ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

藤平光一

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

見えない力

昨日、織田信長や藤平光一が、砲弾飛び交う戦場で、藤平言うところの「氣が出ている」、私が言うところの「神の圧力に満ちている」なら、安全であることを述べた。
ここで、興味深い逆の例を述べる。
これは、「心身医学の父」と呼ばれるゲオルク(ゲオルグ)・グロデック(1866~1934)の論文にあるものだ。
戦争中(第一次世界大戦か)、1人の兵士が仲間の兵士に、自分の膝を指差しながらこう言った。
「ここに弾が当たったら(負傷による除隊で)故郷に帰れるのだけどな」
その直後、流れ弾が飛んで来て、実際にそこに命中した。
グロデックは、いかなる病気も心因性であると断言していた。
いや、病気ばかりでなく、怪我や事故でさえだ。
そして、それを起こすのは、精神の中に潜む、「エス」という得たいの知れない生命体、あるいは、エネルギーによってである。
この「エス」の概念を有名にしたにはフロイトであるが、フロイトはその概念をグロデックから得たのだった。
しかし、グロデックの「エス」は、フロイトのものより、はるかに広大で強力なものだ。
グロデックの考え方は非科学的と言われることもあるが、影響力は消えず、むしろ一部ではますます注目されるようになってきたと思う。

身を守って弾に当たらないことが「エス」のような未知のエネルギーによるものなら、当たることで身を守るのも「エス」で、この「エス」も藤平の「氣」や私の「神の圧力」と関係がある(本質では同じ)ものだろう。
この万能のエネルギーの使い方を、藤平は合氣道によって掴み、グロデックはほんの少しを治療で活用した(失敗が多かった)。
私は、これらを含む、沢山のことを研究し「神の圧力呼吸」で簡単に実践出来るように出来たと思う。

矢追純一さんが中国に居た子供の時、友達と外で座っていたら、友達が不意にもたれかかってきたが、その友達は、飛んで来た流れ弾に当たって死んだのだった。
矢追さんには、そんなことが何度もあった。
矢追さんは無意識に、神の圧力を味方にするコツを知っていたのだと思う。
そのやり方を、彼は「僕は頭が悪いから考えることを放棄した」と表現したのだろう。
実際、「神の圧力呼吸」は思考を消すのである。

赤ずきんちゃんの真実
AIアート370
「赤ずきんちゃんの真実」
Kay


「神の圧力呼吸」は、原理的にはヨガのクンバクと同じで、吸って息を止めるだけである。しかし、この止め方が悪いものが多い。
「神の圧力呼吸」は、弓術の達人、阿波研造の呼吸法を誰でも簡単に出来るようにしたものだ。
それにより、上で述べた、織田信長、藤平光一、うまくいった時のグロデック、そして、矢追純一さんのようなことが出来る。
ただ、ある程度のことは普通の深呼吸で出来るし、深呼吸を習慣化すれば、自然に強力な呼吸法が出来るようになるのではないかと思う。
よって、朝晩の決まった時刻や、食事の前後など、決まった時に深呼吸をすることを習慣化するだけで人生は大きく変わると思う。
だが、抽象的だったり、細か過ぎたりするものは面倒で続かないものだ。
それで言えば、パム・グラウトの『人生を思うように変える呼吸法』は、前半は良い本なのだが、後半の13のややこしい手順は不要と思う。
ややこしさに面倒になって何もしなくなる人が大半に違いないからだ。
それなら、ただ深呼吸を、あるいは、意欲的であれば、腹式呼吸を毎日しっかりやれば良いのである。








砲弾も当たらなくなる呼吸法

私が子供の時に見て感激した時代劇の1シーンがある。
それは、織田信長がまだ若い時、彼が鉄砲の弾が飛び交う戦場を悠々と歩く場面だ。
家来たちが信長に、危ないから身を隠すよう言うが、信長は「わしに弾は当たらぬ」と自信たっぷりに言う。
まさに、天下を取るに決まっている自分に弾が当たるはずがないではないか・・・といったところである。
これほどの胆力、自信があれば、強力な引き寄せが可能である。
私は、子供の時から、このお話がただのフィクションとは思えなかった。

そして、その随分後に、それと同じことをやった人物を見つけた。
それは合氣道家の藤平光一で、彼が、著書『氣の威力』で、それをやった時のことを書いていた。
第二次世界大戦中、23歳で隊長として兵を率いた藤平は、自分より年上の部下達に、自分が頼りになる隊長であることを見せる必要があったので、やはり、砲弾飛び交う戦場を悠然と歩いて見せたのである。
この時の藤平はまだ無理をしているところが少しあったが、既に藤平は、自分が「氣」と呼ぶパワーを掴んでいた。
そのための修行は、「とほかみえみため」を大声で唱えることで、毎日、何時間も行うのだが、その間中、背中を手のひらで強く叩かれ続けるのだった。
実はその時、藤平は肋膜炎を患っていて、医者に軽い散歩以外の運動を禁じられていたところから少し回復した程度の時期で、そんな修行は無茶もいいところだったが、なんと、その修行で肋膜炎は治ってしまった。

天使の一人
AIアート369
「天使の1人」
Kay


だが、やはり、そんな修行は無茶である。
そもそも楽しくないので、その頃の藤平のように切羽詰まった状況にでもならなければ続かない。
それは藤平も同意のようだが、彼が説く修行はあまりに抽象的で分からない。道場に行けばちゃんと教えるといったところか。
だが、それなら、私の「神の圧力呼吸」をやれば良い。
あらゆる一流の呼吸法、特に、弓聖、阿波研造の呼吸法を基にしたこの呼吸法は完璧で、気持ち良く、長続きし易い。
とはいえ、中身はヨガのクンバクと同じで、吸って息を保つというだけのものだ。
しかし、いきなり「腹に息を入れる」などの無茶は言わない。腹に肺などないからだ。
まず、胸に無理のない範囲でいっぱいに息を吸う。
この時、脳内にドーパミンが発生し、気持ち良さを感じる。深呼吸が気持ち良いのはそのためだ。
胸に息をいっぱいに吸ったら、胸の内部に息の圧力を感じる。
それと同じ圧力を腹の内部に起こす。
実際には、腹にぐっと力を入れることになる。しかし、腹の内部に圧力があると思うことが大切だ。
腹の内部に圧力があると、自然に息が保たれる。
(どうしても腹の内部に圧力を感じることが難しければ、当面は胸の内部の圧力だけを感じる)
無理のない範囲で息を保った後、ゆっくり息を吐く(腹の内部の圧力が抜ける)。
これをやればやるほど、英雄のパワーが満ち、不動となり、引き寄せの力は万能となる。








1日中の修行が出来ない場合は

中村天風は亡くなる直前、「俺が教えたことは全部忘れろ」と言ったらしい。
つまり、自分の教えは全部間違いだったと認めたのだが、それが本当なら、今でも彼や彼の教えを崇拝している人達は気の毒だ。
このことは、天風の一番弟子だった藤平光一氏が本に書いていたが、私は本当だと思う。
でないと困る(笑)。
天風の教えの基本は「片時も怠らずに肛門を引き締めよ」だが、私には全く無理だった。
そりゃ、1日中ずっと、肛門を引き締めたり、腹に力を込めたり、マントラや念仏やアファーメーションを唱えたり、呼吸法が出来れば無敵で、引き寄せも自在である。
しかし、つくづく私には無理だと分かった。

そんなことが出来る特別な人もいるのだと思う。
だから、中村天風の教えはエリート向きなのであり、その意味では全く間違いではない。
だが、私はその器ではない。

しかし、基本的に、人間に任されているのは心身である。
つまり、簡単に言えば、健康と道徳だ。
後のことは、神、魂、真我、潜在意識、宇宙・・・何と呼んでも良いが、そういった高い存在にまかせれば良いのである。
そこで、我々は、朝晩、必ず深呼吸をしたり、就寝時に必ず「よかった・ありがとう」呼吸をしたりし、また、自分なりの正義を守れば良い。
そうすれば、自分としては引き寄せ自在に感じるのである。
だが、不摂生で身体が駄目だったり、放埓(勝手気まま)で道徳や倫理がなかったりでは引き寄せは出来ない。

桃源郷の仙女
AIアート341
「桃源郷の仙女」
Kay


まあ、神・・・かどうかは分からないが、そんな高い存在は、人間を酒好きにしたり、ロリコンにしたりして、健康や道徳を失わせようとするのである。
けれども、なんとかそのトラップを回避して、酒好きだが限度をわきまえるとか、ロリコンだが可愛い女の子を大切にすることで満足するとかすれば、後は、魂が面倒を見てくれる。
そのためには、思考を消せば良く、思考が消えた証としてIQが高くなる。
思考を消すための手法として、私の場合は佐川幸義流四股が特に向いているらしく、後は腕振り運動や呼吸法に、出来るだけ励もうと思う。








たった今から恩恵を得られる呼吸法

合氣道家の藤平光一氏の代表的な著書『氣の威力』は、一言でまとめると、「成功するには氣を出せば良い」ということになる。
では、「氣」とは何かというと、藤平氏はいろいろ説明してくれてはいるが、あくまで概念や比喩であると言うしかない。
気功家の多くが、気という特殊なエネルギーが存在すると言う。
そうかもしれないが、やはり気は概念的なものと考えた方が良く、「体内を気が巡る」と言ったところで、本当に体内を巡るのは血液であり、実際、中国では血液の流れを「気血」とか「赤龍」と呼び、それは気功家の言う気と同じようなもので、やはり、気=血液と考えて良いと思う。
また、藤平氏は「氣」の文字に大変にこだわるが、言っては悪いが、そんなややこしいことを言うべきではなく、気も氣も同じである。
ただし、藤平氏の話の多くは、非常に素晴らしいものである。

で、どうすれば、気(氣)が出るのかというと、藤平氏によれば「氣が出ていると思えば良い」である。
そう言われても気は抽象的概念なので、どうすれば良いか分からないが、藤平氏は「重みは下にある」と、当たり前のことを言っても氣は出ると言う。
あるいは「好きだ」と言っても氣が出ると言う。
他にもいろいろ本に書かれていたが、やはり曖昧なところが多い。

ところが面白いことに、日本のアルファ波研究のパイオニアで、今も一線で活躍中の志賀一雅氏(工学博士)が、昔の著書だが『能力全開アルファ脳波の驚異』の「アルファ波を出す」ことと、藤平氏の「氣を出す」ことが全く同じで、要は、アルファ波が出ている状態が、藤平氏が言う「氣が出ている」状態である。
アルファ(α)波とは、脳波の一種だ。
普段、起きている時は脳波はベータ波だが、リラックスするとアルファ波が出る。実際は、ベータ波の中にアルファ波が混じって現れる感じで、リラックス度が高まるほど、アルファ波が多くなる。
だから、昔は、「アルファ波を出し過ぎると頭がボケる」と言われていたが、実は、高度な能力・・・鋭い直観が出たり集中している時は脳波はアルファ波が優勢であることが分かっている。
さらに、シータ波という、アルファ波よりさらにリラックスした時の脳波は、睡眠時の脳波であるが、これも、実は、将棋の達人が対局している時とか、高僧が瞑想している時の脳波であることが分かっている。

ごく簡単に言えば、脳波をアルファ波にすれば能力が上がり、シータ波だと達人的な能力を発揮する。
また、引き寄せは脳波がアルファー波の時に起こり、シータ波だと神のごとく現実を変える。
『氣の威力』でも『能力全開アルファ脳波の驚異』でも、藤平氏や志賀氏は、難しいこと、ややこしいこと、曖昧なことを書き並べておられ、成果を上げた人は少なかった。
もっと簡単に言わないと、普通の人は実践出来ないのである。
ところが、志賀氏は最新の書で、最も理想的なスローアルファ波(7.8Hz)を出すには「よかった・ありがとう」呼吸をすれば良いと書いてくれたので、とにかく、これだけ憶えれば良い。
「よかった」と思いながら吸い、「ありがとう」と思いながら吐く・・・これだけである。
志賀氏は、この呼吸法を半世紀も前に考案し、なんと、あの松下幸之助氏に教えているのである。

薔薇の夢
AIアート291
「薔薇の夢」
Kay


他にも、ここでは繰り返さないが「4の呼吸」をお薦めする。
さらには、「ナ・ダーム」の呼吸、「私は彼である」呼吸、その他、優れた呼吸法は沢山あるが、「よかった・ありがとう」呼吸か「4の呼吸」のいずれかを毎日やることが大事である。
私は「4の呼吸」(5の呼吸から10の呼吸になることもある)と「ナ・ダーム」の呼吸、そして、寝る時には「よかった・ありがとう」呼吸をする。
「よかった・ありがとう」呼吸は、松下幸之助氏の不眠症を即座に治したが、確かに、驚異的なほど、すぐに眠れる。








神の真似をすれば神(保存版)

事実かどうかは分からないが、あったとしてもおかしくはないと思う中村天風の逸話がある。
経緯は分からないが、虎かライオンが入った檻の中に指輪が落ちていたらしい。
中村天風は、その中に平気で入っていき、指輪を取って来たという。
また、中村天風の弟子の藤平光一に、こんな話がある。
おそらく、藤平光一が中村天風の弟子になる前の話と思う。
藤平光一は、23歳かそこらで隊長として兵隊を率いて戦場に行ったが、自分より年長の部下達に、自分が頼りになることを見せて安心させるため、銃弾飛び交う戦地を平然と歩いて見せたという。
これで思い出すのが、織田信長がやはり鉄砲の弾が飛び交っている戦場を「わしに弾は当たらん」と言って悠然と歩いたという逸話だ。

論理的・常識的には馬鹿な行為で、無事に済んだのはたまたまということになるが、深い真理から言えばそうではなく、いずれも、やろうと思えば誰でも出来る。
どうやるのかというと、思考を消せば良いのである。
織田信長のセリフを言い換えれば「頭が空っぽのわしに弾は当たらん」である。
まあ、格好よく言えば「無になったわしに弾は当たらん」となるが。

思考を消す最上の方法は、20世紀初頭から今までは「私は誰か?」と自分に問うことだった。
思考する主体である「私」に意識を引き戻すことで思考は消えるのである。
だが、思考偏重の傾向が強い現代では、なかなかこれを続けられる者がいないのも確かである。
そこで、世界コマンドである「私は何も考えない」「われ思わず」などがあり、好きな言葉を常に唱えて思考を消すことに励めば、思考が消えるごとに全知全能に近付く。

教室の記憶
AIアート197
「教室の記憶」
Kay


ところで、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジと宇宙人バシャールが共通のことを言っている。
それは、「振舞うことが最上」「態度は事実より重要」である。
引き寄せ的に簡単に言えば、「金持ちになりたいなら金持ちのように振舞え」である。
ただし、これ(「金持ちになりたいなら金持ちのように振舞え」)自体は、ほぼうまくいかない。
頭で「金持ちらしさ」を考えるからで、それは不自然で、不自然なことをやっていると疲れるので続かない。
振舞うべきは、「思考が消えた人間らしく」振舞うことである。
思考が消えた人間らしく振舞うのは、案外に自然なのである。
なぜなら、本来は、思考が消えた状態が一番自然なのだからだ。
思考が消えた人間のように超然とした表情をし、思考が消えた人間のように静かに呼吸をすれば、すなわち、思考が消えた人間の出来上がりである。
『徒然草』に「狂人の真似をすれば狂人」とあるように、神の真似をすれば神である。
そして、神とは思考を消した人間なのである。
ひろさちやの『空海入門』には、この「真似てなる」の良いヒントがうまく書かれているように思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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