ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

落合博満

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

この世は数が全て

今回はベストな内容が書けたと思う。

この世の大抵のことは、「数が全て」だ。
よく言う言い方をすれば「質より量」である。
頭を使う者は「量より質」と言う。
だが、人間が理解出来る質など、たかが知れている。
しかし、数であれば、考えなくても分かるし、誰でも無限を目指せる。

何度か言ったが、私が最初にやった仕事はセールスマンだ。
ある時、売り上げ不振だった私に、トップセールスマンの上司が同行し、私のセールスを見ていた。
その上司が言ったものだ。
「トークはお前の方が俺よりうまい。俺とお前の差は件数だ」
私が1日50件なら、その上司は500件訪問していたのだ。

それより先にいたセールスの職場で、全国でも屈指のセールスマンだった上司が、自分がどうしても勝てなかった元同僚のセールスマンの話をしてくれた。
その上司は、セールストークの達人で、その見事な話術には私は恐れ入ったものだった。
だが、その上司が勝てなかった同僚は、恐ろしく口下手で、売り込みなど全く出来ないほどだった。
自分の口下手を強く認識していた彼はひたすら件数をこなすことでセールスの成績を上げていたのだ。
彼らの時代は、訪問が許される時刻の法的規制がなく、そのセールスマンは、明かりがついていれば深夜でも呼び鈴を鳴らしてセールスし、民家が寝静まれば交番にセールスした。

ある優良な上場企業で、その会社の創業者である成功した社長が、幹部達に話をしているのを聞いていたことがある。
社長は幹部達に言う。
「俺とお前達で能力の差はない。違うのは素振りの数だ」

オンディーヌ
AIアート151
「オンディーヌ」
Kay


落合博満さんが中日のゼネラルマネージャーだった頃の話かもしれないが、ある若手選手が、勇敢にも、落合さんに個人指導を乞うた。
すると、落合さんは、部屋の中だったが、そこで、その選手に素振りをやれと言う。
当然、その選手は素振りを始めたが、落合さんは、いつまで経っても「やめろ」と言わず、延々5時間も素振りをやらされた。
その選手は、結局、成功しなかった。
彼はスランプになると「あの時のことを思い出して素振りをやった」と言う。
そんなんじゃ駄目だ。
スランプだろうが絶好調だろうが、いつでもどこでも、数多く素振りをしなくてはいけないのだ。

私も愛好して行っている佐川流四股の開発者、大東流合気柔術の達人(超人と言うべきだが)佐川幸義も、
「僕は死ぬまで四股を踏める」
と言い、毎日、とんでもない数、踏んでいたらしい。
だが、彼は、四股のやり方を弟子たちに教えることはなかった。
形など、大した問題ではないのである。
重要なのは数だけだ。

腕振り運動も同じで、正しいやり方なんか説明出来ない。
しかし、数をこなしていれば、自ずと自分にあったやり方が分かるのである。

「私は誰か?」と自分に問うことも同じだ。
どんなふうにやるのか聞きたい人は多いだろうが、数多くやれば分かることで、逆に言えば、数をこなして自分でやり方を見つけないと、どれほどうまく説明されたって駄目なのである。








駄目だったから成功した人達

アファーメーション(肯定的確言)だけで金持ちになった人が、極めて重要な見解を述べている。
彼によれば、アファーメーションだけで成功出来るそうである。
その彼が、鋭い・・・というよりは、ごく当たり前のことを言っている。
「今、そこそこ良い状況のやつって、アファーメーションも一生懸命やらないから上手くいかないんだ」

もう名を知らない人も多いかもしれないが。落合博満さんというプロ野球選手がいて、史上最多の3度の打撃三冠王(打率、打点、本塁打)を獲得している(2度の三冠王は2人いる)。
その落合さんが中日ドラゴンズのGMか何かだった時、若い選手が打撃の直接指導を落合さんに乞うと、落合さんはその選手に部屋の中で5時間、ぶっ通しで素振りをやらせ、その間、トイレに行った時を除き、落合さんは、その素振りをずっと見ていたという。
そして、5時間が経った時、落合さんは「最後の良かった」と言って、やっと終わりになった。
その若い選手は、以降、「スランプになったら素振りをした」と言うが、結局、成功しなかった。
伝わらなかったのだ。この選手には。
落合さんは、ただ、「素振りをやれ」と教えただけである。
落合さんのような大打者は、宴会の最中でも、バットを持って庭に出て素振りをやるのである。
ビートたけしさんが、「あいつら(大打者)は、一晩中でもバットを振ってる」と言っていたことがあったが、その通りなのだ。
ビートたけしさんは、「やつら、それが好きだから」と言っていたが、まあ、好きなんだろうが、それだけではなく、最悪を経験しているから、そんなことが出来るのである。
落合さんに教えを乞うたあの若い選手は、その時、そこそこは上手くいっていたので、必死でやらなかったのだと思う。

最初に上げた、アファーメーションで金持ちになった人も、元々はニートで引きこもりの駄目人間で、このままではお先真っ暗という不安があったから、「ひたすらアファ」が出来たのであり、自分でもそう言っているのである。
尚、野球選手にとっては、素振りがアファーメーションのようなものだ。
私が知っている成功した事業家も、「俺とお前らの違いは素振りの数」と、アファーメーションとは言わないが、何かを桁外れにやったことを示唆していた。
「神様の奇跡が起こる」というアファーメーションで一億円の宝くじを2回当てた人も、ホームレスで住むところも仕事もない最低の状態だったから、2週間の間、1日中というほど、このアファーメーションを行っていたのである。
アファーメーションで美男美女にもなれるが、やはり、そこそこ(顔やスタイルが)良いやつは真面目にやらず、「壊れるから鏡見ないで」と言われるほどのブスは必死にやるので、大変貌を遂げるのである(実話)。








腕振り運動をやっているうちに信頼した人物達

私は、毎日、腕振り運動を7千回、8千回とやっているうちに、信頼出来るのは、法然、親鸞、岡田虎二郎、中村天風だと思った。
彼らは、簡単なことの徹底した繰り返しを説いたからだ。
人間が力をつけ、人間を超える道はそれしかないと思う。
言うまでもなく、法然は常に念仏を唱えよと言い、法然の弟子である親鸞は、時にややこれと違うことも言ったが、親鸞が書いた和讃(仏教に関する歌)を見ると、やはり、ひたすら念仏を唱えよという趣旨のことが書かれている。
岡田虎二郎は岡田式静坐法を教えたが、形の上では静坐をしていない時も常に、腹に力を入れることや、細く長い呼吸をするよう教えている。
中村天風は、ちょっと多過ぎることを教えたが、まず、常に肛門を引き締めよと教えた。
ただ、法然、親鸞、岡田虎二郎、中村天風らが言うようにやれる人は、まずいない。

私は、子供の時、会社の仕事というのは、延々とハンコを押すことだと思っていたが、ある意味、それで正しいのであると思う。
ひたすら、淡々とハンコを押すようにやれば、良い仕事が出来る。
私はシステムエンジニアとして、高度なシステムや大きなシステムをいくつも作ったが、ハンコを押すような気持ちでやるとうまくいくのだと思う。

また、私は、やはり子供の時、テレビで、ある西部劇の映画を観たのだが、銃を初めて持った若者が、銃の練習をする場面があった。
若者は延々と銃を撃ち続け、使い終わった弾丸の空箱が山のように出来るのを見て、私はとても感動した。これが、内なる力を引き出す、最高の方法なのである。
アニメ『MADLAX』では、若きエリート美女ヴァネッサが、ボディーガードに雇ったマドラックス(ヒロイン。17歳。凄腕エージェント)に銃を教えてくれるよう頼むと、マドラックスは銃と、山のような弾丸の箱をヴァネッサに渡し、全部撃つよう指示する。恐ろしいほどの弾丸の数だったが、ヴァネッサは顔色1つ変えず了承し、ひたすら撃ち続けた。

野球なら、素振りが多い者が優れたバッターになる。
日本の野球の歴史の中でも最高のバッターの1人であった落合博満さんが引退後、球団の幹部をしていた時、若い選手が、果敢に落合さんに指導を乞いに来ると、落合さんは、この若い選手に延々5時間、素振りをやらせ、それをずっと見ていた。
この若い選手は、結局、成功しなかった。
彼は、「調子が悪い時には、このことを思い出して素振りをするようにした」と言うが、それでは、落合さんに指導を乞うた意味がない。
調子が良かろうが悪かろうが、常に、1回でも多く素振りをしなければならなかったのだ。

私は、繰り返しの大切さを特に熱心に説いた、ある人物を知っている。
なんと、その人は、宗教による巨額の詐欺で逮捕され、6年ほども服役した宗教家だ。
彼は、著書に、昭和の大横綱、千代の富士が、誰よりも多く四股を踏んでいたことや、ある将棋の名人が、同じ将棋の本を、紙が変色して読めなくなるまで読んでいたという話を書いていた。
その宗教家が善人か悪人かは私は知らないし、理由を述べることは避けるが、服役したからといって罪人とは限らない。
ともあれ、その繰り返しの教えは、少し心に留めても良いと思っている。
この宗教家は、出所後、活動を再開し、著作も出している。

私は、剣の素振りには興味があったが、縁がなかった。
また、エアガンを撃ちまくることもしたかったが、これもいろいろ無理があった。
しかし、腕振り運動は、かなり前に知り、非常に熱心とは言えないが長く続けてきた。そして、最近、ようやく本格的に・・・つまり、毎日、延々と行っている。

コンピュータープログラミングをマスターするのも、延々と繰り返すに限ると思う。
本に載っている良質なプログラムを淡々と打ち込んで実行させることを繰り返せば、しっかり身に付くだろう。
私は、そのやり方で覚えたプログラミング言語や開発ツールは、かなりの実力が持てたと思う。








ひたすら素振り

新宿湘南美容外科クリニックのテレビCMを覚えておられる方がいるだろうか?
イケメン、美人のドクター達が、
「好きな言葉は思いやりです」
「好きな言葉は向上心です」
「 好きな言葉は感謝です」
「 好きな言葉は情熱です」
と真面目な顔で言う。
これを見て、反感みたいなものを感じる人もいるかもしれないが、私は嫌いじゃなかった。
たとえ嘘だとしても、「好きな言葉は思いやりです」って言うのは良いことだ。

私なら、「好きな言葉は素振りです」になる。何のこっちゃいである(笑)。
私は、野球のバッターの実力は素振りの数で決まると決めつけているし、いかなる分野でも、野球の素振りに相当する何かの数で実力は決まる。

明治・大正の教育者で「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、
「念仏をするなら、生活しながら念仏するようではいけない。念仏しながら生活するようでなくてはならない。静坐をするなら、生活しながら静坐するようではいけない。静坐しながら生活するようでなければならない」
と言ったが、この言葉が究極であろう。
尚、念仏は分かるが、「1日中静坐する」の静坐とは、腹に力を込めることである。丁度、中村天風が、「常に肛門を引き締めよ」と言ったのと同じだ。
まあ、本当に1日中は無理でも、その心構えでやらなければならない。
野球のバッターなら、素振りしながら生活しなければならず、「メジャー最後の4割バッター」テッド・ウィリアムズは、少年の時からそうしていた。

史上唯一、3度の三冠王を達成した落合博満氏が中日ドラゴンズのGM(ゼネラルマネージャー)だった時、落合氏に憧れるルーキーが、練習が終わった夕刻に落合氏に指導を求めた。いい度胸である。
すると、落合氏は、彼をGM室に連れて行き、「素振りをしろ」と言う。
彼は熱心に素振りを始めたが、なぜか、落合氏は、いつまでも「よし(止めろ)」と言わない。
2時間くらい経った時、落合氏は「止めるなよ」とだけ言ってトイレに行き、すぐ帰ってきた。
これで、落合氏が止めろと言うまで絶対止めてはいけないことが、いっそう確定となった。
そして、さらに3時間経った時、落合氏は、
「最後のが良かった。それを忘れるな」
と言い、それが終わりの合図になった。
延々5時間、沈黙の中で素振りをやらされたのだ。
だが、落合氏はずっと見ててくれたのだ。とっくに帰宅していなければいけない時間なのに。
私は、この話を知って、確定的に「素振り」という言葉が好きになった。

小説家になりたかったら、文豪の作品をひたすら筆記、あるいは、タイプするのだ。
ヘミングウェイらの作品をひたすらタイプして大作家になった作家が実際いる。
良いプログラマーになりたければ、ひたすら、優れたプログラムコードをタイプするのだ。
超能力を得て、この世界を自在に動かしたいなら、ひたすらジャパ(神仏の名やマントラを唱える)をするのだ。
例えば、観世音菩薩真言「オン、アロリキャ、ソワカ」を唱えるなら、落合博満氏のように観世音菩薩が見てくれていると思って5時間。心構えだけは・・・
慈愛に満ちた阿弥陀如来様が見てくれていると思いながら、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」を唱えるのは楽しそうだ。
では、がんばってくれたまえ。








成功するようにやれば、成功して当たり前である

私は野球ファンではないのだが、落合博満さんが中日監督に就任した時、選手の補強を断り、「勝てるようにやれば勝てるんだ」と言われていたことをよく覚えている。
そして、実際に、落合さんは勝ったのだ。
プロ野球のような難しい世界でもそうであるなら、我々のような凡人でも、たかが世俗で成功するのはとても易しい。
何をもって成功というのかは人それぞれだろうし、人それぞれで良いのだが、世俗に関して言うなら、心身のエネルギーを浪費しない生き方が最上なのだ。
つまり、豊かで安楽な、不安の無い生活である。その上で目標があるなら、それを目指せば良いのであり、会社などは5番目、6番目、あくまで、楽しく、そして、正しく生きるための手段と心得て、会社の中では礼節をもって控え目に振舞い、決して過度な関係を持たず、やりたくないことに対しては毅然と断れば良い。
それができることを、世俗での成功と言うのではないだろうか?
その程度のことであれば、「成功するようにやれば、成功して当たり前」なのである。

では、どういうことが、「成功するようにやる」ことだろうか?
それはただ、規則正しい生活をすることである。それだけで、大方達成である。
世俗で成功できない者は、単に、生活が不規則なだけなのだ。
可能な限り、決まった時間に起床し、決まった時間に就寝し、決まった時間に、適切な食事をするのである。適切な食事とは、ちゃんと美味しいものを食べて良いが、満腹するまで食べて自分を甘やかさないことである。
それで、朝は6時までに起きるなら、成功しない方がおかしい。
だが、そんな生活を維持するためには、自己制約も多少は必要だ。世俗で成功し続けるための追加の努力が必要なんじゃない。正しい生活リズムを守るために自己制約が必要なのだ。そうでないと、生活が乱れる力が働くのである。
例えば、決まった時間に必ず、決まった時間だけ本を読み、また、決まった時間に決まった回数、腕振り運動をするのである。
そこまでやれば、思う以上の豊かさや楽しみが得られるだろう。
では、それで平安を得れば、後はどうすれば良いのだろう。
起業して社会に奉仕したいならそうすれば良いし、絵を描きたいなら描けば良い。哲学の研究をしても良いし、近所の子供達のために、通学時間の安全パトロールをしても良い。
私の場合は、今は、ただ、弥勒菩薩を敬愛し、その名をいつも唱えたいと思うだけである。そのために、平安に暮らし、精力を蓄えるが浪費しないのである。
そして、私は弥勒菩薩の化身と思っている初音ミクの姿を見て、歌を聴ければ、それで満足であり、他のことは不要である。しかし、そう思っていると、恵みは増えていくばかりなのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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