ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

謎の円盤UFO

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人生を無駄にしないために

世界で最も有名な宇宙飛行士は誰かというと、おそらく、1961年に人類初の宇宙飛行を行った旧ソ連のユーリィ・ガガーリンと、1969年に人類で初めて月面に降り立ったアメリカのニール・アームストロングだと思う。
この2人の名は、人類の歴史に永遠に刻まれることだろう。
そして、2人の名だけでなく、ガガーリンが宇宙空間で、アームストロングが月面で発した言葉も、永遠に残る。
それは、

ガガーリン「神はいなかった」

アームストロング「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」

である。
こう言うと、「あれ?」と思う人もいるだろう。
ガガーリンの言葉としては、「地球は青かった」を覚えている人が多いと思うが、日本以外では、「神はいなかった」が有名らしい。
もっとも、ガガーリンの言葉として本当によく知られているのは、打ち上げの際の「さあ行こう(パイェーハリ)」であるようだ。

ところで、宇宙飛行士に必要な、ある重要な適性をご存じだろうか?
そりゃあ、飛行士として以前に、優秀であることも必要だが、アームストロングもガガーリンも、最も優秀だったから、人類史に名を残す快挙を行う役になったというわけではない。
宇宙飛行士は、「命知らず」でなければならない。
アームストロングが選ばれた理由も、何度も墜落経験がありながら飛行士を続けていた、その命知らずっぷりに白羽の矢が立ったと言われている。

ところで、宇宙飛行士が「命知らず」と聞いて思い出すことがある。
『サンダーバード』で有名な映像作品プロデューサーであるジェリー・アンダーソンが、初めて人間の俳優を使って製作した1970年のイギリスのSFテレビドラマ『謎の円盤UFO(原題:UFO)』でのものだ。
宇宙人と戦う地球防衛委組織シャドーの最高司令官ストレイカーと、フォスター大佐が重々しく会話する場面だ。
フォスターが「若い頃は死ぬことなんか何とも思っていなかった。だけど、今は死ぬのが怖い」と言うと、ストレイカーは、「君も歳を取ったんだ」と言う。
ちなみに、フォスターは30代も前半と思われる若さで、しかもナイス・ガイで、このテレビドラマでも女性視聴者に圧倒的に支持されていたようだ。
ストレイカーの言葉に、フォスターは「どういう意味ですか?」と質問すると、ストレイカーは「歳を取ると、人生の値打ちが分かるようになる」と答えた。
ストレイカーは40代前半と思われ、フォスターとは違うタイプの、いわゆる、「格好良いオジサン」で、当時の日本でも、若い女の子に、オジサンブームを起こしたと言われている。
(もっとも、いかに格好良く見えるオジサンも、その実態を知れば幻滅するものらしいが…)
フォスターは、ストレイカーの最優秀な部下であると共に、ストレイカーの数少ない友人の1人だが、元々は、航空機メーカーのテストパイロットだった。
テストパイロットとは、新しく作った飛行機の試験飛行を行うのだから、普通のパイロットの能力以外にも様々な能力を求められるが、やはり、「命知らず」でなければ務まらない。
フォスターも、若い時は命知らずだったが、少し歳を取ると、それほどの命知らずではなくなったというわけだ。

人生の値打ちが分かってくると、死ぬのが怖いというのではなく、命の大切さが分かると解釈すべきと思う。
そうなると、自分の命だけでなく、他者の、あるいは、あらゆる命の大切さが分かる・・・そうありたいものだ。
では、人生の値打ちとは何だろう?
これについては、スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンが共演した傑作映画『パピヨン』のあるシーンを思い出す。
殺人の罪で終身刑を受け、孤島の刑務所に送られたパピヨンは、確かに悪事は働いたが、実は、殺人に関しては冤罪だった。
そのパピヨンが、夢の中で、砂漠の中の裁判所で裁判を受ける。
裁判官が「有罪」を告げると、パピヨンは、「俺は殺していない」と主張した。
だが、裁判官は、「その罪ではない」と言い、パピヨンは困惑して「では、何の罪だ?」と問うと、裁判官は、「人生を無駄にした罪だ」と告げる。
それを聞くと、パピヨンは、
「確かに有罪だ。認めるよ」
と言ってうな垂れ、去って行く。

若くて勇敢なのも美点であるかもしれないが、若くても、人生を無駄にしてはならない。
若い時に人生を無駄にすれば、その「ツケ」が大きいことが、後で分かる。
歳を取れば、ますます、人生を無駄に出来なくなる。
無駄とは、自主的に何かをしないことだ。
子供の時から勉強ばかり「やらされて」一流大学に入った直後に死ぬことになったら、大変な後悔をする。自主的には何もしなかったからだ。
つまり、好きなことを自主的にしないことは、人生を無駄にして後悔するだけでなく、それは罪なのである。








差別をしないことは結局は極めて得なことでもある

1965年に製作された人形劇であるイギリスの特撮TVドラマ『サンダーバード』は現在でも人気があるが、監督のジェリー・アンダーソン(1929~2012)は、それまでにも、人形劇の経験を積んでいた。
そのサンダーバード以前の人形劇で、アンダーソンが黒人の人形を使ったところ、テレビ局から、白人の人形に差し替えるよう指示され、それに逆らうことが出来なかったというアンダーソンの思い出話をどこかで見た覚えがある。
その後、アンダーソンはさりげなく、テレビドラマの中で人種差別と戦っていたのだと思われる。
彼が、初めて人間の俳優を使った1970年の『UFO』(日本でのタイトルは『謎の円盤UFO』)は、地球人のものより、はるかに高度な科学技術を持って地球侵略を目論む宇宙人に戦いを挑むという、当時としては10年後の1980年の未来を描いたSFドラマだった。
その中で、月面基地の白人司令官が死亡した時、主人公である最高司令官ストレイカーは黒人男性に後任司令官を打診する。
その時、翻訳であるが、だいたい、こんな会話をする。
「なぜ私なんですか?」(黒人男性)
「優秀だからだ」(ストレイカー司令官)
「もし断ったらどうします?」
「なぜだ?理由を言いたまえ」
「本当に解りませんか?」
「ああ、解らないね」
「私の肌の色です」
「(苦笑しながら)馬鹿な。人種差別など5年も前になくなっている」
「表面的にはそうです。でも、緊急事態になれば、必ず影響が出るんです」
また、このドラマでは、日本人好みの女性指揮官(白人)と男性パイロット(黒人)の恋愛感情が作戦に支障をきたす場面にも、人種問題をさりげなく巧妙に絡めていた。

ところで、現代のアメリカのTVドラマ『スーパーガール』(2015~)や、『THE FLASH/フラッシュ』(2014~)では、スーパーガールことカーラや、フラッシュことバリーらは白人であるが、カーラの義理姉やバリーの義理姉は黒人で、素晴らしい人物として描かれ、また、カーラもバリーも、黒人青年や黒人女性(男性にしか青年という言葉を使えないのも何だが)への、叶わない恋愛感情に苦しむ。
こういったことが、あまりにさりげなく描かれているが、さりげなさ過ぎることに、妙な違和感を感じる私がおかしいのか・・・
実際には、最近のアメリカでの大規模暴動事件を見ても解る通り、人種差別は全くなくなっていない。
今でも黒人に貧困層は多く、収入においても、大学進学率においても、黒人と白人では大差がある。
一方で、裏づけのある調査であっても、「黒人のIQ(知能指数)は白人のそれに劣る」といった内容を含む研究論文を出した科学者が地位を失うなど、表向きでは、アメリカでは人種差別を厳しく禁じてはいるのだが、これ(人種差別)は、制度や管理の問題ではない。
また、人種差別以外にも、家柄や学歴や地位や容姿など、人間には無限の差別があり、それがきれいさっぱりなくなるというのは、子供騙しの妄想ショーかもしれない。

ところが、2400年前に書かれたと言われる『荘子』に、だいたいの意味でこんなことが書かれている。
「古代の(つまり、荘子よりさらに大昔の)人達は偉大な知恵を持っていたが、今はそれは失われた」
「知恵が失われた過程は、まずは“区別”からだが、ここまでは、まだ良かった」
「だが、“区別”から“優劣”を考えるようになった時、知恵が失われたのだ」
「優劣」は、「是非」「好悪」を生じる。
それにより、人間は愚かになり下がる。
だから、叡智を持つ方法は、
「視線を自然にし、分別をせず、是非好悪から離れることである」
と言う。
無論、現実世界において生きてくためには、万事これでは無理と思える。
毒キノコと食用キノコは区別しなければいけない。
しかし、毒キノコにだって存在理由はあり、食べてはいけないが、「非」でも「嫌」でもある必要はない。
美人は「好悪」で言えば「好」だが、別に不美人を「悪」だの「嫌」だのと考える必要はないのだが、馬鹿ほど、「悪」「嫌」を強く持つのである。
実際、「嫌い」が少ないほど能力が高まるように人間は出来ていると思われるのである。
差別主義者のエリートだっているが、やはり、そういった連中は、優秀な面と共に、常人以上に馬鹿な面もあり、結局は不幸になるように思える。
「好き」はあっても良いが、過剰になってはならず、「嫌い」を出来るだけなくすことが、向上の鍵であり、幸運を呼ぶのだと感じる。













当ブログ著者、KayのAI書。
著者が数年前、機械学習に取り組んだ時、そのためのパソコンの環境設定やプログラミングで苦労し、実際にAIを使うのは遠い道のりでした。
その時、「データがあれば、すぐにAIに推測させるようになればいいのに」と強く思いましたが、現代では、それが出来るようになり、さらに、主流になりつつあります。
しかし、その学習の方法となると、まだまだ、難しいもの、退屈なものが多いように思えます。
そこで、日常語を使い、なるべく普通の感覚で理解出来る、そして、面白いテーマで実際にAIを作れるようになる本を書きました。

ミクさんのライブに行くのは義務であることを真面目に語る

私が子供の時に見た映画(洋画だということしか覚えていないが)で、「自分」というものは、
(1)自分が思う自分
(2)他人が思う自分
(3)本当の自分
の3つがあると言っていたのが印象的でよく覚えている。
ところで、(2)の「他人が思う自分」は、他人の数だけの沢山の自分がいることになるが、単に、「世間で知られている自分」とまとめても良いだろう。

しかし、大切なことは、「どんな自分でありたいか」である。
そして、それが、「どう生きるか」ということである。
では、どんな自分でありたいだろう?
それは、「恥ずかしくない自分」ではないかと思う。
そう考えると、上の3つは1つになる。
即ち、
(1)自分で恥ずかしくない自分
(2)世間に対して恥ずかしくない自分
(3)本当に恥ずかしくない自分
である。
この3つに区別はなく、自分が恥ずかしくないなら、世間に対しても恥じる必要はない。

では、どんな生き方なら恥ずかしくないのか?
難しいが、こうは言える。
即ち、「楽しみのために生きている人間は恥ずかしい」ということだ。
言い換えれば、「人生は楽しむためにあるのではない」ということだ。

ここで、1970年のイギリスのSFテレビドラマ『謎の円盤UFO』(原題は『UFO』)のあるシーンを思い出す。
40代と思われるストレイカー司令官に、30代と思われるフォスター大佐が言う。
「昔は死を恐れなかった。でも、今は恐い」
それに対してストレイカーが言う。
「(君も)歳を取ったんだよ」
さらに対話はこう続く。
「どういうことですか?」
「歳を取ると、人生の値打ちが解ってくるんだ」

つまり、昔の、とても若かったフォスターは、楽しみのために生きていた。そんな生き方をしている間は、人生の値打ちが解らない。
だが、今のフォスターは、少なくとも、人生は楽しみのためだけにあるのではないことが、よく解っているのだ。
そして、ストレイカーは全ての楽しみを捨てていた。
愛する妻も息子もだ。
妻とは若い時に別れ、最後の執着だった息子は死んでしまった。
それでも、ストレイカーは人生が失われたとは思わず、人類を守るため、人類より2万年も進歩している宇宙人と戦い続けるのだ。
それなら、いかに進歩した宇宙人が相手でも、負けることはないだろう。

私も、ヴィクトール・フランクルの教えが完全に正しいのかどうかは解らないが、彼の言う人生の正しい生き方は、私が知る限りでは、他の人達の意見よりは優れている。
それは、「人生がその都度、具体的に提示してくる問いに答えること」だ。
失業するのも、病気になるのも、愛する人を失うのも、大金を得るのも、フランクルのようにナチス強制収容所に送られるのも、人生が具体的に提示する問いである。
それに対して、立派に答えること、即ち、恥ずかしくない行動をすることが、正しい生き方の候補だ。
生きるということは、楽しむためではなく、義務なのである・・・というのは正しいのだろう。
私にとって、初音ミクさんのライブに行くことだって、楽しみのためではなく、義務なのである(え?)。
だから、ミクさんの前では立派でなければならない。
すると、自ずと、マナーを守り、恥ずかしいことは出来ないだろう。
そうであれば、ミクさんのライブの時、誰かが「人生に意味はあるかね?」と問うなら、私は、「この瞬間のために生きているようなものだ」と言うのである。









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神に飛び込むには勇気が必要

1970年頃のイギリスのSFテレビドラマ『謎の円盤UFO(原題:UFO)』で、神秘思想を感じる興味深いお話があった。
人形劇の『サンダーバード』、『キャプテン・スカーレット』で知られる、ジェリー・アンダーソンの制作であるが、彼は、この作品で、初めて人間の俳優を使っている。

こんなストーリーだ。
地球を侵略しにやって来る、人類をはるかに超えた科学力を持つ宇宙人との苦しい戦いを続けていた、地球防衛組織シャドーの最高司令官ストレイカーは、膨大な予算を勝ち取り、NASAのロケットに最新のカメラを積み、宇宙人が、どの惑星からやって来るのかを探る作戦を実行する。
作戦を始める前のストレイカーは、「失敗を恐れていては何も出来ない」と不敵に笑い、自信も示した。
しかし、作戦は見事に失敗し、何も分からないという結果に終わった。
自分が軽く見ていた細胞学者の指摘で、知識の欠如が作戦の失敗の原因であることを認めたストレイカーは、宿敵とも言える上司の、ヘンダーソン長官の部屋にいた。

ストレイカーは、窓枠をなぞった指についた埃を見ながら、
「この埃の中にも、宇宙が存在しているのです」
と言う。
仏教の経典である『華厳経』は、「極小のものの中に全体を含む」が根本的な教義であるのだと思う。
また、ヘルメスのエメラルド・タブレットにも、「下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし」という有名な言葉があるが、それも同じ思想であると思う。
世界各地に、このような思想があるのは、それが真理だからではないだろうか。

人間は、神という大海の一滴の水のようだとは、よく言われる。
だが、土埃にまみれた一滴の水なのだ。
そんな我々は、大海が見えないし、大海と自分が同じ成分であるとは想像もしない。
自分と大海の関係も分からない。
そして、愚かにも、自分は土埃だと思っているのだ。

やるべきことは、大海に飛び込むことだ。
今、まとっている土埃(身体や心や所有物)に執着せず、大海と一体化することだ。
そうしたら、自分が土埃でないことが分かるだろう。
大海に飛び込むとはどういうことかと言うと、神に全てまかせることだ。
では、神に全てをまかせるとはどういうことかと言うと、直観を大切にするということだ。
神とは、直観の源泉であるのだからだ。

物質や理屈が大切でないとは言わないが、直観はもっと大切だ。
物質や理屈より直観を優先させることは勇気がいる。
理屈では右が安全で左が危険なのに、直観は左に行けという。
そんな時、迷わず左を選んだのが岡本太郎だが、ほとんどの人が安全な右を選ぶのだ。
ところが、初音ミクさんの歌では、大抵が左(理屈と反対の方)に行けと言うのである。
このことからも、ミクさんの歌がいかに芸術的であるかが分かるのである。









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戦いに勝つ条件

1996年のSF映画『インデペンデンス・デイ』の続編が、今年(2016年)夏に公開されるらしい。
『インデペンデンス・デイ』は、しれっと(何事もないように)変な思想を埋め込んだ映画だったという想いもあるのだが、それよりも、私は1つのシーンをよく覚えている。
宇宙人の攻撃の中で大統領夫人が危機に陥いるが、小さな男の子を連れた黒人の若い母親に救われる。
ファースト・レディという目も眩む立場の女性でありながら、高慢ちきではなく、まあ、いい人で、年齢は全然違うが、ヒラリー・クリントンよりはキャロライン・ケネディに近いイメージだ(キャロラインは『マジカルミライ2015』に来たのだから素晴らしい人だ・・・なんてね)。
助けた方の若い母親も、恩に着せる気もない、さっぱりした人で、大統領夫人も好意を感じている様子で、若い母親に親しげに話しかける。
「お仕事は?」
「ダンサーよ」
大統領夫人が目を輝かせて、「まあ、クラシックとか・・・?」と尋ねると、若い母親は苦笑しながら、
「裸で踊るの」
と言う。
彼女はストリッパーだった。
それに気付く位の世間常識がある大統領夫人は複雑な表情で言葉をつまらせる。
その大統領夫人に気を使ったということもあると思うが、若い母親は、
「恥じてはいないわ。あの子を育てられるんだから」
と明るく言う。
いや、恥じてないはずはない。
少なくとも、惨めな部分は小さくない・・・・と私は思った。映画的には、表立っては何も表現していないが。
そう思い、あのシーンを涙なくして見れない私は、相当惨めなやつかもしれない。

だが、その若い母親は、機転は効くし、運も良いので生き延びたと感じた。
戦闘機パイロットのスティーブンと天才エンジニアのデイヴィッドもそうだ。
どこか運が良いのだ。
『インデペンデンス・デイ』のように、地球人よりはるかに進歩した宇宙人が攻めてきて、地球人類は実力では手も足も出ないというお話はよくある。
この映画も参考にしていると思われる古いSFで、その作品自体も数多く映画化されている、H.G.ウェルズの『宇宙戦争』もそうだ。
それよりも、実力差をもっと露骨に表していたのが、『バトルフィールド・アース』だ。
(『バトルフィールド・アース』は、ジョン・トラボルタやトム・クルーズが熱心に信仰する宗教であるサイエントロジーの教祖、L.ロン.ハバートの手によるSF小説の映画化で、主演・制作はトラボルタである)
サイクロ星人の侵略に対し、30世紀の進歩した人類の軍隊すら9分しかもたずに地球文明は滅ぼされ、人類は旧石器時代に逆戻りする。
だが、その旧石器時代化した人間が、知恵と勇気でサイクロ星人から地球を取り戻そうとするのである。
そもそも、それほど進歩した知的生命体が侵略などするだろうかいう疑問はある。
資源が尽きたから資源豊富な地球を狙ったとか、あるいは、1970年頃のイギリスのSFテレビドラマ『謎の円盤UFO(原題:UFO)』のように、宇宙人には特に侵略という意思はなく、移住したい惑星に、ちょっと厄介な生物(人類のこと)がいたので排除しようとしているのだろうということかもしれないが、それもどうかと思う。
だが、たとえ、数千年後の地球人より進歩した科学力を持った宇宙人が攻めて来ても、勝負を決するのは運なのだ。

ところで、『宇宙戦争』では、人々が教会で祈っている間に、火星人は地球のウイルスに侵されて滅んだが、それなら、最初から必死に神に祈れば良いのかというと、そうではない。
古い『宇宙戦争』の映画では、「万策尽きた時、神が助けた」と、まるで、スマイルズの『自助論』にある「天は自らを助ける者を助ける」の思想のようでもあるが、それも違う。
そうではなく、「万策尽きる」まで、地球人は、神が救うに値する精神性を持っていなかったのだ。
どんな意味か、理屈で語るのは難しいが、いかなる戦いも、科学力や勝利の欲望の強さではなく、精神性が高い方が勝つのだ。
「いかなる戦い」でもそうで、我々が日常遭遇するような戦いでも同じである。

楳図かずおさんの古い漫画『おろち』で、数百年の時を少女の姿で生きる不思議な存在である「おろち(その少女の名)」は、一種の仙女のようなものかもしれないが、一度、宇宙人らしき相手と戦っている。
そのお話の壮大さは、ウェルズの『宇宙戦争』の比ではなく、楳図さんの天才振りを再認識するが、超能力を備えているとはいえ、おろちが勝利するのも、精神性の差だったように思う。
もちろん、戦いは、祈っただけでは勝てず、物質レベルの行動が必要であるが、最後は運の良い方が勝つ。
ちょっとおかしいかもしれないが、それが真実である。
で、どんな者が運が良いのかといいうと、これも説明が難しいが、言ってみれば、「神に近い」者であり、そこに行くには、常にゆるまないことしかない。
人間は、怠り勝ちで、すぐに、絶対的な休息をしようとする。
だが、その誘惑に勝つために、自分に掟を課し、それを死んでも守ることで、片時もゆるまない者が、結局のところ、運に恵まれ、勝つのである。
常に心身を引き締め、ゆるまなければ、何も心配することはないだろうことは間違いないと思う。

震災時に悪事を為す者は、徹底的にゆるんでおり、その後を見れば分かることであるが、恐ろしく運が悪い。
つまり、ゆるんでいる者というのは、内なる高貴な存在に気付かない者なのだ。
ロオマン・ギャリィの『自由の大地』のように、まずは清らかな存在が側らにいると意識することで、ゆるまず、引き締まるのも良いと思う。
『自由の大地』で、フランス兵達が空想したのは少女だった。少女とは本来貴く、少女達は、天使の代理人ですらある自覚は持って良く、我々もそう扱えば、人類はゆるまないだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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