ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

西村博之

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ひきこもりだって急上昇する方法

学校でも家庭でも、お金の稼ぎ方は教えてくれない。
そんな教科や躾は日本の学校や家庭には存在しないし、教師も大抵の親も、お金の稼ぎ方を知らない。

泥棒したり、強盗したり、身体を売るのはなぜかというと、お金を稼ぐ方法を知らないからではないかね?
お金に困ると、盗んだり、身を売るというのは、あまりに短絡的だが、他にお金を得る方法を知らないのである。

良い大学や大学院まで出ているのに、お金の作り方となると、さっぱり分からない者が多い。
それが、奴隷のようにならないとお金は得られないという、国家や大企業の意図的で強力な国民洗脳なのである。

お金は、ものを作る、ものを売る、サービスするの3つでしか得られない。
ほとんどの国民は奴隷のようなサービスしか知らないし、それ以外は知らないようにさせられている。
その中で比較的稼げる方法は、他の者が奴隷的サービスに励むようにすることだ。
出世するのは、従業員が従順に奴隷的サービスに励むようにする者だけであるのにお気付きか?

だが、売れるものを作り、効率よく売り、喜ばれるサービスを提供する者は富を得るのである。
今、お金儲けの上手い者というのは、良い就職が出来ずに、自分でしょぼいビジネスを始めたが、なまけ者で働くことが好きでないので、「楽に売れないかな」「楽に儲かる方法はないかな」と本気で考え、そんな効率的なノウハウを身につけた者達なのだ。
有名人の中でも、そんな人達が思い浮かぶかもしれない。
堀江貴文さんや西村博之さんのような人達だ。
彼らの真似をしようと思っても、彼らのような「効率よく上手くやる」訓練をしていないのに出来るはずがない。
こう言われたら、うだつが上がらない多くの人達の様子が説明出来るはずだ。
彼ら(堀江さんら)は、地頭も良いのだろうが、同じ人間でそんなに差はない。普通の人は、多少時間がかかるだけだ。
どうしたら楽に稼げるか考え、考えるだけでなく、なるべくリスクを避けながら実際に試して、多くの場合は失敗しながら学ぶことが必要だ。
それをせず、彼らが言う表面的なことだけ聞いてやってみても駄目である。

彼らだけでなく、今、ITで儲けている人というんは、最初は、安いアパートで、受託してWebサイトを作ったり、プログラミングをしたりしていたが、「シンドくて稼ぎは少ない。こんなの嫌だ」と思って(根がなまけ者なので)、「どうしたら楽に稼げるのか?」と本気で考え始めたのだ。
チームラボの猪子寿之社長だって、東大出ながら、ラーメン屋の2階で風俗店のWebサイトを作っていたらしい。歯科医の親は嘆いていただろう。
しかし、みんな、結局、面白いことをやるのが一番と気付き、結果、かなり働いているが、喜んで働いているので元気いっぱいだ。

昔から、宇宙人バシャールは「ワクワクすることをやれ」と言い、ドクタードルフィンこと松久正さんは「ワクワクは古い。これからはぷあぷあだ」とか好きなことを言っているが、早い話が、自分が面白いと思うことをやれば良いのである。
涼宮ハルヒのようにね。
大敵は「退屈」である。退屈していたら、貧しくなる一方だ。
その意味、ひきこもりが一番まずいのである。
面白いことを探し、出来るだけやってみなければならない。
求めよ、さらば、与えられんである。
探し続ければ、超面白いものを見つけて、ひきこもりだって急上昇するのである。








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わが友、わが味方、そは暇なり

昨日、「暇」がどれほど良いものであるかを述べた。
ただ、世間のイメージには、「小人閑居(かんきょ)して不善をなす」(つまらない人間は暇だとロクなことをしない)というイメージがある。
しかし、これって、国民を牛馬のごとく働かせるための、国家の思想統制ではないかと思う。
暇だと、酒ばかり飲んだり、色事ばかりにのめり込むやつって、それまで忙し過ぎたり、ストレスがある連中だろうと思う。
だが、芸術家がその典型だが、酒と女に溺れて暇なやつらが大画家、大作家、あるいは、大科学者にもなる。

西村博之(通称ひろゆき)さんの受け売りだが(西村さんも『銃・病原菌・鉄』という本で学んだ)、白人が有色人種を支配出来たのは、食料を生産し、輸送し、保管する技術を発達させるのに都合の良い場所に住んでいたからで、食べるために働く時間が短く、暇だったので、頭を使い、科学技術を発達させ、武器も作ったからだ。
きっと、「もっと暇出来るよう、征服したり、奴隷を作ろう」と考えたのだ。

アインシュタインがなぜ賢かったかというと、やっぱり暇だったからではあるまいか?
アインシュタインは、子供の時、「光と一緒に飛んだらどうなるだろう」と考えたらしいが、なんて暇な子なのだろう(笑)。
暇でなければ、そんな相対性理論のヒントになる考察などしなかった。
ヴァイオリンは、先生が嫌いですぐやめた(後に、「暇だったので」1人で練習した)ので、習い事などせず暇だったのだろう。
学校の勉強もせずに落第生で暇だったし、大学受験に落ちて、予備校で優雅に過ごし、無試験で大学に入った(予備校に1年行けばそう出来た)ようだ。
大学に入ってからも、講義は嫌いで一切出なかったし(卒業試験のための詰め込み勉強はしたが、それは試験直前だけである)、苦学生だった訳でも、ディスコでフィーバー(そんなもん、あるはずないが)していたのでもない。暇で、本を読んだり、大学の実験室を無断借用して趣味の実験をしたりで、伸び伸び知性を伸ばしたのである。
あんまし暇だったので、数学家の女の子を口説いてもいた(後に責任取って結婚した。偉い)。
そして、彼があまりお金を必要としない性格であったことも幸いした。
いつも同じよれよれの服を着、靴下を履かず、美食家でも金のかかる趣味もなく、金を稼ぐために必死で働くこともなく暇だったから、大発見も出来たのだと思う。

大画家となると、もう明らかに暇だ。
ピカソは家が豊かで、芸術の勉強以外は暇だったし、名門美術学校に行ったこともあり、早くに画家として成功し、金があったので、作品作りに没頭出来た。
だが、あんまし暇なので、美術学校の女の子を口説きまくり(まあ、「ボク、ピカソ」の一言で口説けたらしい)、60歳過ぎて二十歳前後の「妻」が何人もいたとか。羨ましい(笑)。
ゴッホは貧乏だったが、なんと、弟のテオが生活や絵画制作のための一切の経済面をまかなってくれて、ゴッホは「描くだけ」の人だったのだ!
ゴッホの絵は、ゴッホが生きている間は1枚も売れなかったが、素晴らしい弟のおかげで、「絵を描く暇なら無限にあった」のである。
宮沢賢治だって、家が大金持ちで、暇だったので、考える時間や創造的趣味に費やせる時間がたっぷりあったから、名作を沢山書けたのではないか。

そして、今の時代、賢く振舞えば、誰でも暇になれるはずなのだ。
しかし、首尾よく暇になれても、創造的な暇人であると良い。
ただ、創造的と言っても、何が創造的かは分からないが。
ゲームばかりやってるのは創造的に見えないが、ゲームばかりやってて、そのおかげで成功した人もいるのだしね。
まあ、全ては自己責任でということで。
以下ご紹介する西村博之さんの本は、本当に有意義かどうかは読む人次第だが、面白いし、賢く応用すれば確かに強力な武器と思う。









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暇力

私は昔、総務課の社員として働きながら、プログラミング言語をいくつか覚え、まず、社内システムを開発するようになり、それから、SE・プログラマーとして転職し、それからも、いろいろなプログラミング言語や開発ツールの使い方をマスターした。
こう言うと、かなりの努力家のようだが、実は暇だったから出来ただけだ。
昔、親しかったシステム開発会社の社長がこう言っていたのを覚えている。
「私はIT資格を取る社員を評価しない。むしろ、評価を下げる。なぜなら、そんな者は余裕があるということだからだ」
そうなんだよな。
社長というか会社は、社員が勉強なんかしている暇やエネルギーがなくなるまでガンガン働いて欲しいものなのだ。

竹村健一さんも、会社の中で窓際族になって勉強するのは好ましいことであるといった意味のことを著書の中に書かれていた。
そして、私が最近ハマっている、ひろゆきの愛称で知られる、元2ちゃんねる運営者の西村博之氏も、暇になってプログラミングを覚えるようなことを良いことと著書に書かれていた。
そもそも、西村さんは2ちゃんねるで成功した理由について、「当時は他にも電子掲示板サービスはあったが、暇で続けられたのが僕だけだった」などと書かれていて、まあ、それだけではないだろうが、そういった面もあったと思う。
西村さんは、学生時代だろうが、コンビニでバイトしていた時、指示をされない限り、座って漫画を読んでいて、辞める時、店主に「お前は最低のバイトだった」と言われたらしい。
そういえば、私はサラ金に勤めていた時(そんなことがあったのだ)、上司の店長に、私が「次は何をしましょうか?」と積極的に言わないところが駄目だと言われたが、西村さんと似ていたのかもしれない。
西村さんは頭が良いので、ついつい話に引き込まれる。
本人は、自分は頭が悪いと言うが、それは、堀江貴文さんや川上量生さんら、恐ろしく頭の良い人達を直接よく知っているから、彼らに比べれば多少落ちると感じてはいるのかもしれないが、普通の人よりははるかに頭が良いし、知性の種類によっては、堀江さんらすら上回るかもしれない。

会社の中で、バタバタ走り回って忙しく働いている人は、上司や偉い人の評判が良いし、当然そうなるだろうから、「俺は働いているんだぞ」とアピールしているような者も多い。
そんな連中を私は「ウザい」と思ってしまうことがある。
私は仕事をしないので、偉い人に文句を言われることはあるし、同僚に明らかに疎まれていたりもする。
だけど、私は、西村さん同様、働くのが嫌いということもあるが、他の人と一緒に何かするのが苦手なのである。
だから、部下も持ちたがらず、実際いない。
だが、そうやっていると、特別で面白い仕事が回ってくるものである。
訴訟を起こす時に担当になり、弁護士や東京地裁の裁判官とやりあった時は面白かった。
また、全く新しいプロジェクトの予行演習みたいなものをやることもあるが、こういうのは刺激的で楽しい。
真面目に働いている者は、いくらがんばっても経験にならないルーチンワーク・・・それも、自分が勤めている会社の中だけで通用することが上手くなるだけで、転職出来るようなスキルが身につかないので、会社を辞めたり、リストラされると悲惨なのである。

元マイクロソフト日本法人社長の成毛眞さんも、会社の中で身を潜める術を身に付けろとか言ってなかっただろうか?
確かに、社長にでもなれるなら話は別だが、身を粉にして働いても、良いことはあまりない。
もちろん、クビになったり、あまり悪い立場にならない程度には働く必要があるだろうが、私はそれすらやらなかったような気がする。
では、どうやれば、会社の中で安全に暇になれるのだろう?
1つには、話しかけ難い雰囲気というのもあるのだろう。
その点、気安く、人なつっこい、ノリの良い人は駄目だ。
どうすれば、敬遠されるようになるかというと、やはり、気安くない雰囲気が大事で、しかも、安っぽくない・・・つまり、近寄り難い風格、霊気とでもいうものを持てば良い。
それには、普段から、普通の人とは違うことをやれば良い。
まあ、普通の人は、『バガヴァッド・ギーター』や『荘子』なんて読まないだろうし、毎日、腕振り運動やスクワットをやったりしないだろうから、毎日、それらをやると、やはり、普通の人とはどこか違ってくる。
とはいえ、いくら普通の人と違うと言っても、下らないことで普通の人と違うことをやっても仕方がない。
私は、瞑想や超能力開発はちっとも下らないと思わないが、こういったことも、程度の低いやり方もあるが、そうであってはならない。
とりあえず、こんなところが思いつくが、よく考えれば、もっといろいろ、そして、良い案があるだろうから、また考えてみよう。









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人生は冒険か

昔読んだ、L.ロン.ハバートの小説で、タイトルは『幻の四十八時間』だったような気もするが覚えていないし、Amazoonで検索しても、とっくに廃版のようで、よく分からない。
こんな話だ。
ルーチン通りの毎日を過ごす女性がいた。
毎朝、オフィスに出勤し、夕方までタイピストの仕事をして帰宅し、夕食を食べて寝る・・・それ以外のことは何もしなかった。
そして、歳を取り、いよいよ寿命が終りという時に、彼女は初めて後悔する。
そんな彼女に、48時間だけ、18歳の美女の姿と魔法の力が与えられ、彼女は魔法で出した美しいドレスをまとって出かける。
すると、たちまち、大金持ちの美青年と出会い、青年は彼女に激しい恋をする(彼女の中身は老婆だぜい・・・)。
だが、この魔法は48時間しか持たず、本当の姿を知られたくない彼女は、誰にも見つからない場所で、ひっそり1人で死ぬ。
ところが、彼女の遺体にすがって泣く1人の老人の男の姿があった。
あの金持ちの美青年もまた、彼女と同じように、魔法を与えられた老人だったのだ。

「若いうちに冒険しろよ」というのが主題ではなく(そんな意味もあるのだろうが)、もっと深い意味があるのかもしれないが、何と書かれてあったのか忘れた。
老人男女に魔法の力が与えられたのは、天使と悪魔の賭けのためで、確か、悪魔が勝ったのだと思う。
しかし、老人の男は、老婆の姿に戻った彼女をまだ愛していたのだから、天使の勝ちになりそうなものだが、まあ、どうでも良い。

彼女のような生き方は有りかというと、それは人の勝手というものだが、今の時代には、彼女がやったような単純な仕事はないので、このような意欲的でない女性は貧困に陥ることになる。食事は、冷蔵庫に入れて長持ちさせている食パンがメインとかになるかもしれない。
いや、下手したらホームレスだ。
あるいは、何とかそれなりの会社に就職したら、今の時代は、いろんな楽しみがあるので、趣味に生きるようになるかもしれないが、そんな女性なら、多分、寂しい趣味になると思う。
やっぱり、冒険のない人生は無でしかない。
もちろん、女も男も同じだ。
ビートルズは、「人生は嵐だ」「恋は激しくするものだ」と歌っていたのだと言う人がいるが、まあ、そうだろう。
つまり、やりたいことをやらなきゃいけないし、やりたいことは自分で見つけないといけない。

ところが、ひろゆきこと西村博之さんの本を読むと、「彼女のような生き方も有り。ただ、もちっと趣味を充実させよ」と思えてきてしまう。
私も西村博之さんに論理的に言い包められてしまっているらしい(笑)。
いや、西村博之さんは、やりたいことやっているのだ。
ただ、本人言うところ、それはたまたまということになるのだが。

人間は、何でも思いのままに出来る訳ではない。
いや、出来ないことの方が多い。
よって、身をまかせるしかないのだが、神が「あとは全てわれにまかせよ」と言ってくれるだけのことをしないといけないのだろう。
で、何をすれば良いのかというと、アメリカの詩人エラ・ウィーラー・ウィルコックスによれば、自分の内を見ることなのだそうだ。
『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナもそう言っていたと思う。
エラの有名な詩『Solitude』(孤独)の冒頭はこうだ。

笑おう、そうすれば世界が貴方と共に笑う
泣きなさい、そうすれば貴方は一人だ
(Wikipediaより)

つまり、笑えばいいってことだ。









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根拠のない自信を持った人だけが成功する

成功する人は、全員、「根拠のない自信」を持っている。
言い換えれば、「根拠のない自信」を持つことが出来た人だけが成功するのである。
ところで、特に女性がそうだと思えるが、実際は男も変わらないこととして、大半の者が、「私はかなり可愛い」「俺はかなり格好良い」という「根拠のない自信」を持っている。ところが、これはただの妄想で、何の力にもならない。
ところで、本当に美人であるとか、本当にイケメンで、それを鼻にかけている者もいて、それは「根拠ある自信」だが、それは危うい。なぜなら、「私は美人なのに優遇されなかった」と感じた時に自信喪失しかねない。
例えば、東大に入り、周囲にチヤホヤされ、自分でも自分は頭が良いと思っていたのに、社会に出たら現実には何も出来ないことを思い知った時に、幼児退行したり、自己嫌悪、他人嫌悪に陥ってしまうようなものだ。
まあ、そういうオールドスタイルの東大生も少なくなってきたようには思うが、やはり一定数はそんなのが東大に限らずいると思う。
受験がある限り、「お勉強しか出来ない」残念な子はなくならないだろう。
「根拠ある自信」、つまり、「理屈で納得出来る自信」の威力は、かなり限定的なのである。

「根拠のない自信」は、時間をかけることでしか得られない。
プロレスというのは、全試合、勝敗や試合の流れをプロモーターが決めるショーであるが、本当の実力もまた大切である。
一番強かったルー・テーズは、ダブル・リストロックという技について、「この技に救われたことは数限りない」と言い、この技がある限り、自分は無敵だと思っていたのだろう。
だが、それは無論、「根拠のない自信」だ。
ダブル・リストロックを磨けば本当に無敵なら、皆、そうすれば良いのに、そんなことにはならない。
しかし、テーズは、そんな「根拠のない自信」を持てたから、史上最高のプロレスラーになれたのだ。
テーズが、そんな「根拠のない自信」を持てた理由は、ダブル・リストロックを教えてくれたジョージ・トラゴスを心から尊敬していたこと、トラゴスが、若い力自慢の生意気なレスラーへの制裁として、容赦なく残酷に、その技で肩を砕くのを衝撃を持って見たこと(60年経っても、昨日のように鮮明に思い出したらしい)、そして、熱心に練習し、その技を実践で磨いたこと・・・等である。
テーズが「地上最強」なのもうなづけるのである。

「根拠のない自信」を、衝撃体験や、強い感動によって得ることもあるが、それには、それなりの下地があったのだし、その後、磨き続けたので、その「根拠のない自信」を保てるのである。
「根拠のない自信」が絶対必要と著書に書かれていた、ひろゆきこと西村博之氏が、その本に面白いことを書かれていた。
自分は、剣道とキックボクシングをやったことがあるので、いざ取っ組み合いになったらまず負けない自信があるから、相手を怒らせても平気なので、心の余裕があるらしい。
それはやっぱり「根拠のない自信」だ。
格闘技をやっていたのは学生の頃ことらしく、しかも、それほど熱心にやった訳でもないらしい。
そんなものが、40歳も過ぎて役に立つはずがない。
私の知り合いに、大学でレスリング部の主将を務め、柔道も黒帯で、空手の拳ダコも出来ているという、かなり危ない男がいたが、別に格闘家になった訳ではなく、30歳をかなり過ぎると、「若い元気なヤツには負ける」と言っていたものだ。
「昔とったきねづか」なんて、実際は、ほとんど役に立たない。
筋トレ指導で有名なTestosteroneさんは、「筋トレをやったら、いざとなったら相手をぶっとばせるので自信が持てる」みたいなことを書かれていたが、実際は、筋トレやってるからってケンカに強い訳ではなく、むしろ、見掛け倒しが多いと思う。
ボクシング元世界王者の具志堅用高さんは、「僕、ケンカ弱いっすよ」とか言ってたものだ。
だが、ひろゆきさんのように、かじった程度の方が「根拠のない自信」は持ちやすいが、そうはいっても、ひろゆきさんは、それなりにはやったのだと思う。

「根拠のない自信」これは、何としても得なければならない。
それを得る方法について、今後も書いていくし、一緒に考えたい。
これを得る旅も楽しいものである。それが最高の宝なのだから。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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