ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

虎哉宗乙

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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『老子』第36章を一言で言えば「世の中はあべこべ術で動かす」

今回は『老子』第36章である。
この章を一言で言えば「世の中はあべこべ術で動かす」である。

この章は、引き寄せの最大奥義でもあるが、もちろん、そんなチャチなものではない。
ただ、チャチなものではないながら、引き寄せとしては最大奥義であることも確かだ。
つまり、ここに書かれていることで、簡単に引き寄せが出来る。
古代から、あらゆる賢人はこのことを知っていて、世の中程度のことは軽々と動かした。

やり方は、この章にも書かれている通り、頭の理屈と逆をやるだけだ。
・縮めたければ広げよ
・弱めたければ強めよ
・衰退させたければ繁栄させよ
・奪うなら与えよ

伊達政宗の師として知られる臨済宗の僧、虎哉宗乙(こさいそういつ)も、
「痛ければ痛くないと言え、悲しければ笑え、暑ければ寒いと言え」
と政宗に教え、政宗は秀吉や家康にも恐れられる武将となった。
私は、政木和三さんから、
「私はお金なんてちっとも欲しくないんです。でも入ってくるものは仕方がなく、毎年1憶円も納税する羽目になっています。私は女なんてちっとも欲しくないんです。でも、私に身をまかせる女が百人いると思っているから、そうなっちゃうんです」
と聞いたものだ。

ちなみに、こんなやり方で大成功した事業家が、ドワンゴ創業者の川上量生さんだが、彼は、偉くなってから、理屈通りのことをやるようになってしまった・・・というか、やらざるをえなくなった。それで力を失くしたと思う。

モテる男なら皆知っていることだが(モテる女も同じと思うが)、女の子をモノにしたい場合は、興味がない態度をすることだ。
すると、女の子の方から来るものだ。
だが、こんなことすら、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に操られている者は、知恵がないので分からず、「欲しい欲しい」と迫るので、全くうまくいかないのだ。

この章の奥深い意味は、『老子』の他の章と同じなので、今回は軽い話に留める。
こだわってはいけないが、まあ、適度な範囲で世の中を動かし・・・つまり、引き寄せを行い、快適を得ても良いだろう。








伊達政宗の師の引き寄せの教え

引き寄せが上手い人の多くが、引き寄せのやり方を説明する時、自分の感覚的な言葉を使うから困る。
たとえば、「りんごが欲しい時は、りんごと合体するのだ」なんて言われても、自分は分かるのかもしれないが、言われた方は困る。
今は、もっとマシな言い方をする人が多いと思うが、それでも、「願いを意図すれば良いのです」などと言い、やっぱり、それは、普通に通じる言葉ではないのだ。
ある、それなりに信奉者の多い立派な人も、いつも、「決意することが大事です」と言うが、言われた方は、一生、「どう決意すればいいのか分からない」場合が多いのではないだろうか?

「独眼竜政宗」と言われた、碧眼(片目のこと)の戦国武将、伊達政宗の生涯の師だった、虎哉宗乙(こさい そういつ)という禅僧がいた。
政宗は、宗乙の教えのおかげで、無事に生き延びて大大名にもなり、特に晩年は、長く楽しく過ごしたし、宗乙も80過ぎまで元気で自由に生きた。
その宗乙のよく知られた名言に、

痛ければ痛くないと言え
悲しければ笑え
暑ければ寒いと言え

という、いわば、ひねくれ禅がある。
これ、何を言っているか分かるだろうか?
これは、「現実は無視しろ。言葉と態度を持って」という意味だ。
つまりだ。
お金がなくても、そんな現実は無視して、お金があると言う。
モテなくても、俺はモテると言う。
上手くいってなくても、上手くいっているという態度をする。
すると、全てうまくいく。

ただ、これでうまくいく人もいれば、まだ心が不安定で、うまくいかない人もいる。
そんな人がうまくいく方法は、今朝書いた通りだが、それを、宗乙は、子供だった政宗にこう教えている。

政宗(当時の名は梵天丸)と、政宗の学びの友の2人に、宗乙は桔梗の花を見せる。紫色の美しい桔梗だった。
宗乙は、よく見るよう指示した後、2人に目を閉じさせる。
すると、宗乙は、静かに、桔梗の花を千切った。もう茎しかない。
そして、宗乙は2人に問う。
「この桔梗は何色か?」
2人は「紫じゃ」と答えた。
宗乙が「なぜ、そんなことが分かる?」と問うと、政宗と違う方の子供がすぐ、「桔梗は紫じゃ」と答えるが、宗乙は「そんなことは聞いておらぬ!」と一括する。
そして、宗乙は政宗らに、目を開けさせる。
すると、紫の花は、もうそこになく、2人の子供は慌てた。
だが、政宗は再び目を閉じると、「心の目で見れば紫じゃ」と言った。
合格であった。
現実として、紫の花はそこにない。
しかし、政宗の心の中・・・つまり、政宗の世界では、紫の桔梗がある。
現実より、心の世界が重要なのだ。
※政宗のこの逸話は、細かいところでは異なる部分があるかもしれないが、全体はだいたいこれで合っているはずだ。

現実ではお金がなくても、そんなことは無視し、心の中ではお金があると思い、心の中の世界の通りに、お金があると言い、お金があるような態度をするのである。
だが、心(自我、エゴ)が反発して、それがやり難い場合は、常に「お金がある」とアファーメーションを行うのである。
アファーメーションより、呼吸数を落とせば、心は希薄になり抵抗してこないので、その方が良いかもしれない。
まあ、手段は何でも良い。
あるいは、今朝、書いたように、心では年収1憶円とした若い女性のようにやれば良いのである。








無の表情の驚異

心の状態は表情に表れる。
逆に、表情によって、ある程度は心をコントロールできることをご存知と思う。
悲しい時に、無理にでも笑えば、少しは気も紛れる。
だが、表情というものが、驚くべき神秘であることに気付いている者は少ない。
人気者の戦国武将、伊達政宗の師であった禅僧、虎哉宗乙(こさいそういつ)が、政宗に、「辛い時に笑えよ。嬉しい時に泣けよ」と教えたのは伊達ではない(洒落ではないが)。
表情は、それに相応した、精緻な波動を発生する。
病気の時に健康な人間の表情をすると、発生した波動が現実を変えて健康になる。
貧乏でも、金持ちの表情をすれば、金持ちの波動を発して、かなりの余計な金を得てしまう(あまり良い結果にはならないかもしれないが)。
出世する人間の表情を真似れば、同じように出世する。
また、嘘でも優しい表情をしていれば、人もネコも寄ってくる。
タイはエビに、ネコはマタタビに、虫は灯りに、イケメンだって女の優しい表情に引き寄せられてしまうのである。

アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』で、こんな有名な場面がある。
綾波レイの無事を知った碇シンジが泣き出すと、レイは、「なんで泣いてるの?」と尋ねる。
マジでそんなことを聴いたこの時のレイに感情はなかった。
しかし、泣いているシンジの表情は、レイにとって不可思議な波動を発生しており、それに当てられたレイは戸惑って、
「ごめんなさい。こんな時、どんな顔すればいいか分からないの」
と言う。
それで、シンジが、「笑えば・・・いいと思うよ」と応えると、レイは花のように微笑む。
シンジ君、なかなかやるじゃないか?
見事、レイの心を支配して、彼女に微妙な感情を引き起こさせたに違いないのだから。
そして、これまで、人生が重荷であったレイが、自分の意志で人生を生きる方法を、ごく自然に教えてしまったのである。
我々も、この歴史的なシーンから学ぶべきかもしれない(別に、難攻不落の美少女の口説き方というつもりではないのであしからず)。

だが、まずは、欲を持たず、無表情に徹してみることだ。
特に、是非好悪の判断を示す表情は一切捨てよ。
これが、荘子の重要な教え、「思慮分別を離れ、是非好悪の判断をするな」につながる。
荘子がこう教えたからには、これで天下無敵なのである。
荘子は無駄なことなんか教えない。

人間は、無、空になれば、不可能はない。
そうなれば、あらゆる奇跡が起こり、想いのままとなる。
ビートルズが『ひとりぼっちのあいつ(Nowhere Man)』で(おそらく、レノンの作品)、「世界は君の意のままなんだよ(The World is at youre command)」と言った通りだ。
そして、当然、無になった人間は無表情だ。
逆に、無表情であれば、人間は最も精妙な波動を広げていき、ミラクルワールドを創り出す。
だが、気を付けて欲しい。
欲望があれば、無の表情を続けられないことを。
だから、いったんは、欲望をぽーんと捨てるのだ。
それは、結果は神に任せるということだ。
神は、決して悪いようにはしない。

無の表情をマスターすれば、やがてアルカイク・スマイル(生命と至福の表情)を得る道が開ける。
これは神の表情である。
京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)こそが、本物のアルカイク・スマイルではないかと思う。西洋でも、そう言う者は多い。
この像からは、本物の神や仏の最高の波動が発せられている。
世界中の人々が、仏教が分からなくても、この弥勒菩薩像に惹き付けられるのは当然のことである。
この弥勒菩薩像のお顔を見れば、仏、あるいは、神の力はあなたと共にある。
弥勒菩薩の思惟とは、無の中の無、空の中の空である。
そんな弥勒菩薩の表情により、我々はまず、無、空に導かれる。
だが、自分でも、余計な表情をしていることに気付いて、それを消し、無駄な考えを捨て去る努力をした方が良い。
それを真摯に続ければ、自ずと良い成果を得られるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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