ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

頭の良さ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

進歩した宇宙人が我々より頭が良いわけではない

高度に進歩した宇宙人が登場するSF小説やSF映画を見ると、そんな宇宙人の頭は我々地球人の頭よりずっと優秀だと思ってしまうものだ。
例えば、地球人の平均IQ(知能指数)は100位だが、宇宙人は3000とか10万とかではないかとかね。
しかし、私は、仮に地球人よりずっと進歩した宇宙人がいたとしても、基本的な知的能力は地球人と変わらないんじゃないかと思う。
我々地球人だって、20万年前には現在の人間と同じ脳を持っていたが、チンパンジーと同じような生活をしていた。だが、3万年くらい前から、理由は不明だが、急に賢くなったらしい。
これは、3万年くらい前に、生き延びるために頭を使う必要が生じただけで、基本能力自体は20万年の間、変わっていないのかもしれない。
そして、人間はどんどん新しいものを発明するので、頭を使う機会が増えていき、結果、時代が進むほど人類の思考力が高まる加速度も大きくなるが、それでも、基本能力は変わってはおらず、3万年、あるいは、20万年前の赤ん坊を連れて来て現代人と同じように育てたら、知的にも現代人と同じになるのではないか?

哲学者ジェームズ・フリン(1934~2020)は、人類は時代が経過するほどIQが高くなり、我々と祖父母の世代ですら、明確に差があるという説は有名で、概ね世界で受け入れられているのだと思うが、我々は騙されているのではないか?
彼が示す論拠に、こういうものがある。
フリンは少年時代、人種問題について考えたそうだ(フリンの一家は白人)。
そこで、父親に、
「父さんが明日の朝、目が覚めたら黒人になっていたらどうする?」
と尋ねた。父親の答は、
「肌の色が変わった人間なんていない」
だった。
つまり、フリンは、上の世代の人間は、こんなふうに頭が悪いのだと言いたいわけで、当然、他にも、いくつかの例を示した。
ざっくり言えば、フリンは、上の世代は経験的にしか考えられないが、後の世代では、知らないことも抽象的に考えることが出来るから賢いと言っているのだが、言うまでもなく、それは、学校も含むが、生活する中での、思考能力の育て方の差でしかない。
つまり、別に、フリンはフリンの父親より、基本的能力で優るわけではない。
もし、フリンが「教育は大事だ」と主張するなら賛成するが、世代が進むと頭が良くなるというのは間違いである。
後の世代の方が前の世代より悪い教育(学校だけでなく、あらゆる意味で)を受ければ、後の世代の方が馬鹿になるのは明白だ。

では、頭の良し悪しを決めるのは何かというと、簡単に言えば、偏見とか固定観念がないことである。
そして、本当のことを言えば、偏見がなくなると頭が良くなるのではなく、偏見がないほど、潜在意識の高度な知性にアクセス出来るというだけのことなのである。
逆に言えば、偏見、固定観念・・・これらには、好き嫌い、主義、趣味、信仰、考え方の癖等といったものを含むが、それらが、潜在意識の高度な知性との間に壁を作るのである。
そして、さらに重要なことは、偏見がないと、潜在意識の知性だけでなく、潜在意識の巨大な力にも通じるということだ。
それにより、引き寄せの力も高くなる。
そもそもが、頭なんて、大したものではなく、優秀かどうかと言ったところで、ドングリの背比べ、五十歩百歩だ。
だから、偏見を無くし、潜在意識の巨大な知性や力に助けられることが大切なのである。
偏見を消し、宇宙人のようになるヒントを得られると思う書籍を下にご紹介するが、古典が多いのが、いろんな意味で面白い。








頭を良くする簡単な方法

天は人の上に人を作らずと言うが、現実的には、人間の能力には差があり、その中でも重要な頭の良さにも明確な差がある。
これもまた、現実の話として、公立の中学では、頭の良さが極端に違う者同士が、同じ教室、あるいは、隣の席にいたりする。
ただ、中学校では、頭が特に良い者にとっても、頭が悪い者が邪魔になることはあまりなく、その頭の良い者がよほど性格の悪い人間でない限り、頭が悪くて何ごとも上手く出来なくて困っている者がいたら、助けることが多いと思う。
高校や大学以上では、それほど極端に頭の良さに差がある者と関わることは少ないと思う。
だが、社会人になると、超大企業の場合は少ないかもしれないが、頭の良さがかなり異なる者が、同じ部署、あるいは、他の部署や取引先の関わり合う人間にいたりする。
そして、頭の良い者にとっては、頭の悪い者に足を引っ張られたりするうちに、頭が悪い者に嫌悪感を持つようになることがある。
ここらが、頭が悪い者がいても、利害関係があまりない中学の時と違うところだ。

自分のことは、とりあえず棚に上げるが、会社の中で、「こいつ本当に馬鹿だな」と思った人は確かに少なからずいる。
ただ、その者が本質的に・・・つまり、生まれつき頭が悪いのかというと、そんな場合もあるのかもしれないが、あまり多くないと思うのだ。
その理由は、「こいつ、頭が悪いな」とうんざりさせられるような者でも、何かの時に、妙に鋭かったり、物覚えが良かったりということがあって「あれっ」と驚くことがよくあったからだ。
「こいつ馬鹿だと思っていたけど、実は頭悪くないんじゃね?」
とか思うが、それでも、仕事で関わると、「アホにもほどがある」と思うのである。
だが、やはり、馬鹿に見えても、ほとんどの者は、本質ではかなり優秀なのだ。
それなのに、なぜ馬鹿なのかというと、家庭や学校で、頭を使えないように、あるいは、間違った頭の使い方をするように教育されているからとしか思えない。

有名な映画監督だった伊丹十三氏が、心理学者の岸田秀氏の本を読んだ時のこんな感想を語っていた。
「自分が、かぶせられた帽子を外されたカブトムシのように感じた」
つまり、自分の能力を封印していたものから解放されたということである。
まあ、誰もが、岸田氏の本を読んだらそうなるとは限らないが、我々は、学校やテレビなどで付けられた、能力の見えない手枷足枷を壊さなければならないことは確かだ。

その方法をクドクド説明せず、シンプルに言う。
1つは、仏・菩薩の真言を淡々となるべく多く唱える。例えば、観世音菩薩真言なら「オン、アロリキャ、ソワカ」だ。これを唱えると良い。有声、無声どちらでも良いが、無声をお勧めする。
1つは、少し温度が高い蒸しタオル(熱いと感じるほど温度が高くてもいけない。適度に絞った濡れタオルを1/6程度にたたみ、電子レンジで600W1分30秒加熱する)を、後頭部の下の方に5分当てる。
そして、プログラミングをやったことがなければ、Excel VBAか、Access VBAを練習して欲しい。マスターするごとに頭が良くなるから。
そうすれば、さらに良いことに、社員募集面接で「Exce VBA、滅茶苦茶出来ます」「Access VBA、滅茶苦茶出来ます」と言ったら、良い条件で採用されるだろう。頭が良くなっているので、仕事も出来るはずである。
尚、一応言っておくと、頭が良過ぎると、普通の職場では仕事がうまくいかず、辛いことになる可能性があるので、自分がそうだと思ったら、就職せず、個人事業をやることだ。








オタクが一般教養人より賢い理由

知恵と知識は違うという。
つまり、知識がいくら多くても、知恵があるかどうかとは関係ないと見なされていると思う。
ところが実際は、知識量と知恵には強い相関関係があり、知識が多い人は知恵があり、知恵がある人は知識も多い。
現実的に、IQ(知能指数)と知恵はかなり一致するが、教養テストをすれば、IQはほとんど正確に分かってしまうものらしい。

ただ、知恵と知識量が一致しない場合は確実にある。
つまり、知識が多いのに知恵がなくて賢くない・・・どころか、馬鹿な場合がある。
どんな場合かというと、その知識が、教科書やテレビに出てくる情報主体の場合だ。
逆に、教科書やテレビに出て来ない知識が豊富な人は、高確率で知恵がある。
なぜだろうか?
それは、
・自主的に得た知識が多い=知恵がある
・強制的に与えられた知識が多い=知恵がない、あるいは、馬鹿
だからである。
学校で勉強が出来た優等生で、テレビや新聞に載っていることはよく知っているが、教科書やテレビに出て来ないことは知らない者が、役立たずの馬鹿であることはご存じかもしれない。

言っては悪いが、こんな場面を見た。
2人の予備校講師が、喫茶店で会話をしていたが、日本史に関する話題で盛り上がり、まさに、口角泡を飛ばす(こうかくあわをとばす。激しく議論する様)感じであったが、何のことはない、教科書に書いてあることを言い合っているだけである。
2人とも40代と思われたが、そんな歳になって、教科書の話しか話題に出来ないのである。実際、他のこと・・・特に、教科書やテレビに絶対出て来ないようなことはあまり(実感的には全く)知らないことも確認した。
敢えて言えば、あくまで主観であるが、2人とも、明らかに愚かだった。
彼らは、予備校講師であったが、学校の教師にも多いタイプではないだろうか(大半がそうかもしれない)。
高校までの生徒達が接触する唯一の大人が、こんな連中なら、生徒達が賢くなるはずがない・・・いや、馬鹿ばかりになって当たり前だ。
さっきの予備校講師達は、日本史の講師であるのに、『古事記』を読んだことがないと言う。
『古事記』の中身は、教科書に載っておらず、学校の試験や受験に出て来ないからだ。

偏った知識・・・例えば、ゲームやアニメやSF、あるいは、オカルトに詳しくても、知恵がないと思われるかもしれないが、たとえ1分野でも、サブカルチャーに徹底して詳しい者には知恵者が多い。
だって、こんな知識、絶対に誰かから強制されて得たものではなく、個人的情熱から自主的に得たものだからだ。
そういったものに詳しい者を「オタク」と言う。
オタクは頭が良い場合が多い。少なくとも教科書馬鹿、テレビ馬鹿、マスコミ馬鹿よりはマシであろう。
ところで、さっき、ゲーム、アニメ、SF、オカルトなどと共に「宗教」を挙げなかった。
宗教の場合は、強制的に知識を持たされた場合が多く、そんな場合は、学校と同じで、知識があっても知恵がない。
だが、宗教の権威とか教団から「覚えろ」とは言われないような知識が豊富な者には、かなりの知恵者が多いのである。自主的に学んだからということと共に、そんな(権威的でない知識)中に良質の知識が多いからである。

教科書やマスコミ(あるいは他の権威)とは全く関りのない知識が豊富な者は、間違いなく知恵者である。
逆に、教科書やマスコミ(あるいは他の権威)からの知識にあまりに詳しかったり、さらには、そういったことしか知らないなら、間違いなく馬鹿である。
これは自信を持って断言出来る。








頭の良さの意外な真実

知識と知恵とは関係がないとよく言われる。
いや、ほとんどの場合、知識量と賢さは「かなり正確に」比例する。
野球好きやアイドル好きだって、好きな対象に関連した具体的なデータ(数字等)を詳しく言える人は、大抵、頭が良い。

では、学校の成績が良い者は、知識が多いのだから賢いかというと、昔はそうだった。
どういうことかというと、昔は、学校で何かを覚えたら、それに関連したことに詳しくなり、さらに知識が増えるような環境だったが、今の秀才は、教科書に書いてあることしか知らない。
つまり、今の学校は、試験の点数だけが大切で、教科書の知識以外は必要とせず(試験は教科書の中からしか出ない)、そのこともあって、教科書を実に面白くなく教えるので、そこから広がっていく要素がゼロなのである。
だから、昔より今の試験の方が難しいとしても、知識量は、昔の子の方の方がずっと多かった。
従って、かなり前から、学校秀才は頭が悪く、そんな学校秀才が将来なる、官僚や、政治家や、弁護士や、裁判官も、頭が悪いのである。
少し前、日本の司法の最高の立場にある人が、最悪の状況で賭け麻雀をして問題になり、辞めることになったが、これは、そのエリートの人間性の問題ではなく、単に頭が悪いのである。
で、そんなエリートが罰せられないのは、日本は既に民主国家でないという理由もあるが、法を絶対に守らないといけない立場の人に対しては、「誰でもやってることだから」という理屈が通らないことが本当に解らないほど、周囲の頭が悪いのである(本物の社会主義国家だって、まともな頭があれば、そんなのは厳罰に処せられる)。
そんな頭が悪い連中が政治をやっている弊害が、既に悲惨な状況を生んでいる。もう救いようがないほどだ。

まあ、あまり言わない方が良いのだろうが、アメリカの大統領選挙で、「毎日板チョコ10枚食べれば太る」レベルの、あまりに明らかな不正があっても、「不正などどこにもない」と言うのが通じるのは、もう、アメリカが建国の理念とかけ離れた共産主義国家になりつつあると共に、やっぱり、アメリカ人政治家も裁判官もFBIも頭が悪いのである。
そんなアメリカに正義を期待するのもどうかと思うが、そんなことを言っては、(もし存在するなら)地球を見守っている進歩した宇宙人に見放され、地球は辺境で朽ち果てる星になってしまうかもしれない。
だから、トランプさんが最後の希望だ・・・いや、マジで「最後の」である。

持って生まれた頭の良さというものは、さほどの差はないのである。
意外に思う人が多いと思うが、やっぱり、頭の良さは、知識とか語彙力で決まるのである。
「下らない知識では駄目」というなら、その通りだが、下らない知識とは実際のところは、「そこから広がりをい見せない知識」であり、知識が広がるような知識なら悪くはない。
例えば、グルメの知識にしたって、単に美味しいものを食べることにしか興味がなければ、確かに、広がる余地が少ない「下らない知識」でも、そこから、栄養学、色彩や形のアート、民俗学等・・・と広がっていくなら、素晴らしい知識なのである。
実際は、上の方の支配者にとっては(政治家なんて下の方だ)、民衆に下らない知識だけ持たせた方が都合が良いので、そのようにさせられているのである。

本を読むにしても、想いが広がっていく読み方をしなければならず、また、そんな本を選ばないといけない。
童話を読んだって、良い家庭の子供は、そこに書かれている細かいことに興味を持ち、それを知りたがり、手立てを与えれば、望む知識を得、どんどん賢くなる。
だから、子供の質問を面倒臭がるのは、子供の頭を駄目にすることなのである。
自分が賢くなくて答えられない場合(学校教師のほとんどがそうだが)、なんとか、ヒントだけでも探してやれると良いが、もはや、今の親や学校教師に出来る最善のことは、子供を自由にすることだけだ。
子供を、いろんな人がいるコミュニティーに参加させれば、自ずと賢くなっていくだろう。
尚、いくつになっても、知識や語彙を増やしていけば、確実に賢くなる。
そんな目的のために本を読むと良いのだと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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