「この本から8次元パワーが出ていて、持っていれば幸せになれる」とか「アジマリカンという呪文を唱えれば幸せになれる」と真顔で言う者がいたら、「頭がおかしいやつだ」と思われるだろう。
いや、実は、私も、そんな人を見たら、「ヤバいやつだ」と思う(笑)。
だが、8次元パワーが出ているという本をいつも持っているとか、アジマリカンを唱えているというだけなら、私なら、「そりゃ人の勝手」と思う。別に、誰にも迷惑をかけていない。
そして、私も、そんな本を持っていたり、何かの呪文を唱えてもいるし、時に、それで幸せになれると言ったりもする。
それも一種の信仰のようなものだが、自分の子供や甥っ子姪っ子、あるいは、単に慕ってくれている子供に何と言うかだが、言っていいのは、その本を持っているというくらいまでだ。
私は、なりゆき上、どこかの子供に、それ(本とか呪文)が魔法のような力があると言われている程度に話したが、「効果があるか?」といった話になると「さあ、分かんないよ」と言う。
それは、宗教でも同じで、単に、食事前にお祈りをするとか、ごく短時間、聖書を読んで聞かせたり、ごく短い念仏や真言や祝詞を上げるのは良いが、それ以上はやはり良くない。
キリスト教徒が日曜日に教会に行って神父や牧師の話を聞くというのも、半分は地域のコミュニケーションのためであれば良いことだ。
それは丁度、家や車で音楽を聴くことと似ている。
誰がどんな音楽を聴こうが、人の勝手である。
だが、その音楽を、家や車の外まで響かせているなら、間違いなく「ヤバいやつ」・・・と言うより、間違いなく馬鹿だろう。絶対、付き合ってはならないやつだと思う。
家や車の外まで音楽を響かせているのは、おそらく、「俺はこんな音楽聴いてんだ。イケてるだろう」ってアピールしたいのだろうが、それは、「この8次元パワーの本は凄いんだ」と他人に言うのと同じだ。
その音楽を好きな者同士で、部屋の中や車の中で聴くのは良いが、家の外まで聴こえないよう適度な音で窓を閉め、また、車であれば、ドアを開ける時には、必要に応じて、ボリュームを下げたり、消音するのが常識ある人間だろう。
私は、自分の力ではどうにも出来ないようなことでは、そんな魔法の本みたいなものに頼ることが多い。
それで何とかなると思うなら本当に何とかなるが、どんなふうに何とかなるかは分からない。
魔法のお守りを持っていても、好きな人が振り向いてくれるか、受験に合格するは分からない。
長い目で見れば、自分にとって一番いいようになるのだ。だが、大抵は目先のことでもうまくいくが、それは身の程をわきまえている場合だ。
しかし、例えば経営者などでは、仕事のことで、目先のことでも「どうなるか分からない」で済まないことも多い。「絶対にうまくいかなければ、取引先に迷惑をかけ、信用を失うし、従業員に給料を払えないことになる」ということも多いだろう。
だが、そんな場合は、「結局はうまくいく」運を持っていなければ経営者などやるべきでない。
別に、経営者でなくても、結婚の場合でも、目先のことにも「最終的にはうまくやる」ことが出来ないと、相手や子供に迷惑がかかることが多い。そして、それをやれるようでないと結婚すべきでない。
よく世間で、婚活アドバイザーみたいな人が、「こんな人は結婚出来る」「こんな人は結婚は無理」みたいな話をしているが、個々の問題を言っていたらキリがない。大事なことは、結婚してうまくいく運を持っているかどうかだ。
結局は、世界は、自分の力ではどうにも出来ない運が支配していて、運がない者は駄目だし、運があることほど大事なことはない。
「俺は運が悪い」と言うなら運を良くしないといけない。
運とは、運が良いと思えば良くなるが、文句を言うということは、自分は運が良いと本当は思っていないのである。
アビラウンケンという真言を、「油売らんか」と間違えて憶えたお婆さんの話が、私は好きだ。
そのお婆さんは、それでうまくいったのである。
きっと、そのお婆さんは、それを人にしつこく勧めることはなかったし、個々のことで思ったような結果にならなくても気にしなかったのだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)運は実力を超える(植島啓司)
(2)セレンディピティ ~思いがけない発見・発明のドラマ~
(3)密教の聖なる呪文(正木晃)
(4)最後の超念力 第1弾 新装版(石井普雄)

AIアート1716
「自信」
Kay
いや、実は、私も、そんな人を見たら、「ヤバいやつだ」と思う(笑)。
だが、8次元パワーが出ているという本をいつも持っているとか、アジマリカンを唱えているというだけなら、私なら、「そりゃ人の勝手」と思う。別に、誰にも迷惑をかけていない。
そして、私も、そんな本を持っていたり、何かの呪文を唱えてもいるし、時に、それで幸せになれると言ったりもする。
それも一種の信仰のようなものだが、自分の子供や甥っ子姪っ子、あるいは、単に慕ってくれている子供に何と言うかだが、言っていいのは、その本を持っているというくらいまでだ。
私は、なりゆき上、どこかの子供に、それ(本とか呪文)が魔法のような力があると言われている程度に話したが、「効果があるか?」といった話になると「さあ、分かんないよ」と言う。
それは、宗教でも同じで、単に、食事前にお祈りをするとか、ごく短時間、聖書を読んで聞かせたり、ごく短い念仏や真言や祝詞を上げるのは良いが、それ以上はやはり良くない。
キリスト教徒が日曜日に教会に行って神父や牧師の話を聞くというのも、半分は地域のコミュニケーションのためであれば良いことだ。
それは丁度、家や車で音楽を聴くことと似ている。
誰がどんな音楽を聴こうが、人の勝手である。
だが、その音楽を、家や車の外まで響かせているなら、間違いなく「ヤバいやつ」・・・と言うより、間違いなく馬鹿だろう。絶対、付き合ってはならないやつだと思う。
家や車の外まで音楽を響かせているのは、おそらく、「俺はこんな音楽聴いてんだ。イケてるだろう」ってアピールしたいのだろうが、それは、「この8次元パワーの本は凄いんだ」と他人に言うのと同じだ。
その音楽を好きな者同士で、部屋の中や車の中で聴くのは良いが、家の外まで聴こえないよう適度な音で窓を閉め、また、車であれば、ドアを開ける時には、必要に応じて、ボリュームを下げたり、消音するのが常識ある人間だろう。
私は、自分の力ではどうにも出来ないようなことでは、そんな魔法の本みたいなものに頼ることが多い。
それで何とかなると思うなら本当に何とかなるが、どんなふうに何とかなるかは分からない。
魔法のお守りを持っていても、好きな人が振り向いてくれるか、受験に合格するは分からない。
長い目で見れば、自分にとって一番いいようになるのだ。だが、大抵は目先のことでもうまくいくが、それは身の程をわきまえている場合だ。
しかし、例えば経営者などでは、仕事のことで、目先のことでも「どうなるか分からない」で済まないことも多い。「絶対にうまくいかなければ、取引先に迷惑をかけ、信用を失うし、従業員に給料を払えないことになる」ということも多いだろう。
だが、そんな場合は、「結局はうまくいく」運を持っていなければ経営者などやるべきでない。
別に、経営者でなくても、結婚の場合でも、目先のことにも「最終的にはうまくやる」ことが出来ないと、相手や子供に迷惑がかかることが多い。そして、それをやれるようでないと結婚すべきでない。
よく世間で、婚活アドバイザーみたいな人が、「こんな人は結婚出来る」「こんな人は結婚は無理」みたいな話をしているが、個々の問題を言っていたらキリがない。大事なことは、結婚してうまくいく運を持っているかどうかだ。
結局は、世界は、自分の力ではどうにも出来ない運が支配していて、運がない者は駄目だし、運があることほど大事なことはない。
「俺は運が悪い」と言うなら運を良くしないといけない。
運とは、運が良いと思えば良くなるが、文句を言うということは、自分は運が良いと本当は思っていないのである。
アビラウンケンという真言を、「油売らんか」と間違えて憶えたお婆さんの話が、私は好きだ。
そのお婆さんは、それでうまくいったのである。
きっと、そのお婆さんは、それを人にしつこく勧めることはなかったし、個々のことで思ったような結果にならなくても気にしなかったのだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)運は実力を超える(植島啓司)
(2)セレンディピティ ~思いがけない発見・発明のドラマ~
(3)密教の聖なる呪文(正木晃)
(4)最後の超念力 第1弾 新装版(石井普雄)

AIアート1716
「自信」
Kay

