ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

道綽

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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念仏、祝詞は時空を超える

中国浄土宗の僧であった道綽(どうしゃく。562-645)は1日7万遍、念仏を唱えたといわれている。
そして、我が国の浄土宗の開祖とされる法然は念仏を1日6万遍、後には、やはり7万遍唱えたと伝えられている。
しかも、彼らは暇ではなく、極めて多忙であったはずである。
昨日も書いたが、私は休みの日に、できるだけ多く念仏を称えてみたが、8千遍止まりだった。時間の問題というよりは、やはり、疲れも感じる。おかげで夜は安眠できたのであるが。
このように、自分でやってみると、6万遍とか7万遍はやはりとてつもない数だと実感できる。
しかも、それは毎日、1日も欠かさずであったはずである。

ところで私は、数年前、神道の代表的な祝詞(のりと)である大祓詞(おおはらえのことば)を3ヶ月ほどで5千本上げたことがあった。
休日は1日100本から120本上げた。
120本上げるのには、詠んでいる時間だけで7時間要した。1本上げるには3分はかかる。
ところが、江戸末期の神道家、黒住宗忠は、修行時代、3ヶ月の間、22日で17350本、30日で19740本、22日で9510本といった数字を残しているらしい。
最初の月では、1日平均789回。
仮に1日20時間ぶっ続けで上げたとしても、1本に91秒。
凄いというより、普通には絶対にあり得ない。
しかし、宗忠の他のことを考えると、嘘とは思えない。
宗忠は、実際にそれをやったのだと思う。

道綽も法然も黒住宗忠も、普通の人間ではないと思える。
超人と言うか、まさに、生き仏、神人であろう。
彼らは、物理的な時空を超えていたのである。
実際、宗忠が毎日お参りをした社(やしろ)と、それをした時間を計算したら、現在の最高のマラソンランナーでも不可能な時間で成し遂げているらしい。
もちろん、30歳もとおに超えていた宗忠が超人的マラソンマンであったのではなく、神的な力で時空を超えてしまっていたのだろう。
宗忠は比較的最近の人で、しっかりとした記録も残っているようだが、イエスにも匹敵、あるいは、それを凌駕するような逸話も数多いようだ。

大祓詞は、どこか、あまりに畏れ多いところがあって、こんなことは言えないのだが、念仏であれば、3つの意味があると私は思う。
1つは修行、1つは善行為、1つは趣味だ。
しかも、最良の修行、最高の善、そして、実に好ましい趣味だ。
数取器をカチカチ押しながら念仏を唱えるのは、実に楽しいものだと思った。
宗派は違えども、一休は法然を尊敬し、本物の菩薩だと言っていた。
その理由は、誰よりも・・・というより超人的なほどの学問を積み、驚異的な知恵があった法然が、文字も読めない衆生と同じになって、ひたすら念仏を称えたからだ。
実際、法然は、自分のような愚かな凡夫は念仏を称える以外、何もできないので、ただ念仏を称えたと言明している。
念仏に何の意味があるのかは、理屈では決して分からない。
趣味でいいから称えてみると、何かを直観で感じるかもしれない。
念仏は私の最高の趣味である。









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力の究極の秘法

あなたが、非常に危険な場所に行くことになったとして、護身用に拳銃を持たされても何の役にも立たないだろう。むしろ、持たない方が良い。なぜ役に立たないかというと、慣れてないからだ。つまり、普段から使ってなきゃ、駄目なんだ。たとえ、しっかり訓練を受けたところで、日頃から馴染んでいなければ、拳銃は、持っていても何の意味もないものだ。
携帯電話やスマートフォンなんてのがそうだろう?普段から使い込んでこそ、大いに役に立つのだ。今でもあると思うが、「パソコン教室」なんてものに行っても、パソコンが使えるようになる訳じゃない。とにかく、何かしたくて触りまくる者が上手く使えるようになるのだろう?
何事も同じだ。
サッカーの強い国のサッカー選手は、子供の頃から、サッカーボールに馴染んでいるのだ。良い指導者は、「子供の頃から、とにかくボールに親しめ」って言うんだ。
良い野球選手になりたければ、ボールやバットを手放さないことだ。
日本の剣豪No.1は宮本武蔵だろうと言う人は多い。それが本当かどうかは確かめようもないが、とにかく彼が強かったのは確かだ。だが、彼は、真剣勝負も強かっただろうが、むしろ、木刀で強かったと思う。佐々木小次郎を倒したのも、舟の櫂(かい)で作った木刀だった。武蔵がそれで勝てたのも、普段から、木刀に馴染んでいたからだ。実は、武蔵が肌身離さなかったのは、刀ではなく、木刀だった。武蔵は、常に、大勢の敵に襲われることを想定して暮らしていた。それで、風呂に入る時でも、木刀を持っていた。刀を持って風呂には入れないし、それに、特に、多人数相手では、真剣より木刀の方が機動力がある。軽いし、切るよりぶっ叩く方が効率的なのだ。そして、武蔵は、木刀の柄の底に近い部分に穴を開け、そこに紐を通していた。戦う時は、必ず、その紐に手を通していた。木刀を落としてしまうことが無いようにだ。武蔵は、そこまで木刀を頼り、一体化していたのだ。

あなたも、力を持ちたければ、武蔵と同じようにするのだ。
ある、ごく若いコンピュータプログラミングの名人は、常に、カーニハンの『プログラミング言語C』を持ち歩いていた。読まなくても、持ってるだけで本から力が伝わってくるのだ。
聖書や他の聖典でも、常に手放さずにいると不思議なことが起こるものだ。
天才画家のサルバドル・ダリは、ある木片をいつも肌身離さなかった。そして、それを見失うとパニックになった。しかし、彼を笑うことは出来ない。その木片は、ダリのアミュレット(お守り)で、ダリに芸術の霊感を授けていたのである。
物といった形のあるものばかりが力になるのではない。中国の道綽(どうしゃく)は1日7万回、法然は6万回、念仏を唱えたという。念仏とは、「ナムアミダブツ」を唱えることだ。あまり言われないが、彼らの前では、奇跡はありふれていたと思う。

20世紀の初め頃、ロンドンに、L.H.ロースンという人物を尋ねた男の話だ。彼らが見ている前で、馬が引いていた荷車が倒れ、積荷の岩が、1人の男の上にもろに落下した。その時、ロースンは、「神の他に何もない。ただ神あるのみ」と言った。すると、下敷きになったはずの男は、全くの無傷で出てきた。ロースンは、その後、第一次世界大戦に参加し、百人の兵を率いて戦ったが、全員を連れ帰ったのだった。彼は、「神の他に何もない。ただ神あるのみ」の言葉を常に想い、完全な信念になっていたのだ。
谷口雅春さんの書かれた『甘露の法雨』を持っていた人は、戦争中、家があった村で激しい戦闘があり、周囲の家は破壊されたが、その人の家は窓ガラス1枚割れなかったという。その本の霊力も素晴らしいのだろうが、やはり、その本を常に身近にしていたということが重要なのではあるまいか?
ジョセフ・マーフィーの本を読んで成功したり、お金持ちになったという人は、本をよく理解したとかより、その本を常に手元に置いていたり、暗記するほど読んだって人なのだ。読んだ方が、ただ持っているより良いのかというと、基本的にはそうだろうが、あまり欲望を燃やして読むよりは、持っているだけの方が良い場合もある。もっとも、欲望だけで暗記するほどは読めないものだ。ある超人的賢者は『ローム太霊講和集』をとじ糸が取れてボロボロになるまで読んだというし、高額納税者が公表されていた頃は、ずっと上位に名があったあるビジネスマンは『論語』を千回読み、そのお弟子さんは、ジョセフ・マーフィーの『眠りながら成功する』を千回読んだという。
とりあえずは、ものから入るのも手と思う。あなたにも、常に手元に置きたいお気に入りがあるはずだ。ならば、本気でいつも手元に置くと良い。ただし、それに頼るのではなく、協力して世界を動かす気でないと駄目だ。それは、後世に、偉人が生涯手放さなかったものとして、語られることになるだろう。

























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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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