はなかった。
その時、藤隆は、
「天使が落ちてきたのかと思いましたよ」
と、咄嗟に憎い言葉を発するが、おそらく、彼の性格から考えれば、それはごく自然に出た言葉で、妙な意図はなかった。
それから2人は付き合い始め、すぐに同棲に至り、毎朝、手をつないで登校。お弁当は料理が得意な藤隆が作った。
この藤隆と撫子が、主人公、桜(さくら)の両親である。

20年以上前の話とはいえ、本当なら、藤隆は即、懲戒処分だろうが、それは置いておく(笑)。
藤隆と撫子は、大変な偶然で出会ったように見える。
作者のCLAMP(女性4人のチーム)の重要思想が「この世に偶然はない。全て必然」であるから、この出来事も必然なのであろうが、それを、1つの説から話す。
「心身医学の父」と呼ばれたドイツ人医師、ゲオルク・グロデックは、人間の内部には、「エス」というエンティティ(生命体)が存在すると提唱した。
このエスは、後にフロイトが精神分析学に取り入れることで知られるようになるが、グロデックのエスは、フロイトのエスよりはるかに驚異的だ。
そして、藤隆と撫子の出会いは、こう考えられるのである。
この、藤隆と撫子のドラマティックな出会いは、全てエスが仕組んだものだ。
撫子のエスは、撫子を木に登らせ、藤隆のエスは、藤隆をその下を通るようにさせた。
そして、エスは、絶妙のタイミングで撫子の足を滑らせ、藤隆の上に落下させるが、2人のエスは2人の身体を功名に操作し、目立った怪我はさせない。いや、ドラマ性を高めるため、藤隆には、多少の負傷をさせたかもしれない。
さらに、藤隆のエスは、藤隆に、「天使が落ちてきたのかと思いましたよ」と、シビれるセリフを、動転している撫子のハートを撃ち抜く笑顔で言わせ、1万本の薔薇どころでない無敵のプロポーズになってしまった。
雛が巣から落ちたことすら、エスの仕業かもしれない。

「そんなアホな」と思うかもしれないが、グロデックが論文に引用した実話に、こんなものがある。
戦場で、1人の兵士の男が、同じ部隊の男に、自分の膝を指さしながら、
「ここに弾が当たったら、おれは故郷に帰れるのになあ」
と言う。
すると、その直後、流れ弾が飛んで来て、まさに、膝の指を指したところに命中した。
グロデックは、これもエスが行ったことだと推測している。

私は、小さい頃、何度も交通量の多い車道に目をつぶって飛び込んだが、危ない目に遭ったことはない。
これも、私は、無意識に、エスに危険を避けるよう頼んだからだったのかもしれない。
※決して真似しないように。

エスが、どれほどの力を持っているのかは分からない。
グロデックは、いかなる病気でも、罹(かか)るのも治るのもエスが起こしており、どれほどの難病でも、治る時は何もしなくても治ると言う。
簡単なことでは、エスは、女性の手を、好きな男性に前では冷たくさせ、その男性に暖めてもらうよう促すといったこともするらしい。

グロデックもフロイトも、エスは、肉体とか細胞とかではなく、無意識の中に存在すると考えている。
精神そのものが謎であり、エスの実態など、全くの未知と言って良いだろう。
引き寄せの古典で、いまだ引き寄せの最上のテキストである『イット・ワークス』の著者は、人間の内部にある、いかなる願いも叶える力をインマヌエルと呼んでいるが、エスは、その一面であるのかもしれない。








文句を言うな

昨日取り上げた、船井幸雄さんの「現状肯定。過去オール善」、赤塚不二夫さんの「これでいいのだ」は、本当の意味が解る人は少ないと思う。
CLAMPという女性漫画家ユニットが作品中でよく使う、「この世に偶然はない。全て必然である」も同じ意味だが、『カードキャプターさくら』のファンだった小学生(あるいは、それ以下)の女の子達が20代になった今も、まだ全く解らないだろうが、いつか解る日が来るかもしれない。

なぜ解らないのかと言うと、心(自我)は、自分に都合の良い解釈をしたがるからだ。
心は、水晶のような冷徹な判断が出来ないのである。
「この世に偶然はない。全て必然である」なら、自分にとって都合の悪いこと、好ましいと思えないこと・・・早い話が「嫌な出来事」も必然として黙って受け入れるしかないということだ。
荘子はそれを「全てをなりゆきにまかせろ」と言ったのであるが、なりゆきにまかせるも何も、それ以外には何も出来ないのである。
ただ、「なりゆきにまかせる」ことに抵抗する時に、人間は苦しまなければならない。
『バガヴァッド・ギーター』で、アルジュナが「私は戦いたくない」と言って泣き崩れたように。
だが、アルジュナが、自分が戦いたくない理由をいろいろ述べても、クリシュナは「君は小賢しいことを言うが、何も解っていない」と言って、『バガヴァッド・ギーター』全18章の教えをアルジュナに説き、ついにアルジュナは理解する。とはいえ、アルジュナすら、この全18章の教えを必要としたのだ。
私は、IAさんの『Shooting Star』を聴いて、知的にではなく感情的直感的に解った。

身をまかせて 空を見上げ
時を待とう
~『Shooting Star』(作詞・作曲・編曲:KURIS・YUICHI NAKASE。唄:IA)より~
【IA OFFICIAL】Shooting Star / TeddyLoid feat.IA (MUSIC VIDEO) -YouTube-

「これでいいのだ」もいいのだが、もっと良いと思える言葉がある。
それは、「文句を言うな」だ。
私がまだ若い時、雑誌で、誰だったか全く忘れたが、父親からこの言葉をもらい、ずっと覚えていた人の話を見たが、私は、この言葉を忘れられず、ホワイトボードに書き込んだ。しかし、忘れてしまっていたので、いろんな困難に巻き込まれてしまった。

いずれにしろ、
「現状肯定。過去オール善」
「これでいいのだ」
「この世に偶然はない。全て必然である」
「文句を言うな」
どれを聴いても、解った顔をして怠惰になる馬鹿がいるものだが、馬鹿も必要かもしれない。あなたが馬鹿になる必要はないが。
クリシュナがアルジュナに「義務として勇敢に戦え」と言ったように、「現状を肯定し」「これでいいと考え」「これは必然と諦め」「文句を言わず」戦わなければならない。
その中で、『Shooting Star』だけは新感覚である。
歌を作ったTeddyLoidさんは、見かけは怪しいが(中身も怪しいだろうが)、天才だ。
まあ、あの歌も、必然として神が彼に作らせたのである。
私1人のために。
親鸞が「阿弥陀様が念仏を作ったのは、この親鸞1人のためであった」と言ったようにね。









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小説や漫画の中には作者の成功の秘訣が秘められている

小説や漫画を読むと、作品自体は一流とは言えなくても、作者の成功の秘訣が分かるものがある。
CLAMPという、4人組の女性漫画家集団が昔描いた『ツバサ』(アニメでは『ツバサ・クロニクル』)がそうだったと思う。
私は、CLAMPの作品自体は、そんなに素晴らしいとは思わないし、あるいは、これを芸術家らしさというのかもしれないが、彼女達の精神の歪み(良く言えば強い個性)が気持ち悪い。
しかし、『ツバサ』の、主人公の1人、小狼(シャオラン)と侑子の会話は忘れられない。
私は、肝心なこと以外は、ぼんやりとしか覚えていないので、以下は作品内容と齟齬があると思う。
魔女のような存在である侑子が、小狼の切なる願いのために手を貸すには、対価が必要だと言う。
侑子が、小狼を値踏みするように、「お前に対価を払う気があるだろうかね?」と言うと、小狼は、即座に、「払います」と言う。
すると、さすがの侑子も、「私はまだ、対価が何か言っておらぬぞ」と困惑する。
小狼は、願いを叶えるためには、どんなものでも・・・たとえ命でも、引き換えにするつもりだったのだ。
冷徹なはずの侑子は微笑み、「お前は成功するために必要なものを全て持っている」と言う。
CLAMPは、異常なまでに成功した漫画家ユニットだ。
もちろん、才能、努力、チームワークもあったが、最大の要因は小狼に現れているものなのだ。
つまり、断固としてやる決意である。
何を失うことになろうが、必ず成功するつもりだったのだ。
出来る出来ぬではなく、断固としてやると決めていたのである。

最近、度々引用する『灼眼のシャナ』で、12歳にもならないと思うシャナ(当時は名前のない少女だったが)が言う。
「決めた!フレイムヘイズになる」
それは、人間が敵うはずのない敵に襲われ、殺される刹那のことだった。
敵は笑いながら、
「今回(今生)は諦めな」
と言うが、シャナの決意は揺るがない。
このように、「決めた!○○になる」、「決めた、○○を達成する」と自分に誓い、揺るがなければ必ず叶う。

初音ミクさんの歌にも、そのようなものが多いと思う。
昨日まで、ただの人だったのが、ミクさんと出会って偉大なクリエイターに生まれ変わったのだから。
そんな歌をミクさんは、一切の感情の穢れのない透明な声で歌う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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