道元は、『正法眼蔵』の「現成公案」で、
仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証しょうせらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
と述べているが、これを理屈で超難しく解釈・解説する先生が多い。
簡単に言えば、「ただ目を覚ましていなさい」ということだ。
仏教に限らず、究極の極意は「無になれば不可能はない」ということで、無になるとは、思考を消すことである。
だが、眠っていたり、失神状態で思考が消えているのでは駄目で、思考を消しつつ目が覚めていなければならない。
このことを、「純粋な気付き」と言う聖者もいる。
また、普通の人間のことを、「目を覚ましているのに眠りこけている」と言う賢者は多いが、確かに、賢者のことを「覚者」と言う。
つまり、普通の言い方をすれば、「目を覚ましていつつ、思考を消せ」ということだ。
これを、「ただ目を覚ましている」と言うのだ。
大切なことは、どうすれば「ただ目を覚ましている」「目を覚ましていつつ、思考を消す」ことが出来るかだ。
いや、実は方法は無限にある。
あらゆる分野の達人達は、その方法を体得しており、それを独特の言葉で言うこともある。
たとえば、宮本武蔵なら、「目玉を動かさず左右の敵を見よ」である。
前を見つつ、左右を見ると、思考が消えるのである。別に敵と戦わなくても出来ることだ。
岡田虎二郎や中村天風は、それぞれ「常に腹に力を込めよ」「常に肛門を引き締めよ」と言ったが、やはり、目の前を意識しつつ、腹に力を入れたり、肛門を引き締めると思考が消えるのである。
「倶胝竪指(ぐていじゅし)」という禅のお話がある。
倶胝という僧は、何を相談されても指を1本立てた。
そして、死ぬ時、「先生に教わった一本指の禅を一生で使い切れなかった」と言った。
私には、「もっと使いたかったなあ」という、別に後悔ではなく、「使えないものだなあ」という想いに感じる。
目の前を意識しつつ・・・倶胝の場合、相談を受けつつ、指を一本立てると思考が消え、解決策も浮かぶのだ。
もちろん、誰でも同じで、目の前のことに意識を向けつつ、指を立てると、思考が消える。
別に、倶胝は、相談者に指を立てることを答として示したわけではない。
指を立てると、良い解決法が浮かぶ、あるいは、解決するからそうしたのだ。
尚、人差し指1本を立てるより、人差し指と中指の2本を同時に立てた方が効果的と言う者も多く、西洋の宗教では、指を2本立てることが多い。
ちなみに、トランプ大統領は親指と人差し指で輪を作るが、そうしている仏像は多い。
弥勒菩薩には、薬指と親指で輪を作っている有名な仏像がある。これ、すごく効果的である。さすが弥勒(笑)。
だが、大事なことは、目の前のことに意識を向けつつ、思考を消すことだ。
ユーベルは、なーんも考えず、それでもゼンゼには意識を向けていたから、実力ではるかに上回るゼンゼを切ってしまえたのだ。
それでユーベルは言ったのだ。「みんな、頭を使い過ぎるんだよ」。
これを宮本武蔵は、左右を見ながら目の前の敵を見ることでやったのだ。
武蔵とユーベルの決闘を是非見たいものだ(笑)。
頭の中空っぽにして
目の前だけ見つめるの
~『Satisfaction』(作詞・作曲・編曲:livetune(kz)。唄:初音ミク)より~
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)正法眼蔵(禅文化学院)
(2)真説 宮本武蔵(司馬遼太郎)
(3)宮本武蔵「五輪書」
(4)葬送のフリーレン ※Amazon Prime Video

AIアート1596
「やわ肌の熱き血潮」
Kay
仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証しょうせらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
と述べているが、これを理屈で超難しく解釈・解説する先生が多い。
簡単に言えば、「ただ目を覚ましていなさい」ということだ。
仏教に限らず、究極の極意は「無になれば不可能はない」ということで、無になるとは、思考を消すことである。
だが、眠っていたり、失神状態で思考が消えているのでは駄目で、思考を消しつつ目が覚めていなければならない。
このことを、「純粋な気付き」と言う聖者もいる。
また、普通の人間のことを、「目を覚ましているのに眠りこけている」と言う賢者は多いが、確かに、賢者のことを「覚者」と言う。
つまり、普通の言い方をすれば、「目を覚ましていつつ、思考を消せ」ということだ。
これを、「ただ目を覚ましている」と言うのだ。
大切なことは、どうすれば「ただ目を覚ましている」「目を覚ましていつつ、思考を消す」ことが出来るかだ。
いや、実は方法は無限にある。
あらゆる分野の達人達は、その方法を体得しており、それを独特の言葉で言うこともある。
たとえば、宮本武蔵なら、「目玉を動かさず左右の敵を見よ」である。
前を見つつ、左右を見ると、思考が消えるのである。別に敵と戦わなくても出来ることだ。
岡田虎二郎や中村天風は、それぞれ「常に腹に力を込めよ」「常に肛門を引き締めよ」と言ったが、やはり、目の前を意識しつつ、腹に力を入れたり、肛門を引き締めると思考が消えるのである。
「倶胝竪指(ぐていじゅし)」という禅のお話がある。
倶胝という僧は、何を相談されても指を1本立てた。
そして、死ぬ時、「先生に教わった一本指の禅を一生で使い切れなかった」と言った。
私には、「もっと使いたかったなあ」という、別に後悔ではなく、「使えないものだなあ」という想いに感じる。
目の前を意識しつつ・・・倶胝の場合、相談を受けつつ、指を一本立てると思考が消え、解決策も浮かぶのだ。
もちろん、誰でも同じで、目の前のことに意識を向けつつ、指を立てると、思考が消える。
別に、倶胝は、相談者に指を立てることを答として示したわけではない。
指を立てると、良い解決法が浮かぶ、あるいは、解決するからそうしたのだ。
尚、人差し指1本を立てるより、人差し指と中指の2本を同時に立てた方が効果的と言う者も多く、西洋の宗教では、指を2本立てることが多い。
ちなみに、トランプ大統領は親指と人差し指で輪を作るが、そうしている仏像は多い。
弥勒菩薩には、薬指と親指で輪を作っている有名な仏像がある。これ、すごく効果的である。さすが弥勒(笑)。
だが、大事なことは、目の前のことに意識を向けつつ、思考を消すことだ。
ユーベルは、なーんも考えず、それでもゼンゼには意識を向けていたから、実力ではるかに上回るゼンゼを切ってしまえたのだ。
それでユーベルは言ったのだ。「みんな、頭を使い過ぎるんだよ」。
これを宮本武蔵は、左右を見ながら目の前の敵を見ることでやったのだ。
武蔵とユーベルの決闘を是非見たいものだ(笑)。
頭の中空っぽにして
目の前だけ見つめるの
~『Satisfaction』(作詞・作曲・編曲:livetune(kz)。唄:初音ミク)より~
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)正法眼蔵(禅文化学院)
(2)真説 宮本武蔵(司馬遼太郎)
(3)宮本武蔵「五輪書」
(4)葬送のフリーレン ※Amazon Prime Video

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「やわ肌の熱き血潮」
Kay