今回は『老子』第55章である。
この章を一言で言えば「無理に頑張るな」である。

超人的武術家であった佐川幸義が「特訓なんかしない」と言っていたらしいことを思い出す。
確かに、佐川は90歳を過ぎても大変な量の訓練をしていたが、無理に頑張っていたわけではなく、楽々出来るようになっていたのだ。
ところが、日本に限らないが、根性で無理に頑張ることが称賛されることが多い。
だが、そんなこと(根性で頑張ること)は長続きしないし、ストレスがたまっていき、それでも無理して続ければ破綻する。
たとえ根性ではなくても、イケイケどんどんでやっていれば、笑顔で爽やかな汗を流し「努力なんかしていません。楽しいからやってるんです」なんて言ったところで、やっぱり破綻するのだ。
「新進気鋭の研究者」「新進気鋭の青年実業家」「新進気鋭の期待のホープ」などと言われたら、転落は目の前と見て良いだろう。

そこのところを、老子は「物壮則老」と4字で見事に言い表した。
まあ、本当は、最初の「物」は取って「壮則老」とすれば、第22章の「曲則全」とセットで、最大の教訓が得られるのだが。
「壮則老」とは、壮(勢いがあること)であれば、老(衰退に向かう)になるという意味だ。
勉強やスポーツで活躍しても、いつか必ず衰える。
イチローだってそうだったし、大谷翔平も、いつかは誰も見向きもしなくなる。しかも、それはすぐだ。
成長企業だって、今は良くても、いつかは駄目になる。
何百年も続く企業があるが、それは無理をせず、細々とやってきたところだ。

火星着陸船


AIアート
「火星着陸船」


私は、運動でも勉強でも、なんらかの訓練でも、「やらないよりマシ」でやることが肝心だと思っている。
腕立て伏せでも、ギリギリ30回出来る人が、その30回を毎日やっていたら、やがてストレスになり、腕立て伏せをやる時間が来ると憂うつになる。
それで、いつか、1回もやらなくなり、惨めに肥満する。
だが、無理なく出来るのが10回なら、毎日10回気楽にやれば、いつまでも、歳を取ってもやれる。

私は、運動なら、腕振り運動や、上で取り上げた佐川幸義が重視した佐川流四股という、ほとんど足踏みである運動をお奨めする。
これらなら、全然シンドくないばかりか、少し慣れると気持ちが良いので、ずっと・・・それこそ、死ぬまでやれる。
佐川幸義だって「四股を踏みながら死ねる」と言ったのだ。
また、私がやった感想では、これらは腕立て伏せやスクワットよりも、はるかに良い作用がある。

そして、神の無限の力を取り戻すには「私は誰か?」と自分に問う探求をすれば良いだけである。