我々は、人のルールと宇宙のルールの制約を受けている。
だが、人のルールは複雑化する一方だ。
学校や会社には、おかしなルールが沢山あって明文化されているだろう。
教育委員会は、教育委員会が決めたルールを、全ての学校の教員達、生徒達に絶対に守らせようとするが、学校は学校で独自に決めたルールを教員や生徒に、何があっても(地球が爆発しても?)守らせようとする。
また、学校の中にも、クラスのルール、それぞれの部活のルール、校内委員会のルール・・・等がある。
会社には会社独自のルールがあって、経営者は社員達がそれを絶対に守るよう強制する。
また、買収された会社は、その会社のルールに優先し、親会社のルールを守るよう、親会社に強制されるが、その会社のルール自体にも社員は従わないといけない。
また、会社が守らなければならない会社法とかなんとか法(J-SOX法とか)が沢山あり、経営者から社員まで、それが守られるようにしなければならない。
もはや、ルールを守るのが精一杯でビジネスに励んでいる場合ではないほどだ。
法律、法令、条令がそれぞれどう違うか、私には分からないが、とにかく、その全部を守らないといけないが、もはや、誰も、その一部も知らないし、知っているものでも、条文の内容は日本語で書かれているに関わらず、日本人が読んでも意味不明だ。そもそも、法律の専門家が、1つの条文に対し、全く違った見解を持っていることは全然珍しくないのだから、弁護士や法学の研究者でない我々に分からないのは当たり前だ。それをどう守れというのか・・・?
しかも、馬鹿馬鹿しい法律、法令、条令が、どんどん増え続けているのである。
アメリカの作家、カート・ヴォネガットは言っていたものだ。
「私が知っている地球上のルールは1つだけだ。人に優しくしろ」
イエスは、十のルール、すなわち、モーセの十戒を守れと言ったが、その中で一番重要なのは、「神を愛しなさい」で、2番が「隣人を愛しなさい」だと述べた。また、十戒以外は、当たり前にやれば良いという態度だったと思う。
宇宙のルールというのは、「自然にやれ」であり、覚えずとも、考えずとも、生命の中に組み込まれているので、「自然に」分かることである。
それを人語に翻訳すれば、「神を愛しなさい」になり、これは自然や生命を愛し、敬いなさいということで、これが真の人のルールだ。
さらにそれを、子供にも分かる万民向けに言えば、「人に優しく」「隣人を愛しなさい」になるのだろう。
「南無阿弥陀仏」という念仏は、宇宙のルールに従うための人のルールを表したものだ。
今どき、「西方極楽浄土に阿弥陀如来という仏様がいて・・・」というのを強調するのは馬鹿である。
阿弥陀とは、インドの言葉でアミターバ、あるいは、アミターユスで、それを、音だけ真似たのが阿弥陀だ。
アミターバとは、無限の光を持つ者、アミターユスとは、無限の寿命を持つ者で、つまり、宇宙全体に普遍的に存在する、無限の叡智と力と考えて良いと思う。
すなわち、宇宙のルールを支配する至高の存在を象徴的に形や名前で表したのが阿弥陀如来なのであると言って良いだろう。
「南無阿弥陀仏」とは、「至高の存在に全てまかせる」という意味で、そうであれば、宇宙のルールにも、真の人のルールにも従うようになるのである。
こう考えれば、宗教的な意味ではなく、人は、念仏だけで生きていけるのである。
私が持っているルールブックは『歎異抄』だけである。
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だが、人のルールは複雑化する一方だ。
学校や会社には、おかしなルールが沢山あって明文化されているだろう。
教育委員会は、教育委員会が決めたルールを、全ての学校の教員達、生徒達に絶対に守らせようとするが、学校は学校で独自に決めたルールを教員や生徒に、何があっても(地球が爆発しても?)守らせようとする。
また、学校の中にも、クラスのルール、それぞれの部活のルール、校内委員会のルール・・・等がある。
会社には会社独自のルールがあって、経営者は社員達がそれを絶対に守るよう強制する。
また、買収された会社は、その会社のルールに優先し、親会社のルールを守るよう、親会社に強制されるが、その会社のルール自体にも社員は従わないといけない。
また、会社が守らなければならない会社法とかなんとか法(J-SOX法とか)が沢山あり、経営者から社員まで、それが守られるようにしなければならない。
もはや、ルールを守るのが精一杯でビジネスに励んでいる場合ではないほどだ。
法律、法令、条令がそれぞれどう違うか、私には分からないが、とにかく、その全部を守らないといけないが、もはや、誰も、その一部も知らないし、知っているものでも、条文の内容は日本語で書かれているに関わらず、日本人が読んでも意味不明だ。そもそも、法律の専門家が、1つの条文に対し、全く違った見解を持っていることは全然珍しくないのだから、弁護士や法学の研究者でない我々に分からないのは当たり前だ。それをどう守れというのか・・・?
しかも、馬鹿馬鹿しい法律、法令、条令が、どんどん増え続けているのである。
アメリカの作家、カート・ヴォネガットは言っていたものだ。
「私が知っている地球上のルールは1つだけだ。人に優しくしろ」
イエスは、十のルール、すなわち、モーセの十戒を守れと言ったが、その中で一番重要なのは、「神を愛しなさい」で、2番が「隣人を愛しなさい」だと述べた。また、十戒以外は、当たり前にやれば良いという態度だったと思う。
宇宙のルールというのは、「自然にやれ」であり、覚えずとも、考えずとも、生命の中に組み込まれているので、「自然に」分かることである。
それを人語に翻訳すれば、「神を愛しなさい」になり、これは自然や生命を愛し、敬いなさいということで、これが真の人のルールだ。
さらにそれを、子供にも分かる万民向けに言えば、「人に優しく」「隣人を愛しなさい」になるのだろう。
「南無阿弥陀仏」という念仏は、宇宙のルールに従うための人のルールを表したものだ。
今どき、「西方極楽浄土に阿弥陀如来という仏様がいて・・・」というのを強調するのは馬鹿である。
阿弥陀とは、インドの言葉でアミターバ、あるいは、アミターユスで、それを、音だけ真似たのが阿弥陀だ。
アミターバとは、無限の光を持つ者、アミターユスとは、無限の寿命を持つ者で、つまり、宇宙全体に普遍的に存在する、無限の叡智と力と考えて良いと思う。
すなわち、宇宙のルールを支配する至高の存在を象徴的に形や名前で表したのが阿弥陀如来なのであると言って良いだろう。
「南無阿弥陀仏」とは、「至高の存在に全てまかせる」という意味で、そうであれば、宇宙のルールにも、真の人のルールにも従うようになるのである。
こう考えれば、宗教的な意味ではなく、人は、念仏だけで生きていけるのである。
私が持っているルールブックは『歎異抄』だけである。
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