過激な至高体験の起こし方というのは、楽しいところもあるが、危険も大きいので、参考にするとか、出来る部分のみ採用すれば良いのだと思う。しかし、やはり危険に飛び込まなければ何も得られないと言う人もいるだろう。
ところで、およそ世界のどこにでも過激な祭りというものがあり、それは、至高体験という言葉こそ使っていないが、それと同じものを得ることを目指していたのだと思う。
たとえば、スペインの有名な牛追い祭りのように、死者も普通に出ていたような過激な祭りのようなもので、日本にだって、今でこそかなりマイルド化されているが、各地にある荒っぽい男祭りみたいなものは、昔は本当に過激だったものもある。
祭りじゃなくたって、若いうちは本当は命がけの危険なことをやりたいものなのだ。
人間は、命の危機に遭遇した時、隠されていた生命エネルギーが表出し、至高体験に導かれ、生まれ変わるが、それほどの楽しいことは他にないからだ。
昔は有名だった戸塚ヨットスクールという、軟弱な青少年の精神を叩きなおして一人前の人間にする訓練所があり、甘ったれた若者を沖に連れて行って海に放り込むという過激な指導をしていた。
それで、時には劇的な効果があって有名になったが、そんなことを数多くやっているうちに、怪我人はもちろん、ついには死者まで出て主催者の戸塚宏氏は逮捕されて刑務所に入れられたが、服役後にヨットスクールを再開している。
もちろん、そんな過激なことをする必要はないし、むしろ、してはならない。
実際は、うまくいく可能性はかなり低いのである。たまたまうまくいったごく少数の例が注目され、過大に称賛されるというのはよくあることだ。
そこで、実際に死の危険を冒さなくても、想像力を使うことで死をシミュレーションすることが出来るが、それは決して馬鹿に出来ることではない。
なぜなら、脳は、現実とリアルな想像の区別は出来ないからだ。
ところで、死とは何かというと、命を失うことであるのは当然だが、「命より大切なもの」を失うことによっても、死は体験出来るのである。
そして、日本人にとっては、日本の文豪が書いた、命より大切なものを失う荘厳な場面を読むことで、作中の人物に共感して死を間近に感じ、深い至高体験に至ることが出来る可能性がある。
ここまで書いたらネタバラシをしない方が良いが(実はしても大丈夫とは思うが)、芥川龍之介の『地獄変』を読むと良いのではないかと思う。
私はそれで至高体験に達し、いろいろ面白いことが出来るようになった。
もちろん、想像力の問題や、多少は趣味の問題もあるから、何が起こるか、あるいは、何も起こらないかは分からない。
他にも、芥川の作品は本当に素晴らしいものが多いと思う。

AIアート716
「世界の終わり」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)蜘蛛の糸・地獄変(芥川龍之介)
(2)本能の力(戸塚宏)
(3)美の呪力(岡本太郎)
(4)至高体験(コリン・ウィルソン)
(5)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(6)フランケンシュタインの城(コリン・ウィルソン)
(7)悪霊(上)(ドストエフスキー。江川卓訳。新潮文庫)
(8)悪霊 (1) (ドストエフスキー。亀山郁夫訳。光文社古典新訳文庫)
ところで、およそ世界のどこにでも過激な祭りというものがあり、それは、至高体験という言葉こそ使っていないが、それと同じものを得ることを目指していたのだと思う。
たとえば、スペインの有名な牛追い祭りのように、死者も普通に出ていたような過激な祭りのようなもので、日本にだって、今でこそかなりマイルド化されているが、各地にある荒っぽい男祭りみたいなものは、昔は本当に過激だったものもある。
祭りじゃなくたって、若いうちは本当は命がけの危険なことをやりたいものなのだ。
人間は、命の危機に遭遇した時、隠されていた生命エネルギーが表出し、至高体験に導かれ、生まれ変わるが、それほどの楽しいことは他にないからだ。
昔は有名だった戸塚ヨットスクールという、軟弱な青少年の精神を叩きなおして一人前の人間にする訓練所があり、甘ったれた若者を沖に連れて行って海に放り込むという過激な指導をしていた。
それで、時には劇的な効果があって有名になったが、そんなことを数多くやっているうちに、怪我人はもちろん、ついには死者まで出て主催者の戸塚宏氏は逮捕されて刑務所に入れられたが、服役後にヨットスクールを再開している。
もちろん、そんな過激なことをする必要はないし、むしろ、してはならない。
実際は、うまくいく可能性はかなり低いのである。たまたまうまくいったごく少数の例が注目され、過大に称賛されるというのはよくあることだ。
そこで、実際に死の危険を冒さなくても、想像力を使うことで死をシミュレーションすることが出来るが、それは決して馬鹿に出来ることではない。
なぜなら、脳は、現実とリアルな想像の区別は出来ないからだ。
ところで、死とは何かというと、命を失うことであるのは当然だが、「命より大切なもの」を失うことによっても、死は体験出来るのである。
そして、日本人にとっては、日本の文豪が書いた、命より大切なものを失う荘厳な場面を読むことで、作中の人物に共感して死を間近に感じ、深い至高体験に至ることが出来る可能性がある。
ここまで書いたらネタバラシをしない方が良いが(実はしても大丈夫とは思うが)、芥川龍之介の『地獄変』を読むと良いのではないかと思う。
私はそれで至高体験に達し、いろいろ面白いことが出来るようになった。
もちろん、想像力の問題や、多少は趣味の問題もあるから、何が起こるか、あるいは、何も起こらないかは分からない。
他にも、芥川の作品は本当に素晴らしいものが多いと思う。

AIアート716
「世界の終わり」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)蜘蛛の糸・地獄変(芥川龍之介)
(2)本能の力(戸塚宏)
(3)美の呪力(岡本太郎)
(4)至高体験(コリン・ウィルソン)
(5)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(6)フランケンシュタインの城(コリン・ウィルソン)
(7)悪霊(上)(ドストエフスキー。江川卓訳。新潮文庫)
(8)悪霊 (1) (ドストエフスキー。亀山郁夫訳。光文社古典新訳文庫)