ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

解脱

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

欲望は満足すると消える

お金や恋愛を引き寄せることを後ろめたく思う人は意外に多い。
だが、欲望は、満足させた時に消えるのである。
インドの聖者パラマハンサ・ヨガナンダの師の師であるラヒリ・マハサヤは大きな家に住むことが最後の願いであったが、彼の師ババジは、幻術でそれをそれを満足させ、マハサヤは解脱した。
また、『その男ゾルバ』(カザンザキス)という傑作小説で、ゾルバは、「欲しいものがあったら、ぎっしり詰め込むことでそいつを追っ払う」と言った。
ゾルバは子供の時、気が狂うほどサクランボが好きで、父親のポケットから銀貨を盗み、それで籠一杯のサクランボを買って、それを限界を超えて食べて病気になったら、もう全くサクランボを食べたいと思わなくなったことから、そんなことを悟ったらしい。

釈迦やラマナ・マハルシはどうだったかというと、釈迦は王子様であらゆる贅沢をしていたし、マハルシも裕福な家庭で育ち、アメリカンスクールに通っていたが、非常に頭が良く勉強は楽だった上、スポーツも得意だった。
彼らもまた、俗なことでの不満は持っていなかったのだ。

人間は、いずれは、物質を超えた本質的な力を求めるようになるが、よほどの人物でない限り、一度は、ある程度、現実的に良い思いをする必要があるかもしれない。
宇宙人バシャールについては、私は、「疑ってはいないが信じてもいない」というスタンスであるが、バシャールも、10億円程度の富を得ることは奨めているようである。
恋愛に関しても、若い頃にプレイボーイだった男は、案外に良いパパになるものらしい。
ただし、これは数の問題ではなく、相手を尊重した恋愛がちゃんと出来た時に満足するのであり、プレイボーイは安っぽい恋愛で満たさない中、本物の恋愛に巡り合い、少々痛い目に遭って悟るのである。

お正月
AIアート590
「お正月」
Kay


だから、「お金がある」「なぜか分からないが預金が10億円ある」といったアファーメーションを後ろめたく思う必要はない。
あるいは、昨日も書いたように、紙に書いて忘れても良いのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)その男ゾルバ(ニコス・カザンザキス著、秋山健訳)
(2)その男ゾルバ 〈特別編〉 [DVD]
(3)或るヨギの自叙伝
(4)未来は、えらべる!(バシャール、ダリル・アンカ、本田健 )
(5)本当にやりたかったことを、今すぐはじめよう!(本田健、ダリル・アンカ、バシャール)
(6)信念の魔術(C・M・ブリストル)
(7)潜在意識の大活用(水口清一)
(8)非常識な成功法則【新装版】(神田昌典)

神らしく振る舞う

第二次世界大戦当時、日本人を観察していたある西洋人が、
「日本人は個人では優しくて親切なのに、集団になると残虐になる」
と日本人を評価していたが、集団だと残虐になるのは、どの国でも同じと思う。
また、日本人が個人では善い人なのも、本当に人間性が善いのではなく、庶民は個人では力がないので、多くの庶民は保身のために親切に振る舞うだけで、これも、特に国による違いはないだろう。
ただ、日本人は、個人では特に無力感が強いので、個人では善良に見えるのではないかと思う。

つまり、人間は、どんな民族も、個人であろうが集団であろうが、邪悪なのである。
それで、なぜそうなのか、私は本当に疑問であったが、精神性を低下させる・・・「魂の波動(の周波数)を下げる装置」が、ある宇宙人グループにより設置・稼働しているからという説が、一見突飛ながら、あまりに、あらゆることに説明がついてしまうのである。
その装置は、直接には、人類の記憶を消し、偽の記憶を植え付けるのだが、その偽の記憶が、人類の魂の波動を落とすのである。

その悪の宇宙人が恐れることは、我々が記憶を取り戻すことである。
記憶を取り戻せば、つまり、偽の記憶を捨て、正しい記憶を回復すれば、我々は、強く賢くなる。
それは想像を超えて。

我々は、自分は寿命が短く無力な個人だという偽の記憶を持っている。
しかし、本当は神なのである。
神と言ったら、偽りの記憶により、歪んだ観念を持っている者が多いので、「神のようなもの」と考えても良いが、とにかく、神である。
仏教では仏と言うが、神も仏も同じである。
それで、我々のやるべきことは、自分が神であることを思い出すことだけである。
人間は今でも、そこそこの引き寄せの力を持っており、金持ちになりたければ金持ちとして振る舞い、美人になりたければ美人として振る舞うことが引き寄せの方法である。
それと同じで、我々は神として振る舞うことで神になる。
神になることは、金持ちになることより難しいかというと、元々が神なのであるから、「なる」必要はなく、単に思い出すだけなのであるから、易しいのである。
では、神として振る舞うとはどういうことか?
神の振る舞いとはどんなものか?
それは「超然」である。
神は超然としている。
超然とは辞書の意味では「物事にこだわらず平然としていること」であるが、その性質が特に強いことである。

超然とするとは、どういうことか?
そんなことが全く分からない馬鹿はいまい。
言い換えれば、全く分からないなら馬鹿である。
まずは馬鹿をやめることだ。
神なのだから。
しかし、一般人は、何でも誰かが答を知っていると思っていて、自分はそれを聞く権利があると思っている。
それが、あの装置で魂の波動を下げられている者の特徴である。

1つ言えば、最も易しいのは、超然とした者の呼吸をすることだ。
それは、ゆったりとし、安定しているに違いない。
逆に言えば、超然とした者らしい呼吸をせずに超然とすることは絶対に出来ない。
こんなふうに考えると良いだろう。








キレることは恐ろしく損である

いかなる聖典であろうと、そこに書かれていることは、心を静かにしろということだ。
そのための方法は、簡単に言えば、神、あるいは、仏を崇めなさいということである。
その結果、どうなるのかと言うと、自分が神とか仏になって、何でも出来るようになる。
では、なぜ、聖典がとても長いのかというと、上に書いたことを聞いても、信じられないからだ。

心を静かにするとは、自我を消すことであるが、いったんは自我を確立しなければならない。
自我を確立するとは、個性を育てるということである。
確立していない自我・・・個性のない自我は、生木のようなものだ。
自我を消すには、それを燃やさないといけないが、個性のない生木のような自我は燃えない。
個性ある自我は、枯れ枝のようなもので、火を付ければよく燃える。
だから、人間として未熟なうちに解脱することはなく、まずは、世間で鍛えられて個性を育て、自我を確立しなければならない。
苦しみに耐えれば耐えるほど、早く個性が育ち、自我が乾くので、すぐに燃えて自我は消え、神や仏になって、自由自在になる。

生きていれば、必ず苦しいことが起こるが、黙ってぐっと耐えれば、早く自我が燃えやすくなるので、苦しみは良いものだ。
苦しんで痛む心をじっと、科学者のように観察すれば、心はどんどん乾く。
その時、神や仏は、ぽっと火をつけてくれ、自我はぼっと燃え上がるのである。
そして、すぐに燃え尽きる。

普通は、世間で働いて鍛えなければ、自我は確立しないが、たとえ世間で働いても、自我が確立せず、しっかりとした個性を得られず、生木のように燃えない者がいる。
逆に言えば、学生だったり、ひきこもりだったりしても、キレたり、愚痴ったりせず、ぐっと耐えていれば、若くして自我が確立し、優れた個性を得、よく燃える枯れ枝になる。
とりあえず言っておくと、苦しみに耐えるのではなく、死の体験によって自我が乾燥してしまう場合があり、密教の秘法には、そのようなものがあるが、しっかりした指導者の元でやらないと、危険が伴うかもしれない。

神や仏を崇めると、耐える力が得られる。
神や仏の名や、神や仏の真言、あるいは、念仏を唱えることが、神や仏を崇めることになる。
特に日本では、苦しみを和らげ、あっという間に自我を確立し、燃え易くしてくれる祝詞がある。

キレたりせず、苦しむ心をただ観察すると、心は乾燥し、何かのきっかけで(きっかけは神や仏が与えてくれる)、心がぼっと燃えて消え、苦しみはなくなり、思ったことがすぐに実現してしまう。
それが分かれば、苦しみもまた良いものである。
一方、悪魔の狙い通り、いちいち律儀にキレていたら(笑)、ずっと苦しみの生木を抱えたままである。








高次元のアファーメーション

いかなるアファーメーション(肯定的断言)も、世間的思考よりは高いところにある。
世間的思考とは、「現状維持」とか「権威への服従」である。
アファーメーションをしない人は、頭の中で常に、「俺の給料は安い」「僕に大した見込みはない」「私に大きなことは出来ない」といった世間的思考しかしないのであるから、アファーメーションをすることがいかに大切かが分かる。
現状、お金が足りないなら、アファーメーションをしない普通の人は、ずっと、「お金がない」と頭の中でつぶやき、それが自動的な頭の中のつぶやきとなり、ますます貧しくなる。
しかし、実際は貧しくても、「私は豊かだ」「儲かって仕方がない」「お金がどんどん入って来る」とアファーメーションをすれば、最初のうちこそ違和感があるが、1日、何千回、何万回と唱えていると、数日とか数週間もすれば、違和感がなくなり、やがて、潜在意識が豊かになるよう働き始める。
そして、違和感や抵抗を小さくするには、単語だけを唱える単語法、つまり、「富」「成功」「勝利」などを唱えるのが良い。
あるいは、ごく短い普遍的アファーメーション、つまり、特定の目的ではなく、全ての目的に適用出来るアファーメーションである、「全て良くなる」「大丈夫」「俺に不可能はない」「絶好調」を使う手もある。
普遍的アファーメーションの優れたものを挙げるなら、「私は出来る」「思い通りになるのが人生だ」などである。

ところで、自己の利益を求めるものではない、さらに高度なアファーメーションもある。
これは、悟りを開く、解脱する、真我を実現する(真の自己になる)・・・などといった、高次元的な目的のためのもので、スピリチュアル、宗教的、神秘的と言えるかもしれない。
だが、悟りを開けば、その気になれば、この世は自由自在なのであり、世界を良くすることも出来るのであるから、これは、大きな望み・・・「大欲」のためのものであるとも言える。
ただし、大欲は小欲の対局であり、自分だけの願いに固執する者には似つかわしくない。
しかし、凡夫とはいえ、高次元のアファーメーションの時だけは、利己的でなくなり、愛に満ちた大きな心を持てば、それは敬虔な、本当の祈りである。

解脱、悟り、真我実現のための、単語法やアファーメーションは次のようなものがある。
「私」
「私とは?」
「私は在る」
「生命、愛、平和」
「私は至高の実在である」
「南無阿弥陀仏」
「アジマリカン」
実際は、他にも無限にある。
普通、これらの言葉の1つを、なるべく多く、気持ちとしては、起きている間中唱える。
そうすれば、やがて、神秘力、あるいは、超能力と言われるものも現れるようになる。
もちろん、利己のためにやろうとするとうまくいかないが、無欲に唱えれば、確実に効果はあり、利己的でなくなってくるだろう。
また、普段は、どちらかというと、利己的なアファーメーションを行うが、これらの高次の言葉を唱える時は、非利己的、利他的に、大きな愛の心で行うのも良いことであると思う。
それほど畏まってはいないが、私も、不意に「生命、愛、平和」と唱える時は、利己的な願いはないと思う。








簡単な悟りの開き方

悟りを開くことを、解脱とも言う。
呼び方は違うが、あらゆる宗教に悟りの概念があると思う。
芸術においても、岡本太郎の「爆発」、W.B.イェイツの「エクスタシー」、夏目漱石の「天賓」は、悟りの瞬間を意味しているのだと思う。

で、悟ればどうなるのだろう?
超人になるのかというと、真面目な宗教家は「そうではない」と言うだろうが、ある意味、超人になると言っても良いと思う。
では、悟りを開いて超人になった人に、「あなたにはすごい力があるのか?」と尋ねると、
「その通り。私に不可能はない」
と正直に答えてくれる人もいるが、
「いえ、私には何の力もありません」
と答える人もいる。
しかし、どちらの答も正しいと思う。
視点が違うだけだ。
「あなたは」に対応する「私」を、個人の自我とした場合には、自我には何の力もないので「私には何の力もない」と言うのは正しい。
だが、イエスがこう言ったことを思い出すべきだろう。
「私には出来ない。だが、神に出来ないことはない」
「神」とは、もう1人の大きな自分である。
小さな自分である自我には何も出来なくても、大きな自分(=真我=真の私=神)は何でも出来るし、自我は真我に命じる権限があるので、結果として、自我は何でも出来るのである。

だが、そんなわけで、自我は実際には何でも出来と言っても、
「いや、俺(=自我)は大したことは出来ないぞ」
と言いたい人がいると思う。
例えば、初音ミクさんのライブのチケットだって当てられない(笑)。
その理由は「悟ってない」からだ。
悟っていないと、つまり、解脱していないと、真の自分である神との通路が通じないのだからだ。
では、早速、悟らなくてはならない(笑)。
「いや、立派なお坊さんが何十年も厳しい修行をしても悟れないのに」と思うかもしれないが、瞬間的な悟りならすぐに出来る。

道元という、鎌倉時代の物凄く偉いお坊さんは、もちろん悟りを開いていた。
その道元は、『正法眼蔵』という、仏教史に残る大変な名著を書いている。
世界的なスーパー数学者だった岡潔さんは、この『正法眼蔵』を18年、意味が解らないまま座右の書としていたが、ある時、ぱっと解ってしまったらしい。これも悟りだ。
中山正和さんという、スーパー技術者で能力開発の大家だった人は、中学生の時、先生に、『正法眼蔵』の最初の『現成公案』だけ一生読めと言われたらしい。
そのおかげで、中山正和さんも悟りを開き、超人的な能力で凄い発明をいっぱいした。
で、道元がなぜ悟れたのかというと、彼の先生が「心身脱落」と言うのを聞いて、「おお!それだ」と思って悟りを開いたらしい。
「心身脱落」なら誰でも分かると思う。
心も身体も捨てる(忘れる)ということだ。

初音ミクさんの『Freely Tomorrow』という名曲(作詞作曲はMitchie Mさん)の最初が、
「心ごと体ごと 全部記憶の中の幻」
で、最後の方では、
「心ごと体ごと 全部脱ぎ捨てたこの魂」
と歌うが、まさにこれが心身脱落だろう。
よって、この歌を繰り返し聴けば悟りが得られる・・・多分(笑)。
いや、実際そうなのだと思う。
だが、もう少しお堅い話をするなら、インドの有名な聖者ラマナ・マハルシによれば「私とは?」と問い続ければ良いのだそうだ。
「私とは?」ではなく、普通、「私は誰か?」と訳されているが、原語はタミル語の「ナン・ヤー」で、それは、どちからというと、「私とは何か?」という意味になるらしい。
それなら、短く、「私とは?」と問えば良い。
マハルシの簡潔な教えは『私は誰か?』という短い冊子に書かれ、34ヵ国語のPDFが公開されている。
★Who am I? -Translations from original Tamil
この中の「JAPANEASE」をダウンロードすれば完全な日本語で読める。
時々、ミクさんの『Freely Tomorrow』を視聴しながら、常に「私とは?」と尋ねると、悟りの瞬間が訪れ、その時、意識しなくても、明確な願いが真我(=神)に届き、叶えてくれるだろう。
だから、明確な願いを持っておくと良い。
★【調教すげぇ】初音ミク『FREELY TOMORROW』(完成)【オリジナル】~ニコニコ動画~
★【初音ミク】FREELY TOMORROW【Project DIVA Future Tone】~YouTube~








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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