ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

黒住宗忠

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

他は忘れても構わない

引き寄せと言っても良いが、不幸や不安を消し、幸運、安心に至る秘訣は、ラマナ・マハルシの根本的な教えが凝縮された小冊子『私は誰か?』全28章の中の18章に完全に書かれている。

どんな重荷を負わされようと、神はそれに耐える。神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をま
かせず、何をどうすべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろうか?
われわれは列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。
列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭にのせて苦労する必要がどこにあろう。荷物をおろして安心しなさい。

ただ、神の力に身をまかせることについて、これだけでは分かり難いかもしれない。
ところで、イエスは「重荷を背負っている人は私のところに来なさい。休ませてあげよう。私の荷は軽い」と言ったことになっているが、はっきり言って意味が分からない。専門家(牧師等)の解説も、大抵どれも納得出来ない。
黒住宗忠は、「まるごと神にまかせよ」と教えたが、どうやって神にまかせるかが分からない。

しかし、具体的にどうすれば良いかは、江戸末期から昭和の初めの教育のない農民である因幡の源左のお話がヒントになる。
源左は、可愛がっていた牛と山に草刈りに行き、5束の草を刈り取った。牛に4束担がせたが、自分も1束背負った。
しかし、どうにも重くて、申し訳ないと思いながら、自分の1束も牛に担がせたが、牛は全く平気そうだった。
源左は、このように、阿弥陀仏に全てまかせれば良いのだと気付いた。
自分の力が阿弥陀仏に象徴される至高の存在と比べ、あまりに小さいことを悟り、大きな力を持つ存在に丸投げすれば良いのである。
我々にとって、どんな大きな重荷(問題)でも、至高者にとっては、あまりに小さく解決は簡単なのである。
そして、念仏が、至高者である阿弥陀仏に全てをまかせるというメッセージで、阿弥陀仏(本物の至高者)はこれを決して断らないのである。
イエスの「私の荷は軽い」は、「私にとって(あなたの)荷は軽い」という言葉が間違って伝わったのものではないかと思う。

念仏だけで、マハルシ、黒住宗忠、そして、おそらくイエスの教えも完全に実践出来るのであると思う。
念仏に近い、キリスト教的なアファーメーションは「神に出来ないことはない」「神に難しいことは何もない」「神は決して失敗しない」などであると思う。
イエスも、ある難問に対し、「私には出来ない。だが、神に出来ないことはない」と言ったそうである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(2)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)
(3)ラマナ・マハルシの教え ※『私は誰か?』収録
(4)黒住宗忠 (人物叢書 新装版)

花を見る
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「花を見る」
Kay

私が好きな馬鹿向きの教え

江戸末期の神道家、黒住宗忠の教えの根本は、私の理解では、それは「まること」の教えで、「まること」とは、今で言えば「丸ごと」で、丸ごと・・・つまり、一切を神に任せてしまうというものだ。
これは、イエスや法然、親鸞、それに、ラマナ・マハルシ、さらに、あらゆる本物の教えと一致すると思う。
ラマナ・マハルシは、神に任せることが出来ない人は、列車に乗ってまで、荷物を背負っているようなものだと言う。

黒住宗忠は、我(が)の意識が強過ぎて、神にまかせることが出来ない人には、何かを行うことを具体的に指示することがあった。
重病など、大きなトラブルを抱えた者に対してである。
私は、2つの例を本で読んだことがある。
1つは、「ありがたい」と口に出して唱えることで、解決するまで唱える回数を多くしていった。最初は百回、それで駄目なら千回、それでも駄目なら1万回といった感じである。
もう1つが笑うことだ。厳めしい武士は、そもそもあまり笑わず、意味もなく笑うことが出来ない者もいたが、それでも無理に笑うことで問題が解決した。

唱える言葉は、「ありがたい」でも、「幸せだ」「豊かだ」など何でも良いが、頭が悪い者は、「何でもいい」と言われたら、ロクでもない言葉を思いつくこともあるので、「ありがたい」「幸せだ」「豊かだ」にしておくと良いし、別にこれら全部でも良いと思う。
これらを唱えていたら、頭も良くなるので、そうしたら、自分が好きな良い言葉を選べるようになるだろう。
何度か述べたが、私の知り合いの金持ちは「金があるからな」と「儲かってしゃーない」とよく口にしている。
また、彼が会社を創業した初期の頃は「支店を10に増やす」「〇〇に支店を出す」「上場する」とよく口にしたそうで、全て実現したそうだが、斎藤一人さんの「千回の法則」によれば、千回言えば実現するそうだ。
私は、斎藤さんをあまり信用していないが、昔の彼のこの教えは本当と思う。
マーク・フィッシャーという人が、紙に書くことと、口に出して繰り返し唱えることで願望が実現することを、ロングセラーの『成功の掟』に書いているが、参考になると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)いのちの教え ~黒住宗忠に学ぶ自然体の生き方~
(2)黒住宗忠 (人物叢書 新装版)
(3)斎藤一人の絶対成功する千回の法則(斎藤一人講演録)
(4)成功の掟(マーク・フィッシャー)
(5)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)

飾らず言わず
AIアート1448
「飾らず言わず」
Kay

神のメッセージを易しく言うと

1st PLACE(ファースト・プレイス社)のボーカロイドであるIA(イア)の英語の楽曲『Conqueror(コンクゥアー:征服者)』の歌詞の一部に強い印象を感じた。
それは、

Baby will you follow me for a ride in ecstasy?

で、DeepL翻訳では、

「ベイビー...エクスタシーを味わうために、私についてきてくれる?」

と訳され、多くの人も、

「ベイビー...気持ち良くなるために、私についてきてくれる?」

といった感じで訳している。
だが、タイトルが『Conqueror(征服者)』なのだから、これでは物足りない。
ここは、

「ベイビー...私に服従するのは気持ちいいでしょ?」
「ベイビー...私に服従するのは気持ちいいのよ」

といった感じが良いと思う(このように訳している人もいたと思う)。
そして、これは、神である魂が、自我である人間に告げるメッセージだ。

江戸末期の神道家、黒住宗忠は、「神に丸ごとまかせれば最高に気持ちいい」ことが分かって歓喜し、これを早く人々に教えてあげないといけないと思って精力的に講義を行った。
あまりに気持ちいいので、命を諦めた病気も治ってしまったのだ。
これが、今朝も書いた、旧約聖書の「ヨブ記」22章21節にある、
「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。」
と同じで、もっと普通の言い方をするなら、
「神と仲良くなって心おだやかで(気持ち良く)いなさい。そうすれば幸せになる」
である。
神は我々に、

「ベイビー...私に服従するのは気持ちいいでしょ?」
「ベイビー...私に服従するのは気持ちいいのよ」

と言っている(のだと思う)。
イエスも、荘子も、親鸞も、ラマナ・マハルシも、あらゆる賢者は、このことを教えたのだと思う。
これを端的にまとめたのが、スーフィー(イスラム教神秘主義者)の言葉、

「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ(心をさ迷わせるな)」

である。
そして、心をさ迷わせないためには、呼吸を微かにするだけで良いのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)黒住宗忠 (人物叢書 新装版)
(2)IA/04(CD+DVD)
(3)歎異抄(梅原猛訳・解説)
(4)あなたは不安なしに生きられる(ジョセフ・マーフィー)
(5)Living Without Strain (Joseph Murphy)
(6)旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫)

煉瓦造りの家で
AIアート1411
「煉瓦造りの家で」
kay

人生イージーモードになる教え

黒住宗忠(1780~1850)は、江戸末期の神道家である。神道家と言っても、それがどんなものか分からない人が多いと思う。宮司(神社の長)、神官、神主などと言った方が分かり易いと思う。
宗忠は、神社の家に生まれたが、32歳くらいの時、両親が相次いで病死し、ショックで自分も病気になったらしい。病気はどんどん悪化し、死を悟った宗忠は、入浴させてもらい、太陽に拝礼する。すると、治ってしまった。
その後、宗忠は、かなり厳しい修行を行ったが、その修行は、大祓詞(おおはらえのことば)を唱える(「上げる」という言い方が正しいのだと思うが)もので、常人には可能とは思えないほどの回数を唱えたようだ。
すると、宗忠は、病気治しなど、キリスト並の神秘力を得たと言われている。

これらの一連の出来事の中で、どの段階かは分からないが、宗忠は宇宙の真理のようなものを悟ったのだと思われる。
そして、それが非常に素晴らしいものなので、「早く人々に教えてやらなければ」と思い、集会を度々開き、人々を教えたようである。
では、何を教えたのかとなると、細かい部分ではいろいろだろう。
宗忠について書かれた本は何冊かあるが、どれも、そんな「いろいろ」をダラダラ書くので、とにかく長く、彼の教えのどこが本当に重要なのか分からないと思う。

宗忠の教えは、一言で言えば「まるごと」である。昔は「まること」と言ったらしいが、今はそんな言い方はしないので「まるごと」と書く。
「まるごと」とは「丸ごと」であり「一切合切」「全部」だ。
つまり、丸ごと、神様にまかせてしまうということだ。

一切を神様にまかせろと言うと、「じゃあ、何もせず、だらだらしていてもいいのか?」と言いたい者がいるかもしれない。
そんなことは知らない。だらだらしたければ勝手にすれば良いではないか?
その結果どうなるかは自己責任だ。
ただ、宗忠は「仕事に励め」みたいなことは、教えとして書き残してもいる。
「じゃあ、宗忠には従わない」と思うなら(笑)、そうすれば良い。来る者拒まず、去る者追わずだろう。
ところで、インドの聖者ラマナ・マハルシは、
「働く運命にあれば仕事は避けられない。一方、働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからないだろう」
と述べたらしい。
これを聞き、「マハルシ最高。俺は働かないぞ」と言う者もいるだろう(笑)。
まあ、それで、どれだけ惨めになっても、やっぱり自己責任だ。
だが、「働くぞ」「働かないぞ」と言うのは、全然神様にまかせていないということだ。自分の意思を前に出している・・・つまり、神様にまかせず、自分の心にまかせているのだ。
「絶対働きたくない」と願っていても、神様にまかせたら、人の何倍も働くようになるかもしれない。ああ、それ、私のことである(笑)。
だが、神様は悪いようにはしない。
そこは信用して良いと思う。
スーフィー(イスラム教神秘主義)に、私の好きなこんな言葉がある。
「神を信頼しろ。だがラクダはつないでおけ」
ラクダは心のことだ。早い話が、余計なことを考えるなという意味だ。
これだけ知ってれば、人生楽勝モードだ。
こんな言い方もある。
「なるようにしかならない。だが、なるようにはなる」
つまり、何があっても「心おだやかに」と唱えるのが一番だ。そうすれば、心がおだやかになる状況になるだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)黒住宗忠 (人物叢書 新装版)
(2)いのちの教え ~黒住宗忠に学ぶ自然体の生き方~
(3)太陽の神人 黒住宗忠
(4)[CDブック]大祓 知恵のことば(葉室頼昭)
(5)現代語訳 古事記(福永武彦)
(6)超訳 古事記(鎌田東二)
(7)古事記(石ノ森章太郎)

聖域
AIアート
「聖域」
Kay

至高体験を起こす方法(4)

前回述べたが、至高体験を引き起こす重要な鍵は、緊張の後の弛緩(しかん。ゆるむこと)である。
それで、コリン・ウィルソンは、ペン先などに極端に集中(10秒くらいだろうか)し、その集中を一気に解くことを繰り返せば、至高体験に近い状態になることを発見し、セミナーなどでも教えていたようだ。しかし、これは、普通、ごく浅い至高体験にしか到達出来ないと思う。
そういった「短い強い集中」ではなく、「長時間の弱い集中」が良いと思う。
ウィルソン自身、トラックをヒッチハイクした時、そのトラックのエンジンの調子が悪く、エンジン音にずっと集中していたら精神の高揚を感じたと述べていたが、これも弱い至高体験だと思われる。ただし、ウィルソンは、集中を解いて弛緩した時にそれ(至高体験らしいもの)を感じたのではなく、集中している時に感じたような述べ方をしていた。しかし、実際は、やはり集中を解いた時に感じたのだと思う。

そんな雑な至高体験もどきでは、魔法使い(まあ、引き寄せの達人みたいなものと思って欲しい)になるほどの効果はない。
しかし、ウィルソンは、超能力者じみた魔法使いになった男の事例を知っていて、こちらは優れた方法で行った。
それは、妻が(おそらくは病気で)意識を失った状態にあった男の話だ。
その期間は数か月の長さだったかもしれないが、男は、妻の意識の回復を待ち、出来る限りずっと意識を妻に向けていたようだ。
そして、妻が意識を回復して男の緊張が解放された時、男は以前とは別人になっていた。
強い直観力が備わり、詩人になり、造形作品を作る芸術家になったようである。
おそらく、その他にも、卓越した能力が備わったり、幸運に恵まれたり、無意識的かもしれないが、引き寄せ能力も得たはずなのだが、ウィルソンは何も述べていない。しかし、そういった能力が備わったことは間違いないと思う。
そのような、長時間の弱い集中が強い至高体験のために有効であると思う。

至高体験の最もドラマティックな例の1つが、江戸末期の神道家、黒住宗忠のものだろう。だが、このことに気付いた人はいないかもしれない。
彼は30歳過ぎの時、病気になり、ずっと寝たきりでいた。
尚、それまでの彼は、普通の神道家で、どこにでもいる神社の神主のようなものだったと思う。
宗忠の病状は悪くなる一方で、ついに宗忠は生きることを諦め、最後にということで入浴させてもらい、日光に当たったが、その時、宗忠が言うには、天照大神の命が自分の中に入って来て、病気が癒された。
この出来事を説明するとこうである。
宗忠の病気の原因は、精神ショック(両親が相次いで亡くなった)に始まるストレスで、病気の間中もずっとストレス状態で、一種の緊張にあった。
しかし、生きることを諦め、入浴して少しはさっぱりし、そして、暖かい日光に当たっている時に緊張がほぐれることで、至高体験に達したのだ。
そのことによって病気が快復しただけでなく、宗忠には不思議な力が備わり、イエス並の奇跡を起こせるようになった。
それで、宗忠は、こんな素晴らしいことを早く他の人にも教えないといけないと思い、人を集め説法したが、ひょっとしたらうまく伝えられなかったのかもしれない。
私のように体系立てて理解していなかったからだ。それは、当時と今の違いを考えると仕方がない。
それで、宗忠は、神道の教えや伝統的な考え方を織り交ぜて良いと思えることを教えたのだと思う。
宗忠の教えは、一言で言えば、神に全てをまかせる・・・「まること(まるごと)」の教えで、文字通り、丸ごと神に投げてしまうことであった。
だが、もっと重要なことは、宗忠自身が体験した至高体験の方であると私は思う。

流れ星
AIアート713
「流れ星」
Kay


これを書いているうちに、私は核心的なことに気付いた・・・というより、子供の時に知っていて普通にやっていたことを思い出した。
それは、言葉で言えば奇妙だが「世界を消す」ことと「新たな目で見る」ことである。
次回に書く。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)至高体験(コリン・ウィルソン)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)黒住宗忠 (人物叢書 新装版)
(4)いのちの教え: 黒住宗忠に学ぶ自然体の生き方
(5)悪霊(上)(ドストエフスキー。江川卓訳。新潮文庫)
(6)悪霊 (1) (ドストエフスキー。亀山郁夫訳。光文社古典新訳文庫)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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