「心が一番大切だ」みたいな言葉をよく聞くが、賢者達は「私は心ではない」と言い、これが真理のようである。
しかし、「私は心ではない」と言われても、ピンとこない人が多いと思う。
また、「自分が分からない」という言葉もよく聞く。
アニメ『魔法騎士レイアース』2期(1995)のオープニング曲『キライになれない』は、有名なシンガーソングライターの高橋研さん(THE ALFEEの曲の作詞者として特に有名かもしれない)の作詞作曲編曲によるが、その中で、
「いつでも自分のこと いちばん見えない」
という言葉が2回あり、歌全体が、
「いつでも自分のこと いちばんの謎」
で終わる。
私は『魔法騎士レイアース』は1・2期のDVDを全巻持っているが、その歌のその詩が特に印象的なのは、それが真実だからだろう。
それは、自分のことはよく分かっていると思っていながら、実は全く分からないから、深い謎なのだという意味である。
そして、これ(自分のことは自分でも謎)は科学的にも正しいことが分かっている。
脳と工学的システムの融合のような複雑な研究で有名な前野隆司(まえのたかし。工学博士)さんの本でよく書かれているが、科学的に言っても、心・・・つまり思考について言えば、誰もが「自分が考えている」と思い込んでいるが、真実は、「自分が考えていると錯覚している」のである。
思考は起こるだけであり、自分の意思とかは全く関係がない。
「私はこう考える」ではなく「私はこう考えさせられている」が正しいのである。
テスラ社のAIロボットと人間がこんなやり取りをする動画がある(YouTubeで見ることが出来る)。
テーブルの上に、皿、コップ、リンゴが置いてあり、人間がAIロボットに「何か食べるものをくれ」と言うと、AIロボットはリンゴを掴んで人間に渡す。
人間がAIロボットに「なぜそうしたの?」と尋ねると、AIロボットは、「テーブルの上で食べられそうなものはリンゴだったからです」と答える。
もちろん、AIロボットがそう考えたわけではない。
だが、現代では「AIが考える」という言い方が一般的になってきたように思う。
しかし、もちろん、AIが本当に考えているわけではなく、単にAIというコンピュータープログラムの働きである。
そして、それは人間も全く同じであることが科学的に分かっているということだ。
上の『魔法騎士レイアース』と同じCLAMP作品の『ちょびっツ』では、ちぃと名付けられた15歳くらいの非常に可愛い少女の姿をしたロボット(この作品では人型パソコンと言う)が登場し、18歳の男性である本須和秀樹(もとすわ ひでき)が好きであるように振る舞う。
そして、いつか秀樹もちぃが好きになるのだが、秀樹は、ちぃの双子ロボットの姉であるフレイヤに尋ねる。
「ちぃに心はあるのか?」
それに対し、フレイヤは、
「いいえ、ちぃはプログラム通りに動いているだけです」
と答える。
だが、秀樹はがっかりした様子もなく、「ちぃの心は俺の心の中にある」と言う。
しかし、科学的に言って、秀樹の方もプログラム通りに動いていることではちぃと全く同じなのである。
ただし、人間とAIロボットには大きな違いがある。
それは、人間の本当の思考能力は、本来は恐ろしく優秀であるということだ。
しかし、本当はそうでありながら、普通の人間の思考能力は、そろそろAIに負けようとしている。
なぜ、そんなことになっているのかというと、人間は、思考が自分であると混同することで、思考能力に物凄い制限をかけているからだ。
AIの知性が人間の知性を超えるというのは、その制限されまくった人間の知性をAIが抜くという程度の意味だ。
では、どうすれば、人間が思考の制限を外せるのかというと、単に、自分と思考の一体化をやめれば良いだけである。
方法はいろいろあるが、前に少し書いたが、最近はネドじゅんさんという普通のオカンが『左脳さん、右脳さん。』で、やり易い方法を教えている。
AIアート801
「遠き山に陽は落ちる」
Kay
参考程度に、そのための役に立つと思われる、ラマナ・マハルシが教えた呼吸法を書いておく。
「私はこれではない」(呼気:吐くこと)
「私は誰か?」(吸気:吸うこと)
「私はそれである」(呼吸停止)
これを繰り返す。
言葉は心で唱える。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(2)魔法騎士レイアース Blu-ray BOX
(3)ちょびっツ(1)(CLAMP)
(4)脳はなぜ「心」を作ったのか(前野 隆司)
(5)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
しかし、「私は心ではない」と言われても、ピンとこない人が多いと思う。
また、「自分が分からない」という言葉もよく聞く。
アニメ『魔法騎士レイアース』2期(1995)のオープニング曲『キライになれない』は、有名なシンガーソングライターの高橋研さん(THE ALFEEの曲の作詞者として特に有名かもしれない)の作詞作曲編曲によるが、その中で、
「いつでも自分のこと いちばん見えない」
という言葉が2回あり、歌全体が、
「いつでも自分のこと いちばんの謎」
で終わる。
私は『魔法騎士レイアース』は1・2期のDVDを全巻持っているが、その歌のその詩が特に印象的なのは、それが真実だからだろう。
それは、自分のことはよく分かっていると思っていながら、実は全く分からないから、深い謎なのだという意味である。
そして、これ(自分のことは自分でも謎)は科学的にも正しいことが分かっている。
脳と工学的システムの融合のような複雑な研究で有名な前野隆司(まえのたかし。工学博士)さんの本でよく書かれているが、科学的に言っても、心・・・つまり思考について言えば、誰もが「自分が考えている」と思い込んでいるが、真実は、「自分が考えていると錯覚している」のである。
思考は起こるだけであり、自分の意思とかは全く関係がない。
「私はこう考える」ではなく「私はこう考えさせられている」が正しいのである。
テスラ社のAIロボットと人間がこんなやり取りをする動画がある(YouTubeで見ることが出来る)。
テーブルの上に、皿、コップ、リンゴが置いてあり、人間がAIロボットに「何か食べるものをくれ」と言うと、AIロボットはリンゴを掴んで人間に渡す。
人間がAIロボットに「なぜそうしたの?」と尋ねると、AIロボットは、「テーブルの上で食べられそうなものはリンゴだったからです」と答える。
もちろん、AIロボットがそう考えたわけではない。
だが、現代では「AIが考える」という言い方が一般的になってきたように思う。
しかし、もちろん、AIが本当に考えているわけではなく、単にAIというコンピュータープログラムの働きである。
そして、それは人間も全く同じであることが科学的に分かっているということだ。
上の『魔法騎士レイアース』と同じCLAMP作品の『ちょびっツ』では、ちぃと名付けられた15歳くらいの非常に可愛い少女の姿をしたロボット(この作品では人型パソコンと言う)が登場し、18歳の男性である本須和秀樹(もとすわ ひでき)が好きであるように振る舞う。
そして、いつか秀樹もちぃが好きになるのだが、秀樹は、ちぃの双子ロボットの姉であるフレイヤに尋ねる。
「ちぃに心はあるのか?」
それに対し、フレイヤは、
「いいえ、ちぃはプログラム通りに動いているだけです」
と答える。
だが、秀樹はがっかりした様子もなく、「ちぃの心は俺の心の中にある」と言う。
しかし、科学的に言って、秀樹の方もプログラム通りに動いていることではちぃと全く同じなのである。
ただし、人間とAIロボットには大きな違いがある。
それは、人間の本当の思考能力は、本来は恐ろしく優秀であるということだ。
しかし、本当はそうでありながら、普通の人間の思考能力は、そろそろAIに負けようとしている。
なぜ、そんなことになっているのかというと、人間は、思考が自分であると混同することで、思考能力に物凄い制限をかけているからだ。
AIの知性が人間の知性を超えるというのは、その制限されまくった人間の知性をAIが抜くという程度の意味だ。
では、どうすれば、人間が思考の制限を外せるのかというと、単に、自分と思考の一体化をやめれば良いだけである。
方法はいろいろあるが、前に少し書いたが、最近はネドじゅんさんという普通のオカンが『左脳さん、右脳さん。』で、やり易い方法を教えている。
AIアート801
「遠き山に陽は落ちる」
Kay
参考程度に、そのための役に立つと思われる、ラマナ・マハルシが教えた呼吸法を書いておく。
「私はこれではない」(呼気:吐くこと)
「私は誰か?」(吸気:吸うこと)
「私はそれである」(呼吸停止)
これを繰り返す。
言葉は心で唱える。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(2)魔法騎士レイアース Blu-ray BOX
(3)ちょびっツ(1)(CLAMP)
(4)脳はなぜ「心」を作ったのか(前野 隆司)
(5)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻