ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

荘子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

固定観念がない者が勝利する

人間が愚かさを見せたり、失敗する時というのは、頭で何かを考えている時だ。
もっと丁寧に言うなら、何かの記憶を強く意識している時・・・つまり、固定観念を持っている時の人間は愚かなのである。
西洋の考え方では、あらゆることを学べば、いかなる事態にも対処出来るので、知識は多いほど良い。
だが、いくら知識を持ったところで、人間は極めてわずかなことしか学べず、特に、異なる文化や文明が支配する場所へ行けば、自分の知識などゼロに近いことになる場合もある。
これまでの社会で有能と言われた人が、ITが急速に進む中で従来の(ITがない時代の)記憶に基づいたやり方をしようとしたら、途端に無能な馬鹿になってしまう。これはよく見ることである。

ブルース・リーなどの格闘技スターが映画の中では、大勢の悪者を空手などの格闘技で見事に倒すが、実際の戦いではそんなことにはならない。
悪者が正々堂々、ヒーローに合わせて格闘技で真面目に戦ってくれるはずがない。
当然、現実の戦いでは、悪者はありとあらゆる、時によっては想像も出来ない卑怯な手を使って、間抜けに格闘技で戦おうとするヒーローを簡単にやっつけるだろう。
ある喧嘩名人は、喧嘩の相手が格闘技をやっていることが分かったら「勝った」と思うらしいが、それはよく分かる。
喧嘩も強かった世界的空手家の大山倍達は、空手が最強の格闘技であると言ったが、それに納得しない人は固定観念がある。
大山は「空手が地上最強なのは、目つぶしと金的攻撃があるからだ」と言ったらしいが、それを聞いたら、誰でもびっくりする。
というのは、目つぶしや金的攻撃は、格闘技ではやってはいけないものだという固定観念があるからだ。
大山の言う格闘技とは、スポーツ格闘技ではなく、早い話が喧嘩のことである。

大山倍達の本は全部、ゴーストライターが書いたらしいが、それでも、喧嘩に関する大山の考え方は反映されており、非常に参考になるし、他にも、いわゆる喧嘩屋や、軍隊、特殊部隊、スパイが、喧嘩としての格闘技について語ったものは、固定観念を取り除くのに役に立つ。その意味で本物の知恵の書である。

中国の『荘子』は、まさに、固定観念の危険さ、愚かさを示し、それを脱することの重要性を説いたもので、私は昔から「よく読めば超能力者になれる本」と言っているが、あながち間違いではない。
だが、学者先生が『荘子』をガチガチの固定観念を持った頭で考えて解説している本が多い。
だから私は、『荘子』の本で「完全に解説」などと宣伝されているものは決して読まない。
解説は言葉に関してだけで、後は一切解説がなく、ただ丁寧に翻訳されたものが良い。

お姉さん
AIアート378
「お姉さん」
Kay


「頭を空っぽにすれば最も高い能力が発揮される」と言ったら、絶対納得出来ない人が多い。
能力とは、問題に対して自分の知識や経験を適合させることだと思っているからだ。
だが、その知識や経験というものは極めて卑小なものなのだ。
そして、人間は頭を空っぽにして無になれば、無限の知識や経験とでも言うべきものとつながる。
矢追純一さんが「僕は頭が悪いから考えることを放棄した」というのは、最高に頭が良いやり方なのだ。
ただ、人間は痛い目に遭わないと頭を空っぽにする良さがなかなか分からないので、その意味では経験は良いものである。
しかし、言い換えれば経験とはその程度の価値しかない。

記憶を想起し、それについて考えるのは脳波がベータ波の時である。
脳波がアルファー波の中でもシータ波に近づくほど、思考活動は弱まっていく。
だから、アルファー波の状態で高い能力が発揮され、シータ波に近いスローアルファー波であれば、天才的能力を発揮することもある。
脳波をスローアルファー波にする簡単な方法が、いつもご紹介する志賀一雅博士の「よかった・ありがとう呼吸」である。
「よかった」と思いながら息を吸い、「ありがとう」と思いながら息を吐くだけである。
「神の圧力呼吸」は、脳波をほとんどシータ波にし、異常と思えるほどの能力を発揮させることがある。
引き寄せも、スローアルファー波の時に発揮されるのである。








この世の一切の問題の消し方

この世の一切の問題は、思考を消すこと(=IQを高めること)で解決する。
そして、思考を消すには、深呼吸をすれば良い。
よって、この世の一切の問題は深呼吸で解決出来ることが分かった。

「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、そう思ってしまうのは、ものごとには「見方」というものがあることがよく分かっていないからだ。
たとえば、「この世の一切の問題は思考を消すことで解決する」と言うのは、「この世の一切の問題は若返ることで解決する」というのと同じだ。
なぜなら、赤ん坊の思考はゼロで、歳を取るほど考えることが多くなるからだ。
雑多な思考で一杯になった老人は、あらゆる想いが弱くなり、それを見て馬鹿な人達が「老人は何も考えていない」のだと勘違いするのだ。
そして、深呼吸をすれば思考は消えるが、これは同時に若返ることでもある。

荘子は、老人とは、呼吸機能が衰えた者であると定義している。
呼吸機能が衰え、深呼吸をしないから老人になったのだ。

丹精して育てた花
AIアート331
「丹精して育てた花」
Kay


尚、腕振り運動をして、心臓や肺の周辺の筋肉を柔らかくしておくと、呼吸機能が上がり、深呼吸をし易くなる。
私は、本当に疲れた時は、やや強引でも大きく息を吸う呼吸を何度もして、細胞に酸素を行きわたらせる。
これにより、身体が若返り、IQが向上する。
元気を取り戻したら、「快感・喜びの表現呼吸(=よかった・ありがとう呼吸)」や、「4の呼吸」で深呼吸を行う。








人生を変えるスイッチ

人生が詰んで(チェックメイトに追い込まれること)しまった人の大逆転は、まずない。
カーネル・サンダースが60歳過ぎて大成功したと言ったって、彼は何十年も奮闘していたし、失敗続きとはいえ、ちゃんと優秀だった。
グランマ・モーゼスは75歳から本格的に絵に取り組んで大画家になったが、彼女は子供の時から絵は得意だったし、なんらかの絵はずっと描いていたのだ。

昔、テレビで、売れない高齢の歌手の特集という、趣味の悪い企画の一回の番組があった。
40代から60代もいたかもしれない。
明日のスターを夢見て、大真面目にやっているが、スーザン・ボイルのように、知られていなかっただけで本当は天才というわけではない。
見込みは、ほぼ・・・というか絶対にない人達だった。
人生が詰んでいることを認めたくない、そんな惨めな人達としか見えない。

いや、別に年寄りでなくても、人生が詰んでしまっている人だって少なくない。
まだ30歳くらいなんだから、これから何が起こるか分からないし、本人も夢を捨てていないかもしれない。
しかし、そいつを少し見たら、絶対駄目と断言出来るのである。
呪われた人達である。いや、冗談でなく、そんな人達はいるし、それどころか、普通にいる。それは我々かもしれない。

そんな駄目な人達が大逆転するスイッチなんてものはない。
実は、駄目な人間は皆、スイッチを求める。
「不登校の息子が学校に行くスイッチがないですかね?」
と、世界的心理学者の河合隼雄さんに言った父親が本当にいたし、そんな人はいくらでもいる。
結婚出来るスイッチ、彼女が出来るスイッチ、高収入になるスイッチ・・・そんなものを求める者はいくらでもいる。

スイッチはない。
しかし、あるのかもしれない。
宇宙に果てはない。
しかし、あるのかもしれない。
光速は超えられない。
しかし、超えられるかもしれない。

ところで、小説、ドラマ、映画、漫画、アニメなどは、考えれば当然であるが、IQが高くない者用に作られている。
大ヒットする映画やアニメ映画を見るのは、あまりIQが高くない人達だ。
だから、最も多い、IQ90から110の間の者に好まれるように作ることが成功の条件だ。
IQ120以上(上位10%。偏差値では65以上)の読者が楽しめる作品は、いくら良くてもさっぱり売れない。
ところが、西尾維新さんという作家の小説は、普通のIQの人はもちろん、結構IQが高い読者もいると思われる。
私は、彼の作品は冗長過ぎて好きではないのだが、それでも面白いと思うところはある。
彼の作品は、「IQが高い人には面白くない。いや、面白いかもしれない」である。
これと同じことが、「人生、詰んでしまったので終わりだ。いや、終わりでないかもしれない」と通じている。
何のことか分からないかもしれないが、すぐに分かるし、非常に重要だ。

彼(西尾維新)の『刀語』という作品に出てくる七実(なあみ)という美しい娘(二十歳は過ぎているが、アニメでは15~16歳に見える)の口癖がそんなものだ。
「良かったわ。いえ、悪かったのかしら」
「それがいいわ。いえ、よくないわ」
判断をした後、すぐに、反対の判断をするのである。
これがスイッチで、七実はスイッチの押し方を知っているのである。

荘子は、「破壊と見えるものも、他方から見れば完成である」「悪と見えるものも他方から見れば善である」といったふうに、「ものごとは相対的」ということを強調した。
だが、本当は、「破壊と見えるものが他方から見れば完成」なのではなく「破壊は完成」なのである。
七実流に言えば、「破壊ね、いえ、完成かしら」である。
中国の陰陽思想は、陰と陽が1つであるように、実は世界は、対立するもので出来ている。
しかし、対立したものは実際は同じである。
だが、人間の頭脳は、これを理解するには馬鹿過ぎる。
ところが、思考を消せば即座に分かる。
見える脳ではなく、見えない脳で理解するからだ。
思考を消すスイッチが、七実の「そうね。いや、そうじゃないわね」である。

波の音
AIアート283
「波の音」
Kay


実は私は、西尾維新の冗長な表現が好きでないので、『刀語』は読んでおらず、アニメだけ見たが、多分、彼の作品のアニメは原作に忠実だ。
いや、忠実ではないかもしれないが(笑)、それも同じである。
私は、彼の『物語』シリーズは22巻まで読んだが、あの冗長さに我慢がならず(笑)、それ以降読んでいない。しかし、アニメではセリフまで忠実にそのままであることが多かった(だから冗長で嫌なのだが 笑)。

対立を自然に受け入れれば、IQは即座に上がり、引き寄せのスイッチが入る。
七実だって、自分が死ぬという不可能なことが可能になるスイッチを入れたのである。
彼女が死ぬことが出来るスイッチは万能である。








馬鹿、普通、天才の違い

頭の良さとは、抽象化能力だと言う人も多く、あながち間違ってはいないと思うが、抽象化能力とは、簡単に言えば分類する能力だ。
たとえば人間を、男か女か、若いか年寄りか、賢いか馬鹿か、イケメンか不細工な顔か・・・といった感じだ。
じゃあ、どんなふうに分類能力に差があるかというと、ちょっと面白い。

たとえば、「魚とカラスの違いは?」と聞かれたら、普通は、まず鳥類か魚類かで分けるが、頭が悪い者は「食えるか食えないか」などと答える。
また、馬鹿に「女性」を分類させると、たとえば、「若いかオバサンか」とか言い、実際、それ以外の分類はほとんどしないが、少しは賢ければ、もっと複雑高度な分類をするだろう。
「世代が新しいほどIQが高い」と言った哲学者のジェームズ・フリンはこれを、「IQが低い者は自分の経験の中でしか考えない」と言った。
たとえば、自分は魚は食べてきたが、カラスは食べてこなかったという感じだ。
また、女性を見ると「若いか年寄りか」にしか興味が湧かないのも、若いと性的欲望を感じるが、年寄りだとそうではないという経験から分類しているのである。

しかし、いくら経験からとはいえ、女性を若いか年寄りかでしか分類しないのは、あまりに範囲が狭いが、こういうのを「視野が狭い」と言い、それはまさに馬鹿を指す。
実際は、いくら馬鹿でも、女性を若いか年寄りかだけで分類するわけではないが、それに近いことをするのであり、そういうことを「分類能力が低い」、つまり、「抽象化能力が低い」と言うのである。

ところが、抽象化能力が高く、多様な分類が出来る賢い人は、女性を見ても、多様な分類をするので、若いか年寄りかにこだわらない。
だから、恋愛視点という部分でも、若くなくても良いところが分かるのである。
馬鹿ほど、女性が若いこと、男がイケメンだったり金持ちだったりすることを絶対視するが、賢い人はそうではないわけだ。
優等生が、試験問題のパターン分類のみ出来るのも、馬鹿な男が女性を若いか年寄りか、美人かブスかで分類するのと近く、よって、お勉強しか出来ない者は馬鹿なのである。

人魚のおひいさま
AIアート281
「人魚のおひいさま」
Kay


ところが、超面白いことに、『荘子』の『斉物論』を見ると、神的賢者は、いっさい分類をしないと書かれている。
馬鹿は女性を若いか年寄りかくらいの分類しかしないが、超賢者は、「若いか年寄りかすら分類しない」のである。
馬鹿は、魚とカラスを「食えるか食えないか」で分類し、少し賢ければ、魚は魚類、鳥は鳥類と分類するが、超賢者は、いっさい分類せず、いわば、魚もカラスも同じと見る。
ここに、「本当の賢さ」の鍵がある。
つまり、「分類しないからこそ、無限の分類が出来る」のである。
荘子の「無為の為」「無知の知」とは、「何もしないことで全てを為す」「何も知らないから全て知っている」ということである。

これが、ここでいつも言っている「思考を消せば全知全能」という意味である。
何も考えなければ・・・下らない考えを取り込まなければ、元々天才なのである。
だから、岡本太郎は、授業中、両耳を固く手で塞いで、教師の愚かな考えが自分の聖なる脳に侵入してくるのを禁じたのである。








ニュートン・ロマン

今朝はソクラテスの思想を示すと言われる「無知の知」「私は自分が何も知らないということだけを知っている」という言葉に関し、決して、
「自分は無知だからもっと勉強しないといけない」
とか、
「ソクラテスでさえ何も知らないというなら、私はもっとずっと知らないのだから謙虚にならねば」
という意味に受け取ってはならないと書いた。

これらの言葉は、荘子の言う「知の限界を知る」ということで、しかも、人間の知なんて卑小で、その限界などとても低いと荘子は言っているのである。
ソクラテスもまた、いくら賢人と褒められても、たかが人間である自分の知恵など他愛ないもので、本当の知恵は内なる神の霊から来るのだと言った。
これは全く正しいと思う。

ニュートンや、あるいは、デカルトも同じ考え方だったのだ。
有名なニュートンの「浜辺の子供」の話をご存じかもしれない。
うろ憶えだが、ニュートンはこんなことを述べていた。
「私は砂浜で遊ぶ子供だった。時折、きれいな貝殻や石ころを見つけて楽しんでいたが、目の前に横たわる真理の大海には全く手をつけられなかった」
ニュートンは傲慢な人間だった。
だが、そんなニュートンすら、一番と言われる科学者の自分でも、人間の知性はせいぜい、貝殻や石ころを拾い上げる程度なのだと言う。
まさに、ソクラテスの「無知の知」「何も知らないということしか知らない」、荘子の「人間の知の限界」を痛感していたのだ。
そして、実は、ニュートンは、ほとんどの時間を聖書の研究に注ぎ、数学や物理学はついでにやっていたようなものだった。
彼は、真理の大海に挑もうとしたのかもしれない。
しかし、それはバベルの塔を建てるようなものだったのだろう。

夏の暑さにも負けぬ
AIアート240
「夏の暑さにも負けぬ」
Kay


だが、思考を消せば、誰でも、神の霊と通じ、その知恵と力を現わすことに、ほとんどの人が気付いていない。
それどころか、現代人は、思考という神を崇拝し、心(思考)を魂(神)の上位に置くという愚かなことをしている。
このままでは、この世界は持ちこたえることは出来ないだろう。
だが、そうだとしても、思考を消した者には何の関係もないのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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