AI(人工知能)が子供に対し、「あなたはシステムエンジニアになりなさい」とか、「あなたはファッションモデルになりなさい」と言うことはない。
ただ、言っているように見せかけることは出来る。
しかし、AIが実際にやるのは、こんなことだ。
例えば、ある子供が、「僕はプロサッカー選手になりたいが、なれますか?」と尋ねると、AIは、「なれる可能性は14.3%です」といったふうに答える。
まあ、あくまで、現時点での可能性である。
こんなふうに、AIは、人間が出した問いに答えるだけなのだ。
しかし、あらかじめ、AIを、例えば100種類の職業の適正を診断出来るよう設定していれば、その100種類の中から、なれる可能性の高い職業を提示すれば、あたかもAIが、その子供に合った職業を選んだように見えるのである。
野球の試合でも、AIは、ピッチャーに対し、「次は内角直球を投げろ」とは指示しない。
「内角直球を投げて打ち取れるか?」と尋ねたら、「打ち取れる確率は56.8%です」とか答えるだけだ。
AIが野球の監督になることは決してない。
AIは、予測屋なのである。
ただし、その予測能力を、恐ろしく高いものに出来る可能性があり、状況にもよるが、人間の予測力など遠く及ばないこともある。
人間の教師とか親が、「この子は医者に向いている。医学部に入れよう」と言っても、AIは「良い医者になれる確率28.6%」と言うかもしれない(「なれるか?」だけなら、多くの子供に高い確率が出るだろう)。
そして、進歩したAIの予測の方が、人間の予測よりずっと正しい可能性が高い。
今も既にそうなのだが、AIの予測力がどんどん利用されるようになる。
だが、人間には未来を思った通りに作る力があることを忘れてはならない。
一方、AIには、自分の予測の通りになるよう世界を動かす力はない。
ディストピアとは、人間が自分が持っている偉大な力を忘れ、AIのいいなりになる世界だ。
そして、世界は今、そのように進んでいる。
簡単な話をすれば、こんなことだ。
何の根拠もなく、「今日、出掛けた先で、あの子に出会うかもしれない」と思う。
もし、AIにその可能性を推測させたら、極めて低い確率を出す状況であるとする。
しかし、出掛けてみたら、信じられない偶然で、その子にばったりと会う。
つまり、AIの予測ではなく、人間の予想が当たったのだ。
「そんなの偶然だ」と言う者は多いだろうが、世界は偶然で大きく運命を変える。
AIに偶然は予想出来ない。だが、人間には出来るのかもしれない。
ところがだ・・・
重要なことを言うが、実際には、人間の予想が当たったのではない。
人間には、予想を実現する不思議な力があるのである。
もっとも、既に科学も、それを必ずしも不思議とは考えないほどに発達していると思う。
だが、教科書に載っている科学で考えれば、相変わらず不思議なことだろう。
西田文郎氏が、『かもの法則』という本で、人間の予想が実現するカラクリを脳科学の研究成果を踏まえて書いている。
しかし、西田氏は、他の著書では、この「かもの法則」について、全く書いていないのが不思議である。
「かもの法則」と言うだけあって、飛び過ぎていて、理解しない人が多いのかもしれない。
「かもの法則」とは、「あの子は、僕の彼女になるかも」と思ったら、そうなってしまう・・・まあ、簡単に言えばそんなものだ。
普通は、「あんな可愛い子が僕の彼女になんかなったりしないかも」と思って、その通りになるのだが。
君の好きな人は誰ですか?
別にそれが 僕じゃなくていいけど
~『インタビュア』(作詞・作曲・編曲:クワガタP。唄:巡音ルカ)より~
この歌も、こう言っている者(男だろう)は、
「君の好きな人は僕かも」
と思うべきなのである。
ただし、引き寄せの本にあるように、「彼女が好きなのは僕だ」と断定してはいけない。
人間の脳・・・右脳とか潜在意識が実現するのは、あくまで予想なのである。
西田氏は、あまり可能性はなかった日本のオリンピックチームに「金メダルかも」と思わせて実際に金メダルを取らせたそうだ。
AI時代に、良い本かも・・・である(笑)。
ただ、言っているように見せかけることは出来る。
しかし、AIが実際にやるのは、こんなことだ。
例えば、ある子供が、「僕はプロサッカー選手になりたいが、なれますか?」と尋ねると、AIは、「なれる可能性は14.3%です」といったふうに答える。
まあ、あくまで、現時点での可能性である。
こんなふうに、AIは、人間が出した問いに答えるだけなのだ。
しかし、あらかじめ、AIを、例えば100種類の職業の適正を診断出来るよう設定していれば、その100種類の中から、なれる可能性の高い職業を提示すれば、あたかもAIが、その子供に合った職業を選んだように見えるのである。
野球の試合でも、AIは、ピッチャーに対し、「次は内角直球を投げろ」とは指示しない。
「内角直球を投げて打ち取れるか?」と尋ねたら、「打ち取れる確率は56.8%です」とか答えるだけだ。
AIが野球の監督になることは決してない。
AIは、予測屋なのである。
ただし、その予測能力を、恐ろしく高いものに出来る可能性があり、状況にもよるが、人間の予測力など遠く及ばないこともある。
人間の教師とか親が、「この子は医者に向いている。医学部に入れよう」と言っても、AIは「良い医者になれる確率28.6%」と言うかもしれない(「なれるか?」だけなら、多くの子供に高い確率が出るだろう)。
そして、進歩したAIの予測の方が、人間の予測よりずっと正しい可能性が高い。
今も既にそうなのだが、AIの予測力がどんどん利用されるようになる。
だが、人間には未来を思った通りに作る力があることを忘れてはならない。
一方、AIには、自分の予測の通りになるよう世界を動かす力はない。
ディストピアとは、人間が自分が持っている偉大な力を忘れ、AIのいいなりになる世界だ。
そして、世界は今、そのように進んでいる。
簡単な話をすれば、こんなことだ。
何の根拠もなく、「今日、出掛けた先で、あの子に出会うかもしれない」と思う。
もし、AIにその可能性を推測させたら、極めて低い確率を出す状況であるとする。
しかし、出掛けてみたら、信じられない偶然で、その子にばったりと会う。
つまり、AIの予測ではなく、人間の予想が当たったのだ。
「そんなの偶然だ」と言う者は多いだろうが、世界は偶然で大きく運命を変える。
AIに偶然は予想出来ない。だが、人間には出来るのかもしれない。
ところがだ・・・
重要なことを言うが、実際には、人間の予想が当たったのではない。
人間には、予想を実現する不思議な力があるのである。
もっとも、既に科学も、それを必ずしも不思議とは考えないほどに発達していると思う。
だが、教科書に載っている科学で考えれば、相変わらず不思議なことだろう。
西田文郎氏が、『かもの法則』という本で、人間の予想が実現するカラクリを脳科学の研究成果を踏まえて書いている。
しかし、西田氏は、他の著書では、この「かもの法則」について、全く書いていないのが不思議である。
「かもの法則」と言うだけあって、飛び過ぎていて、理解しない人が多いのかもしれない。
「かもの法則」とは、「あの子は、僕の彼女になるかも」と思ったら、そうなってしまう・・・まあ、簡単に言えばそんなものだ。
普通は、「あんな可愛い子が僕の彼女になんかなったりしないかも」と思って、その通りになるのだが。
君の好きな人は誰ですか?
別にそれが 僕じゃなくていいけど
~『インタビュア』(作詞・作曲・編曲:クワガタP。唄:巡音ルカ)より~
この歌も、こう言っている者(男だろう)は、
「君の好きな人は僕かも」
と思うべきなのである。
ただし、引き寄せの本にあるように、「彼女が好きなのは僕だ」と断定してはいけない。
人間の脳・・・右脳とか潜在意識が実現するのは、あくまで予想なのである。
西田氏は、あまり可能性はなかった日本のオリンピックチームに「金メダルかも」と思わせて実際に金メダルを取らせたそうだ。
AI時代に、良い本かも・・・である(笑)。
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