ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

超能力

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

超能力を得るストーリー

日本でも、超能力者養成所みたいな場所は確実にあった。
たとえば、昔であれば忍者の里のようなところ。
そして、直接見た人はかなり少なくなってきたが、割と近年では、旧日本軍が管理する超能力者養成施設が本当にあった。
昔、私は、そこで、中村天風と一緒に訓練をしていたという、老齢ではあったが、名のある科学者と会ったことがある。
非常にインパクトのある人だった。テレパシーによる読心術くらいは今でも出来ると言っていたが、その人も、私は苦手そうだった。
私はマジな超能力者だからね(笑)。
そももそが、その時の会合の目的は、科学の勉強会みたいなもので、そのために、その科学者をゲストに招いていたのだが、私が居たので、話が超能力関係に行ったのかもしれない。

その科学者の超能力も、中村天風に近いものだった。
私はあまり詳しくはないが、中村天風は、少なくとも、希には、超能力に関する話はしていたと思う。
ところで、中村天風は、西洋医学からインドのヨーガに入った人だから、中国式の仙道や気功みたいなことは興味がなかったようだが、概念は似ているのである。
中村天風は、「気」とは言わず「ブリル」と言っていたが、いずれも、インドの「プラーナ」と同じである。
要は、その気、ブリル、プラーナを集めることが、超能力や引き寄せの力を呼び起こすという理屈である。
中村天風は、そのブリルを多量に含む食品の摂取を薦め、菜食、日本食を奨励し、肉食を否定したが、超能力と菜食・肉食は直接には関係ない。
ただ、肉食で美食・飽食なら失敗し易いということはある。
しかし、やはり、食事にはそれほどこだわる必要はないというのが、現代的な考え方になっている。

では、どうやれば気(ブリルもプラーナも同じ)を集めることが出来るかというと、そんなもの、どこにでも無限にあるのだから、単に通路を確保すれば良いだけである。
どうすれば通路を開けるかというと、抽象的には、自他の区別をなくし、自分がこの世界に単独で切り離されて存在しているという誤解を解けば良いのだが、この言い方は、聖者や思想家が好みながらも、やはり抽象的で、好きでない人が多いに違いない。
それに、このやり方を誤解して、世間と一体化し、二進も三進も(にっちもさっちも)いかない状態になる危険もある。世の中、馬鹿が多いんだ(笑)。
中村天風の話は良くないと言っていた、天風の高弟の藤平光一だって、ひどく抽象的だと私は思う。

で、そろそろ、良い方法を言うなら、老子や荘子が言った通り、「無為に徹する」、つまり、何もしないのが一番だ。
しかし、人々は、「何もしなければ人生はすぐに終わってしまう」と思っており、そう思っていれば、確かにそうなる。
そこで、良い知恵を言うなら、「何もしなくても良い理由を作る」ことだ。
その理由がないから、凡人はあくせくし、老化して死んでいく。
一応、なぜ理由が必要か言うと、エゴはいつも理由を欲しがるが、適当な理由を与えれば黙るものなのだ。
エゴはいつも、「なんで?なんで?」と言っているだけだということが分からないだろうか?
もっとも、下手な理由、たとえば、「私は王様だから」なんて言ったら、エゴは「お前、王様じゃないじゃん?なんで王様なんだ?」って騒ぐ。

何度か言ったが、この「うまい理由」を与える賢い教師がアメリカにいた。
いつも後ろを向いて座っている男子生徒に、「私が何を聞いても、それは僕が賢すぎるからですと答えなさい」と指示し、これで解決した。
なぜ、これでうまくいくのかというと、エゴは「賢い」って言われることに弱いからだ。
エゴが強いと馬鹿なのだが、自分が賢いと言う者って、皆、馬鹿だろう?(笑)
そんな者は、下手な理由で(たとえば自分は高学歴だから)、人に「賢い」と言って欲しいのだ。それも際限なく。だって、そんな方法ではエゴは黙らないからだ。
「学歴は立派でもうまくいってないじゃん?」「学歴なら、もっと上がいるじゃん?」てね。
だが、人の評価を全く無視し「私は賢い」と断言すれば、エゴは大人しくなる。

1つの方法ではあるが、「私は賢い」「私は優秀」と何度でも断言すると良い。
エゴが何か言っても完全に無視することだ。
ただ、その発展形が、いつも言う「完璧だ」とだけ言うことである。








スプーン曲げの活用方法

昔、超能力でスプーンを曲げることが、世界的に流行った。
日本では、1974年に、イスラエルの超能力者ユリ・ゲラーが来日し、テレビで、スプーン曲げの超能力パフォーマンスを見せてから、一般に知られるようになり、その後、日本人にも、ユリ・ゲラーと同等以上の見事なスプーン曲げを見せる人が次々登場した。しかし、オウム事件の関係もあるのだと思うが、やる人がいなくなったように思う。
元々、スプーン曲げはインチキだと言われることも多かったし、マジシャンの中には、「あくまで奇術」と宣言した上でスプーンを曲げて見せる者がいたなどもあり、超能力でスプーンが曲がると信じていない人が多いのではないかと思う。

また、超能力や超常現象も含め、神秘的な力はあると主張する者にも、「スプーンを曲げて何の役に立つのか」と言い、そして、「私が本当に役に立つスーパーパワーを教えてやる」という超能力ビジネスをやる者も多い。
まあ、引き寄せの法則も、それに当たると言えば、確かにそうだ。

政木和三さんは科学技術者であったこともあり、スプーン曲げブームが始まった頃には、スプーン曲げを全く信じていなかったらしい。
それで、政木さんは、テレビの超能力番組への出演に当たり、スプーンが実際に曲がるかどうかを精密に測定出来る金属歪み計を作成し、テレビ局に持ち込んだ。
ところが、その装置が、超能力でスプーンが曲がったことを検出してしまった。
その後も、政木さんは、検証を行い、超能力が存在することは間違いないという結論に達した。

そして、スプーン曲げが何の役に立つかだが、政木さんは私に、役にたつ方法を教えてくれた。
最近、私は、このブログで、願いごとは、願った瞬間に叶うが、すぐに、叶っていない状態に戻ることが多いと書いている。
そして、元に戻らず、願いが叶った世界が継続する方法も書いたつもりだが、それをするために、政木さんの方法が役に立つので、公開しておこう。
まず、スプーンを1本用意する。
あまりゴツくて固いスプーンでなく、普通のスプーンが良い。
それを、普段は開けない引き出し等に入れる。
別に、中身が見えない箱に入れて、押し入れの中とか、タンスの上などに置いても構わない。
要は、敢えて見ようとしない限り、スプーンが見えなければ良いのである。
スプーンをそうやって隠した上で、スプーンが曲がると思う。
強く念じるのではなく、「曲がった」と静かに思う。
そう思った瞬間にスプーンは曲がるが、同じく、瞬間で、曲がっていない状態に戻る。
よって、スプーンを確認しても、大抵いつも、スプーンは曲がっていない。
そこで、時たま、スプーンを確認し、曲がっていなくてもガッカリせず、また、「曲がった」と思うのである。
つまり、何度も、曲げて、元に戻るを繰り返すのだ。
すると、やがて、エゴの力が弱まり、「スプーンが曲がるはずがない」というエゴの声が聴こえなくなれば、スプーンを確認したら、スプーンが曲がっている。
要は、スプーンが曲がっていたら、引き寄せ自在になったと思うと良い。
そうなるための訓練と思うと良い。
コツは、「曲げよう」という欲望を起こさず、ただ、静かに「曲がった」と思うことだ。
尚、ユリ・ゲラーやスプーン曲げに関しては、下にご紹介した、矢追純一氏の『矢追純一は宇宙人だった!?』や、中岡俊哉氏の伝記『コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生』に面白い話があると思う。








成功者意識を持つ

いろいろな成功者や精神的指導者などがよく、「小さなことでも達成出来たら、自分を成功者と思え」と教えている。
この点、日本人は、少々のことが出来ても、「この程度では駄目だ」と思うものらしく、そのために、なかなか成功者意識を持てないのだと言われている。
それどころか、かなり素晴らしいことを達成したのに、「こんなことで満足しては駄目だ」と、自分にも他人にも言う場合も多いのだろう。

一方、会社で無能で馬鹿な社員が、ちょっとした仕事をした時に褒めたりなんかしたら、馬鹿なだけにつけあがってしまうことになりかねない。
さりとて、無能であっても、初めてのことに勇気を持って取り組み、うまくいった時には、大したことではなくても、褒めてやった方が良いだろう。しかし、2度目であれば、うまくいって当然で、失敗したら叱責することになる。
小さな子供が、初めて、郵便受けから新聞を運んで来てくれた時には褒めるが、2度目は「ありがとう」だけにするようなものだが、仕事の場合は感謝の表明も不要だろう(心で感謝するのは良いが、甘やかしてはならないという面もある)。

つまり、チャレンジしたと言える場合には、成果が小さくても、自分や他人を褒め、自分に関しては成功者と思うのは良いことだろう。
これに関し、斎藤一人さんが、講演で面白いことを言われていた。
斎藤さんは、若い時だろうが、柔術(格闘術の一種。柔道は柔術がスポーツ化したものと言われる)を習ったことがあるそうだ。
しかし、柔術の先生に技をかけられ、あんまり痛いし、苦しいので、すぐにやめたそうだ。
この場合、「俺は、ちょっと苦しいからと言ってやめてしまった。なんて根性がないんだ。俺は失敗者、敗北者だ」と思う人が多いに違いない。
しかし、斎藤さんは違った。
「俺は柔術に向いてないってことが分かった。それが分かっただけで大成功。俺は成功者だ」
「プロレスラーが柔術家にやられてしまう理由が分かった。あんなに痛いんだから。それが分かった俺は成功者だ」
この超プラス発想は良いものだと思う。

超能力研究家で、数百冊の著書がある中岡俊哉さんは、テレビ番組ディレクターとして毎日のようにテレビに登場し、国際的な超能力学会も成功させた凄い人だが、中岡さんは、超能力獲得のコツについて、こう述べていたことがある。
「ごく小さな成果でも、成功と捉え、大いに喜ぶことだ」
その中岡さんは常識を超えた大きな奇跡を起こしたことが何度もある。
その1つの話だ。
中岡さんは、20代の時に脳梗塞で倒れたことがあったが、60歳を越えて再び脳梗塞で倒れ、この時は重症で、指1本動かせない状態になり、医者は、助かっても、生涯、重度の障害を抱えることになると言った。
しかし、中岡さんは、普段、超能力だハンド・パワーだと言っている自分が、このまま駄目になったら、俺は嘘を言ったことになってしまうと思い、回復を強く誓った。
そして、数日後、中岡さんが両手を自由に動かしてみせた時は医者は仰天し、そして、何と、中岡さんは完全回復し、激務に復帰した。
これを奇跡と言わずしてなんと言おう。
また、中岡さんは、若い時に、中国で、マジな超能力者のパワーをはっきり見せつけられてもいた。
その中岡さんの言葉には、信憑性を感じるのである。
ちなみに、私もマジな超能力者であるが、私には元々大きな力があった。しかし、それが不安定で、いつでも望む成果を出せないのは、成功者意識に欠けるからかもしれない。
ここは1つ、斎藤さんや中岡さんのアドヴァイスに従い、自分を成功者と認めることを習慣としよう。
皆様もご一緒にいかがであろう?








超能力者になる言葉

当たり前の言葉を言えば、超能力者になる。
その言葉が当たり前であればあるほど、超能力は強くなる。
この「超能力者」は分かり易く言っただけで、「引き寄せマスター」程度のつもりで使った。
もっと、癖のある言い方をする者もいる。
例えば、合氣道家の藤平光一さんは、「当たり前のことを言えば氣が出る」と言った。
「氣が出る」とは、潜在能力が発揮されるという意味で、まあ、超能力者になることと言って良い。
ちなみに、藤平さんが勧める当たり前の言葉は「重みは下にある」だったと思う。

当たり前ということは、自然という意味で、真理であるということだ。
デカルトは、言葉というのではないが、最高の真理を探究し、そして、彼が辿り着いた答が、
「われ思う、ゆえにわれあり」
だった。
彼は、「宇宙は広い」とか「火は熱い」というのは疑ったが、「われ思う、ゆえにわれあり」は信じたのだ。
だが、私は、ルドルフ・シュタイナーが言った、
「われ思う、ゆえにわれなし。われ思わず、ゆえにわれあり」
の方が好きだ。
ただ、デカルトとシュタイナーは反対のことを言っているようで、それは単に「われ」の定義の問題であり、実際は、そんなに違わないと思う。

別に、どの言葉が良く、どの言葉が悪いということはない。
大切なことは、自分が納得する言葉ではなく、魂が納得する言葉を使うことだ。

ニサルガダッタ・マハラジが至高の真理と言った言葉は、
「私は在る(私は存在する)」
だ。
これで良いと思えば使うと良い。
私も、この言葉には散々、お世話になり、良い想いをした。

『福音書』にはイエスの、『法句経(ダンマパダ)』や『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』には釈迦の、『老子』には老子の、『荘子』には荘子の、『論語』には孔子の言葉が沢山書かれているので、それらを読み、その中から選んでも良い。
あまり迷わず、とりあえず何か使うと良い。
真理度が多少低かろうが、言わないよりは、はるかにマシだからだ。
藤平氏の「重みは下にある」も、マハラジの「私は在る」も十分と思う。

「私は生きている」も、「私はいつか死ぬ」も、なかなか確からしい。
「ありがたい」こそ真理と思えるなら幸いだ・・・いや、確かに、魂はそれを納得するだろう。
「俺に不可能はない」は、魂的には正しいが、心の葛藤を生む可能性があるので、お勧めしない。
同じく、「私は神である」もだ。
だが、使いたければ使うと良い。












超能力の鍵

催眠状態になれば(つまり、無意識が心身を支配すれば)、限りなく高い能力を発揮出来ることを私が理解したのは、中学1年生の時だった。
たとえば、ある大空手家の有名なパフォーマンスに、十円硬貨などのコインを指で折り曲げるというものがあり、これは、科学的には、人間に可能と不可能のギリギリの境界にあることらしい。
つまり、その大空手家は、もしかしたら、人類を超える能力を持っていたのかもしれないわけだ。
しかし、催眠状態では、誰でもこれが出来てしまうらしい。
ある、お金さえ出せば誰でも受講出来るセミナーで、受講者全員に、素手で自然石を叩き割るとか、電話帳(いまどき、あまり見ないが)を素手で引き裂くといった、超人的な人間にしか出来ないパフォーマンスをやらせていた。これも、自己催眠状態に入る、あるいは、無意識を表出させるテクニックを活用しているのだろう。
海外で有名なものでは、アンソニー・ロビンズが昔やっていた、セミナー受講者に火渡り(燃えている炭の上を素足で歩く)をさせるものがある。
何度も書いたが、私の場合、こういったこととは違うが、人間に不可能なパフォーマンスを小学生の時から散々やっていた。私は、自己催眠のテクニックを、誰にも教えられずに使えたのだろう。

精神科医で、自分や他人を催眠状態に導く能力が異常に高かったのがミルトン・エリクソンで、彼の治療実績も抜群だった。
エリクソンの催眠技術を研究し、活用したのが、リチャード・バンドラーが開発したNLP(神経言語プログラミング)だった(今のNLPはどうか知らないが)。
そして、エリクソンといい、バンドラーといい、重要なことは、一瞬で催眠状態にすることで、大半の催眠術の使い手のように、時間をかけることをしない。
子供の時から催眠技術を使っていた私には分かるが、催眠は、一瞬でやってこそうまくいくし、実用的なのだ。

無意識に入る鍵は呼吸だ。
呼吸は、心臓や胃等の働きと同じく、自動で行われるが、呼吸だけは意識で制御出来る。つまり無意識に意識が介入出来る。
だが、意識が呼吸を無理に支配しても、あまり良い結果にはならない。
禅では、そんなことが分かっていたので、呼吸を数えることにしたし、仙道では、呼吸を観察することにした。
ちょっと難しいことを言えば、超能力を発揮するには、呼吸が自然に止まるようにやることが必要だ。
感動した時や、驚いた時には、自然に呼吸が止まるが、そんな状態を、意図的に起こすのである。
それが出来る能力があるかないかが、超能力者と凡人の違いなのである。
やり方は分かるが、無闇に教えて良いものか、疑問にも思う。
ただ、ごく当たり前の方法としては、好きなことに没頭することだ。ただし、本当に没頭出来るほど好きでないといけない。

無意識に入る訓練としては、やはり腕振り運動が良く、達磨も、超能力まで考えたかどうかは知らないが、健康法と言うよりは、能力開発法として考案したのではと思う。
つまり、意識せずに腕が振れるようになれば、もう、無意識に入っているのである。
それを習得するには、そこそこ時間がかかると思う。
毎日、励まれんことを。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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