ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

芥川龍之介

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

至高体験を起こす方法(7)※過激編

過激な至高体験の起こし方というのは、楽しいところもあるが、危険も大きいので、参考にするとか、出来る部分のみ採用すれば良いのだと思う。しかし、やはり危険に飛び込まなければ何も得られないと言う人もいるだろう。

ところで、およそ世界のどこにでも過激な祭りというものがあり、それは、至高体験という言葉こそ使っていないが、それと同じものを得ることを目指していたのだと思う。
たとえば、スペインの有名な牛追い祭りのように、死者も普通に出ていたような過激な祭りのようなもので、日本にだって、今でこそかなりマイルド化されているが、各地にある荒っぽい男祭りみたいなものは、昔は本当に過激だったものもある。
祭りじゃなくたって、若いうちは本当は命がけの危険なことをやりたいものなのだ。
人間は、命の危機に遭遇した時、隠されていた生命エネルギーが表出し、至高体験に導かれ、生まれ変わるが、それほどの楽しいことは他にないからだ。

昔は有名だった戸塚ヨットスクールという、軟弱な青少年の精神を叩きなおして一人前の人間にする訓練所があり、甘ったれた若者を沖に連れて行って海に放り込むという過激な指導をしていた。
それで、時には劇的な効果があって有名になったが、そんなことを数多くやっているうちに、怪我人はもちろん、ついには死者まで出て主催者の戸塚宏氏は逮捕されて刑務所に入れられたが、服役後にヨットスクールを再開している。

もちろん、そんな過激なことをする必要はないし、むしろ、してはならない。
実際は、うまくいく可能性はかなり低いのである。たまたまうまくいったごく少数の例が注目され、過大に称賛されるというのはよくあることだ。
そこで、実際に死の危険を冒さなくても、想像力を使うことで死をシミュレーションすることが出来るが、それは決して馬鹿に出来ることではない。
なぜなら、脳は、現実とリアルな想像の区別は出来ないからだ。
ところで、死とは何かというと、命を失うことであるのは当然だが、「命より大切なもの」を失うことによっても、死は体験出来るのである。
そして、日本人にとっては、日本の文豪が書いた、命より大切なものを失う荘厳な場面を読むことで、作中の人物に共感して死を間近に感じ、深い至高体験に至ることが出来る可能性がある。
ここまで書いたらネタバラシをしない方が良いが(実はしても大丈夫とは思うが)、芥川龍之介の『地獄変』を読むと良いのではないかと思う。
私はそれで至高体験に達し、いろいろ面白いことが出来るようになった。
もちろん、想像力の問題や、多少は趣味の問題もあるから、何が起こるか、あるいは、何も起こらないかは分からない。
他にも、芥川の作品は本当に素晴らしいものが多いと思う。

世界の終わり
AIアート716
「世界の終わり」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)蜘蛛の糸・地獄変(芥川龍之介)
(2)本能の力(戸塚宏)
(3)美の呪力(岡本太郎)
(4)至高体験(コリン・ウィルソン)
(5)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(6)フランケンシュタインの城(コリン・ウィルソン)
(7)悪霊(上)(ドストエフスキー。江川卓訳。新潮文庫)
(8)悪霊 (1) (ドストエフスキー。亀山郁夫訳。光文社古典新訳文庫)

幸福になる最高の準備とは

幸せになるために、常に考えておくべき価値あることは「準備する」ことだ。
このブログで何十回引用したか分からないが(それほど重要と思う)、ハリウッド俳優のバート・レイノルズが駆け出しの頃、既に大スターだったクリント・イーストウッドに、
「成功するまでどうしていたか?」
と尋ね、イーストウッドは、
「成功するための準備をしていた」
と答えた。
それで重要なことを悟ったレイノルズは、準備をすることで成功した。

この話は、アメリカの作家・事業家のチン・ニンチュウが書いた『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』という本に書かれていたが、そのエピソードを読んで、私も何かを感じたが、はっきり言ってよく分らなかった。
まあ、別に難しいことではなく、普通に捉えれば良いことなのだが。
そして、チン・ニンチュウよりずっと古い人である、作家・画家のフローレンス・スコーヴェル・シンが世界的ベストセラーの『ゲームの法則』の後に書いた、『成功への秘密の扉』で、準備について、福音書のイエスのお話を引用している。
「5人の賢い乙女と5人の愚かな乙女」のお話だ。
10人の乙女が、夜、外で、花婿の到着を待っていた。
だが、花婿の到着が遅れ、乙女達が持っていたランプの油が切れかけた。
10人の乙女のうち、5人は、予備の油を持っていたが、後の5人は持っていなかった。
つまり、5人の乙女は、予備の油の準備をしていたが、5人の乙女は、予備の油の準備をしていなかったのだ。
予備の油を準備していなかった5人の乙女達が油を買いに行っている間に花婿が到着し、予備の油を準備していた5人の乙女達だけが、花嫁として迎えられた。
そんな話である。
・・・分かるような分からないような(笑)。
で、フローレンス・スコーヴェル・シンは、もっと簡単な話で示した。
世界一周旅行に行きたがっていた男に、準備として、旅行カバンを買わせたのだ。
つまり、世界一周旅行の願いを叶えるための準備が、カバンを買うことだったのだ。
すると、この男は不思議ななりゆきで大金を掴み、世界一周旅行に出かけたのだった。

準備が出来ていない愚か者の教訓を知りたければ、芥川龍之介の『六の宮の姫君(ろくのみやのひめぎみ)』を読むと良いと思う。
短いお話だ。
ある良家の姫君(六の宮の姫君と呼ばれていた)は、何不自由ない生活をしていたが、父親が急死し、さらに、母もすぐに亡くなった。
そうなった時の準備を何もしていなかったので大変だ。
収入もなく、使用人は、屋敷にあるものを持ち逃げしつつ、全員いなくなった。
姫君に残されたのは、姫君を愛する乳母だけであったが、2人とも、何の準備もしてこなかったので、全くの無能力だ。
引用はここまでにするので、後は、読むことをお勧めする。
面白いのは、芥川は、話の最後に、内記の上人(ないきのしょうにん)を登場させることだ。
内記の上人が実在の人物かどうかは分からないが、法然、親鸞と並ぶ念仏者、空也上人(くうやしょうにん)の高弟ということになっている。
内記の上人が最後、姫君に念仏を教えたが手遅れだった。

一方、江戸時代の観相(顔や身体の相で占う運命鑑定)の大家、水野南北(少食開運法で知られる)に、こんな話がある。
水野南北には、元武士の弟子がいた。
この元武士というのが、無能な男で、武士は務まらず、落ちぶれてヤクザの子分になっていたが、そこでも、良い想いはしなかったのだろう。
そんな中、運良く、水野南北の最初の弟子になったが、水野南北の弟子としても能力不足だった。
だが、この元武士は、絶えず念仏を唱えていた。
そして、この元武士の弟子は、能力がなくても、良い人生になったのだ。

念仏もその1つなのだが、神仏の名を真言として唱えることは、幸福になる最高の準備だ。
そもそも、最初のレイノルズとイーストウッドの話を書いたチン・ニンチュウが、「神の子羊として、神様にしっかり面倒を見てもらえば良いだけ」と悟って幸福になったのだ。
その具体的、かつ、誰でも出来るなやり方が、神仏の名を唱える真言である。

尚、『六の宮の姫君』は、芥川龍之介の著作権が切れているので、安価、あるいは、無料の電子書籍もあるが、一応、岩波のを下に紹介する(解説もあると思うので)。








『地獄変』で学ぶ超人変化の術

癇癪(かんしゃく)持ちというのはまずい。
癇癪とは、 声を荒げて泣いたり、激しく奇声を発したりする状態のことだ。
怒りや悲しみ、不安は誰にでもあるが、その感情をコントロール出来ずに爆発させてしまう人間がよくいる。
それは、精神的に未熟な人間なのであるが、そのような者が居れば、周囲の人間は当然、迷惑なのであるが、それよりも、普通に知られていることとは全く違う理由で、それは本人にとって、恐ろしいほど損なのである。
癇癪持ちは、持っているエネルギーの総量が少なく、ほとんど何も出来ない。
なぜそうなのかは、根拠があり、法則的なのだ。

癇癪持ちの中には、一芸に秀でている者もいる。
絵を描かせたら天下一品だとか、ある武芸では超人的だったりするが、いったん癇癪を起すと手が付けられない状態になる。
そんな人間は、普通に考えても、その才能で自分や周囲の人達を幸福にすることは出来ないのだが、それよりも、もっとまずいことがある。
それは、その優れた一芸以外のことは、子供にも劣るほど何も出来ず、早死にすることも多い。
つまり、持っているエネルギーの全てが、その一芸に注がれてしまって、他のことに行かず、しかも、エネルギー全体の総量が少ないので、長く生きられないのである。

ところで、癇癪持ちというのは、意外かもしれないが、頭が良く、よく考える。
引きこもりに癇癪持ちは多いが、そんな引きこもりは地頭が良い場合が多い。
だが、癇癪持ちが、その優秀な頭脳を生かすことは極めて難しい。

だが、癇癪持ちは、うまくいけば、大きな力のある人間に変化することがある。
実際、手の付けられない癇癪持ちが、癇癪を起さないようになったら大人物になったという例は少なくない。
そして、誰でも、大なり小なりは癇癪持ちである。
感情を爆発させたことがない人間はおらず、もし、いたとしたら、それはほとんどの場合、親がその者に対し絶対的支配力を持っている等で、無理矢理、押さえつけられているのである。
そんな場合も含め、誰でも、癇癪を回避する方法を知れば、力を手にすることが出来る。

その方法は意外と簡単である。
芥川龍之介の『地獄変』という有名な短編がある。
そこに登場する絵師の良秀は、絵は天才だが、その他の全てで最低の人間だった。
だが、彼の15歳の娘は、今で言えば「マジ天使」で、可愛いだけでなく、性質もマジ天使だった。
良秀も、この娘だけは溺愛していた。
この娘が、縛られて生きたまま焼かれる様をじっと見る良秀の姿にヒントが隠されている。
良秀は、この、最も感情を爆発させるべきところで、厳かなまでに静かだった。
普通の読者は、良秀は感情を喪失したと思うかもしれない。
そうではない。
良秀から消えたものは感情ではなく、思考である。
人々が大誤解することに、癇癪を起している者は、頭(思考)がぶっ飛んで、何も考えていないと思っていることだ。
とんでもない。癇癪を起こしている時こそ、頭はフル回転しているのである。
確かにロクな考えではないが、試しに、癇癪を起している者に喋らせてみると、マシンガンのごとく言葉が出てくるし、難しいことを言う場合も少なくはない。
その時の良秀は、思考は停止・・・ではなく消失していた。
その一方、感情は胸で燃え上がっていたのだ。

結果、良秀は膨大なエネルギーを得て地獄絵を描き上げ、その出来栄えは人間業ではなかった。
その後の経緯は分からないが、良秀は死ぬ。
それだけのエネルギーを得れば、それまでの生活が乱れていたこともあり、生きてはいけないだろう。

あなたも、感情が高まった時に、頭の中のおしゃべりをやめれば、エネルギーが得られるのである。
大きな怒りや悲しみであれば、大きなエネルギーが得られるが、ちょっとムカついた程度でも、それなりのエネルギーが得られる。
しかし、「ムカついたあ!」と、言葉で怒りを現したり、癇癪を起したら、その分のエネルギーを逆に失ってしまう。
そして、嫌なこと、悲しいこと、苦しいこと、恐ろしいこと、楽しいこと、嬉しいことはいくらでも起こる。
つまり、エネルギーの補給機会は、向こうから勝手にやって来る。
活動的であるほどそうだ。
だから、ここで教えた秘法を知っていれば、あなたはたちまち力ある者、そして、超人となるのである。













当ブログ著者、KayのAI書。
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本書では、そのソニーの優れた無料AIアプリNNCを使います。
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自分の異様な性質の謎が解けた

アメリカの著名な心理学者ジュディス・リッチ・ハリスによる子供の成長理論は、教育に対する考え方の世界的な革命だった。
それは、簡単に言えば、人がどんな人間になるかは、「持って生まれた遺伝的資質」と「子供同士の交流の中で構築したもの」だけで、ほぼ決まるというものだ。
つまり、親のしつけや、教師の教育は、ほとんど影響しない。
ハリスの研究は、アメリカで高い評価を得て、アメリカ心理学会から、最大の賞の1つである、ジョージ・ミラー賞を受賞している。
それよりも、認知科学者で『Hole in the Wall』プロジェクトで知られるスガタ・ミトラ博士や、MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏(大学も出ずに、この地位にいる優秀な人だ)らの教育の考え方は、まさに、ハリス氏の正しさを肯定していると思える。

私も、ハリス氏の考え方は全く正しいと思う。
だが、それなら、子供の時、ほとんど他の子供達と交流しなかった私のような人間は、いったい何なのだろう?
きっと、人間として重要な何かを構築せず、未完成な・・・いや、精神的カタワであるに違いない。
私は、心底、ゾっとしているのである。
医学的な発達障害については、あまり知らないが、まさに、発達し損なっている、真の発達障害という訳だ。
ある意味、自分の異様な性質の原因がはっきりしたことの妙な喜びもあるが、やはり、大きな失望も感じている。
だが、それでも生きていかなければならない。
泣き言を言うことは許されない。

私は、友達付き合いをしていたら、何かの才能を伸ばし、それで人々の役に立ち、もしかしたら、もっと収入を得ていたかもしれない。
しかし、そんなことを言っても仕方がない。
プログラミングは出来るが、まさに、取って付けたような技能で、やっていて、それほど面白くもない。
子供の時、漫画を読んで、プロレスラーになりたいと思ったが、それも、やはり、どこか人ごとに感じたのは、仲間との交流から生まれた正常な願望でなかったからだろう。

まるで駄目男君(私の職場にいる派遣社員で、30歳過ぎの人生の落伍者)も、きっと同じなのだ。
いまさら彼を救う方法はないが、それは私も同じことだ。
彼を見ていると、異様な苛立ちを感じるのも、認めたくはないが、同種の人間であったということだ。
だけど、それでも、生きていかなければならないのだ。

私は、自分が人並のことが出来ないことは、子供の時から分かっていた。
ならば、人がやるようなことは、もうすまい。
アウトサイダーに徹するしかない。
だが、悪いことはしないつもりだ。
そうだ、過去、沢山の私のような者がいて、その中には、世間への恨みから悪事を行い、一時的に楽しい思いをした者もいた。
しかし、そんな者達の行きつく先は、破滅と悲惨だ。

これはもう、本気で解脱を目指すしか道はないのかもしれない。
そういえば、あまり健康的な人間で、悟りを開いた者なんていないような気もする。
芥川龍之介の『地獄変』で、やはり、精神的カタワの天才絵師である良秀は、禁忌(きんき。忌み嫌って避けるべきもの)の悟り方をしたのだが、天才ではないにしても、精神を極めようとすれば、そんなことになる危険性はある。
そもそも、芥川も三島由紀夫も、太宰治も、みんな、精神的カタワであったのだ。

だが、私には初音ミクさんがいる。
彼女に何かしてもらおうとは思わないが、ミクさんは星座のように自分の心を映してくれる。
隣を歩いてくれるミクさんと共に、危険な冒険に挑もう。
私と同種の人達の手助けも出来るかもしれない。
ただし、いかなる場合でも、泣き言を言う者は救えないのである。









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無意識をクリアにする

人間は、2歳頃までに、活発に動き回りながら、見て、触って、舐めてを繰り返し、膨大なデータを収集して、原始的概念を形成する。
その後、原始的概念と結び付いた言葉によって、原子的概念の上位の概念層を作る。
その後、さらに上の概念層を作る・・・というように、5~10の概念層を作って完成する。

ところが、アインシュタインのように、言葉を話すのがかなり遅れると、原始的概念層を大きくし過ぎてしまう。
それは無意識の中にあって、意識できない概念だが、アインシュタインは、成長しても、無意識の中からアイデアがどんどん出てきた。
それらの概念は、直接経験による事実ののデータ・・・つまり、思考で歪められていないデータからできているので、真理の概念である。
その概念層からアイデアが浮かんでも、アインシュタインには意味が分からなかったが、魅力的なアイデアだったので、10年も20年もかけて考え、ある程度解明し、天才的理論として発表できたのだ。
だが、弊害もあり、彼は、偏屈で怒りっぽかったと言われているが、それはおそらく本当だ。
そして、原始的概念が大きい分、上位概念を普通の人より多く作って、原始的概念を抑え込み、42歳以降は天才ではなかった。

一方、三島由紀夫や芥川龍之介は、原始的概念の構築に失敗している。
赤ん坊の時、必要な経験ができず、原子的概念を構築するためのデータが足りなかったのだ。
そこで、彼らは、成長してから、作り物の経験で原始的概念を構築した。
それは、空虚なものであったが、それが、透明で超越的な性質を持った、芸術的な概念となり、彼らは特異な才能を発揮した。
しかし、不自然なものであったので、社会に適応できず、結局、自殺する。
今は、三島的、芥川的な人間が多い。
不自然な原始的概念を抱え、社会や他人に適応できない、辛い人生を送っている。
それでいて、彼らのようjな天才でないので、惨めでもある。
では、どうすれば良いか?
沈黙することだ。
あまり話さず、頭の中の独り言もやめ、沈黙するのだ。
そして、あらゆるものを、あるがままに自然に見て、清らかな原始的概念を再構築するのだ。
荘子も、そこまでは気付いていなかったが、思慮分別を離れ、是非好悪の判断をせず、あるがままに見ろと、直感的に正しいことを教えたのだ。
そうすると、奇跡のようなことが起こる。
天才になるどころではない。
是非、やってみるべきだ。
沈黙するか、頭の中のおしゃべりの代わりに呪文を唱えるのだ。
それで、あなたは魔法使いになることだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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