人生が長いか短いかというと、たとえ百年生きたとしても一瞬である。
一説では、人類は、脳も含め、現在の姿になったのは20万年前だが、人間らしくなったのは3万年前と言われる。
既にその3万年が経ったのであるが、それすら地球が生まれてから経過したと推定される45億年に比べれば一瞬だし、諸説あるが、宇宙は少なくとも百数十億年前に出来たとされている。それは、人間の感覚では気が遠くなるほどの年月であるが、それも一瞬であるに違いない。
生まれ変わりがあるかどうかは諸説がある。
キリスト教では生まれ変わりを認めていないが、仏教では完全に認めている。ただし、仏教では、生まれ変わりは人間界だけで起こるのではなく、他に、天界や地獄界などの6つの世界の間で行われるとする。お釈迦様が、生まれてすぐ7歩歩いたというのは、この六道輪廻の束縛を一歩踏み越えたことを意味する。つまり、お釈迦様は、その生を最後に生まれ変わることはなく、永遠の仏陀になったのである。
エマニュエル・スウェーデンボルグは、キリスト教精神の通り、転生を認めず、魂は新たに生まれた後、地上での生を送り、死ねば霊界で永遠に生きる。それならば、魂は限りなく増えるが、霊界の広さは途方もないので、何の問題もない。
ただ、転生はなくても、霊界の魂は、地上に影響を与えるし、生きている人間の魂と融合することも珍しくないので、生まれ変わりがあるように見えることもあるのだろう。
生まれ変わりがあるにせよ、ないにせよ、いずれも、魂の永遠性は認めている。
この人生で死んだらそれで全て無くなるのではなく、魂は個体性を保ったまま永遠に生きるのである。
ただし、それ(魂の永遠性)を信じるかどうかは自由であるだけでなく、「本当に自由」なのだ。
信じない人に無理に信じていただく必要はないし、信じないから愚かだというのでもない。
また、口先だけは魂の永遠性を信じているように言ったり、自分は魂が永遠であることを信じているように思い込んでいる者もいるが、そんな人が、死を恐怖し、生に執着するのであるから、本当には信じていないことが分かる。しかし、それが普通であり、そんな人を見下す者はもっと愚かなのである。
道徳的というよりはむしろ論理的に、悪い行いをすれば、それが意図的であったかそうでないかに関わらず、後にその因果で苦しみを負わされることになることは確かと思う。生まれ変わりがあるなら、来世で苦しむことになる。悪い条件で生まれ、酷い育ち方をし、大人になってからも不条理なまでの辛い目に遭う。また、生まれ変わりがないというなら、永遠の霊界で無限の苦しみを受けるというのが、ダンテの『神曲』(原題は『神聖なる喜劇』)に表されているものである。
だが、人間には、思い通りに善いことも悪いこともできないのであるから、それこそ不条理(道理に合わない)というものだろう。しかし、重要なことは行いではない。想いなのだ。人は、嫌でも運命に従って悪いことをしてしまう、対して、善いことを行うことは非常に少ない。
だが、想いとは神秘的なものであり、それは人間が生み出す不可思議な生命体だ。
善い想いは因果を解消し、呪われるべき想いは、新たな悪因縁を作る。
だが、その想いは、頭では理解や把握はできないのである。
盗みをする時に何かを想う、その想いが善になったり、悪になったりするのである。それは決して、「良いことをするために盗もうとしたのだから、これは良い盗みだ」といった、人間の頭で考えるような浅いものではない。人間の知性で可能な、せいぜい良い考え方を一応述べるならこうなる。
「私は盗みをした。頭では、良くないことをしたと思うし、とても嫌だ。しかし、これが天の定めだったのだ。言い訳をすることはできないが、後悔もしない」。
頭では分からないが、人は善い想いを持たなければいけないし、悪い想いを持ってはならない。それが、後の魂の運命を決する。
そして、最も善い想いになるのは念仏であるので、そのことを解明した中国の善導などの高僧や、それを知り、理解した法然、親鸞が、自ら念仏を一心に行うと共に、人々にも勧めたのである。
念仏が、いかなる重い、そして、長い期間に渡る罪も消してしまえることが経典に書かれているが、それもまた、人類の科学をはるかに超えた科学で言うなら自明(わかりきっていること)である。そして、心が純粋であれば、それが分かるのである。だが、何も分からなくても念仏の効果は変わらない。分からないのは頭であるが、それは何の問題もないのである。それは、お金というものを見たことがなく、お金の価値を知らなくても、ラーメン店で一万円出せば、ラーメンとお釣りが出てくるようなものである。
無論、別の方法が無いのでもないだろうが、私が分かる範囲で言えば、念仏を唱えることにより、人生が良くなり、来世で幸福になり、もし、霊界行きとなれば、途方もなく楽しい永遠の命を過ごすことになるのは、さほどおかしなことではないと思えるのである。
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一説では、人類は、脳も含め、現在の姿になったのは20万年前だが、人間らしくなったのは3万年前と言われる。
既にその3万年が経ったのであるが、それすら地球が生まれてから経過したと推定される45億年に比べれば一瞬だし、諸説あるが、宇宙は少なくとも百数十億年前に出来たとされている。それは、人間の感覚では気が遠くなるほどの年月であるが、それも一瞬であるに違いない。
生まれ変わりがあるかどうかは諸説がある。
キリスト教では生まれ変わりを認めていないが、仏教では完全に認めている。ただし、仏教では、生まれ変わりは人間界だけで起こるのではなく、他に、天界や地獄界などの6つの世界の間で行われるとする。お釈迦様が、生まれてすぐ7歩歩いたというのは、この六道輪廻の束縛を一歩踏み越えたことを意味する。つまり、お釈迦様は、その生を最後に生まれ変わることはなく、永遠の仏陀になったのである。
エマニュエル・スウェーデンボルグは、キリスト教精神の通り、転生を認めず、魂は新たに生まれた後、地上での生を送り、死ねば霊界で永遠に生きる。それならば、魂は限りなく増えるが、霊界の広さは途方もないので、何の問題もない。
ただ、転生はなくても、霊界の魂は、地上に影響を与えるし、生きている人間の魂と融合することも珍しくないので、生まれ変わりがあるように見えることもあるのだろう。
生まれ変わりがあるにせよ、ないにせよ、いずれも、魂の永遠性は認めている。
この人生で死んだらそれで全て無くなるのではなく、魂は個体性を保ったまま永遠に生きるのである。
ただし、それ(魂の永遠性)を信じるかどうかは自由であるだけでなく、「本当に自由」なのだ。
信じない人に無理に信じていただく必要はないし、信じないから愚かだというのでもない。
また、口先だけは魂の永遠性を信じているように言ったり、自分は魂が永遠であることを信じているように思い込んでいる者もいるが、そんな人が、死を恐怖し、生に執着するのであるから、本当には信じていないことが分かる。しかし、それが普通であり、そんな人を見下す者はもっと愚かなのである。
道徳的というよりはむしろ論理的に、悪い行いをすれば、それが意図的であったかそうでないかに関わらず、後にその因果で苦しみを負わされることになることは確かと思う。生まれ変わりがあるなら、来世で苦しむことになる。悪い条件で生まれ、酷い育ち方をし、大人になってからも不条理なまでの辛い目に遭う。また、生まれ変わりがないというなら、永遠の霊界で無限の苦しみを受けるというのが、ダンテの『神曲』(原題は『神聖なる喜劇』)に表されているものである。
だが、人間には、思い通りに善いことも悪いこともできないのであるから、それこそ不条理(道理に合わない)というものだろう。しかし、重要なことは行いではない。想いなのだ。人は、嫌でも運命に従って悪いことをしてしまう、対して、善いことを行うことは非常に少ない。
だが、想いとは神秘的なものであり、それは人間が生み出す不可思議な生命体だ。
善い想いは因果を解消し、呪われるべき想いは、新たな悪因縁を作る。
だが、その想いは、頭では理解や把握はできないのである。
盗みをする時に何かを想う、その想いが善になったり、悪になったりするのである。それは決して、「良いことをするために盗もうとしたのだから、これは良い盗みだ」といった、人間の頭で考えるような浅いものではない。人間の知性で可能な、せいぜい良い考え方を一応述べるならこうなる。
「私は盗みをした。頭では、良くないことをしたと思うし、とても嫌だ。しかし、これが天の定めだったのだ。言い訳をすることはできないが、後悔もしない」。
頭では分からないが、人は善い想いを持たなければいけないし、悪い想いを持ってはならない。それが、後の魂の運命を決する。
そして、最も善い想いになるのは念仏であるので、そのことを解明した中国の善導などの高僧や、それを知り、理解した法然、親鸞が、自ら念仏を一心に行うと共に、人々にも勧めたのである。
念仏が、いかなる重い、そして、長い期間に渡る罪も消してしまえることが経典に書かれているが、それもまた、人類の科学をはるかに超えた科学で言うなら自明(わかりきっていること)である。そして、心が純粋であれば、それが分かるのである。だが、何も分からなくても念仏の効果は変わらない。分からないのは頭であるが、それは何の問題もないのである。それは、お金というものを見たことがなく、お金の価値を知らなくても、ラーメン店で一万円出せば、ラーメンとお釣りが出てくるようなものである。
無論、別の方法が無いのでもないだろうが、私が分かる範囲で言えば、念仏を唱えることにより、人生が良くなり、来世で幸福になり、もし、霊界行きとなれば、途方もなく楽しい永遠の命を過ごすことになるのは、さほどおかしなことではないと思えるのである。
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