願望を潜在意識にインプット出来れば、後は、何も考えない方が良い・・・いや、考えてはならない。
願望を潜在意識にインプットするというのは、人によっては、願望を宇宙に、あるいは、神に通知するといった感覚かもしれない。
ここらは、民族的、宗教的な考え方が影響する。
そして、願望を潜在意識にインプットしたり、願望を宇宙に通知することが難しい。
なぜ難しいかというと、まず、願望を明確にし難いし、明確にしたつもりでも、コロコロ気分が変わって願望も変わってしまうことがよくある。
次に、願望を打ち立てても、「本当に叶うのだろうか?」という疑いの心が起こり、それを制御出来ないことも多い。
そんなことが起こるのは、一般に、自分に相応しくない願望を持った場合である。
夢を持つことは大変なことだという話があるが、それは、自分が本当は何を望んでいるのか分からない場合がかなり多いということだろう。
子供がサッカー選手になりたいとか、歌手や女優になりたいと思うのは、本気の場合もあるが、それは少ない。
そして、精神が未熟なため、子供のように幼稚な夢を持っている大人も実に多い。
ある意味では、子供のようでないといけないところもあるが、純心というのと幼稚というのとは違う。
純心というのは偏見(固定観念)がないということで、非常に素晴らしいことだが、幼稚とは視野が狭いことである。
そして、子供のように視野が狭いまま、大人の虚栄心が育ってくると、世間で言う「モンスター(怪物)」になる。
我々は、モンスターになってはならないが、ご存じのように、今はモンスターが多いし、モンスターになってしまう危険も大きい。
視野を広げるには経験が必要だが、必ずしも、7つの海を渡る大冒険をしなければならないわけではない。したいなら、良いことなので是非やれば良いが。
机上の空論とか言って、本で勉強するだけでは駄目で、実践を積まないといけないと言う人がいて、それはそれで正しいのだが、かといって、ナイフやピストルの決闘をしたり、悪女やジゴロと付き合わないといけないわけではない。
つまり、試験や受験のためだけの勉強は、頭でっかちの無能者を作るが、賢くなるために勉強すれば視野が広がり、頭が良くなり、必要な経験は向こうからやってきて、受け入れれば楽しく体験出来るのである。
具体的にどうすれば良いかというと、良い本を読まされるのではなく自主的に読み、試験や受験のための勉強はゲームとして適当にやることだ。
そして、テレビは絶対に見てはならない。テレビを見れば必ず馬鹿になり、救えなくなる危険性が高い。
引きこもりでも問題ないが、引きこもりに徹するなら、本を読むことだ。
そして、腕振り運動や佐川幸義流四股(足踏み四股)のような、本当に健康に身体を育てる運動をやることだ。これらは楽な運動で、毎日続けるのも容易い。
願望は無理に考えるのではなく、自然に浮かぶものだ。
つまり、どんな願望を持つかも潜在意識にまかせるのが良い。
もし、いつまでも願望が浮かばないなら、生き方に問題があり、上に述べたようなことに留意して生活すれば良い。
何か願望があるとしよう。
しかし、「この願望が叶ったらどんな気分か?」と思い、胸が震えるような感動が全くないなら、それは正しい願望ではない。
そんなテストをやってみると良い。
『スター・トレック』で、ミスター・スポックが、「どれほど望んだものでも、得てしまえばさほどではない」と言ったのは、やっぱり、その望みが本物でなかったのだ。
だが、そんなことは、事前に、「これを得たらどんな気分だろう?」と想像すれば、さほどのものではないことは分かったはずである。
そして、「これを得たらどんな気分だろう?」と思い、本当に良い気分になったら、何と、もうその願いは潜在意識にインプットされたのである。
そしたらもう、その願いについて考える必要はない。いや、しつこく考えてはならない。勝手に思い浮かぶのは別に構わないが、出来れば忘れることだ。
それはもう叶っているのであり、叶ったことを願う必要はないからだ。
願望を潜在意識にインプットするというのは、人によっては、願望を宇宙に、あるいは、神に通知するといった感覚かもしれない。
ここらは、民族的、宗教的な考え方が影響する。
そして、願望を潜在意識にインプットしたり、願望を宇宙に通知することが難しい。
なぜ難しいかというと、まず、願望を明確にし難いし、明確にしたつもりでも、コロコロ気分が変わって願望も変わってしまうことがよくある。
次に、願望を打ち立てても、「本当に叶うのだろうか?」という疑いの心が起こり、それを制御出来ないことも多い。
そんなことが起こるのは、一般に、自分に相応しくない願望を持った場合である。
夢を持つことは大変なことだという話があるが、それは、自分が本当は何を望んでいるのか分からない場合がかなり多いということだろう。
子供がサッカー選手になりたいとか、歌手や女優になりたいと思うのは、本気の場合もあるが、それは少ない。
そして、精神が未熟なため、子供のように幼稚な夢を持っている大人も実に多い。
ある意味では、子供のようでないといけないところもあるが、純心というのと幼稚というのとは違う。
純心というのは偏見(固定観念)がないということで、非常に素晴らしいことだが、幼稚とは視野が狭いことである。
そして、子供のように視野が狭いまま、大人の虚栄心が育ってくると、世間で言う「モンスター(怪物)」になる。
我々は、モンスターになってはならないが、ご存じのように、今はモンスターが多いし、モンスターになってしまう危険も大きい。
視野を広げるには経験が必要だが、必ずしも、7つの海を渡る大冒険をしなければならないわけではない。したいなら、良いことなので是非やれば良いが。
机上の空論とか言って、本で勉強するだけでは駄目で、実践を積まないといけないと言う人がいて、それはそれで正しいのだが、かといって、ナイフやピストルの決闘をしたり、悪女やジゴロと付き合わないといけないわけではない。
つまり、試験や受験のためだけの勉強は、頭でっかちの無能者を作るが、賢くなるために勉強すれば視野が広がり、頭が良くなり、必要な経験は向こうからやってきて、受け入れれば楽しく体験出来るのである。
具体的にどうすれば良いかというと、良い本を読まされるのではなく自主的に読み、試験や受験のための勉強はゲームとして適当にやることだ。
そして、テレビは絶対に見てはならない。テレビを見れば必ず馬鹿になり、救えなくなる危険性が高い。
引きこもりでも問題ないが、引きこもりに徹するなら、本を読むことだ。
そして、腕振り運動や佐川幸義流四股(足踏み四股)のような、本当に健康に身体を育てる運動をやることだ。これらは楽な運動で、毎日続けるのも容易い。
願望は無理に考えるのではなく、自然に浮かぶものだ。
つまり、どんな願望を持つかも潜在意識にまかせるのが良い。
もし、いつまでも願望が浮かばないなら、生き方に問題があり、上に述べたようなことに留意して生活すれば良い。
何か願望があるとしよう。
しかし、「この願望が叶ったらどんな気分か?」と思い、胸が震えるような感動が全くないなら、それは正しい願望ではない。
そんなテストをやってみると良い。
『スター・トレック』で、ミスター・スポックが、「どれほど望んだものでも、得てしまえばさほどではない」と言ったのは、やっぱり、その望みが本物でなかったのだ。
だが、そんなことは、事前に、「これを得たらどんな気分だろう?」と想像すれば、さほどのものではないことは分かったはずである。
そして、「これを得たらどんな気分だろう?」と思い、本当に良い気分になったら、何と、もうその願いは潜在意識にインプットされたのである。
そしたらもう、その願いについて考える必要はない。いや、しつこく考えてはならない。勝手に思い浮かぶのは別に構わないが、出来れば忘れることだ。
それはもう叶っているのであり、叶ったことを願う必要はないからだ。