ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

黒住宗忠

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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至高体験を起こす方法(4)

前回述べたが、至高体験を引き起こす重要な鍵は、緊張の後の弛緩(しかん。ゆるむこと)である。
それで、コリン・ウィルソンは、ペン先などに極端に集中(10秒くらいだろうか)し、その集中を一気に解くことを繰り返せば、至高体験に近い状態になることを発見し、セミナーなどでも教えていたようだ。しかし、これは、普通、ごく浅い至高体験にしか到達出来ないと思う。
そういった「短い強い集中」ではなく、「長時間の弱い集中」が良いと思う。
ウィルソン自身、トラックをヒッチハイクした時、そのトラックのエンジンの調子が悪く、エンジン音にずっと集中していたら精神の高揚を感じたと述べていたが、これも弱い至高体験だと思われる。ただし、ウィルソンは、集中を解いて弛緩した時にそれ(至高体験らしいもの)を感じたのではなく、集中している時に感じたような述べ方をしていた。しかし、実際は、やはり集中を解いた時に感じたのだと思う。

そんな雑な至高体験もどきでは、魔法使い(まあ、引き寄せの達人みたいなものと思って欲しい)になるほどの効果はない。
しかし、ウィルソンは、超能力者じみた魔法使いになった男の事例を知っていて、こちらは優れた方法で行った。
それは、妻が(おそらくは病気で)意識を失った状態にあった男の話だ。
その期間は数か月の長さだったかもしれないが、男は、妻の意識の回復を待ち、出来る限りずっと意識を妻に向けていたようだ。
そして、妻が意識を回復して男の緊張が解放された時、男は以前とは別人になっていた。
強い直観力が備わり、詩人になり、造形作品を作る芸術家になったようである。
おそらく、その他にも、卓越した能力が備わったり、幸運に恵まれたり、無意識的かもしれないが、引き寄せ能力も得たはずなのだが、ウィルソンは何も述べていない。しかし、そういった能力が備わったことは間違いないと思う。
そのような、長時間の弱い集中が強い至高体験のために有効であると思う。

至高体験の最もドラマティックな例の1つが、江戸末期の神道家、黒住宗忠のものだろう。だが、このことに気付いた人はいないかもしれない。
彼は30歳過ぎの時、病気になり、ずっと寝たきりでいた。
尚、それまでの彼は、普通の神道家で、どこにでもいる神社の神主のようなものだったと思う。
宗忠の病状は悪くなる一方で、ついに宗忠は生きることを諦め、最後にということで入浴させてもらい、日光に当たったが、その時、宗忠が言うには、天照大神の命が自分の中に入って来て、病気が癒された。
この出来事を説明するとこうである。
宗忠の病気の原因は、精神ショック(両親が相次いで亡くなった)に始まるストレスで、病気の間中もずっとストレス状態で、一種の緊張にあった。
しかし、生きることを諦め、入浴して少しはさっぱりし、そして、暖かい日光に当たっている時に緊張がほぐれることで、至高体験に達したのだ。
そのことによって病気が快復しただけでなく、宗忠には不思議な力が備わり、イエス並の奇跡を起こせるようになった。
それで、宗忠は、こんな素晴らしいことを早く他の人にも教えないといけないと思い、人を集め説法したが、ひょっとしたらうまく伝えられなかったのかもしれない。
私のように体系立てて理解していなかったからだ。それは、当時と今の違いを考えると仕方がない。
それで、宗忠は、神道の教えや伝統的な考え方を織り交ぜて良いと思えることを教えたのだと思う。
宗忠の教えは、一言で言えば、神に全てをまかせる・・・「まること(まるごと)」の教えで、文字通り、丸ごと神に投げてしまうことであった。
だが、もっと重要なことは、宗忠自身が体験した至高体験の方であると私は思う。

流れ星
AIアート713
「流れ星」
Kay


これを書いているうちに、私は核心的なことに気付いた・・・というより、子供の時に知っていて普通にやっていたことを思い出した。
それは、言葉で言えば奇妙だが「世界を消す」ことと「新たな目で見る」ことである。
次回に書く。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)至高体験(コリン・ウィルソン)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)黒住宗忠 (人物叢書 新装版)
(4)いのちの教え: 黒住宗忠に学ぶ自然体の生き方
(5)悪霊(上)(ドストエフスキー。江川卓訳。新潮文庫)
(6)悪霊 (1) (ドストエフスキー。亀山郁夫訳。光文社古典新訳文庫)

彼女にしようとするな。既に彼女であると知れ

江戸末期の神道家、黒住宗忠は「天照大神にまるごと任せれば嬉しいことばかりになる」と言い、親鸞は「阿弥陀如来に全て任せれば悪いことは消え、いいことばかりになる」と言った。
もちろん、天照大神と阿弥陀如来は、宗教的には違っても、異なるものではなく、今日流に言えば広義(広い意味)では潜在意識のことである。
インドの聖者ラマナ・マハルシも同じことを言っている。
「神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をまかせず、何をどうすべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろう」
この神も、やはり潜在意識のことである。
荘子は、全く同じことを非常に簡潔に言った。
「いっさいをなりゆきにまかせよ」

このことは、たとえて言えばこんなものだ。
私がある映画で見たものだ。
まだ若い金持ちの紳士が高級レストランに入る。
紳士の目つきや立ち居振る舞いは、特に上品ぶっているわけではないが尊ぶべき人であることを現しており、スタッフは特に丁重に対応する。
普通、金持ちは、オーダーの際、細かい注文を付ける。
ところが、注文を聞かれた紳士は、ごく大雑把な注文の後こう言う。
「まかせるよ」
スタッフは、うやうやしく頷いて下がる。
紳士はスタッフにまかせたというより、状況にまかせた・・・つまり、なりゆきにまかせたのだ。
私は、実際に、そんなものを見たことがある。
政木和三さんとレストランに昼食に行った時のことだ。
そこは、政木さんが度々昼食を取るレストランだった。
政木さんは私にこう言った。
「私はね、ここで一度もオーダーしたことはないのですよ。黙って座っていれば、ちょうどいいものを作ってきてくれるのです」
実際、身体に良さそうな適度な量の美味しい昼食が出てきたのだった。
※その映画のような話が『マスターの教え』の中にもある。

この政木さんのようにやれば良いのである。
いちいち何かを願わなくても、潜在意識は、ちょうど良いものを与えてくれるのである。
何かを望めば、もう叶っているのであり、それをいちいち「これを下さい」と言わなくても良いのである。

放恣の空
AIアート666
「放恣の空」
Kay


まあ、ここまでは、言う人はいくらかいる。
だが、ここで大問題だと思ってしまうのは、「どうすれば潜在意識にまかせることが出来るか」「どうすればなりゆきにまかせられるか」だろう。
これに関し、インドの聖者の教えを変な日本語に訳してしまう人がいる。
「あろうとするな。ありなさい」
無茶苦茶な訳だ(笑)。
もっとマシな訳は、
「あろうとするな。あるのだから」
だ。
まかせることも同じで、
「まかせようとするな。もうまかせているのだから」
になる。
私は思いあたらないが、『マトリックス』で、モーフィアスがネオに、
「速く動こうとするな。速く動けると知れ」
と言ったらしい。
なら、やはり、
「まかせようとするな。まかせていると知れ」
である。
少しレベルを下げればこうだ。
「あの娘を彼女にしようとするな。もう彼女になっていると知れ」

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)いのちの教え―黒住宗忠に学ぶ自然体の生き方
(2)三帖和讃(現代語版)※親鸞の『現世利益和讃』収録
(3)ラマナ・マハルシの教え
(4)奇跡の実現―欲望を捨てれば不可能が可能になる(政木和三)
(5)マスターの教え

人間の面白くも意外な存在意義

ある著名な神道家が著書に、人間の存在理由について、「神様を褒め讃えるため」と書かれていた。
つまり、神様は褒め讃えて欲しいので、自分達を褒め讃えてくれる存在として人間を作ったという主張だ。
同意出来る人はそれで良いが、まあ、あまり納得出来ないのではないだろうか?
だが、「そういうふうに見える」という意味では、なかなかいい線をいっていると思う。

もし、人間がいなくても、宇宙や自然はこのようであるかと言えば、多くの人は「当たり前じゃないか」と言うだろう。
しかし、もし、人間がいなかったら、こんな素晴らしい宇宙や自然が存在することは、もったいないにもほどがある。
それで、詳しい話は飛ばすが、人間がいなければ宇宙は存在しないという論があり、科学的にもかなりの支持を得ている。
とりあえず、人間がいるから宇宙があるとする。
それなら、宇宙大自然を神様の現れとすれば、上の神道家の話は、一面的には正しいと言える。

神様が人間に褒め讃えて欲しいなら、人間にとって楽しい世界を作るはずだ。
そして、実際そうである。
しかし、人間は自分勝手に「あれが欲しい、これが欲しい」と考えるようになった。
だが、人間の頭なんてたかが知れているので、自分では素晴らしいと思っているものは実際は下らないものなのだ。
たとえば、お金とか、高級車とか、偉い身分とかだ。
だが、人間の足りない頭でどんどん考えるので、ますます下らないものが欲しくなり、本当に素晴らしいものが分からくなってしまった。
だから、『星の王子さま』でも、「本当に大切なものは目に見えない」なんて書かれることになってしまったのだ。
神様の方でも、人間に褒められるよう、ある程度のリクエストには応えるが、それに伴って世界は歪み、神様も、本当に良いものを見てくれないので、やる気をなくしてしまった(笑)。
今の世界が、そんな状態だ。
だから、人間が自分で何も考えず、本当に素晴らしいものが何か知っている神様にまかせれば、世界は良いものだらけになるのである。

寝る子
AIアート423
「寝る子」
Kay


深呼吸をしたり、他に良い方法があればそれで思考を消し、神様にまかせてしまえば幸福になれる。
江戸末期の神道家で、イエスにも匹敵する力を見せた黒住宗忠は、これを「まること(丸ごと)」の教えとして、神様に丸ごとまかせてしまうよう教えたのである。
矢追純一さんが「僕は頭が悪いので、考えることを放棄した」というのは、人間として最も賢い選択なのだと思う。
ソクラテスは「私は自分に知恵がないことを知っているが、それを知っているのは私だけだった。だから私は一番知恵がある」と言ったように、知恵のない頭で考えることをやめることが一番の知恵である。
そして、それによって神の知恵が現れ、望まずとも良いものをこれでもかと与えられ、楽しませてくれるのである。








なぜ悪人は案外正しいのか?

志賀一雅博士の「よかった・ありがとう」呼吸の原理により、引き寄せの全ての謎が解けると、世間にある引き寄せ(「成功」とか「幸福」と表現されることも多いが)のほとんどが片手落ちであることも分かった。
YoiTubeでエックハルト・トールやブルース・リプトンといった引き寄せの巨匠のような人達の引き寄せの講義を見ると、非常に曖昧で、結局何をすれば良いのか分からないし、肝心なことが示されていないように思う。彼ら自身は分かっているのかもしれないが、西洋的価値観の中で生きている彼らは、うまく表現出来ないのかもしれない。

最も重要なことは、最近書いているように、「快感から喜びの表現」で、これにより、脳と宇宙が共鳴する。
まあ、このあたりの原理は全部すっ飛ばして「よかった・ありがとう」呼吸をすれば良いのだが、多くの人は、片手落ちである有名人の教えに乗せられて時間を何十年も無駄にする。
(スピリチュアルな有名人に比べ、志賀博士はあまり知られていない)

世の中では、「ツイてる」「幸せだ」といったプラスの言葉とか天国言葉というものを唱えれば幸福になると教えている人が人気があったりするが、それで成功した人は本当はいないと思う。
「ツイてる」と言えばつく(幸運に恵まれる)と言うが、それはない。そもそも、「ツイてる」と唱え続けることは無理があり、心が歪んでくると思う。
そんな無理を続けられる人であれば、他を蹴落として自分だけ金持ちになることも出来るのかもしれない。しかし、本人の心は本当は悲惨であるはずだ。でなければ、あんな芝居がかったセミナーをしたりはしない。

江戸末期の神道家、黒住宗忠が、とても洞察あることを言っていた。
それは「悪人は案外、良いところがある」である。
ただ、これを、「悪人は明るいから」と、誤った解釈をしていた書籍があった。
宗教家の五井昌久氏も「小善人になるくらいなら大悪人になれ」と言われたらしく、これは知恵ある言葉であるが、正しく解釈出来る人が滅多にいない。
悪人というのは、強引に欲しいものを奪って大いに快感を感じ、そして、喜びの雄叫びを上げる。
これはまさに、成功の黄金式である「快感から喜びの表現」に見事に倣っている。
そして、大陸の狩猟民族においては、この「強奪→快感→雄叫び」は全く正しいことで、弱い者から食べ物を奪い取って自分が生きるという弱肉強食の法則は、今の資本主義社会そのものだ。
ただ、弱肉強食が有効なのは物質次元だけであり、力があれば、若い間は確かに、数パーセントの幸せは得られる。
だが、人間の魂は、物質次元の力よりはるかに大きな・・・分かり易い表現をすれば、数千倍とか数万倍の力を持っている(実際はそれよりはるかに大きいと思うが)。
物質次元、資本主義次元に囚われると、極めてチャチなものしか得られず、歳を取ると惨めになり、死ぬ時に後悔する。どんな金持ちであっても・・・いや、金持ちであるほどだ。
いきなり全部言っても混乱するかもしれないので、徐々にIQを高めながら理解していただければと思う。

波の音
AIアート322
「波の音」
Kay


そのため(IQを上げるため)にも、とりあえず、「よかった・ありがとう」呼吸をすると良い。
「富がある・幸せだ」呼吸が合うなら、それで良い。
「よかった」と思いながら息を吸い、「ありがとう」と思いながら息を吐くのである。
「富がある」と思いながら息を吸い、「幸せだ」と思いながら息を吐くのである。
ちなみに、息を吸うだけで快感なのであるから、呼吸がいかに大切かが分かる。








いきなり「ありがとう」が不自然な理由

巷では、「ありがとう」を1万回とか10万回唱えると奇跡が起こるという話があり、実際に起きたと言う人がいるのだから、否定はしないが、普通は難しいかもしれない。

観世音菩薩について、こんなお話がある。
砂漠で迷って乾いている人に対し、仏教の教えを垂れるのは適切ではない。
観世音菩薩は、まずは水を一杯与えてから教えを授ける。
だから、観世音菩薩は恵みの菩薩と言われる。

これと同じで、ありがたくもないのに「ありがとう」と言うのは、高貴ではあっても、無理があるし続かない。
そして、これが科学的(脳科学)にも問題があることが、志賀一雅博士の著書を見ても分かる。
「ありがとう」と喜びを表現するのは、A9神経が刺激された時だが、A9神経が刺激されるのは、A10神経が活性化した時だ。
A10神経が活性化するには「快感」が必要である。
観世音菩薩の例で言えば、

乾いている人に、水を一杯与える
→乾いた人は快感を感じ、A10神経が活性化する
→A10神経が活性化すると、A9神経が刺激され、「ありがとう」と自然に喜びを表現する。

である。
闇雲に「ありがとう」と唱えるのは無理があって辛い。

ところが、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、「口先でも良いから、ありがたいと言え」と教えている。
だが、宗忠に直接接した人のこんな話がある。
「宗忠公は、朝、雨戸を開け、朝日を顔に受けると、『ありがたい』と言った」
誰にとっても朝日は良いもので、それを見ると快感を感じる可能性が高いが、特に、宗忠にとっては、太陽は天照大御神であり、その有難さは途方もなく大きい。
つまり、十分に宗忠のA10神経が活性化し、A9神経が刺激され、ごくごく自然に「ありがたい」と言ったのである。

そして、別に何もなくても、快感を感じるのは簡単だ。
志賀一雅博士の「よかった・ありがとう」呼吸の通り、「よかった」と思うことで快感を感じるのである。
だから、いきなり「ありがとう」ではなく、まず「よかった」なのである。

妖精の森
AIアート321
「妖精の森」
Kay


これは、昨日も書いたが、いろいろ応用出来る。
◆快感を作る言葉
「お金がある」「富がある」「成功している」「健康だ」「結婚している」
◆喜びを表現する言葉
「ありがとう」「ありがたい」「幸せだ」「嬉しい」「万歳」

よって、汎用的には、
息を吸いながら「よかった」と思い、息を吐きながら「ありがとう」で、実は、これで万能なのだと思う。
しかし、お金を引き寄せたい気持ちが強いなら、
息を吸いながら「お金がある」と思い、息を吐きながら「幸せだ」でも良いのであると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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