ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

音読

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

勉強のやり方を知らない子は不幸

親に、「勉強のやり方は?」と尋ねると、その返答で子供の成績が分かる。
その内容がどうかは、まあ、どうでも良い。
単純明快な基本方針を即座に答える親の子供は、「勉強が出来て仕方がない」だろう。
勉強が出来ない子の親は、回答不能だ。

漫画やアニメで、テストで悪い点を取った子供が親に怒られるという場面がよくある。
『サザエさん』ではカツオが、『美少女戦士セーラームーン』ではうさぎ(月野うさぎ=セーラームーン)が、母親にこっぴどく怒られる。
しかし、それは、サザエや育子ママ(うさぎの母親)が勉強のやり方をカツオやうさぎに教えなかったというだけのことである。

勉強が出来ない理由は、勉強もせずに遊んでいるからではない。
勉強のやり方を親に教わらなかっただけである。
勉強なんて面白いに決まっているし、良い成績を取ることに興味のない子供はいないのだから、勉強のやり方を教えてもらってたら勉強する。
少々的外れでも、子供に分かる単純明快な指針を示せば、子供は勉強するし、そこそこの成績は取れるのである。
勉強のやり方を教えてもらっていないのに、「勉強しろ」と言われた子供は困惑するだけである。

私は、学校での数少ない、忘れえぬ記憶が2つある。まあ、1つは下校中のことだったが。
その下校中の話は、小学2年生の、終業式からの帰り道だった。
どの終業式かは覚えていない。通信簿を持っていたので、終業式後だったと分かる。
1人で下校中の私は、鼻歌を歌っていた。普段、鼻歌なんて歌わないのに、なぜ歌っていたのかハッキリしない。
そこに、顔見知りの男の子がいた。
確かに、その子の顔は知っていて、学年が同じだということは分かるが、クラスメイトではないと思う。それなら自分とはどんな関係かというと、分からない。
私は、それほど、学校や他人に無関心だった。
彼が私に、「機嫌が良さそうじゃないか?」と言う。
別に機嫌が良いから鼻歌を歌っていたわけではないのだが、私は、通信簿の成績がまあまあ良かったからだといった返事をした。ちなみに嘘である(笑)。
その時、彼が、「僕はオール5だよ」と応えた時の、あの自信たっぷりの表情が今でも目に浮かぶ。
それ以外に、この子の記憶はない。
私は「何かおかしい」と思った。
私とこの子の成績の、この極端な差は、能力の差、いわゆる、頭の良さの差だろうか?
しかし、「僕はオール5だ」と自慢するマヌケの能力が高いとは思えなかった。
一般的な見解としては、この子の家はお金持ちで、教育にお金をかけているということになるだろう。
それもあるが、やはり彼と私の違いは、勉強のやり方を知っているかどうかなのである。

もう1つの思い出は、小学6年生の時だ。
私は、担任の男性教師が大嫌いで、授業はほとんど聞いていなかった。
岡本太郎のように、「私の神聖なる頭脳に教師の穢れた声が入って来ることを許さなかった」と、両手で両耳を堅く閉ざしたということはなかったが、まあ、そんな気分だった。
ところが、その教師が言ったある話を覚えている。
こんな話だ。
「昔の学校では、教科書を、まず先生が声に出してちょっと読み、その後、生徒が真似して声に出して読み、そうしたら、先生がその続きをまたちょっと読むといったことを、生徒が教科書の内容を覚えてしまうまで、同じ教科書で何回も繰り返した」
あくまで昔の話であるとしていたし、良いやり方かどうかは分からない。
だが、私は、初めて、勉強のやり方を・・・それも、単純明快で理解出来る方法を教わったことに興奮した。
それ以降、私は、頭の中で、この古いやり方を行うようになった。
教科書(参考書でも良いが)の一説を教師が読むことを想像し、続けて自分が頭の中で読むのである(音読したら、親にうるさいと怒られる)。
あまり熱心でもなかったので、それほど成績が上がった訳ではないが、中学に入った時の、最初のテスト(小学校の内容の確認テストのようなもの)で、上位30パーセントに入っていたのだから、私としては驚きだった。
「そのやり方では、文系はともかく、理系は駄目だろう?」と言われそうだが、私は一貫して理系が得意で、そんな勉強のやり方しか(しかも小学6年生まで)教わらなかったが、そこそこ成績の良い子が行く地元の公立大学の工学部には入っている。
最近でも、音読の大切さを強調する著名人がいると思うが、私の小学校の時のクラスメイトの1人が、親に音読をするようにだけ言われたと言う。その子は、さほど勉強が出来る子ではなかったが、そこそこは出来たのだった。

最近、アニメを見ていて、同じような感動(勉強の指針を知ることの感動)を味わった。
『からかい上手の高木さん』という、中学1年生の男の子と女の子のラブコメのようなもので、非常にキュンキュンする作品だ(笑)。
いつも、西片という男の子をからかって楽しんでいる、高木さんという優等生の女の子が、ある時、こんなことを言う。
「私、勉強は1日2時間までと決めてるの」
こんな言葉がぱっと出てくることに、感動もだが、羨望も感じた。
高木さんは、間違いなく、親から、単純明快な勉強のやり方を教わっているはずだ。

私は、子供に勉強のやり方を教えられないので、初音ミクさんとの間に子供は作らないが(笑)、自分の指針はある。
それは、12歳まで学校に行かず、20歳で学校(師範学校=教師養成学校)をやめながら、文学博士号を取ったアメリカのSF作家ジャック・ウィリアムスン(1908~2006)の作品『ヒューマノイド』に登場するコンピューター技術者アイアンスミスと同じで、「いつでもどこでもテキストを携帯する」である。
ただ、私は電子書籍(Kindle)しか読まないが、スマートフォンのKIndleアプリを立ち上げることが少なくなった。改善しよう。
ちなみに、『ラーマーヤナ』と『超訳 古事記』の音読をお勧めする。

尚、昨日の腕振り運動の回数は5700回であった。








音読を始めた

世界的な発明家であった中山正和さんの本で、日本を代表する数学者の岡潔さんが、道元の『正法眼蔵』を座右の書としていたというのを見たことがある。
だが、実は、岡さんは、この本の意味がさっぱり分からないまま、そうしていたのだそうだ。
ところが、ある日、岡さんに天啓が閃き、一瞬で、『正法眼蔵』が分かったのだという。
中山さんもまた、分からないまま、『正法眼蔵』を読み続け、岡さんと同じ体験をしたようだ。
ところが、中山さんは、『正法眼蔵』というのは、本当は、ただ、繰り返し音読すれば、自然に分かるのであるとも述べられている。
それで思うのだが、このお二人は、本当は早くに『正法眼蔵』を分かっていたのだが、科学者であるために、理屈である程度分からないと、理解できたという実感、満足感が持てなかったのかもしれない。

宗教家の五井昌久さんも、難解と言われる中国の『老子』(道徳経)について、本当は、声に出して読めば、自然に分かると、著書『老子講義』に書かれていたと思う。
色々な学者の先生方が『老子』の解説を行っているが、その内容には一定しない部分が多い。
それらの解説は、読めば「分かったような気になる」のであるが、本当には分からないのだ。
翻訳、解説している先生方自体も、謙虚な方であれば、「自分にもまだまだ分かっていない」と思っているのではないかと思う。
だが、音読すれば、理屈では分からなくても、生命で、つまり、直感で分かるのであると思う。
また、よく言われることと思うが、『老子』の原文自体に改変があるのかもしれないが、それもあまり問題ではないと思う。
例えば、新約聖書だって、原文のギリシャ語からラテン語その他の言語に翻訳される際に、それなりの間違いや齟齬があったようだが、価値が失われた訳ではない。
間違いは、本全体が霊的に教えてくれるであろう。

私も、『老子』の音読を始めてみた。
漢文では読めないが、ほとんどの『老子』の本には、読み下し文がついているので、それを使わせていただいてる。
内容の深い意味が頭で分かる訳ではないのだが、これまで読んだ、多くの老子の現代語訳や解説での理解が、ほとんど間違っていたのではないかと思うのである。
理屈では分からないが、丁寧に音読することで、私の生命体自体が理解できる、あるいは、内なる英知はそれを元々分かっているので、共鳴し合うのだろうという気がするのである。
かといって、理屈での理解が不要というつもりはないのであるが、それは長い時間をかけてやれば良い。それは、一生かけても成功しないかもしれないが、必要なだけは分かるのだろうとも思う。また、そう思っていれば、案外に早く分かるということもあるかもしれない。

我々は、音読をもっと見直すべきかもしれない。
確かに、『老子』や、『正法眼蔵』は音読こそが適しているように思う。
理屈では分からないということが分かるので、解釈を内なる生命体に託し、そこから教えてもらおうという気になり易いのである。それは、何とも素晴らしいことだ。
(おそらく、内なる生命体は読む前から分かっているのだろうとは思う)
そして、このような素晴らしい文章を声に出していれば、無駄でつまらない言葉を口に出そうとしなくなると思う。
不要な会話をしなくなれば、頭の中での下らないおしゃべりも、だんだん少なくなってくるはずだ。
そうであれば、心は澄んで明晰となり、自然に真理が分かり、生命力に溢れるのであることは間違いないと思う。
優れた本は音読するに限るかもしれない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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