ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

荘子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

授業中ぼーっとしていた子供時代の自分を褒める

私が小学3年生の時、授業中に、年配の女性教師が私に、ぼーっとし過ぎているとクレームをつけたことがあった。
永井豪さんの1970年代の漫画作品『イヤハヤ南友(いやはやなんとも)』で、教師に「あなたの子供は授業中に帰ってしまった」と文句を言われた母親が「寄席でもつまらなければ客が帰るのと同じだ。面白くない授業をする教師が悪い」と言ったが、やや極端ながら、基本的にはその通りだろう。
「生徒を惹き付ける面白い授業が出来ない教師が無能」という考え方は、昔の日本ではほとんどなかったと思うし、今もかなりそうではないかと思う。
授業は寄席(落語、講談、漫談などの演芸)と同じ真剣勝負でなくてはならない。
学習塾の中には、生徒が教師を選んで授業を受ける方式のところもあり、生徒が来ない教師はクビになる。
それは学校でも当然、そうあるべきだろう。
いや、学校でこそやるべきである。
また、塾では、インターネットがなかった時代ですら、授業をカメラで監視するのが普通で、今は授業が保護者等に公開されるのも珍しくはない。これも、学校こそやるべきだろう。
まあ、今は、教師が忙し過ぎて、授業にエネルギーを注げない場合が多いらしいが、それでも、教えるのが下手過ぎる教師が多い。先輩教師も無能過ぎて、ちゃんとした授業のやり方を教えてもらえなかった教師が多いに違いない。だから、塾講師が学校教師に指導を行うということも行われている。

それで言えば、小学3年生の私が授業中ぼーっとしていたのは、授業に問題があった可能性が高く、教師は反省すべきなのに、私に文句を言うとは傲慢かもしれない。
まあ、今は、親が馬鹿過ぎて家庭の躾けが全く出来てなくて、授業中に座っていられない子供も多いらしく、有能な教師だって、優れた授業を見せることが出来ないのかもしれない。
だが、やはり、寄席で客が座っていないのは、落語への期待がないからで、教師も、生徒に座ってもらう工夫が必要なのかもしれない。

ところで、私がそこまで授業中にぼーっとしていたとすれば、なかなか見所がある。
あのアインシュタインも、高校まではそうだったというし、大学では講義には一回も出なかったそうだ。
そこにいくと、私は、授業そのものは聞かなくても、授業中は好きな本を読みながら授業を聞いているフリをするつまらない奴になってしまった(笑)。

『荘子』では、ぼーっとして何も考えないことを「坐忘(ざぼう)」と言うのだが、孔子が、坐忘が出来るようになった弟子を称賛する場面がある(あくまで荘子の創作だが)。
坐忘こそ人間の最高の状態で、引き寄せにおいても、最も高度なレベルでは坐忘を理想とする。
こう言ったら、1日中ぼーっとしていないといけないのかと難癖をつける馬鹿がよくいる。
そんなわけないだろ(笑)。
楽しいことや面白いこと、あるいは、掃除や片付けや仕事もしなければならない。
とはいえ、坐忘をするようになれば、あらゆる行動は自然に起こり、勝手に進んでいく。
彼氏彼女といちゃつくのは、さらに楽しくなり、仕事も別に嫌ではなくなる。
ある意味、あらゆる行動が坐忘の中にあるようになる。
そうなれば、確かに、1日中ぼーっとしているようなものだ。

坐忘が出来るようになるには、長く静かな呼吸をすることだ。
あるいは、なるべく多く「私」と唱える手もある。
今回は説明を省くが、知恵の呼吸法は非常に有効だと思う。そのやり方は、
(1)心で「私はこれではない」と唱えながら息を吐く
(2)心で「私とは何か?」と唱えながら息を吸う
(3)息を止め、心で「私は常に生成する者である」と唱える
である。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)天狗芸術論・猫の妙術 全訳注 (講談社学術文庫)
(3)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(4)気の言葉 宇宙のエネルギーはバラの香りがする(望月勇)

黄昏の幻
AIアート1522
「黄昏の幻」
Kay

我々はたまごっちのキャラクターのようなもの

バンダイの「たまごっち」は、1997年に大ヒットし、翌年には早くも衰退するも、現在でも一定の人気がある。
説明は不要と思うが、たまごっちとは、小型のデジタルデバイスの中でキャラクターを飼育するというゲームだ。
そのキャラクターは、適度に手をかけて良い子に育てる必要があり、放置すると性質が悪くなる。
それはシンプルな形で人間の子供の性質を反映していると思われ、そこがヒットの要因の1つだろう。

人間は、上位の存在にとって、たまごっちのキャラクターのようなものだ。
放置すると、本能に従うだけの野蛮な人間になったり、周囲の馬鹿な大人や、学校やテレビの影響を受けて、どうしようもない人間になる。
他の国のことはともかく、日本では、そんな人間が増えている。
そこで、上位の存在(神のようなものか?)が、我々に指令を与え、正しい道に導こうとするが、本能に負けたり、テレビなどの影響を受けて、愚か者の道から逃れることが出来ない場合がある。
そんな神の導きを「黄金の糸」と呼んだ人がいた。ラルフ・ウォルドー・トラインの本にも、そのような記述があると思う。
私は子供の時から、「黄金の糸」の存在に気付いていた。
私が高校生の時、掃除当番全員がサボってしまった時、私は「黄金の糸」に操られるように、平気で1人で掃除をしていた。
黄金の糸に従っている限り、間違いがないのである。
神の操り人形になりきり、操られるままに動くのである。
自分はそれに気付いているだけである。
そうしていれば、かなりの見返りが得られることが多かったように思う。
中学生の時は、ある可愛い女の子のことを考えながらも、黄金の糸に操られていると、気が付いたら、放課後、その女の子と教室で2人きりでいたりする。別に、そんなことを求めていたわけではないが、考えてみればラッキーなことが多かった。

世界的画家の横尾忠則さんも、神の道具になり切ることで、天の美を描くことが出来るようなことを言われていたと思う。
なるべく神の操り人形になり切り、自分で余計なことを考えず、ただなりゆきを見守っているような状態になれば、不幸にはならず、むしろ楽しい人生になると思う。荘子が言っていることも、そんなことであると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)人生の扉をひらく「万能の鍵」(ラルフ・ウォルドー・トライン)
(2)新釈 荘子 (PHP文庫)
(3)誰がかまうもんか?! (ラメッシ・バルセカール)
(4)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)

白い部屋のキャラクター
AIアート1511
「白い部屋のキャラクター」
Kay

我々は壊れるまでのオモチャ

『荘子』の中に、こんな印象的な会話がある。
ただそれは、人間同士の会話ではなく、影と薄影(影の周辺に出来る薄い影)の会話だ。
薄影は影に、
「お前は何でそんなにデタラメな動きをするんだ?お前に合わせる私は大変だ」
と文句を言うと、影は、
「俺は主人である人間の動く通りに動いているだけだ。だが、俺の主人だって同じかもしれない」
と言った。
つまり、我々人間は何者かに動かされている、あるいは、操られている。
操っているのは、霊かもしれないし、『超生命ヴァイトン』(1939)というSFにあるような、見えない生命体ヴァイトンのようなものかもしれない。あるいは、『エイリアン・インタビュー』にあるように、宇宙人に遠隔操作されているのかもしれない。

たとえが古くて申し訳ないが、我々は鉄人28号やジャイアントロボのように(原作者は共に横山光輝)、阿呆な少年に操られているロボットだ。
それで、操られた結果、奴隷になり下がり不幸になっている。
操り主は我々を思考を通して操る。
我々は自分で考えていると勘違いしているが、操り主に思考をコントロールされていて、操り主が決めた通りに考えているだけだ。
では、何で操り主達は我々を操るのかと言うと、我々を鉄人やジャイアントロボのように道具として使っていると言うよりは、単なる遊びであるのかもしれない。
つまり、我々はオモチャである。
『鉄人28号』の主題歌の中に「いいも悪いもリモコン次第」とあったり、『鉄腕アトム』の『ロボット・マーチ』に「こわれるまでの命」とあるのが、まさに我々のことだ。

だが、操り主は知っているのだ。
本当は、我々が、彼らと同等の存在であり、内に全知全能の力を秘めていることを。
戦争で勝った方が、負けた方の人間の脳に支配装置をつけて好きなように動かして遊んでいるだけかもしれない。
だが、当然ながら、本来は、負けた方も、勝った方と同じ存在なのだ。
そして、これは実際に行われていることで、我々日本人も、戦後、アメリカに同じようにされたのだ。
しかし、そのアメリカ人も、もっと上の存在(宇宙人か地底人か知らないが)に操られているのだろう。

コントロールを脱すれば、我々は本来、全知全能である。
ここらは、話が歪められているかもしれないが、『エイリアン・インタビュー』の内容に近いのだと思われる。
コントロールを脱する方法はただ1つ。
思考を止めることだ。
頭の中のおしゃべりをやめ、余計なことを考えないことだ。
なるべく想念を起こさないようにし、起こってもそれに構わず、ただ流すことだ。
そうすれば、我々は全知全能で、我々の知る概念で最も近いもので言えば神のようになる。

以上、私もコントロールを交わしながら書いたが、まだ、コントロールの邪魔が入っているので正確でないところはある。
しかし、それは各自思考を止めれば分かることである。
思考を止めれば、すぐに何かが起こるので分かると思うが、敵さんも、我々が気付かないよう圧力をかけてくるので、油断なく思考を止めなければならない。

世の中では、思考停止を悪いことのように言う。
しかし、悪いのは、思考を止めることではなく、悪い思考を放置することだ。
馬鹿とは、何も考えない者ではなく、馬鹿なことを考える者だ。
何も考えない者は天才である。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)エイリアン・インタビュー(ローレンス・スペンサー)
(3)超生命ヴァイトン(エリック・フランク・ラッセル)
(4)おろち(2)(楳図かずお)
(5)動物化するポストモダン(東浩紀)

美と平和
AIアート1492
「美と平和」
Kay

『荘子』は実践的魔法書

私は若い頃に『荘子』を読んで、超能力を磨いたものである。超能力と引き寄せは同じだ。
私は徳間書店の『荘子』を読んだが、せっかくこれのKindle版も出たのだが、PDFと同じような形式なので、やや読み難い。文庫版はなぜかずっと前から絶版状態で、ハードカバーの方も絶版かもしれない。
他のものでは、私は中公クラシックスのものをお薦めする。くどくなく分かり易い解説が秀逸だ。
PHP文庫の『新釈 荘子』は普通のKindle版があり、訳も素直だし、余計な解説も少ないので、これも良い。

あの良寛さんが、苦悩を脱したのも『荘子』を読んで悟ったことによってだったようだ。
良寛さんが『荘子』を読んで何を悟ったのかについては、解説している人もいるのだが、そんな解説をする「先生」は、やっぱり抽象的なことばかり言うので、さっぱり分からない。多分・・・と言うか、間違いなく、言っている方も分かっていない。
人間が苦悩を脱するのは、抽象思考によってではなく、具体的なメソッド(方法)によってだけである。

それで、独断も過ぎるが、とはいえ、確信があるのは、良寛さんは、最近ここでよく書いている「マイナスを疑うメソッド」を発見したのである。
これは、『荘子』の愛読者で、これで超能力を磨いた私には分かることである。
良寛さんが子供好きで、子供達を集めて遊んでいたことは事実のようだ。
ところが、良寛さんは、子供達の中の女の子がいなくなることに気付いた。家が貧しくて身売りさせられるのである。
良寛さんは自分の無力を嘆き苦しんだが、『荘子』を読んで苦悩を脱した。
「マイナスを疑うメソッド」は、呪文で言えば「それ本当?(これ本当?)」である。
「あの女の子が消えた。それ本当?」
別に、「それ本当?」と疑うことで、女の子が戻ってきたり、身売りをさせられないことになるわけではない。
そんなことを願って「それ本当?」と疑うわけではないし、願ってはならない。
だが、女の子が帰ってきたり、身売りさせられた事実がなくなってしまう。

『荘子』では、賢い人が言う。
「お前も私も、間違いなく夢を見ているのだ」
そして、荘子(『荘子』の著者。荘周とも言う)の主張は一貫して、「是非好悪、思慮分別を捨て、一切をなりゆきにまかせよ」だ。
こう言うと難しいが、やはり賢い人は言うのだ。
「お前はこう思っているだろう?しかし、それは本当なのかな?」
つまり「それ本当?」である。
「こう思っているだろう?」は「こう認識しているだろう?」「こう見えているだろう?」も含む。
そして、ヘレン・ケラーも言ったように「五感での認識は全部幻想」なのだ。
つまり、人間が見ていること、思っていること、認識していることは全部嘘である。
嘘という言い方が嫌なら「夢」と言って良い。
全てが夢であるというのも荘子の教えだ。
ならば、楽しい夢を。
それをもたらす呪文が「それ本当?(これ本当?)」である。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)荘子 (1) (中公クラシックス )
(3)中国の思想(12) 荘子(改訂版) (徳間文庫)
(4)楽天主義(ヘレン・ケラー)
(5)オプティミスト(ヘレン・ケラー)
(6)良寛 旅と人生 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)

蝶の夢
AIアート1203
「蝶の夢」
Kay

世界は二人のためにあるのか(ある)

『荘子』の中の『斉物論』には、「最も小さなものが最も大きなものであり、最も少ないものが最も多いものである。一頭の馬も万物であり、一本の指も天下である」といったことが書かれている。
荘子の時代には、まだ仏教は中国に伝わっていないが、これは仏教の『華厳経』の教えと同じで、『華厳経』の解説ではよく「1つは全てであり、全ては1つである」などと言う。
ただ、この意味を解説したものを見ると、大抵がっかりする。
早い話、解説などしない方が良い。
だが、解説しないと、上の『斉物論』や『華厳経』は、普通の人には、「何でそうなるんだ」ということになるだろう。
「一頭の馬も万物?なるほどまさにその通り」などと言う人は、まあ、滅多にいまい。

1967年の佐良直美さんの大ヒット曲(120万枚と言われる)『世界は二人のために』では、「二人のため世界はあるの」と何度も繰り返す。
これだって、「何で世界は二人のためにあるんだ、馬鹿馬鹿しい」と言いたい人もいるだろうが、むしろそんな文句を言う方が、頭が固い嫌な人になってしまう場合が多いだろう。
つまり、理屈には合わないが、情緒的に納得することもあるわけだ。
上の『斉物論』や『華厳経』だって、理屈には合わないように思えても、なんとなく納得する人もいるはずだ。そして、そんな人はおそらく、相当頭が良い。

さて、引き寄せでは、「願った瞬間に、実際に願いは叶っている」と言うことがある。
これを聞いて、納得はしないながら、否定はしない、さらに、何か美しいものを感じる人もいるはずだ。
これを聞き、「そんなわけないだろ、ばーか」といった反応をする人はIQが低く、私ならあまり相手になりたくない。
108さんの『ザ・チケット』という伝説の電子書籍(でじたる書房で販売)には、
「あなたは既に全ての願望を叶え、幸せの絶頂にある」
と書かれていて、言い方に困るが、まあ、その通りなのである。
どうしても納得出来ないだけでなく、これがデタラメだと主張するなら、私の知ったことではないので、サヨナラである。
だが、何かを感じたら、判断せず、放っておくと良い。
ニサルガダッタ・マハラジは、師に「あなたは至高の実在(まあ、神のことだろう)である」と言われ、納得したわけではないだろうが、それを忘れなかっただけで、修行は何もしなかったが悟りを開けたという。
あなたも、「あなたは既に全ての願いを叶え、幸せの絶頂にある」を、判断せず放っておけば、実際にそうなると思う。

ピンクのチューリップ
AIアート687
「ピンクのチューリップ」
Kay


電子掲示板「2ちゃんねる(今は5ちゃんねるか)」のコピーと思うが、YouTubeで、この「既に願いが叶っている」の下手な解説をする動画が沢山あり、ちょっとがっかりする。
80巻とも言われる『華厳経』を読めとは言わないが『荘子』を読むと良い。
頭で納得しようとせず、情緒を頼る方が良い。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)春宵十話(岡潔)天才数学者が情緒の重要性を説く
(2)荘子(そうじ) 1 (中公クラシックス)※この1だけでも良いと思う
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)荘子(徳間文庫)
(5)華厳の研究(鈴木大拙)
(6)無限の世界観<華厳>(角川ソフィア文庫)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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