ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

高藤聡一郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

お金もネコも女性も男性も、大切にすれば好かれる、寄ってくる

最近はあまりテレビで見なくなったが、有名な占い師の細木数子さんのことを、私はあまり好きではない・・・有体に言えば嫌いなのであるが、細木さんについて、こんなことを覚えている。
昔、細木さんがテレビ出演していた時のことだが、細木さんが、サイフの中のお札の方向を揃えて入れていることに共演者達が驚くと、細木さんは怒って、
「当たり前でしょ。(方向を揃えずに入れたら)お金に失礼じゃない」
と声を上げておられた。
私は、感じるところがあって、なるべく、細木さんが言われる通りにしたら、驚くほど貯金が増えた。
お札を揃えてサイフに入れるという行為により、お金を大切にするようになったからだと思う。

「かもの法則」でよくご紹介する、メンタルトレーナーの西田文郎さんは、昔、結婚した奥さんが連れてきたネコに好かれず、どうしても寄って来てくれなかったが、そのネコを大事にすることを心がけたら、やがてなついてきて、一緒に寝るまでになったという。
これは私にはよく分かる。
以前、書いたことがあると思うが、私はニート大学生だった時、小学生の女の子にやたらモテて、毎日、家の前に少女達が鈴なりだった。
家には入ってくる、びったりっくっついてくるで、もし私がロリコンだったら大変なことになっていたが、まあ、それはなく、何の問題もなかったが、なぜそんなことになっていたのかというと、やはり、私が少女達を大事にしていたからだろう。もっと的確に言えば、私は昔から、少女というものを、天使か女神のように神聖視するところがあったからだ。
ただ、女の子の親にもでなれば分かることだと思うが、それほど身近に少女がいると、彼女達が天使でも妖精でもないことが分かり、「心身医学の父」ゲオルグ(ゲオルク)・グロデックが言うように、少女は大人の女性の縮小版に過ぎないと思うようになると、やがて、モテなくなってしまった。

西田さんは、お金もネコと同じで、好きになって大事にすれば寄ってくると著書に書いておられるが、全くその通りなのだろう。
仙道で有名な高藤聡一郎さんも、著書で、お金というものは女性と同じで、いい男なら、クールに構えようが熱く迫ろうが寄ってくるが、モテない男だと、どんなに必死に求めても、さっぱり寄ってこないと書かれている。
そして、モテる男というのは、やはり、女性に優しいのだと思う。ただし、無制限に優しいのだ。一見、冷たいように見えたり、「女に構ってる暇なんかないぜ」という雰囲気でも、やっぱり、いざという時は優しいのである。一般に、モテる男は、やはり、女性に対し、こまめであるが、1日24時間、ぬかりなくこまめなのである。
お金に対しても、ぬかりなくこまめであれば、やはり、モテるのだと思う。
西田さんはお金に対する、心の中での「声かけ」が大事と書かれていた。
例えば、「いつもありがとう」、「仲間を連れて戻っておいで」などである。
ただし、本当に愛情込めてやらなければ意味はないと思う。自分が得をしたいという、卑しい下心があっては、お金にも女性にもモテないだろう。
尚、高藤さんの仙道でのお金儲けの本は、古書しかなく、しかも、非常に高価であるが、私は全部読んでいる。それで言うと、別に大したことは書いておらず、高藤さんの普通の本を読めば基本は同じと思う。

イチローさんや松井秀喜さんが、野球道具を非常に大切にすることが知られているが、やはり、成功する人間は、お世話になっているものを大切にするのだと思う。
これも重要な、幸運に恵まれる秘訣であろう。









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人間が本当に欲しいもの、求める価値のあるもの

あなたの欲しいものは何かと聞かれて、すぐに答えられる人は、ほとんどいない。
そりゃ、新車だとか、服だとかいった、「金さえあれば手に入るもの」なら、欲しいものも色々あるだろうが、そんなものは本当に欲しいものではない。

そして、誰もが本当に欲しいもの、本当に求めるべき価値のあるものとは、「心の強さ」だ。
愛だとか、優しさだとか言ったって、心が強くなければ、そんなものは決して出てこない。
人間は、心が強くなければならず、また、心が強ければ、全てをその手にすることが出来る。
心が強くなければ、いかなる凄い呪文も、魔法も、潜在意識活用のテクニックも、何の意味もない。
職場のまるで駄目男から、つくづく、それを学んだ。

金も彼女(彼氏)も後回しだ。
まずは、心を鍛えて強くしなければならない。
だが、心が強くなれば、願えばどんな願いも即座に叶うのだから、それで文句はないだろう。

一番確実で、即効性のある心の鍛え方は、戦場(文字通りの、武力での戦闘が行われている場所)に放り込むことだ。
まるで駄目男君を救うための、本当に良い方法はこれなのだ。
しかし、そんなことは現実には不可能だし、もし可能としても、まるで駄目男君は3日と生きられはすまい(多分30分以内でアウトだ)。

仙道の高藤聡一郎さんが、何かの本に、「友達や恋人がいないなら、孤独に徹しろ」と書かれていたのを見て、衝撃を受けたことがある。
高藤さんは、寂しいからといって構ってもらいたがったり、恋人がいないからといってマスターベーションをするようでは駄目だといった趣旨のことを書かれていたが、全く同感である。
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、心を鍛えるには、孤独に耐えるしかないと述べているが、やはりそうなのである。
だから、友達や恋人がいないなら、むしろ、心を鍛えることが出来る、素晴らしい状態にあるのだから、大いに喜ばなくてはならない。
ただ、問題は、学校でも、会社でも、群れていないと不都合な仕組みになっていて、孤独に徹することを許されないことだ。
だが、心を鍛えようという崇高な意思を持っていれば、きっと天使も味方してくれる。
だから、「私は孤独によって心を鍛える」と決意するのだ。

もちろん、孤独だけが心を鍛える方法ではない。
水野南北は、少食であれば、必ず幸運に恵まれると教えたが、私はむしろ、少食、粗食に耐えることで、心が強くなり、その結果、あらゆることが可能になるのだと思う。
食欲だけでなく、性欲や気温などの快適さといった、本能的欲望を抑えることは、度を過ぎなければ、心を鍛える素晴らしい修行になる。
性行為を断つこと自体に何か神秘的効果がある訳ではないが、それをすることで、大きな心の力が得られるのである。

そして、あらゆる苦しい修行は、大なり小なり、心を鍛えるだろう。
私は、「大祓詞」を、平日は2~3時間、休日は6~7時間と、空いている時間には、ずっと称えていたことがある。
それで、3ヶ月ほどで5千回を称えたが、それで神の加護を得られたかどうかは、人間である私には、直接には分からないが、少しは心が鍛えられて強くなったと思う。
だが、それ以前に、1日1回は称えるようにしていたのだが、それで得られたなけなしの心の強さのおかげで、1日1食になり、さらに、それで心を鍛えられ、それだけの数、大祓詞を称えることが出来たのかもしれない。

毎日、決まった時間に、必ず肉体的トレーニングをするというのも、心を大いに鍛えるだろう。
その場合のポイントは、何があろうと、1年365日、必ずやることだ。無論、本当に緊急の事態であれば休めば良いが、本当に出来ない訳でもないのに言い訳をして休む者は、永遠に心が強くならない。
だが、無理もするな。
無理な修行は、過ぎた欲望の裏返しだ。
「ちょっと辛い」程度の修行を定めることだ。
そして、それを、1年365日、必ずやり抜くことである。
例えば、エドガー・ケイシーのように、毎朝必ず、聖書を読むといったものでも良いだろう。時間は、30分程度で良いと思う。
読む本は、もちろん自分で選べば良いが、単なる読書ではなく、修行においては、暗記するだけの価値のある1冊の本を選ぶべきだろう。もちろん、普通の読書は別の時間にたっぷりやれば良い。
どんな小さな修行でも、1年365日、欠かさずやれば、魔法の1つは身につくのである。

改めて言えば、心の強さが全てであり、それがなければ、いかなる秘法(呪文や引き寄せの法則のテクニック)も、何の役にも立たない。
私も、改めて、心を鍛えようと思う。









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エア修行のすすめ

エア・ギターというものをご存知と思う。
早い話が、「ギターを弾いているフリ」で、誰でもすぐに出来る。
ミュージシャンの中にも、「ギターが弾けない」からという理由で、ステージでエア・ギターを行う人もいる。
しかし、エア・ギターそのものを独立したものとして取り組み、高度なパフォーマンスを見せるアーティストもいる。
そして、近年では、エア・ギターの競技会も盛んで、1996年からは世界大会も実施されているが、実際にはギターが全く弾けないアーティストが優勝したこともある。

本来はエア・ボクシングと言っても良いと思われる一人で行うボクシングは、一般にはシャドー・ボクシングと呼ばれているが、シャドー・ボクシングの本当の効果は未知なものであると思うのだ。
そして、近年、国内では、エア・ボクシングの競技会も実施されるようになり、この競技に参加する人も増え、プロ化もされているようだ。おそらく、世界に広がるのではないかと私は思う。

脳科学者の茂木健一郎氏は、英語上達の重要な訓練として「エア・英会話」を挙げていたが、エア、つまり、仮想で行うことは、現実にも効果を現すのである。
いかなることに関しても、エア行為は上達、進歩に有益であるが、実は、想像以上の効果があるのである。
私は、ある高名な空手家が、実際に巻藁(藁で棒を巻いた、正拳などを打ちつける道具)やサンドバッグを叩く訓練をする者と、空突きをする者に分けてやらせたところ、空突きをしたグループの方が上達していたということを著書に書いているのを見たことがある。

エアー・XXXXXは、「ごっこ」とも言えるが、「ごっこ」は人間だけが行えるものであるだけでなく、人間の無限の可能性を示すものであることに気付いているだろうか?
『列子』や、中島敦の『名人伝』に登場する弓の名人は、手に何も持たないまま、弓矢を射る格好をするだけで、空を飛ぶ鳥が落ちて来る。
弓の名人は、訪ねて来た弓の名手に対し、「お前は、射の射は知っているが、不射の射を知らない」と言う。
これは、エア弓道を超えたサイコ(精神)弓道である。
神を目指す者は、これを、ただのお伽噺と捉えず、その深い意味を知るべきと思う。

仙道家の高藤聡一郎氏は、著書の中で、信憑性のある話として、ある不思議な老僧のことを取り上げている。
金槌で釘を打ち込むのも難しい堅い木に、その老僧は、指1本で軽く押さえるだけで釘を入れてしまった。
その僧に、どうやってやるのかと尋ねると、修行方法だけ教えてくれた。
その僧は、実は修行らしきことは全くしないのだが、瞑想中に、大木を地面から引き抜くことをずっと想像していたら、ある時、出来そうな気がして、実際にやってみたら出来たという。
次は、大岩を持ち上げることを想像してみたら、やはり出来た。
それで今は、山を持ち上げることを考えているのだという。
想像とはいえ、山を持ち上げるほどの者にとって、釘を指で差し込むことなど、あまりに容易いのである。
私も、想像で高い屋根に飛び上がる行をやっているが、やはり、驚くほど身軽になったのである。
また、国内でも、想像で滝行をすることを勧める霊能者もおり、僅かな日数、実際に滝に打たれるより、想像で毎日やった方が余程良いと言う。

私が常にお奨めしている、人を超える法は、腕振り運動や、心の微かな声の呪文であるが、このエア修行も、是非追加したい。
別にやらなくても良いが、やれば、超人になる速さや到達するレベルが高まることは間違いないだろう。
尚、ごく基本として行うべきこととしては、少食(極端なものではなく、満腹するまで食べて自分を甘やかさないこと)と、規則正しい生活(なるべく早い同じ時刻に起きる)がある。
基本だけですら確実に実施すれば、どう考えても駄目な人間に留まるはずはないのである。
まして、その上の、腕振り運動や、心の微かな声の呪文をやれば、人を超えるだろう。
そして、エア修行に励むことで超人になれる。
だが、まずはエア行為を楽しむと良いと思う。
『僕は友達が少ない』に登場する美少女、三日月夜空が、小鷹に出会うまでは頻繁に行っていた「エア友達」との会話は、実は彼女を特殊な存在に高めたことに注意しなければならない。









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「成った」の想い以外何もいらない

私は、少し前までは、悟りを開けば完全に幸福になれるのだし、人間の究極の目的は魂の解脱、つまり、悟りなのだから、全てを諦めて、永遠の道(タオ)と一致すべしと考えていた。
そして、それはそれで正しいのだと今も思う。
それを好ましいと思うなら、もちろん、そうすれば良い。
聖者ラマナ・マハルシは、生涯、ふんどし一枚以外何も持たなかった。
それで完全に幸福だったが、あなたはそれで良いだろうか?
クリシュナムルティも世俗の報奨みたいなものの一切を見下し、実際に至福の境地にいたのだと思うが、よぼよぼの老人になってしまった。
そして、2人とも癌で死んだ。
別に、彼らはそれを嘆いてはおらず、確かに偉大な人達ではあった。

ところで、聖者ラヒリ・マハサヤの修行時代、彼がかなりのレベルに達したところで、師のババジは、その超越力により、マハサヤの願望である、壮麗豪華な大邸宅を与え、マハサヤは満足することですみやかに解脱した。
仙道の高藤 聡一郎さんは、やはり修行が進んだ時、現世と彼岸を隔てる境界が浮かび、「ここを超えれば解脱するが、それでお前は一切の欲望を無くし、親兄弟を見ても誰か分からなくなる」といった声を聞き、「嫌だ、俺はまだまだ美味しいものも食べたいし、いい女にもモテたい」と辞退したのだということを著書に書かれていた。
これらのことから、ある結論に至るのだ。
確かに、欲望に執着すれば悲惨への道を駆け下りることは間違いないが、人間は、一度は心を満足させないと、最終的な解脱に至るのは難しいものなのだ。
余程、修行の出来た者であれば別なのかもしれないが、我々凡人はラマナ・マハルシにはなれないし、あのラヒリ・マハサヤすら、我々と同じであったのだと分かるのだ。

私などは、少なくとも社会に出てからはずっと良い思いをしているが、周囲を見ただけでも、辛いことばかりの人もいるし、それどころか、ほとんどの人が、不満や悩みで傷付き、その痛みに喘いでいるようにしか見えない。
そんな彼らが、解脱への道を無事に進むことは、非常に難しいに違いないし、その気にもなれないだろう。
まずは、この世の楽しみを味わうことが必要である。
もしかしたら、聖人に近いほど少しのことで満足するのかもしれないが、普通の人では、そこそこに願望を叶える必要もあるのだろう。
そのためには、自己暗示による潜在意識との共同作業以外の方法はない。
そして、幸い、それは容易いはずなのである。
潜在意識による成功法則や引き寄せの法則は、疑うことなど1パーセントもないほど確実であり、当たり前に使えば良いのだが、それを奇妙に複雑にしてしまっている者がいるのだろう。
ただ、「成った」と思えばそれで良いのであり、他に何もない。
人間には、神と同じ創造の力があるのであり、「成った」の想い以外に、取り立てて必要なものはないのだ。

法然は、「南無阿弥陀仏」の念仏を1日に何千回、何万回と称えることを勧めたが、親鸞は、感謝して1回称えれば良いと言った。
感謝して1回称えるとは、「成った。ありがとうございます」という意味である。
即ち、念仏とは、「極楽は眼前に出現せり。無限者よありがとうございます」という感謝の表明なのだ。
早い話が、イエスが言った、「神に願う時は、既に叶ったと思え。そうすれば叶う」である。
宗教的でも、スピリチュアルでも何でもない。
自然で、庭のコスモスのように確かなものだ。
面白いことに、あの、「毎日、あらゆる面で、私はますます良くなっていく」という自己暗示を教えたエミール・クーエだって、自分では、例えば病気の人に対し、「治る、治る、治る、・・・、治った」といった暗示を教えていたのだ。
この最後の「治った」が重要で、その前の「治る」の反復は、精神を集中するための心の準備運動である。
私はやったことがないが、美人になりたいなら、「美人に、なる、なる、なる、・・・・、なった」とやるのも、なるほど、確かに良さそうである。
だが、普通は、「私は美人だ」でよろしい。
いつも言うが、心の反発など気にしなくて良い。
反発があるからこそ、それは望ましいことなのであり、反発があるということは、価値があるということのサインとすら言える。
そして、起床時と就寝時に、声を出して20回も自己暗示をすれば、やがて心も従うのである。
実際、我々は、親、学校の教義や信念、マスコミの放言、大企業のCMといった、下らないものを、何の反発もなく受け入れている。
それらにしたって、忘れてしまったかもしれないが、初めは反発を感じたものだって沢山あるのだ。
そして、我々には、肛門を締めるという秘法があるのであり、思い出すたびに肛門を締めるようにすれば、いかなる願いも必ず、短期間に叶うのである。
普通にやれば、これまでの多くの人同様、欲望に執着してしまい、「引き寄せの法則は嘘だ」なんて愚かしいことを言う羽目になるが、我々は、肛門を締めることや、肛門を締めながらの腕振り運動すら知っているのだから、失敗する方がおかしい。
後は、やるか、嘲笑ってやらないかの違いだけである。









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天狗のように飛ぶには

まだ、先週のことだ。
私は、『こうして、思考は実現する』という本の、第一の実験で、神様に48時間を期限として、プレゼントをねだった。
すると、約24時間で、最終的な秘法である、肛門を締めることを教わった。
そうしたら、その本を読む必要は全くなくなった。

私は、恐ろしく軽く宙に舞い上がるようになった。
駅の階段などでやると、気味悪がられるか、変に人目を引くので、やらないようにしている。
やり方はこうだ。
以前も書いたが、仙道の高藤聡一郎さんの本に、韓国の超人僧の話があった。
人々が、硬い樫の木に太い釘を打ち込めずに困っていたところに、たまたま通りかかった僧は、人差し指で軽く押して、すーっと釘を入れてしまった。
この僧は、修行らしきものは何もしなかったが、瞑想中に、大きな岩を持ち上げたり、大木を引き抜くことを想像しているうちに、いずれもできるようになった。
そして、その後は、山を持ち上げるイメージをしているという。
それだけのことなのだ。
私は、肛門を締めながら、二階建ての家の屋根の上や、大木の高いところにある枝の上に飛び上がる想像をしている。
すると、恐ろしく身体が軽くなり、まともに歩いたり、走ったりすると、あまりに速さが違うので、他の人が止まっているように感じるのだ。
こんな遊びをやっているうちに、どんな現実でも作り出せるようになるだろう。
真剣ではあっても、必死にならず、楽しく遊んで練習して欲しい。
そして、普段、気が付くたびに肛門を締めることだ。
その際、臍の周りを意識すると腹に気が満ちる。
そのエネルギーが万能の力だ。

尚、上に挙げた韓国の超人僧の話が載っている『驚異の超人気功法』は、Amazonで古書が高いので(高藤さんの古書は人気があるので、大抵高いのだが)、同じ著者の別の本をご紹介しておく。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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