「般若心経(はんにゃしんぎょう)」という短いお経があることをご存じの人は多いと思う。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう。玄奘が名で三蔵は尊称)の漢訳では262文字で、この短い文の中に、仏教の神髄があると言われることもある。
ちなみに、玄奘三蔵は、孫悟空のお話として有名な『西遊記』に登場する三蔵法師のモデルなのだと思う。
私は昔、紀野一義さんの本で読んだのだと思うが、般若心経について、こんな印象深い話を憶えている。
玄奘三蔵は、中国人で中国に住んでいたが、当時は、仏教の教典が中国にほとんど無かったのだと思う。
それで、玄奘は、インドに行って仏教の教典を中国に持ち帰ろうと決意する。
ただ、中国からインドへの旅は、極めて険しい山路で行くしかなかったようで、命懸けの旅であったようだ。
これは、あくまで伝説と思うが、こんな話があるらしい。
玄奘がインドに出発しようとしていた時、インドから来た老僧が病気で苦しんでいるのに出会った。
旅を急ぎたい玄奘であるが、見過ごすことが出来ず、老僧の看護を行った。
すると、老僧は、玄奘に般若心経を教え、これを唱えながら行くと、病気にならず、事故や災難を避けられると言った。
いやいや、アンタが病気じゃないとツッコミも入れたくなるが、まあ、老人なのだし、そこは、松下幸之助も言ったように「素直な心」で受け入れるべきだろうか・・・(笑)。
それと、紀野さんの本では、老僧は玄奘に般若心経を教えたとあったように思うが、勝手な想像かもしれないが、老僧は、般若心経全体ではなく、般若心経の呪文のところだけ教えたのではないかと思う。玄奘が般若心経を漢訳するのはずっと後で、いくら短いとはいえ、サンスクリット語の般若心経を全部憶えるのは難しいように思う。
紀野さんの本でも、般若心経の呪文のところだけ書かれていて、それは、
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハー」
だったが、私は、この本でこの呪文を憶えた。
そして、玄奘がインドに着くと、なんと、あの病気の老僧が玄奘の前に現れた。
老僧は「私は観自在菩薩(観世音菩薩)だ」と言うと、姿を消したという。
私の性格であれば、当然、(般若心経の呪文を唱えることを)真似したくなった(笑)。
私は、度々、心の中で、この般若心経のサンスクリット語版呪文を唱えた。
ちなみに、日本では、中国語版の、
「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボジソワカ」
の方がよく知られていると思う。
当時、私は24歳で、社員数十数名の小さな小さな会社だったが、初めて普通のサラリーマンぽい就職をしたばかりだった。
般若心経の呪文のせいかどうかは知らないが、何もかもうまくいくのを感じ、それまでの、セールスマンや、ヤバい仕事の苦労と大変な違いだった。
いや、実際、この呪文のおかげでうまくいったのだが、別に、この呪文に特別な霊力みたいなものがあると主張する気はない。
呪文を唱えることで、思考をしなくなることが良かったのだ。
思考が消えるほど、能力も引き寄せ能力も上がり、思考が完全に消えれば・・・すなわち無になれば全知全能であると思う。
それ以前にも、阿弥陀如来真言を唱えることで、驚くべき幸運に恵まれるといった経験があったが、これも同じ原理なのだろう。
私がこよなく敬愛する発明家の中山正和さんも、般若心経を唱えて・・・特に、呪文の部分を唱えて、余計な思考を切れば潜在能力を引き出せるようなことを本に書かれていたと思う。
もちろん、念仏でも良いのである。
「アジマリカン」も「トホカミエミタメ」も同じと思う。
「アジマリカン」が一番だとか、「トホカミエミタメ」は念仏よりずっと優れているなどと言う者は、個人的には馬鹿か詐欺師だと思っているが・・・売れている本の著者にもいるんだな、そういうのが(笑)。
単に、個人的な好き嫌いや、感じる雰囲気等によって、自分で選べば良いだろう。
そんなわけで、呪文、真言を唱えることをお薦めするのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)「般若心経」を読む(紀野一義)
(2)洞察力 本質を見抜く「眼力」の秘密(中山正和)
(3)密教の聖なる呪文(正木晃)
(4)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(5)神道の神秘(山蔭基央)

AIアート1696
「巫女」
Kay
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう。玄奘が名で三蔵は尊称)の漢訳では262文字で、この短い文の中に、仏教の神髄があると言われることもある。
ちなみに、玄奘三蔵は、孫悟空のお話として有名な『西遊記』に登場する三蔵法師のモデルなのだと思う。
私は昔、紀野一義さんの本で読んだのだと思うが、般若心経について、こんな印象深い話を憶えている。
玄奘三蔵は、中国人で中国に住んでいたが、当時は、仏教の教典が中国にほとんど無かったのだと思う。
それで、玄奘は、インドに行って仏教の教典を中国に持ち帰ろうと決意する。
ただ、中国からインドへの旅は、極めて険しい山路で行くしかなかったようで、命懸けの旅であったようだ。
これは、あくまで伝説と思うが、こんな話があるらしい。
玄奘がインドに出発しようとしていた時、インドから来た老僧が病気で苦しんでいるのに出会った。
旅を急ぎたい玄奘であるが、見過ごすことが出来ず、老僧の看護を行った。
すると、老僧は、玄奘に般若心経を教え、これを唱えながら行くと、病気にならず、事故や災難を避けられると言った。
いやいや、アンタが病気じゃないとツッコミも入れたくなるが、まあ、老人なのだし、そこは、松下幸之助も言ったように「素直な心」で受け入れるべきだろうか・・・(笑)。
それと、紀野さんの本では、老僧は玄奘に般若心経を教えたとあったように思うが、勝手な想像かもしれないが、老僧は、般若心経全体ではなく、般若心経の呪文のところだけ教えたのではないかと思う。玄奘が般若心経を漢訳するのはずっと後で、いくら短いとはいえ、サンスクリット語の般若心経を全部憶えるのは難しいように思う。
紀野さんの本でも、般若心経の呪文のところだけ書かれていて、それは、
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハー」
だったが、私は、この本でこの呪文を憶えた。
そして、玄奘がインドに着くと、なんと、あの病気の老僧が玄奘の前に現れた。
老僧は「私は観自在菩薩(観世音菩薩)だ」と言うと、姿を消したという。
私の性格であれば、当然、(般若心経の呪文を唱えることを)真似したくなった(笑)。
私は、度々、心の中で、この般若心経のサンスクリット語版呪文を唱えた。
ちなみに、日本では、中国語版の、
「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボジソワカ」
の方がよく知られていると思う。
当時、私は24歳で、社員数十数名の小さな小さな会社だったが、初めて普通のサラリーマンぽい就職をしたばかりだった。
般若心経の呪文のせいかどうかは知らないが、何もかもうまくいくのを感じ、それまでの、セールスマンや、ヤバい仕事の苦労と大変な違いだった。
いや、実際、この呪文のおかげでうまくいったのだが、別に、この呪文に特別な霊力みたいなものがあると主張する気はない。
呪文を唱えることで、思考をしなくなることが良かったのだ。
思考が消えるほど、能力も引き寄せ能力も上がり、思考が完全に消えれば・・・すなわち無になれば全知全能であると思う。
それ以前にも、阿弥陀如来真言を唱えることで、驚くべき幸運に恵まれるといった経験があったが、これも同じ原理なのだろう。
私がこよなく敬愛する発明家の中山正和さんも、般若心経を唱えて・・・特に、呪文の部分を唱えて、余計な思考を切れば潜在能力を引き出せるようなことを本に書かれていたと思う。
もちろん、念仏でも良いのである。
「アジマリカン」も「トホカミエミタメ」も同じと思う。
「アジマリカン」が一番だとか、「トホカミエミタメ」は念仏よりずっと優れているなどと言う者は、個人的には馬鹿か詐欺師だと思っているが・・・売れている本の著者にもいるんだな、そういうのが(笑)。
単に、個人的な好き嫌いや、感じる雰囲気等によって、自分で選べば良いだろう。
そんなわけで、呪文、真言を唱えることをお薦めするのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)「般若心経」を読む(紀野一義)
(2)洞察力 本質を見抜く「眼力」の秘密(中山正和)
(3)密教の聖なる呪文(正木晃)
(4)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(5)神道の神秘(山蔭基央)

AIアート1696
「巫女」
Kay