ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

魔法少女リリカルなのは

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

空腹の力

「腹が減っては戦はできぬ」という有名な故事があるが、現代の戦は、スポーツの試合やコンサートのステージ、大きな商談、政治の討論会みたいなものだろうか?
その「戦」の直前に満腹するまで食べる馬鹿は・・・まあ、滅多にいないとは思うが、大抵の人々は、空腹だと力が発揮できないと思っているだろう。

フィギュアスケートの浅田真央さんが、いまだ常勝のイメージがあるのは、彼女が15歳くらいの時の強烈な印象が残っているからではないかと思う。
しかし、少し大人になってからの彼女は、実力の割には凡ミスの多い選手だと思う。難しい技ではなく、彼女にとってはさほどでもないところで失敗して苦杯を舐めることがよくあるのだ。
彼女は試合のいくらか前におにぎりを2つ食べるらしい。私には、それが、心身の制御を失う原因と思えてならないのだ。
テノール歌手の秋川雅史さんは、ステージの前に、ある素晴らしいシュークリームを1つ食べるらしい。そういった、柔らかくて、胃で溶かす必要がないものの方が良いのではと思うことがある。しかし、何も食べなくて良いようになれば、更に素晴らしい歌が歌えるかもしれない。
ただ、この2人のことに関しては、単に私の主観である。

イエス・キリストの弟子達が、ある男にとりついた悪魔を追い出せなかったことがあった。
イエスは、簡単に悪魔を追い払ったが、「こういった悪魔は断食しないと勝てない」と言った。
本当は、ここ一番というような時には、相当に空腹な方が良いのである。
昔の剣の達人同士の真剣勝負の時は、双方、何日にも及ぶ断食の上、川の水で禊をしてから決闘場に赴き、一言も掛け合わずに勝負を始めたものだった。
そして、真の達人同士であるなら、向かい合えば切り合わずとも勝負は決し、そのまま双方、後ろを向いて去ってくのだ。
猛獣だって、狩をする時はお腹が空っぽの時である。

私は、朝起きた時から空腹だ。しかし、夜の食事まで何も食べない。
だが、3食食べていた昔より、何でもずっとうまくやれるのである。
アニメ『魔法少女リリカルなのは』で、なのはとフェイトが決闘した時、なのははその時まで、温かい家族と一緒に過ごしていたが、フェイトは母親に鞭打たれて傷付き、たった一人の仲間アルフを失い、おそらく何日も食事などしていないという状態だったと思う。結局、フェイトを救うために戦ったなのはの心が勝利を得たが、力ではフェイトが優っていた。だが、フェイトとて手加減できないくらいになのはは強くなっていた。そして、そのなのはの本気にフェイトが本気で立ち向かったから、運命が開かれていったのだ。
創作のお話とはいえ、そんなことが伝わってくるのである。

初音ミクは、食事をするイメージが全く浮かばないのと、あのエネルギッシュで優雅なステージがとても調和する。
彼女を見ても、直感として、空腹な時に起こせる力のことが分かるように思うのである。









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自分とはプロトタイプ(試作品)である

プロトタイプとは、試作品という意味だが、大昔から人類は、そんなものを作ったはずだ。
自動車や扇風機や靴やドレス・・・どんなものでも、試しに本当に作ってみるということがよく行われる。
頭で考えたり、絵に描いてみただけでは分からないことも多く、実際に作って、使ってみて初めて気付くことがとても多いからだ。
設計上の欠点が、プロトタイプを作って初めて発見されることも多く、飛行機みたいに、欠陥が惨事に結び付くものでは、必ずプロトタイプが製作される。
だから、試作機のテストパイロットというのは命がけだし、予想できない事態に対処できる優秀な人でないといけないのである。
宇宙ロケットだって、人間を乗せる前に何度もプロトタイプの無人ロケットを飛ばすのだが、1回の打ち上げにかかる費用が大きいので、単に、試作のための試作という訳にもいかない。人間の代わりに動物を乗せたこともあったが、これもロケットの試作の意味と共に、重要な実験も兼ねていた。一番最初に宇宙ロケットに乗せられたのは犬で、しかも、この時は、この犬は最初から、地球に帰って来ないように計画されていて、この犬の世話や訓練をした人は、さぞ悲しかったことだろう。
旧ソ連では、ほとんどプロトタイプと言えるようなロケットに実際に人を乗せ、事故死したパイロットも多いと言われる。

ところで、コンピュータソフトウェア開発の世界でも、プロトタイプ型開発というものがある。
ソフトウェア開発する際、いくら設計をして、仕様を図や文字で書いても、実際に動かしたら何が起こるか分からないことも実は多いのである。
しかも、ソフトウェアを使うお客さんというのは、仕様書なんてほとんど見ないものであり、開発する側は、自分の思っているもので本当に良いのかどうかが掴めないのである。
そこで、実際に動くプロトタイプを作ってお客さんに見せると、お客さんもよく分かるし、開発側の考え違いや、お客さん自体の認識違い、あるいは、改良点などが分かって非常に便利だ。
プロトタイプ型開発は、面倒な点もあるが、うまくやれれば効率的である。ただし、プロトタイプを作るのに大きな労力がかかっているようでは意味がない。
そこで、プロトタイプを素早く製作できる開発ツールが必要なのであるが、プロトタイプ開発専用というようなものを私は見たことがない。
私は、マイクロソフトのAccessを使ってプロトタイプを作るのだが、小規模なシステムであれば、プロトタイプに改良を加えるだけで、大抵、実用になる。

ところで、誤解してはならないのは、プロトタイプとは確かに試作品なのであるが、それはそれで完成品であるということだ。
ちょっとややこしいが、こういうことだ。
プロトタイプを改良して完成させるのではなく、プロトタイプは捨てて、プロトタイプ製作によって得られたノウハウを持って完成品を1から開発するのが、プロトタイプ型開発なのである。
システム開発では、プロトタイプ型開発をスパイラル型開発と言って、何度も繰り返して開発し、最後に良いものを作るのであるが、一度作る度に、それは捨てるのである。

ところで、人間とは、自分のプロトタイプを作っているようなものだ。
経験を積み、勉強をして自己を向上させていくのだが、本当に進歩するためには、今の自分を捨てなければならないのだ。
今の自分が知っていること、出来ることにしがみついていては、せいぜが、小さな改良を重ねてバランスが悪くなったガラクタが出来るだけなのである。
経験も勉強も必要であるが、それを本当に生かすためには、今の自分を叩き壊し、新しい自分を始めなければならないのである。
そして、その機会は、必ず与えられるのであるが、多くの人は、今の自分を壊すことが出来ないものである。
岡本太郎なんて人は、作ったら即壊せといったことをよく言われていたものだと思う。
『魔法少女リリカルなのは』で、美しき魔導師の少女フェイトが、「新しい自分を始めるために、今までの自分を終らせよう」と言ったのに感動したものだ。その言葉だけは真理だった。
良い本を読むのは良いことだが、自分の解釈にしがみついているようでは駄目なんだ。みんな、そんなことをしているから、せっかく素晴らしい本を読んでも、かえっておかしくなるのである。良いと思ったら、まず自分をぱーんと壊して、生まれ変わることである。









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特技を持たないとどうなるか?

現在劇場公開中のアニメ『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's』のテレビシリーズ『魔法少女リリカルなのは A's』が放送されていた2006年は、アップル社がiPhoneを発表した2007年の前年だった。
そのテレビアニメの中で、フェイトという名の異世界から来た金髪の9歳の美少女が、日本に住み、小学校に通うようになる中で、カタログを見て携帯電話を選んでいたのだが、友達の同い年の女の子達が、色々アドバイスをする。
1人の、大人しいが、優しくて考え深い少女が、「見た目で選んでいいと思うよ」と言う。まあ、小学生が使う分には、大して機能は違わないからという意味であったと思うし、たかが携帯である。
だが、見た目で選ぶというのも、時と場合によるだろう。
昔のことだが、あるデパートの女子職員の採用試験が、こんなだったらしい。
やって来た就職希望の女性達を横一列に並ばせ、採用担当責任者が、1人ずつ見ながら、指の動き(「来い」と「行け」)で可否を決めていった。
つまり、見た目だけで選んだのである。

夏目志郎さんという、かつてのトップセールスマンの著書で、こんな話があった。
昔、彼が百科事典の販売会社のマネージャーをしていた時のことだ。当時は、百科事典をセールスマンが訪問セールスで販売していた。
今では御存知ない方も多くなったと思うが、百科事典はかなり高価な商品である。
夏目さんのセールス部隊では、外国人が多かった。その中に、西洋人の若い男性セールスマンがいたが、さっぱり売れなかった。
ところが彼は、大変な美男子・・・今でいうイケメンであった。セールスの相手は主婦なのに、それで売れないとはおかしいと夏目さんは思った。
夏目さんが、彼とよく話すと、彼には特技があることが分かった。プロ並のピアノの腕前があったのだ。
そこで、夏目さんが彼にやらせたのは、裕福そうな立派な邸宅を狙って訪問し、奥さんが出てきたら、「ピアノを弾かせて下さい。今、ピアノのない生活をしているので、ピアノが弾きたい」と言って上がりこみ、言った通りピアノを弾く。金髪の若いイケメンが見事な腕前でピアノを弾くのだから、これで売れないはずがない。彼の売上げはうなぎ上りとなり、大金を稼いで帰国したという。
私も、社会人になって初めての仕事がフルコミッション(完全歩合制)のセールスマンだったが、二十歳そこそこの若い男なら、誰でもそれなりの外見であるので、よくセールスマネージャーに、「奥さんの手を握って売って来い」と、真面目に言われたものだった。
また、若い女性セールスが、訪問先の家の主人にセールスし、惜しくも制約を逃した報告をすると、マネージャーは、「なんでそこでスカートの1つもまくってみせないのだ」と、半分冗談かもしれないが、つまり、半分本気で言ったものだった。そんな世界もあるのだというのを知ったのは、私にも良い経験だった。

つまり、特技というものを持っていないと、性的魅力しか生きる武器が無いということになってしまうのだ。
それは確かに強力な武器であるが、若い間限定のものであるし、それを利得のために使うのは惨めな結果にしかならない。
『Wの悲劇』という映画で、三田佳子さんが演じた大女優が、他の女優に、「あなた、(女優として出世するために)オンナ使ったこと無いって言うの?私はあるわよ」と言う場面がある。言われた女優はうつむく。つまり、あるけど、悪い思い出だし、後ろめたさもあるということだ。
私の知り合いが、ある財団で係長をしていたが、彼に、50代と思われる職員の女性が相談に来た。
「課長は、私と○○さんの扱いがまるで違う」
という訴えだ。
彼は苦笑して答えた。
「そりゃ、当たり前じゃないの?」
○○さんは、美女というほどでもないが、そこそこに可愛い若い女性だったからだ。
相談者の女性は複雑な顔をしていた。特技を磨かなかった女の末路である。

世間的な特技は、ちょっとしたもので良い。ただし、あまりにささやかでもいけない。
前にも書いたが、私は、ワープロのキーボード入力を、他人が呆れるほど速く打てるようになったところから始めて、ソフトウェア開発の特技に結び付いた。
個人的にもよく知るようになった、アメリカでのビジネス経験も豊富な国際的なITコンサルタントが、「ITに強くなる秘訣は、キーボードを速く打てるようになること」だと言うのを聞いたが、なるほどと思ったものだ。
今、十分にキーボードを打てる人も、倍速、3倍速を心がけて打つと良い。頭が鋭くなり、精神的加速者になれるに違いない。
そのために、スマートフォンやタブレットPCで、単純で短い文言ばかり打つのではなく、ちゃんとしたキーボードの付いたパソコンを使うことだ。
ビル・ゲイツが、「教育分野で必要なのはタブレットPCではなく、キーボードの付いたノートパソコン」だと言ったのは、非常に意味のあることと思う。
タブレット端末は、使い方によってはとても良いものだが、そればかりいじっているようでは駄目で、ITにも強くなれない。
そして、今の時代は、ITに強いことは実に有利なことであり、あらゆる分野での力になるだろう。









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いかなることにも平静な心で挑むために

我々日本人は、現状は戦争に関わっていないので、とりあえず、スポーツの試合に関して、戦術の楽な話をしたい。
野球やサッカーなどでは監督がいて、彼が戦術を組み立てるのであるが、テニスでは、試合中、コーチと接触できないので、試合中はそれを自分で行わないといけない。
ボクシングでは休憩時間ごとにコーチと接触し、コーチが選手に指示を出すのだが、こういった格闘技スポーツでは、選手は頭に血が昇っていて、あまりそれを聞いていないものらしい。
しかし、いずれも、戦っている者同士は条件が同じであり、いかに良い戦術を立て、選手達がそれをうまく行うかで、場合によっては、実力とは異なる結果を出すこともあるのだろう。

だが、この戦術が、選手へのプレッシャーになることがあるように思える。
高度な戦術では、選手に高い能力の発揮を求める。
無論、その選手の能力を買って、監督はその戦術を授けるのだから、選手にとっては名誉でもあろう。
一方、テニスで、苦しい状況を打開するために、新たな戦術を自らに課すこともある。
監督に指示された戦術では、監督の期待に応えられるだろうかとか、自分の失敗がチームに迷惑をかけないだろうかというプレッシャーがあるが、自分で課した戦術では、自分にそれが出来るかどうかの疑問があるかもしれない。「こんな難しいことをやろうなんて、私は自分を買い被り過ぎていないだろうか?」とね。

では、スポーツよりは深刻だが、戦争に比べるとそうではない武道、あるいは、武術の決闘ではどうだろう。
映画の話ではあるが、『燃えよドラゴン』で、ブルース・リー演じる、少林寺の武道家リーは、これはおそらく、ブルース・リーの武道家としての信念であろうと思うが、「良い武道家は、緊張せずに戦いに挑む」と述べていたのが印象深い。
これは、非常に重要で、スポーツにも、戦争にも、そして、あらゆる対戦、対決に有益だ。
いや、戦いと言えないようなことでも、大切なことに違いない。

それほど重要なことなので、例を変えて話したい。

映画『007 カジノ・ロワイヤル』で、ボンドは巨額の金を賭け、フランスの工作員ル・シッフルと、富豪の遊びのために用意された高級カジノ(ギャンブル施設)でポーカーの勝負をする。ル・シッフルはポーカーの天才で、ボンドもMI6(イギリス情報局秘密情報部。正式には現在はSIS)では一番の腕だ。
だが、ボンドは戦術を誤って大きな損失を被り、ゲームの継続が不可能な状況になる。シッフルの戦術が優り、ボンドははめられた形であった。
そして、ボンドは激しく動揺していた。
ギャンブルで大切なことは冷静さだ。大勝負では、頭に血が昇った方が必ず負ける。

だが、武道家リーは、決して緊張せず、いつも冷静でいられる。
どうすれば、そんな風になれるのだろうか?
それは、こうなのだ。

勝負で戦術を誤り、敗北の屈辱を味わうとする。
その時、どんな反応をするかが、その者が、何事を前にしても、どれほど冷静でいられるかを知る鍵なのだ。
では、負けた時、どんな反応をする者が、常に心静かなのだろう?
それは、こうだ。
「負けるべくして負けた」
「神が私に、誤った戦術を選ぶことを望んだのだ」
「私という誰かに、敗北が起こったようだ」
もし、そんな者であれば、常に冷静に備えることが出来るのである。
上の『007 カジノ・ロワイヤル』で、大敗を喫したボンドは、バーテンに当り散らし、鋭利なフォークか何か(忘れた)を引っつかみ、シッフルを追った。もし、それを見つけたCIAの者が止めなければ、取り返しのつかない大失態を演じたはずだ。
つまり、ボンドは、すっかり頭に血が昇っていた。数百億円負けたのだから仕方がないだろうが、ボンドは最初から負けていたのだ。
武道家リーなら、「負けたものは仕方がない」とケロケロしていただろう。

我々は何をするにしても、良い結果を期待する。
勝負であれば、勝利を望む。負けを期待する者などいない。
しかし、勝つか負けるかなんて分からないのだ。
そして、我々には、その結果をコントロールすることは、決して出来ない。
結果は既に運命によって決まっており、我々は、その結果を受け取るだけである。
いかに勝ちたい戦いであっても、また、勝つべき戦いであっても、どれほどの準備をしていようが、それは変わらない。
このことを完全に受け容れることができるなら、我々は決して心乱されることはない。

現在、公開中の映画『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's』の前作『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』(2010)で、なのは(魔導師の少女)と、レイジングハート(知性を持つ魔法の杖)がこんな会話をする。
(レイジングハート)「戦いに最も大切はものは何だと思いますか」
(なのは)「え…と、負けないって気持ちかな?」
※なのはは、小学3年生である。
(レイジングハート)「好ましい答ですが、もっと重要なことは知恵と戦術です」
なのはは、実力で優るフェイト(なのはと同い年の、金髪の魔導師の少女)に勝つために、優れた知恵と戦術が必要だった。
戦いが始まり、フェイトはなのはに優る力と技で優位に立つが、「負けない気持ち」を持つなのはの気力と粘りの前に、焦りを見せ始める。
フェイトは、母の期待に応えたいという気持ちと共に、心の奥では、なのはを傷付けたくない気持ちもあったのだろう。
しかし、予想を超えるなのはの優れた戦い振りの前に決意する。
「迷っていたら、私がやられる」
フェイトは遂に、必殺の切り札をなのはに向かって放つ。
しかし、勝っても負けても、その結果を受け容れられないフェイトから迷いが消えるはずがない。
一方、フェイトを救うためには絶対に勝たなくてはならないなのはは、勝利だけは受け容れることが出来る。
いや、なのはは、仮に負けても、結果を受け容れて次の手を打っただろう(生きていればだが)。
それが、なのはの明るさの秘密に違いない。彼女は、いかなる結果になろうと、それを受け入れるのである。
一方、フェイトには、なのはを慕うようになった後も、暗い影が付きまとう。だが、やがて、それを振り払えるに違いない。彼女もまた、どんな運命であろうと、それを受け入れるようになるだろう。

驚くべきことに、テレビシリーズの『魔法少女リリカルなのは A's』のオープニング曲で、フェイト役の水樹奈々さん自ら作詞して歌った大ヒット曲『ETERNAL BLAZE』で、それが見事に表現されている。彼女のコンサートでのクライマックスに欠かせない曲らしいが、人間が作詞したとは思えない歌だ。

運命は既に決まっている。
個々の状況で、嬉しい結果が出るかもしれないし、悲しい結末に泣くかもしれない。
しかし、全ては避けられない運命である。
「あれをすれば良かった」
「あれをしなければ良かった」
我々は、いつもそう思って後悔する。
しかし、自分がそれをしたのではないのだ。
釈迦も言ったのだ。「いかなる行為であろうと、行為者はいない」と。
その行為を思い付き、行ったのは、運命を創った神である。
仮に、あなたの行為が、望ましくない結果をもたらしたとしても、神はそうして欲しかったのだ。
いつかのオリンピックのサッカーの試合で、中田英寿がPKを外して負けたことがあったが、中田は、蹴るタイミングや角度を誤ったかもしれない。しかし、それが神の意思であり、神は中田に誤って欲しかったのだ。だから、彼は、決して後悔すべきでなかった(実際は、彼が後悔したかどうかは知らないが)。
あなたも、いかなることであれ、それがどんな結末に終ったとしても、何の後悔もなく、それを受け容れなければならない。
そして、それが出来るようになれば、いかなることにも、緊張せず、平静な心で挑めるのである。









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心の鍛錬に関する恐ろしい大誤解

心を鍛えるということに対し、世間では大きな誤解があるように思う。

暑さ寒さに耐えられるというのは、心の問題ではなく、身体の抵抗能力や脳幹による調整機能の問題だ。
やせ我慢をするより、普段から快適な環境にばかりいないで、多少暑かったり、寒かったりする場所にいなければならない。
むしろ、根性発揮のつもりで、やせ我慢をすると、身体を壊し、下手すると病気になる。

武道家などがよく、腕立て伏せをする際に、「駄目だと思っても、がんばってもう1回やると力が付くんだ」と言うが、そんなことを真に受けてやると、腕や肩を痛める可能性が高い。それに、そんなやり方は続かない。
15回が精一杯なら、10回を間をおいて2回やるとか、その10回を毎日やれば良い。
私は、限界が150回くらいの時、毎日100回やり、やがて、自然に200回以上やれるようになった。ただ、毎日ではなく、多くとも週4回位が良いようにも思う。毎日240回やっているうちに、肩を壊してしまったことは以前に書いた。
今は、もっと余裕のあるやり方で、良い効果を得ている。

根性を発揮するというのと、心を鍛えるというのは全く違うのだ。
さらに、他人に対し、無理に根性を発揮させようとすると、その者の心が歪んで取り返しがつかなくなるだろう。

悪口を言われて我慢するというのはどうだろう?
無論、悪口を言われてすぐに何らかの反撃をするのは馬鹿なことだが、やせ我慢もいけない。
やせ我慢を強要すれば、やはり心を歪めてしまうことになるだろう。
正しい心の処し方を教えてこそ、親であり、教師であり、先達であるが、悪口に悪口で応じる親や教師や先輩が多いのだからどうしようもない。

アイルランドの詩人W.B.イェイツが言った、非常に印象的な言葉がある。
「心を鍛えるには、孤独に耐えるしかない」
これは、正しいとも言えるし、正しくないとも言える。
孤独が、結果的に人を向上させることは確かだ。
しかし、無理に孤独に耐えるだけでは、やはり、心が悪い形で変質してしまう危険もあるのだ。

では、心を正しく鍛える方法を、喩えを使って述べよう。

アニメ作品『魔法少女リリカルなのは』で、魔導師の少女なのはが、やはり魔導師で同い年のフェイトに、逢う度に無理矢理に戦いを挑まれ、酷い目に遭わされながら、なぜかフェイトを嫌いになれなかったという理由が印象深かった。
フェイトが美しいということもあったと思うが、フェイトは自分よりずっと強く、冷酷な面もあり、実際、恐ろしかった。しかし、なのはは、フェイトが寂しい子だということに、すぐに気が付いていたのだった。
それは、なのはが、家庭の事情で、幼い頃に、ずっと1人で放置されて寂しかった経験があるからだった。
ところで、なのはは、そんなことが長かったにも関わらず、優しくて素直な少女に成長した。そして、それだけでなく、非常に強い心を持ち、魔法の強い素質を持っている。

これはアニメという架空の話ではあるが、孤独で培った心の強さが魔法の素質になるというのは、あまりにも現実的なのだ。
イェイツもまた、魔法結社の熱心な会員だった。
問題は、なのはが、孤独な時期をどう過ごしたのかだ。
それは、アニメのストーリーとは、あまり関係のないことになる(アニメでは、その部分の話はなかった)。
よって、以下は、あくまで私の論であるが、正しいことを保証する。なぜなら、普遍的なことだからだ。

なのはは、間違いなく、心を忘れてしまう方法を自分で見つけたのだ。
孤独により、辛く感じて苦しむのは、当然であるが心である。
しかし、なのはには、その苦しさを解消する、外的な方法はなかった。
ところが、やがて、こんなことに気付いたのだ。
いつも辛く悲しいと思っていたが、そうでない時間がかなりあるのだ。
それはまず、眠ってしまった時。
そして、非常に驚いたり、あるいは、恐いと思った時。例えば、ゴキブリが恐いなら、それが現れたら、悲しさなど完全に吹っ飛ぶ。
また、何かに夢中になっている時だ。
他にもあるだろう。
そして、やがて、なのはは、それらに共通する精神状態を、自分で作れるようになったのである。
それは、「心が無くなっている」状態だった。
なのはは、心の苦しさから逃れるため、また、心が消えた時に感じる、清々しい不思議な感覚に惹かれ、それを求めるようになったのだろう。
それは、現実にも、よくあることである。
本当に強い心を持った者というのは、心を希薄にする方法を見つけた人なのだ。
ここで言う心は、自我と同じと思ってもらってよい。
自我が強い者は、すぐに腹を立てたり、泣いたり、あるいは、切れたりする。
自我が強いというのは、心が弱いという意味になるが、それは、心を希薄にする能力が無いことなのだ。心を希薄にするとは、一般的には、心を静めるという。
我が国の、優れた技芸・・・武道、茶道、華道、書道、弓道などは、本来は、心を静かにし、無に近付くことで、人間に隠された真の力を知ることを目指したものだ。
しかし、現在は、これらの技芸が、勝敗や優劣というものに囚われるようになってしまい、本来の価値を無くしてしまったのである。

なのはのように、寂しくて辛い状態に置かれることが、心を消す極意に導くことがある。
しかし、寂しさでなくても、心が辛く感じることであれば、何でも有効だ。
例えば、空腹な時に、美味しいものが食べられない。
美しい少女がいるのに得られない。
友達が欲しいのに、1人も出来ない。
・・・などである。
ただ、注意すべきことがある。それを以下に述べる。

インドの聖者ラマナ・マハルシが特に取り組んだのは、沈黙・・・喋らないことだった。これも実に有効である。
彼は、3年もの間、沈黙の行を続け、偉大な聖者になったのだ。
勿論、我々が、マハルシのように3年もの間、沈黙を守ることは出来ない。
しかし、マハルシのアドバイスは役に立つ。
ある、投獄された政治的活動家が、政府によって沈黙を強制された。この活動家が、解放された時、「私は沈黙の行を達成した」と宣言した。
これに対し、マハルシは、「強制された沈黙は、行にはならない」と言った。
私は、強制された沈黙でも、それに耐えるために心を消すことに成功したなら行であると思う。だが、多くの場合、強制された苦痛は、恨みや恐怖のために、かえって心を活発化させることが多いのである。
だが、自主的なものであれば、心の静止につながる可能性が高いのだ。

なのはの孤独は、強制された孤独であったが、彼女の場合、それまでに、両親や兄、姉によって、良い傾向性が与えられていた幸運があったのである。また、幼いながら、なのはにも家庭の事情(父親が大怪我で入院した)が理解できていたのである。

我々も、自主的に食を慎むことや、自主的に禁欲するなどで、心を希薄にする術を得ることが出来る。この2つを慎むことが、人間には特に辛いからである。
また、学校や職場が特に辛い状況であるなら、是非、利用していただければと思う。
言い換えるなら、辛いと思ったら、それを感じている心を消せば良い。
そして、心が消えれば、神に近付くのであるから、あなたに敵はいない。
もっとも、心が消えれば、争うこともないのである。

しかし、極端な少食も、悪い結果になる。反動で過食になったり、あるいは、食は確かに少なく、場合によっては不食(食べずに生きられること)になっても、極めて偏狭な精神性の持ち主になったり、馬鹿げたプライドを持ったりで、明らかに変な人になることが多いのだ。
無理をせず、まずは、間食をやめること。そして、満腹するまで食べないことだ。
それもどうしても出来ないなら、別の手段に換えるしかない。
独身であれば、性欲の慎みに関しては、極端で良い。上杉謙信やマハトマ・ガンジーのように、完全に禁欲すべきだ。アイドルのグラビア写真1枚見てはならない(最近のアイドルのグラビアはあまりに卑猥だ)。私に出来るのだから、あなたにも出来るだろう。
それも無理なら・・・いや、全く心配ない。方法はいくらでもあるのだから。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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