ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

運との付き合い方

「この本から8次元パワーが出ていて、持っていれば幸せになれる」とか「アジマリカンという呪文を唱えれば幸せになれる」と真顔で言う者がいたら、「頭がおかしいやつだ」と思われるだろう。
いや、実は、私も、そんな人を見たら、「ヤバいやつだ」と思う(笑)。
だが、8次元パワーが出ているという本をいつも持っているとか、アジマリカンを唱えているというだけなら、私なら、「そりゃ人の勝手」と思う。別に、誰にも迷惑をかけていない。
そして、私も、そんな本を持っていたり、何かの呪文を唱えてもいるし、時に、それで幸せになれると言ったりもする。

それも一種の信仰のようなものだが、自分の子供や甥っ子姪っ子、あるいは、単に慕ってくれている子供に何と言うかだが、言っていいのは、その本を持っているというくらいまでだ。
私は、なりゆき上、どこかの子供に、それ(本とか呪文)が魔法のような力があると言われている程度に話したが、「効果があるか?」といった話になると「さあ、分かんないよ」と言う。
それは、宗教でも同じで、単に、食事前にお祈りをするとか、ごく短時間、聖書を読んで聞かせたり、ごく短い念仏や真言や祝詞を上げるのは良いが、それ以上はやはり良くない。
キリスト教徒が日曜日に教会に行って神父や牧師の話を聞くというのも、半分は地域のコミュニケーションのためであれば良いことだ。

それは丁度、家や車で音楽を聴くことと似ている。
誰がどんな音楽を聴こうが、人の勝手である。
だが、その音楽を、家や車の外まで響かせているなら、間違いなく「ヤバいやつ」・・・と言うより、間違いなく馬鹿だろう。絶対、付き合ってはならないやつだと思う。
家や車の外まで音楽を響かせているのは、おそらく、「俺はこんな音楽聴いてんだ。イケてるだろう」ってアピールしたいのだろうが、それは、「この8次元パワーの本は凄いんだ」と他人に言うのと同じだ。
その音楽を好きな者同士で、部屋の中や車の中で聴くのは良いが、家の外まで聴こえないよう適度な音で窓を閉め、また、車であれば、ドアを開ける時には、必要に応じて、ボリュームを下げたり、消音するのが常識ある人間だろう。

私は、自分の力ではどうにも出来ないようなことでは、そんな魔法の本みたいなものに頼ることが多い。
それで何とかなると思うなら本当に何とかなるが、どんなふうに何とかなるかは分からない。
魔法のお守りを持っていても、好きな人が振り向いてくれるか、受験に合格するは分からない。
長い目で見れば、自分にとって一番いいようになるのだ。だが、大抵は目先のことでもうまくいくが、それは身の程をわきまえている場合だ。
しかし、例えば経営者などでは、仕事のことで、目先のことでも「どうなるか分からない」で済まないことも多い。「絶対にうまくいかなければ、取引先に迷惑をかけ、信用を失うし、従業員に給料を払えないことになる」ということも多いだろう。
だが、そんな場合は、「結局はうまくいく」運を持っていなければ経営者などやるべきでない。
別に、経営者でなくても、結婚の場合でも、目先のことにも「最終的にはうまくやる」ことが出来ないと、相手や子供に迷惑がかかることが多い。そして、それをやれるようでないと結婚すべきでない。
よく世間で、婚活アドバイザーみたいな人が、「こんな人は結婚出来る」「こんな人は結婚は無理」みたいな話をしているが、個々の問題を言っていたらキリがない。大事なことは、結婚してうまくいく運を持っているかどうかだ。

結局は、世界は、自分の力ではどうにも出来ない運が支配していて、運がない者は駄目だし、運があることほど大事なことはない。
「俺は運が悪い」と言うなら運を良くしないといけない。
運とは、運が良いと思えば良くなるが、文句を言うということは、自分は運が良いと本当は思っていないのである。

アビラウンケンという真言を、「油売らんか」と間違えて憶えたお婆さんの話が、私は好きだ。
そのお婆さんは、それでうまくいったのである。
きっと、そのお婆さんは、それを人にしつこく勧めることはなかったし、個々のことで思ったような結果にならなくても気にしなかったのだろう。

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(1)運は実力を超える(植島啓司)
(2)セレンディピティ ~思いがけない発見・発明のドラマ~
(3)密教の聖なる呪文(正木晃)
(4)最後の超念力 第1弾 新装版(石井普雄)

自信
AIアート1716
「自信」
Kay

幸運をもたらす話

楽しい人生か、幸福な人生かというのは、ほとんど運で決まるように思える。
ひょっとしたら、アインシュタインレベルの天才だって、沢山とは言わないまでも、少しはいると思うが、そんな人達が社会の底辺で一生を送ることも、よくあるのではないか?
アインシュタインだって、幸運にも、予備校時代に良い理科の先生に出会ったことで科学への興味が高まったとして、その教師に感謝していたらしい(その教師はアインシュタインのことを憶えていなかったらしいが)。
また、アインシュタインは大学卒業時に就活に苦労し、科学研究とは関係のない特許局の事務員になったが、仕事も私生活も暇があったから研究をしたり、論文を書くことが出来たことは幸運だったと思う。そうでなければ、アインシュタインだって、社会に埋もれてしまっていたかもしれない。

松下幸之助も、人間は運が良くないといけないと言っていたらしいが、信長か秀吉か家康か忘れたが(全員かもしれないが)、人を採用する際には、運が良い人を採用したという話を見た覚えがある。

運を良くする方法を書いた本は大変に多いが、それらを読んで運が良くなることは、あまりないと思う。
というのは、運の本質なんてものは、本1冊もかけて書くような種類のことではないからだ。

私が幸運の鍵と思う簡単な話が2つある。
1つは、有名なプロレスラーだったジャイアント馬場さんが、インタビューか何かで言ったことだ。
それは、
「私、馬場正平は、プロレス入りして以来、全てがうまくいった」
という言葉だ。ここまで(自分はうまくいったと)言い切った人など、私は他に知らない。これを見た時は本当に感動した。
馬場さんは、「だから沢山の人が私にヤキモチを焼いて揉め事が起こる。あらゆる揉め事はヤキモチから起こる」といった話をしたのだが、それほど自分は順風漫歩だったということだ。
「全てがうまくいった」ということの中には、「自分は幸運だった」という意味があると言って良いと思う。
自分は運が良いと思っている人が運が良いのだ。
ただし、無理に自分は運が良いと思おうとして思えるものではない。
自分は運が良いと思っている人というのは、それについて確信を持っている。
だが、自分は運が良いという確信を得るのは、そう、難しいことではない。
それには、自分は運が良かったと思う体験を思い出すと良い。
コリン・ウィルソンの『至高体験』に書かれているが、それをやると不思議な体験をするかもしれない。

もう1つの話が、アメリカの政治家、官僚だったバーナード・マネス・バルーク(1870~1965)のものだ。
歴代大統領を陰で動かした本物の切れ者であるが、投資家としても成功した。
彼に成功の秘訣を聞いたら、
「欲張らないことだよ」
と答えたらしい。
これは、投資家で成功する重要な鍵でもあるが、幸運の秘訣とも思われ、投資家でもある作家のマックス・ギュンターの著書『運とつきあう』に、この話が取り上げられている。

自分の幸運な出来事を思い出すことは、お薦めする。
私は、私が講師を務めたセミナーで、それを受講者にやっていただき、思い出した内容を発表していただいたことがあるが、実に興味深いことがあった。上で述べたコリン・ウィルソンの『至高体験』に書かれている、アブラハム・マズローがやって起こったこととも似ていた。
そしてやはり、バーナード・バルークが言った「欲張らないこと」も本当に大切と思う。

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(1)運とつきあう(マックス・ギュンター)
(2)至高体験(コリン・ウィルソン)
(3)運(芥川龍之介) ※無料のKindle書。名著

柔い光
AIアート1708
「柔い光」
Kay

真の幸運の秘訣は何とこれだった

運とは大切なもので、運を良くする方法が書かれた本は沢山あり、その中には優れた本もある。
特に、マックス・ギュンターの『運とつきあう』は素晴らしいと私は思うし、その他にも良い本がある。
昔から、運が良くなる秘訣や秘法が、いろいろ伝えられている。
しかし、いかなる秘法、秘術をマスターしていても、ツイていないことは必ずある。
そんな時の態度はとても大切だ。

私はテレビ放送は一切見ないが、家族が見るので、テレビの電源を入れた時、一瞬、放送が流れるが、そんな状況のある時、アメリカのメジャーリーグ野球の放送をしていた。
私は、何かの都合で、しばらくそのまま放送を流し、見るともなく見ていたが、ちょっと印象深いことがあった。
投手が主審から、新しいボールを受け取ったが、投手は、そのボールが気に入らなく、主審に新しいボールをよこすよう合図し、今持っているボールをどこかに放った。
主審は別に表情を変えず、新しいボールを投手に投げる。
投球中のボールが汚れたなどの理由で新しいボールに交換することは、別に珍しくはない。
しかし、新品のボールだ。
メジャーリーグとはいえ、不良品があったか、あるいは、何か本当に不具合があったのかもしれない。
投手が(あるいは捕手が)要求すれば、無制限に新しいボールが渡されるように思えた。
私は、ちょっとボールがもったいないなあと思ったのだった。

そういえば、日本のプロ野球で、主審への態度が悪かったのか、主審が、その若い投手のところに怖い顔で歩いていったという話が話題になったことがあった。これには、いろんな意見があったが、以下のことを考えると、判断が出来るように思う。

プロテニスでは、ボールボーイ、ボールガールと呼ばれる少年少女がいることをご存じと思う。
今は、ボールパースンと呼ぶのが正式なのかもしれない。ここでも、ボールパースンと言おう。
ボールパースンは、転がっているボールを取り除いたり、選手にボールを渡したりするが、ボールを渡す時、ワンバウンドで選手に上手く渡すことに私はよく感心する。
時には失敗し、やや離れた場所にボールが来ることもあるが、選手は、そんなことは気にしない。
しかし、コントロールが悪いボールをボールパースンから続けて放られたり、その他のことでボールパースンに不手際があることもある。
そんな時、不快感を表す選手もいるが、そんな場合は(少なくとも全英オープンでは)、主審は、権威を持って選手に注意する。
「いや、これは選手が気を悪くするのも分かる」と思える場合も、例外ではないと私は思う。
テニスは紳士淑女のスポーツであり、よほどの場合は別として、気分を態度に出すようでは選手の資格はない・・・と私は思うが、まあ、間違っていないと思う。

そして、人生も同じだ。
私は今朝、面白い夢を見た。
バレーボールで、盛りを過ぎた、かつての名選手がサーブを打つ場面だった。
1本目がアウトになり、係の者が新しいボールをその選手に転がして渡した。
(バレーボールで、どうボールを渡すのか、私は全く知らない)
ところが、そのボールが、かなり逸れてしまう。
その選手は、ボールを渡した相手に直接ではないが、かなり大きな不快感(「いい加減にしてくれよ」といった感じ)を示した。
その直後、試合が中断され、その元名選手に厳重な注意がされ、さらに、ネットでは、その選手は追放かという情報が出た。

人生においても、ツイていない時に立派な態度をとらないといけない。
いや、ツイていない時の態度次第で、その後の流れが変わるのだと思う。
幸運の秘訣があったり、「ツイてる」と言えばツクのであると言う有名人がいる。
しかし、幸運の真の秘訣は、ツイていない時に立派な態度をすることなのである。
逆に言えば、ツイていない時に腐るような者に幸運は訪れない。どれほどの数「ツイてる」と言っても、あるいは、有名な大金持ちが「こうすればツク」と言うことを全部やってもである。
どんな時でも、態度が立派であるほど良いのである。
どれだけ引き寄せの本を読んでいたって、態度が幼稚で下劣な者が上手くいくはずがないじゃないか?
悪人だって、力のある大物は、うまくいかないことがあっても、怒鳴り散らしたり、部下に当たったりしないものである。
私は、今朝の夢で見た、あの元大物選手の態度のみっともなさを憶えていよう。
あんな真似はしたくないものだ。
真の幸運の秘訣とは、「文句を言わない」であろう。
「言い訳をしない」「泣き言を言わない」と3つ合わせれば、さらに間違いがないと思う。








ツイている時とはどんな時か

「最近はツイてる」とか「あの頃は本当にツイていた」と言う人がよくいるし、あなたも、そんなことを思ったことがあるかもしれない。
運の重要性は、大物でも・・・と言うより、大物の方がよく知っていると思われる。
それで、どうすれば運が良くなるか・・・などという書籍は無数と言えるほど出ていて、なかなか良いと思う本も少なくない。
だが、優秀な人が書いたものでも、「運が良くなる方法」みたいな本は、あまり読者の役には立たないと思う。
なぜなら、書いた人が、運が良くなるためにやった本当のことは本人も無自覚で、結局、本には違うことを書いているからだ。

ツイている時、やっていたことは共通しており、それは、「今、この瞬間」に在ることが多かったことである。
他に理由はない。
ツイていた時というのは、たまたま、「今、この瞬間」に意識を集中する機会が多かったのだ。
だから、なるべく多く、「今、この瞬間」を意識するようにすれば、運が良くなるし、願いも叶う。

「今、この瞬間」のことを、昔から日本では「中今」と言い、「今、この瞬間」を意識する手法を、巷で「今今メソッド」と呼ぶことがある。
(略して「今メソッド」「今今」などと言うこともあるようだ)
便利なので、「今今メソッド」という言い方をするが、「今今メソッド」とは、目の前のものを何も考えずに見たり、今やっていることを余計なことを考えずにやることで、要は「必要ないことは考えない」・・・というより「考えない」「思考を消す」ことだ。

コリン・ウィルソンの本に、着眼点は良いのだが、ちょっとまずいことが書かれていた。
初めてタイプライターを使う人は、考えながらたどたどしく使うが、やがて、慣れてきたら考えずに使えるようになる。
人間の中には、ロボットのようなものがいて、慣れてきた作業はロボットがやるからだ。
ロボットは便利なものだが、生の楽しみを奪うものでもある。
例えば、慣れずに考えながらやっている時は、車の運転は楽しいが、ロボットが運転するようになったら、運転の楽しみが奪われる。
ウィルソンの間違いは、楽しく運転していた時は「考えていて」、ロボットが運転している時は「考えていない」というところだ。
実際は、全く逆で、楽しく運転している時は「考えておらず」、ロボットが運転すると、余計なことを「考えてしまう」のである。
もっと適切な言い方をすれば、楽しく運転している時は「運転を意識している」で、ロボットが運転している時は「無意識に運転している」のである。
そして、意識して行うことが「今今メソッド」である。
だから、エックハルト・トールは、「罪と無意識は同じである」と言うのだが、やはり、こういう言い方は硬くて難しい。

小学生や中学生の頃なら、普段、縁のない好きな子とぴったり隣り合わせで座ったりしたら、意識しまくりで楽しいだろう。
その状態が「中今」であり、「今、この瞬間」に在るのであり、そんなことを意図的にやるのが「今今メソッド」だ。
そんな楽しいことがあった後は、ツキまくるものだ。
「あげまん」とか言う、会うと運が良くなる女性というのは、単に表面的な楽しさではなく、会うと、心からの楽しさを与えてくれる女性で、それは別に、笑わせることでも、大騒ぎして盛り上がることでもない。

荘子が適切なことを言っている。
「視線を自然にし、是非好悪、思慮分別を捨てて(要は頭の中をからっぽにし、何も考えずに)見る」
こんなふうに見ることが「今今メソッド」だ。
何かの修行だと思うが、頭が悪くて「今今メソッド」がなかなか理解出来ない者のために、歩いている時は心の中で「歩いている、歩いている」と言い、食べている時は「食べている、食べている」と言わせるという方法がある。
要は、意識して歩く、意識して食べるということだ。
無意識に歩いたり、食べたりすると、余計なことを考えてしまい、考えると、「今、この瞬間」つまり「中今」から離れてしまうのである。

ジョージ・アダムスキーが言うには、宇宙人の家庭には、1枚の非常に美しい人物(神人であるようだ)の絵があるらしい。
それは、あまりに美しいので、見ると心を奪われ、何も考えられないという。
つまり、その絵を見れば、自動的に「今、この瞬間」つまり「中今」に在り、自動的に「今今メソッド」に導かれるのだ。
そんな絵を持っていれば良いと思う。
ただ、単にきれいな絵は、妄想を引き起こすので、真逆の効果をもたらす恐れがある。
例えば、セクシーなアイドルや俳優、モデルの絵や写真である。

ハローキティが世界的に、ある意味、異常な人気であるのは、口がないことが関係していると思う。
「萌え画」と呼ばれる、美少女の絵の中にも、口や鼻がほとんど描かれていないものは、なぜか、見ていると思考が止まるように思うことがある。
口や鼻がないことに、何か意味があるかもしれないと思って、昔から考えているが、口や鼻がない絵には「中今」に導く秘密があるのかもしれない。
ちょっと作って、ツイートしてみた。
【Kayのツイッター】口のない少女の絵
あくまで参考に(笑)。








簡単な簡単な超強運の秘訣

松下幸之助さんは、人間、あるいは、経営は運が大切だと言われていたらしいし、豊臣秀吉が、運の良い武将を抜擢したという話もあったと思う。
人間の一生なんて運で決まるようなところがあるし、運のない会社が発展するとは思えないが、会社の運とは社長の運だろう。
そして、運について書かれた本は非常に多く、それらの本は、運が良いと思われる著者が、自分や自分以外の運が良い人について考察し、運の良さの要因や、運が良くなる秘訣について書かれている。

どんな人が運が良いかについて、私には特に、2人の人が印象にある。
1人は、作家で投資家のマックス・ギュンターで、彼は自分も運が良かったのだと思うが、自分以外の強運の持ち主について徹底調査し、『運とつきあう』という本にまとめている。
ギュンターは、成功者が成功したのは全て「たまたま」だと言う。つまり、成功者はみんな、たまたま成功しただけだ。
しかし、その「たまたま」を呼ぶことも出来るのではないかということを、割と控え目に主張している。
この「たまたま」は、もちろん、幸運のことである。
彼の場合、何ごとにおいてもだろうが、運に関しても、調査が客観的で正確で、また、思い込みを避ける知性があるので、その控え目な論がかえって説得力を持っている。
彼が、本の中で取り上げた強運の持ち主に、バーナード・バルーク(1870~1965)という人物がいるが、その名を知る人は、あまり多くはないと思う。
だが、長きに渡って、大統領以上にアメリカ、そして、世界を動かした人物で、つまるところ、米国大統領を動かし続けた男なのだ。
それと共に、投資で空前の成功を収めた人物だ。
大統領も運がないと務まらないが、大統領以上となると尚更だし、投資も、能力と共に、所詮、運が必要だ。実際、バルークより能力が高い専門の投資家が大不況で資産を失う中で、バルークだけが大儲けしたのだ。
そして、本物のノウハウはシンプルだ。
バルークの幸運の秘訣は一言で言い表せる・・・本人が一言で言ったのだ。
その幸運の秘訣は「欲張らない」である。

もう1人は、国際的な大俳優だった丹波哲郎さんだ。
子供の時から生涯、ツキまくっていた人物であるが、彼自身は、自分の幸運を守護霊のおかげと言っていて、それはそれで本人が言うのだから間違いないだろうが、では、なぜ、丹波さんが、それほど守護霊のおかげをもらえたかについても、本人がちゃんと、確信を明確に述べている。
彼が、自分が守護霊によく護られている理由については、小学生の時の通信簿に書かれていた。
丹波さんは、「先生は、俺には褒めるところが何もないので、仕方なく書いたのだろう」と自嘲していたが、実際は重要なことだったわけだ。
それは、成績ではなく、いわゆる「性格欄」とか「所見欄」に書かれていたことで、「丹波君はこだわりがない」みたいなことが書かれていたようだ。
「こだわりがない」とは、簡単なのか難しいのか分からない言葉だが、やはり簡単だ。
「こだわりがない」とは「執着がない」とも言い換えられる。
確かにこれは、難しく言おうと思えば、いくらでも難しく言えるが、要は、こういうことだ。
「好き嫌いを言わない」
これだけだと言って良い。
もちろん、好き嫌いはあるだろうが、それこそ、自分の好き嫌いにこだわらない、執着しないのである。
つまり、好きなものを過度に追い求めようとせず、嫌いなものを過度に遠ざけようとしないのである。
しかし、これって、上のバルークの「欲張らない」と同じことなのだ。

そして、「欲張らない」も、もっと根本的なことが言えるのだ。
それは、「考えない」だ。
考えるから欲張るのだ。
大不況が来て株が大暴落する前でも、他の投資家達は、もっと株価が上がると期待し「欲張って」いたが、バルークは、「今でも十分儲かる」と株を売り払った。
それで、他の投資家達は資産を失ったが、バルークは大きな利益を確保したのだ。
バルークは、確かに欲張らなかったが、他の投資家達のように、「もっと儲けてやる」と考えなかったので、天の声のような直観のまま、さっさと株を売り払ったのだ。

人間、欲張らないことは難しい。
考えないこと・・・想念を起こさないことも難しいが、こちらはやりようがある。
そして、考えなければ欲張りようがない。
そんなわけで、このブログでは、考えない方法、想念を起こさない方法をいろいろ書いているのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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