「馬鹿と言う者が馬鹿」という言葉は、誰でも幼い時に親から教わるはずだと思っていたが、そういうわけでもないらしい。
だが、これほど重要な言葉はないので、必ず教えるべきと思う。
ちなみに、私は教わらなかったが、おかげでロクな目に遭わなかった(笑)。
「馬鹿と言う者が馬鹿」と、家では教わらなかった私だが、小学校の時から、友達が言うのを何度か聞いた。
その度、「なんでだよ!」という反感の気持ちと共に、胸の内では、初めて「サンタクロースは本当はいない」と聞いた時のような、隠された真実を聞かされたショックを感じていた。
しかし、それ(「馬鹿と言う者が馬鹿」)を聞いた時は、ある程度、分別がある年頃だったので、しっかり身につかなかった。
別に、「馬鹿」だけではなく、誰かに言った言葉は全て自分に返って来る。
他人に対し、否定的に考えると、それは自分の身に起こる。
ある女性は、松葉づえを使わないと歩けず、しかも、脚はどんどん悪くなりつつあった。彼女は、そうなったのは母親のせいであると思って恨んでいた。
しかし、彼女は、「お母さまは、したいことを好きなようになさってください」と言うようにしたら、数週間で正常に歩けるようになった。
(『トーチェ氏の心の法則より』)
人に、「したいことを好きなようにしろ」と言うのもまた、自分に返って来る。それで、彼女は、自由に歩き、したことを好きなように出来るようになったのだ。
つまり、返ってくるのは、否定的な言葉だけでなく、肯定的な言葉もである。
別に、嫌いな相手を好きになる必要はない。
しかし、嫌いな相手こそ、自分の反映なのだから、その者を押さえつけようとすると自分が押さえつけられるし、殺そうとしたら、自分が誰かから殺される。
上の女性のように、「好きなことをしろ」と言えば良い。もし、そいつが本当に悪いやつなら、そいつは遠からず自滅するだけだが、「自滅しろ」とか思うと、自分が自滅する。
だから、相手にしないことだ。
「そうは言っても、あいつだけは許せない」と言う者は多い。それなら、その者もまた、世の中から許されないだろう。
あるいは、
「あいつは、こっちが何もしなくても迷惑をかけてくるんだ。気にせずにいられるか!」と言う者もいる。
確かに、実際に戦うことが必要なこともある。
私だって、若い時は、会社の中で、わけのわからない難癖をつけてくる、私よりずっと強い立場の上司や先輩はいたものだ。
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)にとっての吉良上野介(きらこうずけのすけ)のようなもので、非常に面倒だった。
しかし、そんな者達は、すぐに消えてなくなった。
私が、あまり相手にしなかったからだ。
どうしても必要なら、頭を使って解決することである。やりようはいくらでもあるはずだ。
繰り返しだが、誰かに言った言葉、誰かについて考えたことは、全部、自分に返って来る。
それが確実な真実だと分かれば、他人の悪口を言うことほど、割に合わないことはないことが理解出来るだろう。
目の前の人が嫌なことをしてくるのだって、おそらくは、誰か別の人に、悪いことを言ったり、考えたりしたからではないかと思う。
私は、とにかく、今後は、人の悪口は、心の中でも決して言うまい。まあ、そう決意しても、なかなかうまくいかないのだが(笑)。
バイデンは、「プーチンは権力の座にいるべきでない」と言った。
それは、アメリカ国民がバイデンに対して思っていることであるように思える。
そして、バイデンのこの発言に対しては、批判が広がり、バイデン本人やバイデンを補佐する人が釈明をする必要に迫られた。
バイデンは、プーチンの人となりなど放っておいて、やるべきことを粛々とやれば良いのであるが、そちらは非常に素晴らしい手腕とは見なされていない。
いずれにしろ、バイデンは、「私は権力の座にいるべきではない」と言ったのと同じなのである。
だが、これほど重要な言葉はないので、必ず教えるべきと思う。
ちなみに、私は教わらなかったが、おかげでロクな目に遭わなかった(笑)。
「馬鹿と言う者が馬鹿」と、家では教わらなかった私だが、小学校の時から、友達が言うのを何度か聞いた。
その度、「なんでだよ!」という反感の気持ちと共に、胸の内では、初めて「サンタクロースは本当はいない」と聞いた時のような、隠された真実を聞かされたショックを感じていた。
しかし、それ(「馬鹿と言う者が馬鹿」)を聞いた時は、ある程度、分別がある年頃だったので、しっかり身につかなかった。
別に、「馬鹿」だけではなく、誰かに言った言葉は全て自分に返って来る。
他人に対し、否定的に考えると、それは自分の身に起こる。
ある女性は、松葉づえを使わないと歩けず、しかも、脚はどんどん悪くなりつつあった。彼女は、そうなったのは母親のせいであると思って恨んでいた。
しかし、彼女は、「お母さまは、したいことを好きなようになさってください」と言うようにしたら、数週間で正常に歩けるようになった。
(『トーチェ氏の心の法則より』)
人に、「したいことを好きなようにしろ」と言うのもまた、自分に返って来る。それで、彼女は、自由に歩き、したことを好きなように出来るようになったのだ。
つまり、返ってくるのは、否定的な言葉だけでなく、肯定的な言葉もである。
別に、嫌いな相手を好きになる必要はない。
しかし、嫌いな相手こそ、自分の反映なのだから、その者を押さえつけようとすると自分が押さえつけられるし、殺そうとしたら、自分が誰かから殺される。
上の女性のように、「好きなことをしろ」と言えば良い。もし、そいつが本当に悪いやつなら、そいつは遠からず自滅するだけだが、「自滅しろ」とか思うと、自分が自滅する。
だから、相手にしないことだ。
「そうは言っても、あいつだけは許せない」と言う者は多い。それなら、その者もまた、世の中から許されないだろう。
あるいは、
「あいつは、こっちが何もしなくても迷惑をかけてくるんだ。気にせずにいられるか!」と言う者もいる。
確かに、実際に戦うことが必要なこともある。
私だって、若い時は、会社の中で、わけのわからない難癖をつけてくる、私よりずっと強い立場の上司や先輩はいたものだ。
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)にとっての吉良上野介(きらこうずけのすけ)のようなもので、非常に面倒だった。
しかし、そんな者達は、すぐに消えてなくなった。
私が、あまり相手にしなかったからだ。
どうしても必要なら、頭を使って解決することである。やりようはいくらでもあるはずだ。
繰り返しだが、誰かに言った言葉、誰かについて考えたことは、全部、自分に返って来る。
それが確実な真実だと分かれば、他人の悪口を言うことほど、割に合わないことはないことが理解出来るだろう。
目の前の人が嫌なことをしてくるのだって、おそらくは、誰か別の人に、悪いことを言ったり、考えたりしたからではないかと思う。
私は、とにかく、今後は、人の悪口は、心の中でも決して言うまい。まあ、そう決意しても、なかなかうまくいかないのだが(笑)。
バイデンは、「プーチンは権力の座にいるべきでない」と言った。
それは、アメリカ国民がバイデンに対して思っていることであるように思える。
そして、バイデンのこの発言に対しては、批判が広がり、バイデン本人やバイデンを補佐する人が釈明をする必要に迫られた。
バイデンは、プーチンの人となりなど放っておいて、やるべきことを粛々とやれば良いのであるが、そちらは非常に素晴らしい手腕とは見なされていない。
いずれにしろ、バイデンは、「私は権力の座にいるべきではない」と言ったのと同じなのである。