ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

藤本憲幸

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

呼吸法と腕振り運動

超人的なヨギ(ヨガ行者)でありヨガ研究家であった藤本憲幸さんの『頭に酸素をもっと送りなさい』は、やや細か過ぎると感じないでもないが、さすがに良いことが書かれている。
そして、この本の中で、脚を動かすことの大切さが、切々と説かれている。
脚を動かす運動と言えば、一般的には、ジョギングやウォーキング、あるいは、スクワットなどを思い出すが、藤本さんは、
・部屋の中をうろうろと歩くこと
・貧乏ゆすり
なども立派な脚の運動で、貧乏ゆすり一本で勝負している有能な人物も取り上げている。
国民的英雄である野球選手だった長嶋茂雄も、監督時代、ベンチでよく貧乏ゆすりをしていたことも取り上げていた。
ただ、別に貧乏ゆすりでなくても、座って脚を動かすだけでも良いそうだ。
この本で紡すい筋と書かれているのは、多分、筋紡錘の間違いと思うが、記述自体は正しい。
つまり、脚の筋肉の中の筋紡錘という神経が脳幹につながっているので、脚を動かすと脳幹を刺激するのである。
だから、脚を動かすと頭がすっきりし、記憶力や理解力が上がり、よく歩く人はボケないのである。

さて、藤本さんは、身体や脳に良い脚の動かし方の秘訣は、
「足の親指に力を入れ、つま先を床から離すことなく動かすこと」
と述べているが、全く正しいと思う。
そして、つま先を床から離さない運動と言えば、何といっても最強なのが、腕振り運動と佐川幸義流四股だ。
腕振り運動は、足自体、床から離さないが、足の親指に力を入れることで最大の効果を発揮する。
腕振り運動は、腕の運動というよりも全身運動で、特に、腹筋、背筋、脚の筋肉に良い刺激を与えるのである。
佐川幸義流四股について言えば、佐川幸義は、四股を踏む時、床からつま先をほとんど離さなかったのではないかと言い、自らそのように四股を踏む、佐川の直弟子もいる。
私は、四股の際、つま先が少し床から離れるようにやるが、佐川が「足はつま先からそっと下ろす」と言っていたことを守れば、つま先に適度な力が加わり、理想的な効果があると思う。

雲の中
AIアート379
「雲の中」
Kay


そして、藤本さんは、脚の運動をしながら呼吸法をすることを勧めているが、私も実践している。
例えば、腕振り運動では、腕を3回振る間息を吸い、次に3回振る間息を吐く・・・などである。
各自、やり易いようにやれば良いと思う。
四股も同様である。
ただ、これらの運動は軽いので、単に、深い呼吸をしながら、これらの運動をすれば良いと思うし、私もそのようにしている。
深呼吸と腕振り運動や佐川幸義流四股が相乗効果を起こすのであるから、その威力は凄まじいとすら言えると思う。








天人女史の呼吸法

生命力を上げることで健康になり、若返り、IQを上げ、引き寄せ力を上げるために呼吸は重要である。
だが、呼吸法に関し、複雑な呼吸法やヘンテコな呼吸法を勧める者が多い。
呼吸法と言っても、基本は自然な呼吸が出来れば良いのだが、現代人は精神の誤った使い方の影響で呼吸が変になっているため、正常な呼吸に戻すための訓練としての呼吸法があるのである。
正常な呼吸とは、鼻で静かに呼吸することである。
尚、正常な呼吸というのも、人間のレベルが上がれば上がるほど、ゆっくりで静かになる。
呼吸が1分に2~3回になると、本物のIQが極めて高く、また、普通の人から見れば異常に若く、超能力的な引き寄せを行うようになる。

今回は、藤本憲幸の最初の著書である『秘法ヨガ入門』の中から、天人女史と称される松木草垣(まつきそうえん)の呼吸法について取り上げる。
この本の中で、私も著作を何冊か読んだことがある著名な哲学者ジーナ・サーミナ(ジナ・サーミナラ)が、松木草垣を、「数千年に一人しか現れない叡智者、天啓者、そして、聖者」と称賛したと書かれている。
松木草垣はヘソに万能の力があると言ったらしい。
ヘソが開き切れば、いかなる病気も治り、禿げ頭に毛が生え、病気にかからず、事故にも遭わない。
また、あらゆる問題が解決し、万事において栄える。
ヘソを開くための呼吸法は簡単で、以下のようである。
(1)息を腹部に多量に吸い込む。
(2)10秒から20秒ほど止めてから吐く。
(3)以上を十回ほど繰り返す。
(4)ヘソの周りが炎のごとく燃えている映像を思い描く。
少し解説する。
(1)は、実際には息は肺でしか吸えず、息が腹に行くわけではないので、これは、腹に息が吸い込まれるよう想像するということで、要するに、息を吸った時に腹が膨らむ腹式呼吸をするということである。
(2)の息を止めるというのは、通常我々が息を止める時のように、喉を閉じるのではない。
息をいっぱいに吸った状態(無理に過度に吸わない)で呼吸の動作を止めるのである。その際は、肋骨が持ち上がったまま、腹は膨らんだまま停止しているはずである。
ところが、世の中には、この呼吸の止め方が理解出来ないほどIQが低い者もいるのであるが、そんな者には、朝晩、1分で良いから深呼吸をさせると良い。それでやがて、必要なだけのIQになると思う。

河の妖精
AIアート253
「河の妖精」
Kay


この松木草垣の呼吸は、酸素を十分に取り込んで細胞を活性化させ、さらに、思考を消す優れた効果がある。
最後の、ヘソの周りが燃えている様子をイメージすることは思考のように思えるかもしれないが、文字通り、他の思考を燃やして消してしまうのであるから、やはり良いのである。
尚、私はまだ読んでいないが、松木草垣の思想に関しては、以下にご紹介した『いま、日本の危機に問う』に詳しく書かれていると思う。








イギリスの大作家も気付いていたチャクラの力

現代の一般的観念を超える力を得るには、ヨガで言うチャクラのような霊的中枢を覚醒させることが必要になる。
『チャタレイ夫人の恋人』などで知られるイギリスの世界的作家デーヴィッド・ハーバート・ロレンスは、『無意識の幻想』の最初で、「一般人は、この本をすぐゴミ箱に捨てろ」と書くほど、普通の人には理解出来ないと断りつつ、この本で、ヨガで言うネェベル・チャクラ(マニピュラ・チャクラ)にあたる太陽神経叢(胃の裏側にある)の重要性を説いた。
ロレンスが取り上げたチャクラは、この1つであるが、これだけでも非常に強い力を発揮し、ロレンスは、このチャクラを活性化させることで、大作家になれたのだと思う。
もっとも、もっと多くのチャクラを活性化していれば、ロレンスは44歳の若さで死なずに済んだかもしれない。

そして、今は、腕振り運動を使って、この胃のチャクラだけでなく、全てのチャクラを活性化させることが出来ると思う。
やり方は、
【当ブログ内リンク】腕振り運動で、望む力を得る
で書いた。

ところで、私は、ヨガでは、昔から、藤本憲幸氏の本をよく読んでいる。
藤本氏は、生まれつき虚弱で、17歳の時、医者に、二十歳まで生きられないと言われ、医療を捨て、ヨガに賭けた。
すると、藤本氏は、超人に生まれ変わり、ヨガの普及活動を行ってヨガブームを起こし、おそらく、日本では、ヨガに関する本を誰よりも多く出した。
まさに、命懸けで修得したヨガであるので、効き目が違う。
ところが、その藤本氏も、69歳くらいで亡くなられた。
生まれつきの心臓の持病のせいで、これだけはヨガでもどうにもならなかった。
とはいえ、あれほどの活躍をしたのだから、彼のヨガに偽りはない。
そして、いかにヨガでも、超えられない宿命があるのだと分かる。
これは、多くの人々の人生の難問を解決した、真言密教の高僧であった、織田隆弘(おだりゅうこう)氏が、著書『観音開運法』で、「観音様でも、宿命は断ち切れない」と書かれていた通りである。
私の場合で言えば、乾癬という皮膚病は宿命だと思うが、それでも、かなり軽減し、日常生活に支障がなくなったので、全く問題ない。
人によっては、結婚出来ない、仕事に就けない、友達が出来ないなどの、いかに努力しても、どうにもならない宿命がある場合がある。
まあ、何でもかでも宿命のせいにしてはならず、努力で解決出来ることまで怠惰になってはならないが、やはり、宿命というものがあるのだと思う。
私の場合、前世で誰かをひどく苦しめたのだとしたら、この程度の宿命は仕方がないし、むしろ、これほど軽くなったのだから有り難い(普通の人から見れば、少しも軽く思えないかもしれないが)。

チャクラの話に戻るが、いろいろな人が、チャクラの活性化の方法について本に書いたりしているが、実行不可能なものが多い。
瞑想でそれをしようなんてものが多いが、そんなやり方が続くはずがないし、そもそも、本に書いてあるやり方が、分かり難いものが多い。
一方、腕振り運動の場合は、極めて簡単で、いつものように、名古屋身体均整院様のサイト内を紹介すると、
【リンク】万病を治す腕振り運動
の通りである。
この腕振り運動を、上でもご紹介した、このブログ内の、
【当ブログ内リンク】腕振り運動で、望む力を得る
のようにやれば良いと思う。
ただ、あくまで、チャクラを意識しながら腕振り運動をすれば良いだけで、これは、あくまで一例と思っていただきたい。ただ、参考になれば幸いである。

チャクラ開発の行として、私は、ますます、腕振り運動に熱が入ってきた。
この11日間は、毎日1万回行っているが、実に楽しいものになっている。








本物の知識は妙なところに書かれている

本の最後で、その本全体を否定してしまっているという本がある。
藤本憲幸氏の『秘法ヨガ入門』と、高藤総一郎氏の『驚異の超人気功法』の2冊がそうだ。
それぞれ、その1冊の中で、ヨガ、および、気功の訓練法(いずれも常識を超えていて面白い)を詳細に述べておきながら、最後に、やや突拍子もないエピソードを出すが、その最後の内容をよく読むと、
「修行なんか不要だ。さっきまで書いたことは嘘かもしれないよ」
と言わんばかりである。
そこまでの内容が嘘とは言わないが、本物はこっち・・・とも全然書いていないが、私にはそう感じる。
読む人次第だし、こう思わない人が多いかもしれないが、私からすれば、これらの本は、実は、その最後の話のためだけに書かれた・・・その最後の話を輝かせるために長い「前振り」を書いたに過ぎないのではないかと思えるのである。

『驚異の超人気功法』では、最後に、1人の超人僧が登場する。
見せた技はたった1つで、それも、なりゆきで、たまたまやっただけだ。
見世物ではないが、秘密でもない。
秘密ではないが、見世物でもない。
その超人僧がやったことは、五寸釘を堅い木の柱に、親指1本で、すーっと押し込むことだった。
実は、それまで、女性達が、その釘を打ち込もうとしていたが、節目でもあったのか、全く入らなかったのだった。
その僧は、別に怪力なのではなく、それは神秘的な力なのであるが、その僧は、修行はほとんどしないと言う。
やるのは瞑想だけであるが、それも、1つのことをイメージする(想像する)だけの簡単なものだ。
最初にやったのは、寺の庭にあった大きな岩を持ち上げることだった。
その想像をやっているうちに、出来そうな気がしてやってみたら、出来てしまった。
次は、大木を根元から引き抜くことだったが、少々日数はかかったが、これも出来た。
そして、今やっているのは、寺の裏の山を持ち上げることだそうだ。
『こきりこ節』を地でやってしまおうというものだ(この民謡では、自分は山を担ぐことは出来るが縄が切れてしまうのでやれんと歌う)。
その僧は、想像とはいえ、山を持ち上げようとする者にとって、五寸釘を柱に押し込むのはいとも容易いと言ったらしい。

この話の瞑想のポイントはこうだろう。
まず、普通の人間の常識を超えた、壮大な想像をしなくてはならない。ケチなものではいけない。
とはいえ、この僧も、それなりの順は追っており、いきなり、山を持ち上げるところから始めてはうまくいかなかったであろう。
次に、やはり、自分が成し遂げたいことを想像しなくてはならない。
そうでないと続けられない。
皆が皆、岩を持ち上げたり、木を引っこ抜きたいわけではない。
どんな想像をするかを思いつく発想力も必要だが、その程度なら、発想力が欲しいと思っていればやって来るだろう。そもそも、本来なら、当たり前に持っているはずのものだが、我々の心は、学校やマスコミによって型にはめられてしまっているので、良い子、優等生、涼宮ハルヒが言うところの「まともでつまらないヤツ」の場合は、まず、思考の箍(たが)を外すところから始める必要があるかもしれない。
ハルヒなら、どんな想像をするか、あるいは、既にしているか考えても良いかもしれない。
確か、彼女は七夕の短冊に書いていたように思う。
世界が自分を中心に回るとかであったように思うが、もう少し、具体的であれば良いだろう。
内緒であるが、政木和三氏が私に語ったところでは、百人の美女が自分に身をまかせるとか、お金ががんがん振り込まれるなど・・・であるが、内緒である(笑)。








人類の最終訓練

幸福でありたい・・・それ以前に、生き延びたい人が行うべき、魔法力を獲得するための訓練がある。
拍子抜けするほど簡単であるが、重要である。
やり方はいろいろだが、自然にうまくやっていたのが、「われ思う、ゆえにわれあり」で知られるフランスの哲学者、数学者のルネ・デカルト(1596~1650)だ。
まあ、単に、朝、目が覚めても、いつまでも起きて来ず、ベッドの中でぼーっとしていたのであり、これを、良い言い方では「思索していた」と言うのだが。
実際、少なくとも、しばらくの間は、間違いなく、ぼーっとしていたはずである。
目覚めてから、しばらくは、思考がやって来ない。
その「しばらく」こそ、「トワイライト(夕暮れ)ゾーン」に対する「ドーン(夜明け)ゾーン」とも言える、神秘に包まれる時だ。
それを、『アラビアのロレンス』として知られるT.E.ロレンスが、事情伝『知恵の七柱』に書いている。
『知恵の七柱』はちょっと読めたものではないので、コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』から引用する。

世界の物音、香り、彩(いろどり)が、思考の篩(ふるい)を通過せず、思考によって類型化されることなく、まさにそのもの自体として人間を直撃する。あたかもそれ自体で満ち足り、自足して存在しているかのように思われるのだ……
~『右脳の冒険』(コリン・ウィルソン著、中村保男訳。平河出版社)19頁~

こう言われて私が思い出すのは、中学校の夏休みに、ラジオ体操に出かける時だった。
まだ完全に目が覚めておらず、頭がぼーっとしているような時、目にするもの全てが光を放っていた。
そんな時、家々の屋根の上に、天使か魔法少女が座って微笑みかけてくれているのが見えるようだった。

これが、「存在の感覚」である。
朝、目覚めた時だけでなく、いつでも、「私は在る」のみを感じれば、ただちに同じ感覚を得られる。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、全ての人に、常に、その感覚にしがみつくことを求めた。
そして、アメリカの事業家にして神秘家ネヴィル・ゴダードは、「私は在る」の感覚が神であると明かした。
その状態であれば、あらゆることが可能で、願いは即座に叶えられる。
最初のうちは、「私は在る」という言葉を使っても良い。口ではなく、心で唱えるのだ。
マハラジも、これこそが最上の真言であると言った。
だが、ゴダードは、言葉ではなく「感じる」ことを求めている。
自分が存在することを感じるのである。
何も考えず、「私は在る」と感じれば、自然に呼吸は微かになり、身体が軽くなり、世界は一変する。
その時、あなたは人間ではなく、神であり、実際、姿が見えない状態にまで達することもある。
心で、「私は在る」と、静かに唱え、その意味について黙想しても良い。
心の中で、出来るだけ微かな声で「私は在る」と唱えると、うまくいくかもしれない。

「私は在る」の感覚を掴む訓練こそが、人類にとって最重要なことであり、あらゆる災害から逃れる鍵であると思う。
ヨガ研究家の藤本憲幸氏の『秘法ヨガ入門』(彼の数百冊の著書の中の最初の本)の最終章に、ほんの少し前まで内気な引きこもりだった二十歳の青年が、威風堂々とした人物となって藤本氏の前に現れて、藤本氏を驚かせることから始まるお話がある。
藤本氏と、この青年の長い対話が興味深い。
その中で、「10kg痩せるにはどうすれば良いか?」という話題があった。
青年は、運動や食事の制限は一切不要で、自分はいま、スラリとやせて美しい身体なのだ、との実感を味わうことで簡単に出来ると言う。
対話の内容から見て、この青年は、存在の自覚に生きている。
当時の藤本氏には、そのことが分からなかったかもしれないが、あえて、この話を最後に持ってきたのは、藤本氏も、その重大さに気付いていたからであると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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