私は、60代最初くらいまでの船井幸雄氏の本はよく読んでいた。
あくまで個人的感想であるが、そのくらいまでの船井氏の本は素晴らしかったと思う。
それで言えば、保江邦夫氏を全く同じように感じるが、まあ、こちらは置いておこう。
いずれにしろ、両氏の著書は非常に参考になり、得ることが多かった。
古い船井氏の本(どの本だったかは分からない)に、人生の秘訣とも言える言葉が書かれていた。
「現状肯定。過去オール善」
この言葉に触れた時、私は若かったが瞬間で納得し、この言葉を憶えた。
ところが、船井氏は、80歳を過ぎて、とんでもない奇病の、それも難病にかかり、結局、それで命を落とされた。
どんな病気でも治せるスーパーパワー、あるいは、ノウハウを持ち、そして、医療を超える治療の達人の知り合いが沢山いたはずなのにである。
ただ、船井氏は深刻な病状にありながらも、情報発信を続けておられ、立派なものであったと思う。
そういえば、保江氏は既に、死んでもおかしくない病気になり、また、かなり健康を損なったことも一度や二度ではないと思う。
おかしなことである。
AIアート88
「オンディオーヌ」
Kay
そして、上記の船井氏の「現状肯定。過去オール善」であるが、素晴らしい言葉ではあるが、私はおかしいと思うようになった。
「現状肯定」だけで良いのである。
現状が肯定であれば、過去は、ある意味で善なのである。
しかし、別の意味では過去は悪であるとも言えるかもしれない。
だが、そんなことはどうでも良いのである。
大事なことは「現状肯定」だけである。
過去に意識をやればおかしなことになる。
過去を考えてはならない。
私は昔、長嶋茂雄氏がテレビで「オールOK」という言葉を使うのを何度か聞いたと思う。
これこそ、船井氏の「現状肯定」を超える言葉であると思う。
良いか悪いかは分からないが、長嶋茂雄氏を現わす言葉は「オールOK」だと私は思っている。
長嶋茂雄氏は、中畑清氏に「絶好調」という言葉を使うことを教え、これが中畑清氏大成の要因になったと言われていると思う。
どちらの言葉もよく効く。
「絶好調」の方がややパワーが弱いが、それでも凄いものだ。
「オールOK」は、神に直接聞いたような言葉であり、この一言で万能である。
あくまで個人的感想であるが、そのくらいまでの船井氏の本は素晴らしかったと思う。
それで言えば、保江邦夫氏を全く同じように感じるが、まあ、こちらは置いておこう。
いずれにしろ、両氏の著書は非常に参考になり、得ることが多かった。
古い船井氏の本(どの本だったかは分からない)に、人生の秘訣とも言える言葉が書かれていた。
「現状肯定。過去オール善」
この言葉に触れた時、私は若かったが瞬間で納得し、この言葉を憶えた。
ところが、船井氏は、80歳を過ぎて、とんでもない奇病の、それも難病にかかり、結局、それで命を落とされた。
どんな病気でも治せるスーパーパワー、あるいは、ノウハウを持ち、そして、医療を超える治療の達人の知り合いが沢山いたはずなのにである。
ただ、船井氏は深刻な病状にありながらも、情報発信を続けておられ、立派なものであったと思う。
そういえば、保江氏は既に、死んでもおかしくない病気になり、また、かなり健康を損なったことも一度や二度ではないと思う。
おかしなことである。
AIアート88
「オンディオーヌ」
Kay
そして、上記の船井氏の「現状肯定。過去オール善」であるが、素晴らしい言葉ではあるが、私はおかしいと思うようになった。
「現状肯定」だけで良いのである。
現状が肯定であれば、過去は、ある意味で善なのである。
しかし、別の意味では過去は悪であるとも言えるかもしれない。
だが、そんなことはどうでも良いのである。
大事なことは「現状肯定」だけである。
過去に意識をやればおかしなことになる。
過去を考えてはならない。
私は昔、長嶋茂雄氏がテレビで「オールOK」という言葉を使うのを何度か聞いたと思う。
これこそ、船井氏の「現状肯定」を超える言葉であると思う。
良いか悪いかは分からないが、長嶋茂雄氏を現わす言葉は「オールOK」だと私は思っている。
長嶋茂雄氏は、中畑清氏に「絶好調」という言葉を使うことを教え、これが中畑清氏大成の要因になったと言われていると思う。
どちらの言葉もよく効く。
「絶好調」の方がややパワーが弱いが、それでも凄いものだ。
「オールOK」は、神に直接聞いたような言葉であり、この一言で万能である。