小室圭さんが誰か説明する必要はないだろう。
私は「小室さん」と言ったら、小室哲哉さんのイメージが強いので、以下、あえて、小室圭さんとフルネームで書く。
実は、名が「けい」で、フルネームで漢字3文字になるところは私も同じだ。まあ、どうでもよいことだが(笑)。
マスコミや出版界でも有名な人気YouTuber達が、小室圭さんについて語っているものの多くは、これを「ディスる」と言うのだろうと思う。
「ディスる」とは、リスペクト(尊敬)の反対であるディスリスペクトを略した俗語で、「無礼」「軽蔑」「無礼なことを言う」「蔑む」といった意味である。
「ディスる」は、インターネットでは2000年代後半に定着したらしいが、「知っている人は知っている」という類のスラングだ。
実際は、文化庁の調査(2013年)では、「使ったことがある」は5.5%で、「聞いたことがない」が73.7%だったらしい(Wikipediaより)。
まさに、多くの人気YouTuber・・・と言うより人気言論者と言うべきかもしれないが、彼らが小室圭さんをディスりまくっている印象だ。
テレビなどのマスコミで言うことは決して鵜呑みにしてはならず、個人的には、特にテレビは絶対に見てはならない(私は気持ち悪くて見ることが出来ない)と思うが、小室圭さんについて語るYouTube動画を見ていると、SNSについても、そう考えるべきと言うしかない。
人気YouTuber、人気言論者達が、小室圭さんについて言うことを、私は意識的に信用しないようにする。
彼らの話は面白いので、印象操作・・・これを洗脳というのかもしれないが、聞いていたら、小室圭さんに関する一定のイメージが出来てしまうことは、私の場合は、「影響を受けるまい。そんなイメージは持つまい」と意識的に思わない限り、(一定のイメージを持たされてしまうことは)避けられない。
恐ろしいものである。
既に、沢山のYouTubeの視聴者達が、洗脳・・・と言っては語弊があるかもしれないが、かなりの影響を受けてしまっているはずだ。
ただ、とにかく、私は残念なのである。
それら人気YouTuber、人気言論者の多くは、知識や経験があり、頭も良い人のように思われる。
そんな優秀な人が、1人の人間を、そこまでディスる・・・侮辱する、軽蔑する、蔑むことが出来るということに、深い悲しさ、虚しさを感じるのである。
そうすることで、彼らはより高い人気を獲得し、言論業とでもいう商売が繁盛するのだろうなと思えるからだ。
ただ、彼らはプロなのだから、自己満足という部分はあまり大きくないとは思いたい。
確かに、利益のためだけでなく、本当に、皇室や日本のことを思っての部分もあるのかもしれないが、だからといって、1人の人間を辱めて良いということにはならない。
ドナルド・トランプについて、マスコミが多くの人々にネガティブなイメージを植え付けたことを思い出し、心の底から悲しくなるのである。
私としてはただ、小室圭さんに対し、過ぎたネガティブ発言をする人達のことは、他のことに関しても、あまり信用しなくなるだろう。
マスコミに関しては、疑いはしないが、全く信用しないし、それ以前になるべく見ないようにしている。
それらの人気言論者達についても、私は、それ(マスコミに対する扱い)に近くなるのかなあと思う。
ただ、脳科学者の茂木健一郎さんは、小室圭さんが提出したという長文の文書を見て、小室圭さんへの個人攻撃は全く行わず、単に「特殊な個性の持ち主と私は思い、興味深く、勉強になった」といった発言をしておられ、俗な感性で言えば「面白くない動画」だったかもしれない。
私には、茂木さんの発言が優れたものかどうかは、すぐには判断出来なかったが、少なくとも、茂木さんはまともな人だなあと思ったのである。
もちろん、この「まともな人」というのは、私の主観であり、他の言論者達が、客観的にまともでないと言うのではない。ただ、やはり、個人的にはまともと思えないのだ。
そして、これは信じない向きもある(信じない人が大半かもしれない)が、「因果応報」ということがある。
因果応報とは、Oxford Languagesを引用すれば、「過去および前世の行為の善悪に応じて現在の幸・不幸の果報があり、現在の行為に応じて未来の果報が生ずること。」で、簡単に言えば「やったことの報いは受ける」ということだが、他人を辱めれば、いずれは、自分が辱められることになるだろうし、あるいは、別の災禍を受けることになるかもしれない。
いずれにせよ、「タダでは済まない」はずだ。
全くそうは思わないことを、天、あるいは、神を畏れないと言うのだと思う。
彼らの行いを見て、私は少しは慎もうと思う。
私は「小室さん」と言ったら、小室哲哉さんのイメージが強いので、以下、あえて、小室圭さんとフルネームで書く。
実は、名が「けい」で、フルネームで漢字3文字になるところは私も同じだ。まあ、どうでもよいことだが(笑)。
マスコミや出版界でも有名な人気YouTuber達が、小室圭さんについて語っているものの多くは、これを「ディスる」と言うのだろうと思う。
「ディスる」とは、リスペクト(尊敬)の反対であるディスリスペクトを略した俗語で、「無礼」「軽蔑」「無礼なことを言う」「蔑む」といった意味である。
「ディスる」は、インターネットでは2000年代後半に定着したらしいが、「知っている人は知っている」という類のスラングだ。
実際は、文化庁の調査(2013年)では、「使ったことがある」は5.5%で、「聞いたことがない」が73.7%だったらしい(Wikipediaより)。
まさに、多くの人気YouTuber・・・と言うより人気言論者と言うべきかもしれないが、彼らが小室圭さんをディスりまくっている印象だ。
テレビなどのマスコミで言うことは決して鵜呑みにしてはならず、個人的には、特にテレビは絶対に見てはならない(私は気持ち悪くて見ることが出来ない)と思うが、小室圭さんについて語るYouTube動画を見ていると、SNSについても、そう考えるべきと言うしかない。
人気YouTuber、人気言論者達が、小室圭さんについて言うことを、私は意識的に信用しないようにする。
彼らの話は面白いので、印象操作・・・これを洗脳というのかもしれないが、聞いていたら、小室圭さんに関する一定のイメージが出来てしまうことは、私の場合は、「影響を受けるまい。そんなイメージは持つまい」と意識的に思わない限り、(一定のイメージを持たされてしまうことは)避けられない。
恐ろしいものである。
既に、沢山のYouTubeの視聴者達が、洗脳・・・と言っては語弊があるかもしれないが、かなりの影響を受けてしまっているはずだ。
ただ、とにかく、私は残念なのである。
それら人気YouTuber、人気言論者の多くは、知識や経験があり、頭も良い人のように思われる。
そんな優秀な人が、1人の人間を、そこまでディスる・・・侮辱する、軽蔑する、蔑むことが出来るということに、深い悲しさ、虚しさを感じるのである。
そうすることで、彼らはより高い人気を獲得し、言論業とでもいう商売が繁盛するのだろうなと思えるからだ。
ただ、彼らはプロなのだから、自己満足という部分はあまり大きくないとは思いたい。
確かに、利益のためだけでなく、本当に、皇室や日本のことを思っての部分もあるのかもしれないが、だからといって、1人の人間を辱めて良いということにはならない。
ドナルド・トランプについて、マスコミが多くの人々にネガティブなイメージを植え付けたことを思い出し、心の底から悲しくなるのである。
私としてはただ、小室圭さんに対し、過ぎたネガティブ発言をする人達のことは、他のことに関しても、あまり信用しなくなるだろう。
マスコミに関しては、疑いはしないが、全く信用しないし、それ以前になるべく見ないようにしている。
それらの人気言論者達についても、私は、それ(マスコミに対する扱い)に近くなるのかなあと思う。
ただ、脳科学者の茂木健一郎さんは、小室圭さんが提出したという長文の文書を見て、小室圭さんへの個人攻撃は全く行わず、単に「特殊な個性の持ち主と私は思い、興味深く、勉強になった」といった発言をしておられ、俗な感性で言えば「面白くない動画」だったかもしれない。
私には、茂木さんの発言が優れたものかどうかは、すぐには判断出来なかったが、少なくとも、茂木さんはまともな人だなあと思ったのである。
もちろん、この「まともな人」というのは、私の主観であり、他の言論者達が、客観的にまともでないと言うのではない。ただ、やはり、個人的にはまともと思えないのだ。
そして、これは信じない向きもある(信じない人が大半かもしれない)が、「因果応報」ということがある。
因果応報とは、Oxford Languagesを引用すれば、「過去および前世の行為の善悪に応じて現在の幸・不幸の果報があり、現在の行為に応じて未来の果報が生ずること。」で、簡単に言えば「やったことの報いは受ける」ということだが、他人を辱めれば、いずれは、自分が辱められることになるだろうし、あるいは、別の災禍を受けることになるかもしれない。
いずれにせよ、「タダでは済まない」はずだ。
全くそうは思わないことを、天、あるいは、神を畏れないと言うのだと思う。
彼らの行いを見て、私は少しは慎もうと思う。