ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

静かな呼吸

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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静かな呼吸がもたらす驚異の効果

静かに呼吸をすることを憶えれば、魔法の指輪を得たも同然と思う。
最初は、さほどでもないかもしれないが、静かな呼吸を洗練させていけば、不可能はなくなり、思いのままになる。
それに纏わる話を1つしよう。

私が小学校5年生の時、IQ(知能指数)テストを受けさせられたことがあった。
他の学年やクラスのことは知らないが、私が居たクラスの全員がやらされた。
その後のことである。
本当に馬鹿な教師がいたものだが、担任教師が、教室に生徒が居る中で、生徒の机を使って、そのIQテストの採点をしていた。
一人一人の答案の答え合わせをし、IQがいくらかを書き込んでいた。
教師は隠す様子もなく、そこに居た生徒は、誰でもそれを見ることが出来た。
IQの意味を知らない子も多かったと思うが、私は、漫画の知識で、「IQが高いほど頭が良い」「平均のIQは100」「普通の人のIQは90から110」ということを、割とはっきり知っていた。IQに興味があったのだ。
それで私は、クラスメイト全員のIQを見ていた。
すると、驚くべきことに、成績とIQがピッタリ一致することに気付いた。
もちろん、クラスメイトの成績を正確に知っているはずがないが、そんなことは、雰囲気でほぼほぼ分かると思う。
成績優秀な子のIQは120以上で、極端に出来る子は130以上だった。
IQ90以下の子は成績が悪く、80以下となると、全く駄目な子だった。
面白いのは、IQ110から119の子は、取り立てて出来るわけではないが、授業中に指名されると、なんとか正解を答え、テストの点も地味に良いように思えた。
IQ100から109の子は、何かの理由で張り切っている時は、試験で特定の科目でなら、かなり良い成績を取るが、普段はぱっとしなかった。
印象的なのは、私が好きだった可愛い女の子がいたのだが、彼女のIQは95で、確かに、私の彼女に対する印象は「可愛いけど、あまり賢くない」で、授業中に指名されても、簡単な問題は答えられても、少し難しい問題は駄目だった。
成績に限らず、能力全般においても、IQでほとんど決まることをかなり確信した。

ところで、私は、その後気付いたのだが、IQが低い子は呼吸がせわしなくて呼吸の音も大きいが、IQが高い子の呼吸は静かで、特別にIQが高い子は、まるで呼吸をしていないようであった。
その後、中学、高校以降も、私はクラスメイトの呼吸に注意していたが、やはり、賢い子の呼吸は静かだった。
それで、私は呼吸を静かにしてみたら、以前は難しかった本が理解し易くなり、IQが高い子達から、明らかに一目置かれるようになった。
つまり、IQが高い人は呼吸が静かだが、逆に、呼吸を静かにすれば、まずは一時的にIQが上がり、それを習慣にすれば、IQは常態的に上がるのだと思われた。

長くなったので、いったんまとめるが、静かな呼吸がもたらす能力の向上はIQに止まらず、ほとんどのことに言えるのだと感じることがよくあった。
直観といった、高度で重要な能力や、さらに、引き寄せでもそうなのである。
静かな呼吸を洗練させることのメリットは大きなものだと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)エイリアン インタビュー(ローレンス・スペンサー)
(2)死と生の記録(佐藤幸治)
(3)超能力(関英男)
(4)心霊力(関英男)
(5)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ談、山尾三省訳)
(6)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)

ウィッチー
AIアート1277
「ウィッチー」
Kay

動物を観察する重要性

本当のことかどうか分からないが、合気道の超人的な達人であった塩田剛三は、7年の間、部屋の中で金魚を観察し続け、合気道の極意を得たという話がある。
また、先日も書いたが、仙道研究家の高藤総一郎氏の本で、塔の中に閉じ込められた少女が、傍らにいた亀の呼吸を真似ることで、数年の間、飲まず食わずで生き抜いたらしい。

人間の脳の中には、魚類の脳、爬虫類の脳、下等哺乳類の脳があり、それを人間の脳とも言える大脳皮質が覆っている。
アーサー・ケストラーは、そんな人間の脳の構造が、あまりに出来損ないと感じたようだが、そうではなく、あらゆる種類の脳が見事に同調して働くよう、見事に進化したのだ。
ただ、脳を最高に働かせるためには、大脳皮質が暴走しないようにしなければならない。
塩田剛三は、金魚を観察することで魚類の脳を活性化させ、大脳皮質の暴走を抑えたのだろうと思う。
確かに、より低い脳を活性化させることが効果があるが、やはり難しいのである。それで塩田剛三は7年もかかったのだろう。

我々も、魚類でも爬虫類でも良いが、下等動物の美しさをもっと観察した方が良い。
私は昔、ある邸宅に通っていたのだが、そこの客間にミドリガメが飼われていた。
ミドリガメは非常にリラックスしてのんびりしていたが、それをいつまで見ていても飽きないのである。
鯉が好きな人は、1日中でも眺めていられるらしく、そんな人には、芸術家や大事業家が多いらしいが、彼らも、鯉を観察することで魚類脳を活性化させているのである。
私の場合、ミドリガメという爬虫類を観察することで爬虫類の脳を活性化させたが、そんな時は、引き寄せの力とか、いろいろな超能力が磨かれた感じがし、確かに不思議なことがよく起こったのである。
おそらく、犬や猫(あるいは、その他の哺乳類)を観察しても、下等哺乳類の脳を活性化させ、生命エネルギーを高めることが出来る。

天女
AIアート212
「天女」
Kay


人間は、もっと動物と接しなければならない。
そして、虫や小動物を、意味もなくいじめたり、必要もなく危害を加えると、脳が健全に活動せず、能力も生命力も引き寄せの力も落ちると思う。
実際に動物と接する機会がない場合、空想の中で動物と接しても、かなり効果があるものである。
そして、人間以外の動物は、平時は非常にゆったとした呼吸をする。
そこで、特に呼吸に留意して動物を観察すると、静かな呼吸、微かな呼吸をするコツを自然に得られる。
いつも言う通り、人間は、呼吸を微かにすることで思考を消すごとに全知全能に近付く。
動物を観察することで、それを容易く成し遂げることが出来るのである。








静かな呼吸の威力

成功したり幸福になるためには、能力や常識、あるいは、心配りなどが必要だと言われる。
しかし、それらを含む一切は必要ない。
こう言うと、
「いやいや、ひょっとしたらあまり多くは必要ないかもしれないが、最低限は必要でしょ?」
と言う人が圧倒的だろうが、やはり必要ない。
私だって、それらに著しく欠けていたために失敗や苦労はあったが、もっと大事なものがあるのである。
それは正しい呼吸で、正しい呼吸とは静かな呼吸だ。
必要なものはその1つだ。
そして、それがありさえすれば、能力や常識や心配りなどは自然に備わるし、見せかけの卑しい心配りや権威に従うだけの常識ではなく、むしろ、それらに反する場合も多い本物の常識や心配りが備わるのである。

心(=思考)と呼吸は密接に関連しており、心が静かだと呼吸も静かであるし、呼吸が静かだと心も静かだ。
そして、意図的に心を静かにすることは難しいし、状況によってはほとんど不可能だが、呼吸は自由に制御出来るので、心を静かにしたければ呼吸を静かにすれば良い。
ただし、一瞬だけ心を静かにしても益は少ないので、常に心が静かでなければならず、そのために、常に呼吸を静かにしなければならない。
それは、それほど難しいことではないが、誰もそれをやらず、心と呼吸を放置して暴走させているのである。

また、出典はいろいろなところにあるし、それぞれでニュアンスが異なるので煩雑だから省くが、ごく簡単に言えば、空気中には、ヨガで言うプラーナ、気功で言う気(氣)、関英男博士が言っていた幽子、サイ粒子、グラヴィトン粒子などと呼ばれるものがあり、それらが生命体に入ることで神秘的な力を発揮する。
それら(気やプラーナ等)を幽子(ゆうし)という言葉で代表させると、幽子は吸気(吸う息)と共に身体に入るが、大部分は呼気(吐く息)と共に出ていってしまう。
だが、静かに息を吐くほど多くの幽子が体内に残る。
幽子は、肉体を若返らせ、脳も活性化させる。
関英男博士は、腕振り運動でも幽子を体内に取り込めると言ったが、これはあくまで想像である。
確かに、幽子自体も想像というか仮設ではあるが、ヨーガや気功、その他の秘教の研究などでの一致により、かなり信頼性があると思える。
これも含め、静かな呼吸をすることにはメリットが大きい。

子供の遊び場
AIアート211
「子供の遊び場」
Kay


ただし、静かな呼吸の最大の意義は、やはり思考(=心)を消すことである。
人間は思考を消すことで全知全能の神のようなものになる。
これは昔から「無になれば不可能はない」と言われていたことで、世界中の本物の賢者聖者が断言していたことである。

1つの考え方と言えばそうだが、上のことを最大限肯定的に捉えれば、人間の仕事は静かな呼吸をすることだけである。
その他のことは自動で起こる。
だから、ラマナ・マハルシは「その事業家は大きな事業を成しつつあるが、彼は何もしていない」「財務長官は最大の注意と責任感を持って職務を遂行するが実は何もしていない」と言ったのである。








いつまでも20歳の身体でいることは難しくない

Amazonプライムビデオで、昔の『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』を見ると、中には深い内容もあるのだろうが、全体としては子供向けで、見ごたえがない。
たとえば、宇宙人なんてのは、我々と全然違う文化を持っているので、本来、全く不可解で理解不能なはずが、これらのドラマでは、あまりに分かり易過ぎる。
ただ、『ウルトラマン』より前の、スーパーヒーローが登場しないSF特撮ドラマ『ウルトラQ』は、特に終わりの方は、なかなか面白いものが多かった。
今朝の朝日新聞の天声人語で、『ウルトラQ』の『2020年の挑戦』の回が名作だと熱く語っていたので、興味を引かれて観てみた。
粗筋は、進化した宇宙人は、人工臓器や人工血液で長命になっているが、天然部分も必要で、それが不足してきたから、若い地球人の肉体を狙ってきたというものだ。

ところで、『ウルトラQ』のような1960年代の、そして、『月光仮面』のような1950年代のドラマに出演している、その時は若かった俳優達も、今では70代、80代以上、そして、既に亡くなっている人も少なくない。
あの時、若くはつらつとして、格好良かったり、美しかったりした人達も、今や見る影もないというのがほとんどだろう。

しかし、身体は、70代、80代になっても、20歳の時のままでいて欲しいと思う。
そして、それは可能だと思うのだ。
イタリアのファッションデザイナーで、アルマーニブランドの創立者ジョルジオ・アルマーニは、83歳の今は、やや顔は老けたが、今も現役CEOだ。70代の頃の彼は、毎日肉体トレーニングをし、エネルギッシュで、老人らしさは全くなかった。
『武道の力』という本で見たが、明治時代の剣道全日本剣道選手権では、ベスト4などの上位進出は30代では極めて難しく、少なくとも40代以上で、60代も珍しくはなかったそうだ。
しかも、剣道では、若い方が有利な部分は多いはずなので、一般的な範囲で、40代や50代で衰えるはずがない。
イチローも40代に入って、徐々に成績は落ちていったが、本人が、「少しも衰えていない」と言うのは、野球という特殊な世界ではともかく、日常で衰えをまるで感じないからだろうし、実際、少々の10代や20代では彼の足元にも及ばない。彼は、今でもフル出場すれば、200本安打は可能と言っているようだ。

本当は、そんな例をいちいち取り上げる必要はない。
老化は単に観念で起こるのだと思う。
つまり、20歳くらいから体力が落ち、30歳を過ぎると急速に衰える・・・なんて思っているから、実際にそうなるのである。
私も、世間的に言えば「いい年」なのかもしれないが、毎日トレーニングしているので、体力は向上するだけで落ちることはないし、実際、高校生や20歳の時よりずっと強い。
トレーニングといっても、一般のジムでやるような、一定の部分を不自然に鍛えるといったものや、口を空けて歩いたり走ったりするものでは、老化はするし、身体を損なうだろう。
良いトレーニングのためには、特別な場所も器具も必要ない。
そして、私は、最近、よほどの時以外は口で呼吸せず、鼻で呼吸することを覚え、しかも、出来るだけ静かな呼吸をすることで、さらに肉体は強くなっていっている。

身体も頭も、ゆるんでしまっていると、確かに20歳には衰えていき、その後は、加速度的に老化する。
しかし、必要なだけ自己制約し、適度に鍛えるなら、少なくとも、70歳や80歳で老化することはないと思う。
そして、そのハードルは決して高くはない。
無論、ゆるんでしまっている人からすれば、厳し過ぎるように感じるかもしれないが、徐々に慣れれば、誰にでも出来るはずである。

一番大切なのは、気持ち、即ち、精神だ。
精神が老化し、硬化していれば、心や身体を発達させるようなことは何も出来ない。
初音ミクさんを好きになって崇めれば大丈夫であるが、それが出来ない人が多く、やっぱり普通の人達は老人になるのである。









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20文字以内の教えだけ有効

浄土宗や浄土真宗では、釈迦は、自分が説いた全ての教えを「もう不要」と言い、「南無阿弥陀仏」と称える念仏だけで良いとしたと教える。
本当に釈迦がそう言ったのかというと、多分、それはないだろうし、仏教の他宗派でも、そんなこと(釈迦が念仏だけを残した)は絶対ないと言うだろうが、私は、もし、釈迦が本当に「念仏だけで良い」と言ったのだとしたら、釈迦はやはり偉いなあと思うのだ。

クリスチャンに、「キリストは何を教えたのか?」と尋ねたら、「長い返事」「難しい返事」「曖昧な返事」などが返ってくる。
中には、「信仰に励まねば分からぬ」などと言う者がいるかもしれない。
しかしだね、皆、そんなに暇じゃないのだ。
日々の心配事や、人生の計画や娯楽などといったことで、いっぱいいっぱいで、聖者の教えや宗教などに、そんなにかまってられないのだ。
中村天風の教えなんかに付き合っていたら、人生がいくつあっても足りない。
そこにいくと、「釈迦の教えは?」、「南無阿弥陀仏の念仏を称えよだ」と言われたら、「あい分かった」となり、やるかやらないかを決めるために、「じゃあ、それの何が良いか、ちょっくら教えてくれねえか」ということになる。
だが、浄土宗も浄土真宗も、そこはさっぱり駄目なのだ。
ところが、親鸞の弟子の唯円が、『歎異抄』という、短くて実に分かり易い良いものを残してくれている。

法然は、死の2日前に、自ら筆を取って、遺言とも言える最後の教えを書いた。
それが『一枚起請文』(いちまいきしょうもん)なのだが、これもちょっとなと思う。
「死の直前にこんなの書けるなんて凄い」と言われるが、「凄い」なら駄目なんだよ。
つまり、難し過ぎるのだ。
そもそも出だしが、
「唐土(もろこし)我朝(わがちょう)にもろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。」
で、それが300~400文字続くのである。
もう勘弁して・・・^^;
まあ、法然は、あくまで、これを僧侶のために残したと考えれば悪くはない。それどころか、とても良いだろう。
だが、愚民相手には、法然はついでに、「わしゃ、念仏を称えること以外は一切やらなかったよ。あんたがたも是非そうしなさい。君い、抜群に良いよ」とでも書き残してくれれば良かったのにと思う。
(「君い、抜群に良いよ」は、岡本太郎が青島幸男に、「先生、独身ってどうですか?」と聞かれた時の返事。太郎は、生涯独身だった)

倶胝の寺の小坊主は、「君の寺の和尚さんの教えは?」と問われて、倶胝がいつもやるように指を1本立てたら、倶胝に、その指を切り落とされてしまった(あくまで禅の公案の話で、実話ではない)。
だが、小坊主は正しかった。
この公案の意味を、偉い先生は複雑に解説するが、私は、倶胝は単に、小坊主に、合格証書、免許皆伝を与えただけと思う。
「はい、合格じゃ」ってね。

私は、ただ自分に、「鼻から微かに呼吸しろ」とだけ言っている。
他は全て忘れて差し支えない。
親鸞の念仏も、倶胝の一指禅も不要だ(面白いから覚えているが・・・)。
だって、念仏だろうが、一指禅だろうが、聖書だろうが、バガヴァッド・ギーターだろうが、その他のどんな教えだろうが、口で呼吸している限り意味はないからである。
一般的には、「鼻で呼吸しろ」で十分だし、「鼻で静かに呼吸しろ」で初段である。
後は、呼吸が微かになる度に段位が上がり、呼吸がなくなれば解脱し、10段というか、神仙、天使、初音ミクさんになるのである。
20曲も踊りながら歌っても、全く息を乱さず、静かに、「ありがとう」と言う初音ミクさんを敬うだけである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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