ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

観察力

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

顔色を変えず見れば全知全能である

ここしばらく書かなかったが、人間の能力、成功や達成、果ては、存在価値まで決めるのは「観察力」なのだ。
優れた探偵小説をヒントに洞察することでそれが分かったが、木枯し紋次郎もまた、恐るべき観察の達人だった。
だから彼は、技量的には決して敵わない剣の達人とだって戦えるのである。

さて、拒食症の女性が時々いて、注目されることもあるのだが、世間の人はことごとく観察力がないので、本当の問題が分からない。
そうだ。
99パーセントの人間は、ミミズほどの観察力しか持ち合わせていない・・・というのは、『神様のメモ帳』のアリス的表現かもしれない。
※ミミズに視覚はない
あの身長130cm未満の少女は超越的な観察力の持ち主だった。

拒食症のために体重が軽過ぎる女性だって、普通に痩せているという時があった。
ひょっとしたら、元々は肥満していたかもしれない。
いずれにせよ、彼女にとって、痩せていることが美しさのために必要なことなのだ。
そして、彼女にとって、自分の存在価値は美しいことである。
それで、食を慎み、どんどん痩せてくる。
傍目には、もう十分過ぎるほど痩せていて、ある時点では、確かに、理想的、あるいは、プロのモデルのような体形なのかもしれない。
しかし、本人は、自分は十分に痩せているとは思っていない。
周りの人は、
「そんな馬鹿な!あなたは凄く痩せている。痩せ過ぎていると言った方が良い」
と言う。
だが、考えてみたまえ。
身体の細さに大きな関心を持つ敏感な女性が自分の身体に対して注ぐ観察力と、無責任な他人の彼女の身体に対する観察力では、あまりに違うのだ。
彼女は、部屋の中で、裸の自分の身体をとことん観察できるのだ。
「まだ、前かがみになると、お腹にシワが寄る。まだ無駄な脂肪があるのだわ」
本当は、ミイラですら、前かがみにすればお腹にシワも寄るのだが、最高度の観察力を発揮する彼女の目には、お腹のシワがあまりに明確で、鮮明で、そして、拡大されて見えるのだ。
初音ミクじゃあるまいし、人間の身体の表面にも柔らかさが必要だが、彼女は初音ミクになりたいのだ。
一時が万事そうなのである。
自分の身体のあらゆる部分に、欠点を見てしまう。
ここで、観察力の使い方の問題点を発見する。
心が無であれば・・・無心であれば、欲望が無ければ、静かであれば、クリアであれば・・・観察は真実を明らかにする。
しかし、偏見や妄想があれば、真実は捻じ曲げられ、色付けされ、ロープは蛇に、柳は幽霊になる。

拒食症に限らないのだが、人間の全ての問題を解く鍵は、透明な観察力だ。
曇りのない観察力を持つためには、なりゆきにまかせ、起こることを起こるまま許し、全てをあるがままに受け入れることが必要だ。
そのことを説いたのが『荘子』で、実践した人を描いたのが『木枯し紋次郎』だ。
荘子や紋次郎すら、人間である限りは間違う。
しかし、間違っても後悔しないし、間違いを受け入れるので、感情を乱さない。
そうすれば、もっと冷静な観察がやってくる。
まず、出来事に文句を言わない、泣き言を言わない、どうにもならないなら諦めることも必要だ。
世界はあなたの都合や願望に従ってなどくれない。
顔色を変えない練習をすれば、全てうまくいくようになるだろう。









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誉める必要なんてない

あまりに率直にものを言えば、相手にとって良いことを言っていても、悪意があるように思われてしまうことがよくある。
誉める・・・というのではないが、ねぎらったつもりが、妙な意味に取られてしまうのだ。
そんなふうに受け取る人が多くなってきた。

私もそうなのだが、誉められるのが嫌なら、単に聞き流せば良い。
ひょっとしたら、本当は、相手の誉め言葉の中に、皮肉や下心があるのかもしれないが、そんなことを疑うもんじゃあない。

人を誉めること・・・特に、子供を誉めることは良いことなのかもしれないが、自分が誉められて悪感情を持つような者は、決して人を誉めてはならない。
誉められるのが苦手な人も、あまり人を誉めない方が良いのだと思う。
私自身は、人を誉める必要はないと思っている。
誉めなくていいから、ちゃんと見てあげれば良いのだ。
少なくとも、見もせずに誉めたりなんかしてはならない。
生徒がまだ何も描いていない画用紙に5重丸のスタンプを押す馬鹿な小学校の教師がいた。
そんな愚かな誉め方をしてはならないということだ。

ちゃんと見てあげるためには、普段から、観察眼を磨いておかなければならない。
観察力がある人がちゃんと見てくれたら、誰だって嬉しいのである。
観察力のない者が見る目は曇っている。
そんな目で見られたら、誰だって嫌だし、不快だ。
我々は、日常の中で、目覚めていなければならない。
そのためには、空や星や風をちゃんと観察しなければならない。
自然な眼差しで、見えるまま、あるがままに見るべきなのだが、そのためには、意識して見ること、即ち、観察でなければならない。
観察すれば、新たな目で見ることになる。
新たな目で見れば、全てが美しいのである。
そんな目で見てあげることが最上の賛辞なのである。









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何に価値があるかは自分の意識の問題なのだ

人生には、記念すべき日だとか、記念すべき物というものがあるだろう。
ところで、小学校に初めて登校した日なんて、記念すべき日のように思えるかもしれないが、その日のことを覚えている人がどれくらいいるだろう。
その日は何曜日だったか?
その日、どんな服を着て、どんな靴を履いていたか?
私は全く覚えていない。
中学校もそうだ。
ただ、小学校や中学校の卒業式の日のことはよく覚えている。
高校の場合は、初登校日に、ちょっとしたトラブルがあったので覚えているが、そうでなければ覚えていないと思う。
しかし、高校の卒業式の日となるとよく覚えている。
つまり、学校に入学することは、私には記念とすべき価値は全くなく、卒業というより、「もうそこに行かなくて済む」ようになった日は、ひどく重要だったということである。
入学式の日のことをよく覚えているなら、その人にとって、その学校は価値があったということなんだろう。

車好きな人なら、初めて1人で車を運転した日のことを覚えているのかもしれない。
実を言うと、私は覚えていない。
私は確かに、あまり車や運転が好きではない。
ところで、なぜ、自分にとって大切な日のことを覚えているかというと、観察力が高くなっていたからだ。
シャーロック・ホームズは、ただ見るということと、観察することは全く違うのだと言うが、その通りだろう。
人は価値のあるものしか観察しない。
私は、小学3年生の時、初めてマジックショーを父親に連れられて見に行った。
それなりに楽しく、興奮したと思う。
しかし、やはり、ショーのことはほとんど覚えていないのだ。
面白くはあったが、私にとって、さしたる価値はなかったのだ。
ところが、その会場で、前の席に座っていた男性が、頭の後ろで手を組んだ時に見えた腕時計のことを鮮明に覚えているのだ。
フェイス(文字盤)は紫がかった青で、風防がよく反射していた。
実は、私はその頃、腕時計を持っておらず、それを欲しいと強く願っていたのだ。

小学校や中学校の授業は、何か特別なことでも起こっていない限りほとんど覚えていないが、ある日、私は、気紛れに「この時のことを記憶に残そう」と思った。
さて、その場合、どうすれば良いだろうか?
私は無意識に、教室の壁に貼ってあった1枚の張り紙を注視した。
つまり、観察したのだ。
私は、その貼紙の色をよく覚えているし、この時のことをよく覚えているのだ。
やはり、観察すれば覚えていることができる。
そして、観察すべき価値は、自分で作ることもできるのだと分かる。

大切な日のことを忘れたくないと思って、何かを記念に残す人もいる。
だが、私は学校の卒業式でもらった物はすぐに失くしている。
中学校の卒業式の時にもらった記念樹は人にあげた。
よっぽど学校が嫌いだったのだろう。
しかし、それをあげた女の子のことはよく覚えている。
特に好きという訳ではなかったが、魅力的な子だった。
それをあげる時の彼女の表情までよく覚えている。
それを観察していたからだ。
彼女は記念になったのだ。

シャーロック・ホームズは、観察のことを説明するために、2階の部屋で、ワトソンに、「階段は何段あった?」と尋ねる。
ワトソンは、その階段を数多く昇り降りしているはずだった。
しかし、ワトソンは、階段の段数が分からなかった。
確かにワトソンは探偵向きではない。彼は医者であり、ホームズの助手だ。
あなたは、自分の家の階段が何段か知っているだろうか?
その家に何十年住んでいる人でも、おそらく知りはすまい。
だが、ホームズは、何でも知っている。
彼にとって、世界の全てが重要なので、何でも観察するからだ。
『神様のメモ帳』では、ニート探偵アリスの助手である藤島鳴海は、平凡な男子高校生だが、時々、「全知全能」のアリスを驚かせる。
彼は、特に他人に秀でたところがある訳ではないが、しばしば、「目だけは良い」と言われる。
視力というより、いつもではないが、優れた観察力を発揮するのだ。
観察力を発揮する時の彼は、凡人ではない。
天才と言って差し支えない。
アリスもそれは知っているのだろう。
観察が力になることに、我々はもっとよく注意しなければならない。

私は昨日、つまり、2014年6月26日の木曜日、初めて、アリスが愛飲するドクターペッパーを飲んだ。
好きと嫌いの評価が極端に分かれる、世界最古とも言われる炭酸飲料で、発売日は1885年12月1日らしい。
私は、一口飲んだだけで好きになったのは、アリスの影響ばかりではない・・・と思う。
私はアリスと違い、ペットボトルのものを飲んだのだが(アリスは缶専門のようだ)、このペットボトルは永久保管するかもしれない。
初めて飲んだコカコーラやペプシコーラのことは覚えていないが、ドクターペッパーは私にとって記念になるのだろう。









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社長の息子はなぜニートになるのか?

「目標は高く」とか、「大望を持て」などとよく言われるが、リアリティが全くない目標は妄想でしかない。
ある音楽家が、自作オペラをパリの名門オペラ劇場であるシャトレ座で上演すると決めていたが、それは初め、大いなる妄想でしかなかったという。
しかし、彼は、その目標にリアリティが感じられるだけの実力、あるいは、少なくとも、それだけの実力を持てる基盤は持っていたのだ。
ところが、現在、年収300万円のサラリーマンが、「年収5000万円」という目標を持っても、それは何のリアリティもなく、モノクロームの夢ですらない。
「いや、一億円の宝くじを当てるつもりだから、リアリティがある」なんてのは、ただの馬鹿である。

年収300万円のサラリーマンが、年収500万円か、せいぜい700万円になるというのが、健康的な大いなる妄想である。
それは叶うだろう。
しかし、その叶え方を知らないし、巷にある成功法則は大体嘘だと言って間違いない。
私は成功法則なんて知らない。
そもそも、成功法則なんてない。
年収300万円を500万円にしたいなら、理想的には、自分より少し年齢の高い、年収500万円のサラリーマンをよく観察することだ。
例えば、会社のそのくらいの年収があると思われる先輩や上司を観察すれば良い。
そうしたら、年収500万円になるにはどうすれば良いかが分かるのである。
熱心に観察していると、「この人は分かりやすく話すな」とか「忍耐力がある」、「言い訳しない」などといったことが次々に解明される。
そして、自分で観察して分かったことであれば、その特質を自分の中に取り込むのは易しい。

確かに、「成功したければ、成功者らしく振舞え」というアドバイスをする者は沢山いるが、どうやれば、本当に成功者らしく振舞えるか教えないのだから、詐欺もいいところだ。
成功者らしく振舞うためには、成功者をよく観察しなければならないのだ。
ダイエットをしたいなら、大切なことは、ちっとも痩せられないのにダイエット食品を買い、ダイエット食品会社を儲けさせることではない。
痩せてすらりとした人を、怪しまれないよう注意しながら、熱心に観察することだ。

そして、観察力が鋭いなら、収入ゼロのニートが、年収3000万円の社長さんをしっかりと観察すれば、年収1000万円の起業家になるのは不思議なことではない。
ところで、年収3000万円の社長さんの息子は大抵ニートだ。
なぜかというと、その息子は父親から目を背けたがるからだ。
父親に大切なことは、自論を息子に押し付けることではなく、息子に好かれることなのだ。
言うまでもなく、それは、息子を甘やかすことではなく、謙虚であることだ。
教えるべきことは教えるが、分(立場)を過ぎたことは言わないことだ。
たかが年収3000万円の社長だという身の程をわきまえないから息子がニートになるのだ。

最初に、年収300万円のサラリーマンにとって、年収500万円から700万円あたりが健康的な妄想と述べたが、それは、年収300万円のサラリーマンは、その程度の観察力しか持っていないからという理由だ。
もし、観察力を高度に鍛えるなら、その限りではない。
まだ、俳優を志しているというだけの者でも、観察力があれば、大俳優を熱心に観察することで名優への道が開ける。
しかし、もし俳優の素質がなければ、大俳優を観察することで、それがはっきり分かって、別の道を進もうとするだろう。
それは幸いなことである。
いつも述べるように、我々は探偵のように、科学者のように観察することを忘れてはならない。









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これであなたは夢でも何でも分かるようになる

何年か前のことだが、若者の社会問題を扱ったような討論番組か何かだったと思うが、頼りなさそうな暗い感じの男子大学生が、「僕には夢がないんですよね」と言っていたのを憶えている。
まるで、社会が悪いから「僕が夢を持てない」のだと言いたいような態度だった。
しかし、言うまでもなく、夢は誰かが与えてくれるものではない。
本当に夢も希望もない国があるのかもしれないが、日本は夢だらけの国で、夢がないと言うなら、そう言う者が愚かであるとしか言いようがない。

確かに、日本人の大半は、やりたいことや目標がないのが弱味なのだろうが、自分でなんとかそれを見つけるか、あるいは、自分の意志で人生に目標はないことを本気で納得するしかない。
しかし、特殊な人を除いて、夢や生きがいは必要である。
では、それをどう見つけるかだが、それには、自分を観察することが必要なのだ。
ところが、聖者達も、「自分を観察しろ」と言うが、ほとんどの人は、観察力というものを全く持っていない。
自分どころか、自分以外の何も、まともに観察できない。
学校というものが、生徒に観察力を持たせない教育を押し付けているからであるが、これについては特に説明は必要ない。大切なことは、我々に観察力がないということだ。

ネコでも星でも花でもいいから、真剣に観察することだ。
それは楽しいことのはずだ。
あるテレビ番組で、家の家具の配置や、オフィスのデスクの上の物の配置をこっそり変え、それに気付くかどうかテストとするといったことをやっていたが、ほとんどの人が気付かず、せいぜい、言われた後で、「ちょっと変だと思いました」と言うくらいだった。
この観察力のなさ、それによる感性の鈍さは救いがたい。
そんなことではいけない。
身近にある何でも、意識して観察するのだ。
それによって、初めて、意識というものの存在が明確になるだろう。
人間は意識なのである。
観察力がなければ、自分が何かすら分からないのだ。
「私って何?」と言うなら、まずは、何でもいいから観察するのだ。
観察力が上がってきたら、自分の身体の様子、感情、呼吸を、これも真剣に観察すると良い。
そうすると、不思議なことに、何でも分かるようになる。
お金を得る方法も、好きな人に愛される方法も「ふっと」分かるようになる。
当然、自分が目標とすべきことも分かってくる。
優れた探偵小説を読んで、心、気、意識、魂を込めた観察の雰囲気を掴むのも実に有益である。
なぜなら、面白い探偵小説を書ける作家は、間違いなく、高度な観察力を持っているからだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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