アントニオ猪木さんが、キャッチフレーズ(キャッチコピー)にもなったような「元気があれば何でもできる」と言うのを聞くと、誰もがそれなりに納得していたと思う。
しかし、問題は「どうすれば元気になれるか?」である。
これも猪木さんの有名な「いち!に!さん!だあ!」では、一瞬少し気分が高揚するが、その一瞬後現実に戻る。
どうすれば元気になれるかというと、空気を大きく吸うことによってである。
人間は、嬉しい知られがあった時、大きく息を吸うことをご存じだろうか?
受験に合格した時、告白の返事がイエスだった時、宝くじで大金を当てた時、誰でも必ず大きく息を吸うのである。
良いことがあった時に元気が出るのではなく、息を大きく吸い込んだ時に元気が出るのだ。
人間の身体は息を大きく吸い込んだ時に快感を感じる仕組みになっており、それにより元気が出る。
まるで、この良いことに対応するためにエネルギーを充填するようなものである。
逆に、悪いことがあった時は、「もう何もしたくない」「生きるのも嫌だ」と感じて呼吸は止まるのである。
ただし、予想外の悪いことがあった場合は、本当に呼吸が止まって死なないよう、必死で息を吸うが、その呼吸は浅くせわしなくて、大きく息を吸うことをせず、元気が出ないのである。
通常、良いことが起こって大きく息を吸い込んで元気が出る。
一方、大きく息を吸って元気が出ると、良いことが起こる予感がするのである。
人間は、願いとか想像が実現するのではなく、予感が実現するのである。
良い予感も悪い予感も的中する。
だが、希望や不安は実現しない。
しかし、大きく息を吸って元気を出せば希望は実現する。
大きく息を吸わず、元気がなければ希望は実現しない。
大きく息を吸わず、元気がない時の不安は実現する。
しかし、大きく息を吸って元気を出せば不安は実現しない。
世間で「不安の90%は起こらない」などと言われているが、元気がない人の不安は結構起こっているのである。

AIアート486
「雨の放課後」
Kay
『法華経』の中の『観音経』には、観世音菩薩の名を唱えれば、悪いことは起こらず良いことが起こると書かれている。
本当かというと本当である。
だが、名の唱え方が問題である。
この「観世音菩薩の名を唱える」は、何を唱えるのかというと「観世音菩薩」「南無観世音菩薩」「観音様」「アヴァローキテーシュヴァラー」など、何でも良い。
そして、「声に出して唱えよ」と書かれている。
この「声を出す」は、隣の人にも聞こえない小さな声でも良い。
ただし、一回唱えるごとに息を吸っていては駄目である。
連続して、息が続く限り出来るだけ多く唱えなければならない。とはいえ、あまり無理をしてはならない。
一分で千回唱える気持ちで唱えれば良い。
そうすれば、自ずと、息が続く限り速く唱えることになる。
そして、息が続くギリギリまで唱えた後、自然に大きく息を吸う。
その時、元気が起こり、良いことを呼び、悪いことを遠ざけるのである。
華厳経などの古い仏教の教典には、仏の名を唱えることには力があると説かれ、特に阿弥陀如来の名を唱えることについて書かれていることが、念仏の教えになったと考えられるが、どの仏の名も良いのである。
大切なことは、大きく息を吸うことである。
観音経は、経験的にか科学的にかは分からないが、実用的な真理を語っているのである。
◆記事に関連した書籍のご紹介◆
(1)現代日本語訳 法華経
(2)観音開運法―実体験が明かす「念彼観音力」の不思議!
(3)龍樹 (講談社学術文庫)
(4)健心・健体 呼吸法―釈迦が開発した集中力、閃き、健康の極意
しかし、問題は「どうすれば元気になれるか?」である。
これも猪木さんの有名な「いち!に!さん!だあ!」では、一瞬少し気分が高揚するが、その一瞬後現実に戻る。
どうすれば元気になれるかというと、空気を大きく吸うことによってである。
人間は、嬉しい知られがあった時、大きく息を吸うことをご存じだろうか?
受験に合格した時、告白の返事がイエスだった時、宝くじで大金を当てた時、誰でも必ず大きく息を吸うのである。
良いことがあった時に元気が出るのではなく、息を大きく吸い込んだ時に元気が出るのだ。
人間の身体は息を大きく吸い込んだ時に快感を感じる仕組みになっており、それにより元気が出る。
まるで、この良いことに対応するためにエネルギーを充填するようなものである。
逆に、悪いことがあった時は、「もう何もしたくない」「生きるのも嫌だ」と感じて呼吸は止まるのである。
ただし、予想外の悪いことがあった場合は、本当に呼吸が止まって死なないよう、必死で息を吸うが、その呼吸は浅くせわしなくて、大きく息を吸うことをせず、元気が出ないのである。
通常、良いことが起こって大きく息を吸い込んで元気が出る。
一方、大きく息を吸って元気が出ると、良いことが起こる予感がするのである。
人間は、願いとか想像が実現するのではなく、予感が実現するのである。
良い予感も悪い予感も的中する。
だが、希望や不安は実現しない。
しかし、大きく息を吸って元気を出せば希望は実現する。
大きく息を吸わず、元気がなければ希望は実現しない。
大きく息を吸わず、元気がない時の不安は実現する。
しかし、大きく息を吸って元気を出せば不安は実現しない。
世間で「不安の90%は起こらない」などと言われているが、元気がない人の不安は結構起こっているのである。

AIアート486
「雨の放課後」
Kay
『法華経』の中の『観音経』には、観世音菩薩の名を唱えれば、悪いことは起こらず良いことが起こると書かれている。
本当かというと本当である。
だが、名の唱え方が問題である。
この「観世音菩薩の名を唱える」は、何を唱えるのかというと「観世音菩薩」「南無観世音菩薩」「観音様」「アヴァローキテーシュヴァラー」など、何でも良い。
そして、「声に出して唱えよ」と書かれている。
この「声を出す」は、隣の人にも聞こえない小さな声でも良い。
ただし、一回唱えるごとに息を吸っていては駄目である。
連続して、息が続く限り出来るだけ多く唱えなければならない。とはいえ、あまり無理をしてはならない。
一分で千回唱える気持ちで唱えれば良い。
そうすれば、自ずと、息が続く限り速く唱えることになる。
そして、息が続くギリギリまで唱えた後、自然に大きく息を吸う。
その時、元気が起こり、良いことを呼び、悪いことを遠ざけるのである。
華厳経などの古い仏教の教典には、仏の名を唱えることには力があると説かれ、特に阿弥陀如来の名を唱えることについて書かれていることが、念仏の教えになったと考えられるが、どの仏の名も良いのである。
大切なことは、大きく息を吸うことである。
観音経は、経験的にか科学的にかは分からないが、実用的な真理を語っているのである。
◆記事に関連した書籍のご紹介◆
(1)現代日本語訳 法華経
(2)観音開運法―実体験が明かす「念彼観音力」の不思議!
(3)龍樹 (講談社学術文庫)
(4)健心・健体 呼吸法―釈迦が開発した集中力、閃き、健康の極意