生まれ変わり・・・つまり、輪廻転生というものはあるのだろうか?
最初に言っておくと、それを明確に知る方法はない。
まず、宗教における輪廻転生について見てみよう。
旧約聖書を母体とするキリスト教やイスラム教では、輪廻転生はない。
これらの宗教では、魂の不滅は説かれるが、魂は死後、天国とか地獄等に行くのであり、地上に生まれ変わることはない。
仏教では、輪廻転生はあるとされているが、仏教は方便の宗教であり、あくまで、人々を教え導くための方便として輪廻転生を説いているようにも思える。
では、仏教の母体であるヒンズー教はというと、こちらも意外と曖昧だ。
総じて言えば、仏教もヒンズー教も、輪廻転生をそれほど積極的には語っていない。
中国の道教は、道教全体を見ると、いろんなものが混ざっていて複雑だが、哲学的・思想的な中心である老子、荘子でいえば、老子は全く輪廻転生を語っていない。一方、荘子はよく(輪廻転生を)語っているが、これもあくまでたとえ話として語っている雰囲気がある。
ゾロアスター教でも、おそらく輪廻転生はない。
キリスト教と同じで、死んで死後の世界に行くだけである。
ギリシャ神話でも、輪廻転生の話は全くない。
神道は『古事記』を頼りにするしかないが、『古事記』の多くは神の物語で、人間に関する話は少ないが、輪廻転生について書かれてはいない。
一応、『古事記』より古いとされる『ホツマツタエ』にも、人間の輪廻転生については書かれていない。
霊的な著名人に関して言えば、エマニュエル・スウェーデンボルグは輪廻転生はないとしている。
エドガー・ケイシーで、ようやく輪廻転生があると明確に主張している。だが、これは、ケイシー自身の主張ではなく、ケイシーに情報を与えている霊的な存在からの情報である。
では、比較的新しく、現代の世界にも影響を与えているルドルフ・シュタイナーはどうかというと、彼は輪廻転生を否定している。
シュタイナーが出てきたところで、現在、輪廻転生の客観的証拠とされている、前世の記憶を持つ人々の話を取り上げる。
まず、前世の記憶があると言う人々の話の多くは作り話である。
だが、中には、正直に話している人もおり、それが輪廻転生の動かぬ証拠のように思えるかもしれない。
しかし、シュタイナーは、死後、その人間の記憶が情報エネルギー化すると言い、その情報エネルギー体を魂だと思って交霊術をやったり、また、その情報エネルギー体にアクセス出来る人が、その情報を自分の前世だと誤解することがあると考えれば、前世の記憶があることの説明になる。
前世の記憶を語るのは子供が大半で、子供のうちは情報エネルギー体にアクセスし易いのかもしれない。
『エイリアン・インタビュー』では、輪廻転生は絶対的真理とする。
その根拠の1つが、モーツァルトや二コラ・テスラのような天才は、前世やその前の生で能力を磨き上げ、運よく、その能力を失わないまま生まれてきたからであるとするものだ。
これも、シュタイナーの情報エネルギー体へアクセスする能力があったからということで説明出来るかもしれないが、これはそう単純な話ではないし、何とも言えない。

AIアート462
「35日の25時」
Kay
こうやって見ると、輪廻転生説は非常に不利であることが分かる。
しかし、輪廻転生をことさら問題にするのは、個人(個人の魂)が、全体から切り離されていると考えるからである。
生まれることを「生れ落ちる」と言うように、生まれることは個人として世界から切り離されてしまうことだという観念が大きい。
木の葉が落ちてやがて朽ちるとしても、木の本体は生きており、木の葉が死ぬとは言わない。
人間も木の葉ではなく木であるのではないかという考えが、D.H.ロレンスやアラン・ワッツらによって述べられているが、なかなか受け入れられず、そうであること(一般の人々が理解し難いということ)は、ロレンスもワッツも認めている。
そこらは思考で考えて分かることではない。
だが、やはり深呼吸をすれば分かってくるのである。
自分は葉ではなく木であり、生れ落ちたのではなく、相変わらず宇宙なのである。
それは、人間の悪い頭で分かるようなことではないが、深呼吸をして思考が消えれば明白になる。
最初に言っておくと、それを明確に知る方法はない。
まず、宗教における輪廻転生について見てみよう。
旧約聖書を母体とするキリスト教やイスラム教では、輪廻転生はない。
これらの宗教では、魂の不滅は説かれるが、魂は死後、天国とか地獄等に行くのであり、地上に生まれ変わることはない。
仏教では、輪廻転生はあるとされているが、仏教は方便の宗教であり、あくまで、人々を教え導くための方便として輪廻転生を説いているようにも思える。
では、仏教の母体であるヒンズー教はというと、こちらも意外と曖昧だ。
総じて言えば、仏教もヒンズー教も、輪廻転生をそれほど積極的には語っていない。
中国の道教は、道教全体を見ると、いろんなものが混ざっていて複雑だが、哲学的・思想的な中心である老子、荘子でいえば、老子は全く輪廻転生を語っていない。一方、荘子はよく(輪廻転生を)語っているが、これもあくまでたとえ話として語っている雰囲気がある。
ゾロアスター教でも、おそらく輪廻転生はない。
キリスト教と同じで、死んで死後の世界に行くだけである。
ギリシャ神話でも、輪廻転生の話は全くない。
神道は『古事記』を頼りにするしかないが、『古事記』の多くは神の物語で、人間に関する話は少ないが、輪廻転生について書かれてはいない。
一応、『古事記』より古いとされる『ホツマツタエ』にも、人間の輪廻転生については書かれていない。
霊的な著名人に関して言えば、エマニュエル・スウェーデンボルグは輪廻転生はないとしている。
エドガー・ケイシーで、ようやく輪廻転生があると明確に主張している。だが、これは、ケイシー自身の主張ではなく、ケイシーに情報を与えている霊的な存在からの情報である。
では、比較的新しく、現代の世界にも影響を与えているルドルフ・シュタイナーはどうかというと、彼は輪廻転生を否定している。
シュタイナーが出てきたところで、現在、輪廻転生の客観的証拠とされている、前世の記憶を持つ人々の話を取り上げる。
まず、前世の記憶があると言う人々の話の多くは作り話である。
だが、中には、正直に話している人もおり、それが輪廻転生の動かぬ証拠のように思えるかもしれない。
しかし、シュタイナーは、死後、その人間の記憶が情報エネルギー化すると言い、その情報エネルギー体を魂だと思って交霊術をやったり、また、その情報エネルギー体にアクセス出来る人が、その情報を自分の前世だと誤解することがあると考えれば、前世の記憶があることの説明になる。
前世の記憶を語るのは子供が大半で、子供のうちは情報エネルギー体にアクセスし易いのかもしれない。
『エイリアン・インタビュー』では、輪廻転生は絶対的真理とする。
その根拠の1つが、モーツァルトや二コラ・テスラのような天才は、前世やその前の生で能力を磨き上げ、運よく、その能力を失わないまま生まれてきたからであるとするものだ。
これも、シュタイナーの情報エネルギー体へアクセスする能力があったからということで説明出来るかもしれないが、これはそう単純な話ではないし、何とも言えない。

AIアート462
「35日の25時」
Kay
こうやって見ると、輪廻転生説は非常に不利であることが分かる。
しかし、輪廻転生をことさら問題にするのは、個人(個人の魂)が、全体から切り離されていると考えるからである。
生まれることを「生れ落ちる」と言うように、生まれることは個人として世界から切り離されてしまうことだという観念が大きい。
木の葉が落ちてやがて朽ちるとしても、木の本体は生きており、木の葉が死ぬとは言わない。
人間も木の葉ではなく木であるのではないかという考えが、D.H.ロレンスやアラン・ワッツらによって述べられているが、なかなか受け入れられず、そうであること(一般の人々が理解し難いということ)は、ロレンスもワッツも認めている。
そこらは思考で考えて分かることではない。
だが、やはり深呼吸をすれば分かってくるのである。
自分は葉ではなく木であり、生れ落ちたのではなく、相変わらず宇宙なのである。
それは、人間の悪い頭で分かるようなことではないが、深呼吸をして思考が消えれば明白になる。


