ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

願望の成就

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

子供っぽく現実を創造する

この世界は、『マトリックス』や『ソードアート・オンライン』のようなVR(仮想現実)ゲームやVRシミュレーションの世界で、自分は、そのVR世界の登場人物に過ぎない。
そこまで壮大に考えられないなら、この世界は漫画で、自分は、漫画のキャラクターだと考えても良いだろう。
昔の人であれば、この世界は舞台で、自分はその舞台で演技をしている俳優だと言うことがよくあった。

問題は、我々が、そういった事実に気が付いていないことだ。
だが、子供の時は誰でも、この世界が、ゲームや漫画のように「作り物っぽい」ことは、薄々感じていたはずなのだ。
たとえば、私の例で言えば、こんな「わざとらしい」ことがあった。
小学4年生の時、小学校の図書館でたまたま読んだシーラカンスの本が面白かったのだが、家に帰ってテレビを付けたら、シーラカンスに関する特集番組が放送されたのだ。
また、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大きな森の小さな家』を読むと、主人公のローラの父親のチャールズが、「子供の時、夜に森に入ったら、あちこちから『お前は誰だ?』という声が聞こえた」と話す場面があったのだが、数日後、テレビで、ノルウェーかどこかの森に住む老人が、「森の中でフクロウが、フ―、フー、フーアーユー(誰だ?誰だ?お前は誰だ?)って鳴くんだ」という話をするのが放送された。
これも、引き寄せと言えるが、要するに、自分の心が現実を創造しているのである。
そして、こういったことを意図的に出来れば、世界を自分の好きなように動かし、あらゆる願いを叶え、世界は自分のものになる。

どうやれば良いかは、上のようなことを、自分でやった時のことを思い出せばいいだけだ。
誰でもやったはずなのだ。
とはいえ、簡単なことなので、忘れていたって構わない。
知ってる人に教えてもらえば、すぐに出来る。
私が言うなら、単に「それについて考える」だけだ。
上の話であれば、私は、シーラカンスの本を読んだ後、その本に書かれていたシーラカンスに関することや、シーラカンス発見の経緯について考え続け、空想の中で、誰かにその話をしてもいた。
フクロウの方の話も同様だ。フクロウが、「フ―(誰だ?)」と鳴くということや、その情景を空想したり、やはり、空想の中で誰かに話すのだ。
今、書いていて思ったが、空想の中で誰かに話すことが確かに多かった。
そういえば、天才技術者として名高い二コラ・テスラも、そんなことをよくやっていたそうだ。
テスラの半分のIQしかない私にだって有効なのだから、きっと、誰にとっても良い方法なのだ。
たとえば、車が欲しいとしたら、空想の中で誰かに、「欲しい車を買うための十分なお金が入ってきたよ」と言うとかね。
誰に言うかって?
誰でも良いが、きっと、親しい、好きな人だ。例えば、子供の時の友達とか、子供の時から友達がいないのだったら(泣)、妖精さんとか天使さんとか、あるいは、天狗さんとか・・・
もちろん、そのようにしなくても、ただ気楽に考えればいいのだ。
とにかく、楽しくやることだ。








空を飛ぶ方法

スーパーマンのように空を飛ぶ夢を見たことがあるだろうか?
私は何度かある。
ところで、手塚治虫の漫画『海のトリトン』の中で、空を飛ぶ夢というのは、太古の昔、人類が魚類だった時に海を泳いでいた記憶なのだという説もあると書かれている。そういえば、夢で空を飛ぶ時の飛行速度はかなり遅い場合が多かったと思う。

ただ、私は、ある時期から、空を飛ぶ夢を見なくなった。空を実際に飛んだらどうなるかを、多少なり想像出来るようになったら、高い所に浮かぶのが恐ろしく感じるようになったからだ。
最近、久々に空を飛ぶ夢を見たが、自分より高いところにある木や山や星は見たが、下は見なかった。高所恐怖症のスーパーマンだ(笑)。

ところで、空を飛ぶ夢を見たことがある人でも、そう簡単に飛べるわけではないと思う。
なぜかというと、飛び方が分からないからだ。考えてみたら、至極当然のことだ。人間は実際は飛べないのだから。
先に言っておくと、夢の中で自在に空を飛べれば、夢の中でも、現実でも、世界を自由に創造出来る・・・つまり、引き寄せが簡単に出来る。
以下、その(空を飛ぶ等の)やり方を説明する。

藤子・F・不二雄さん(1933~1996)の漫画作品『パーマン』では、スーパーマンから特殊なマスクとマントを与えられた人間は、それらを着用することでパーマンになるが、パーマンのマントを着用した人間は空を飛ぶことが出来る。
ところが、パーマンからマントを奪った男が、それを着用して空を飛ぼうとするが、うまくいかない。
そこで、その男がパーマンに、「どうやったら飛べるんだ?」と尋ねると、パーマンは「飛びたいなあって思えばいいんだよ」と答える。
実に、これは現実創造、あるいは、引き寄せの秘訣の1つである。
飛びたいなあと思って、マントにまかせれば飛べるように、「こうなって欲しいなあ」と思って、宇宙とか神とか潜在意識にまかせれば、それは実現する。
まあ、もっとよく知られたやり方は、「そうなったと思う」とか「そうなると信じる」などだが、それはなかなか難しい。
私が奇跡を起こした時は、多くの場合、「こうなる」と強く願った、あるいは、念じた気がするが、よく考えたら、その願いを手放した時に、願いが叶うのである。
大作詞家だった阿久悠さんも、ヒット曲を作る時は、曲がヒットした様子をイメージした後、それを忘れるらしいが、それはよく分るのである。彼も、作詞家としては引き寄せマスターだった。
だが、願ったり、好ましい状況をイメージした後に忘れるというのは難しい。人間は、願いに執着するからだ。
そこで、パーマンのように、軽い気持ちで、こうなればいいなあと思うと、すんなり叶うのである。
尚、ここまでは、自己啓発家でも、言っている人は多いのである。
ただし、最終の秘訣は、願いにモラルがあることだ。
なぜかこれは、私が知る限り、一人も言っていない。
なぜモラルが必要かと言うと、自然や宇宙にはモラルがあるからだ。
モラルとは、「制限すべきことは制限する」ということだ。
例えば、動物や虫は、オスがメスを争って戦う時でも、勝敗を決するルールが有り、それを超えて攻撃して、相手に怪我をさせることはない。
それがモラルである。
モラルがあるかどうか疑わしいような者が書いた道徳の本なんか読んだってモラルは得られない。
それよりも、宮沢賢治がモラルがある状態で書いた『銀河鉄道の夜』を読めば良い。
あるいは、『ソクラテスの弁明』や、司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』の吉岡源左衛門について読めば、真のモラルが分かると思う。私も、時々、読み返す必要があるんだ(笑)。








神のようになる

無になるとは、言い換えれば、「無我」「忘我」「没我」の状態になることと言えるが、どれも同じことだ。
つまり、我(われ)がない、我を忘却した、我が没した状態で、個人的な心がないことだ。
そして、無になれば、天才だし、幸運がやって来るし、超能力者だし・・・まあ、神様みたいなものかもしれない。
だが、無になるためには、長い厳しい修行が必要だ。

ところが、実を言えば、一瞬、無になるだけなら、簡単に出来る。
そして、一瞬であろが、神様なのだから、その力は計り知れない。
では、どうすれば、一瞬、無になれるのかというと、単に、息を吸って止めれば良い。
息を吸って止めれば、よほど無理に何かを考えようとしない限り、何も考えていないことが分かると思う。
つまり、それで無になっているのである。
その一瞬、心配事は消えているし、欲望もないし、誰かを恨むこともない。
適度に吸って止めれば良いが、万一うまくいかないなら、多めに息を吸えば良い。

息を吸って止めれば、無であり、それは即ち、神なのだから、全て思うがままになる。
「いや、思うがままって、思ったら無じゃないじゃない?」
と思うかもしれないが、そうではない。
自我の思いはないが、神の思いがあるのである。
たとえば、「富」という言葉を心で言えば、必要なお金がやってくる。
全ては神の意思で起こるのだから、別に不思議なことでも浅ましいことでもない。
ただし、願いを表す言葉が言えるのは一瞬だけだ。
とはいえ、流れ星が流れる時間よりはずっと長く、「富」とか「成功」とか、「富、成功」と言う時間はちゃんとあるし、3回くらい言えるかもしれない。
全ての願いに対して、「成った」と言っても良いのである(と言うより、これが良いかもしれない)。
息を吐いたら、神の思いを自我の思いで穢さぬよう、直後は忘れる・・・つまり、願いについて考えないことだ。
そのためには、息を吐く時、細く長く吐くと良い。息を吐いている間は、自我が帰って来ないからだ。
とはいえ、絶対にそうしなくてはならないわけではなく、息を吐いて、しばらく忘れれば良いのである。

何度か言ったが、例えば、前世での業による宿命みたいなものを背負っていると、なかなか願いは実現しない。
その場合、真言、念仏、神仏の名、お経、祝詞、祓詞などを、悪業が消える、あるいは、弱くなるまで唱えると良い。








願いの叶え方完全版(保存版)

世界は、3つのレベルで構成されていると考えると便利と思う。
そうすれば、願いは叶い易いし、病気は治り易い。
3つのレベルとは、
・心と物資
・潜在意識
・霊
である。
宗教というものが、便利であると同時に問題を起こすのは、心と潜在意識と霊を一緒に扱うからだ。
例えば、物質である神仏の像を霊であるとしたり、心で直接、潜在意識や霊とコンタクトしようとしたりである。
非常に素朴な人間の場合は、それがゆるく出来るし、宗教の目的は素朴で単純な人間を作ることだ。
しかし、物質文明が発達し、物質への欲望が渦巻くこの世界では、従来の宗教では不都合が多いのだと思う。

◆心と物質
思考したり、感情を感じたり、働いたり、作ったり、遊んだり、旅行したりする世界だ。
この世界でうまくやる心構えは、肉体の欲望や感情に支配されず、ほどほどにやること。穏やかでいることだ。
熱く生きる、情熱的に行うのだって、やり過ぎはいけないのである。
◆潜在意識
無意識とも言われ、心で意識出来ない心の深い層で、心と物質の世界を支配する。
心と潜在意識の通路の鍵は呼吸だ。
心から潜在意識に願いを伝える際は呼吸を止める。
具体的に言うと、息を吸って止め、願いを表明する。
願いの表明の仕方は、「結果」をイメージするか言葉で伝える。
言葉について述べると、病気を治したければ、心で穏やかに「治った」と言い、お金が欲しければ「豊かだ」と言い、大金が欲しければ「富」と言い、仕事で成功したければ「成功」と言う。
呼吸を止めていると、余計な感情が起こらないので、イメージや言葉がスムーズに潜在意識に伝わる。
◆霊
潜在意識に伝えても、願いが叶わないことがある。
霊的な宿命がある場合だ。
分かり易い例で言えば、前世で人を苦しませていると、マイナスの宿命を背負い、願いが叶わないことがある。これは、我々が思うより多いのではないかと思う。
また、特殊な使命を宿命として背負う場合もある。
前世の罪で宿命を背負った場合は、苦しみに耐えるしかない。
だが、霊的存在の助けを願うことも出来る。
必ず助けられるとは限らないが、全く助けられないこともないと思う。
そのためには、修行を行うが、修行の方法は様々だ。
お勧めするのは、真言、念仏、神仏の名、祝詞、祓詞、お経、般若心経の呪文といったものを唱えることだ(縁のあるものをやれば良い)。
どんな修行も、無心に淡々と、しかし、丁寧に行うのが良い。
真面目に修行する姿を神霊が認めれば手を貸してくれると思うが、神霊は本質では優しい。








願いが叶う祈り方の整理

ここで、願いを叶えるお祈りの仕方を簡単にまとめておく。
私も含め、普通の人は、難しいことを言われても出来ないし、習得に長期間、あるいは、習得や実践に毎日長時間かかるようなことをやっている暇はない。
これで完全に願いが叶うかどうかは分からないが、確実に良い流れになるし、状況は改善するのではと思う。

最大の基本は、これだけでもOKなのだが、「顔を上げて微笑む」ことだ。
これだけと言っても、やっている人は滅多にいないし、やろうと思っても忘れてしまって、滅多にやらない人が多い。
これだけで、大抵うまくいくのに、残念なことである。
一応、訓練と言うのもおかしいが、癖付けする方法としては、腕振り運動、スクワット、腕立て伏せ、四股、ジョギング、ウォーキング等、何でも運動をする時、うつむかずに顔を上げることである。
それで言えば、腹筋運動は、どうしてもうつむくことになるので、やらない方が良い。実際、アメリカの軍隊の中には、うつむいてしまうという理由で腹筋運動を禁止している部隊もあるらしい。
また、多くの格闘技では、「亀になる」といって、顎を引いてうつむいて戦う必要があるので、それが日常の癖にならないようにしなければならない。
顔を上げて腕振り運動をするのが一番だ。出来れば、やりながら微笑むと良い。

具体的な願いがある場合は、次の極めて簡単な方法がある。
(1)息を吸って止める。
(2)願いを思い浮かべ「成った」と心で言う。
(3)息を吐く。
(4)その後、一瞬でも良いから、願いのことを忘れる。
何度やっても良いが、すぐに繰り返してやらないこと。
(2)の「願いを思い浮かべ」は、具体的にクドクド考えないこと。
願いが分かっていれば、それで良いのである。
この祈り方を、私は「阿久悠方式」、あるいは、「静かで短い祈り」と呼んでいる。
大作詞家の阿久悠さんが、こんな祈り方で大ヒット曲を作っていたと自分で言われていたようだし、叶う祈り方は「静かで短い」のである。

普段は、自分の好きな真言や神仏の名を唱えたり、アファーメーションを唱えたり、「大丈夫」とか「ありがたい」という言葉を唱えると、願いはより早く大きく叶うと思う。
「神様の奇跡が起こる」「私は最高の気分だ」、あるいは、聖書の言葉(例:「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」)も良い。
自主的に、これらの言葉を、心の中で出来るだけ多く唱えると、確実に良い効果がある。
なぜなら、普通の人は、何も考えないでいると、脳は、ネガティブな言葉やイメージを次々につぶやいたり、思ったりすることが脳の研究で分かっており、放置する限り、運命を悪い方向に、そして、老化する方向に引っ張っていくからだ。
だから、凡人は、若い時の方が幸福で、歳を取るごとに惨めになるのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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