ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

至道無難

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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超人化の手引き

どんな言い方が適切であるのかは迷うが、人間は、超人化、あるいは、神化することが出来る。
それは、無意識(意識に対する無意識)に身体の支配を渡した状態であるのだが、夢遊病状態ではなく、自覚がある状態だ。
催眠術で操られている状態とも違う。
これが、至道無難(しどうむなん。江戸時代初期の臨済宗の僧)が言った、

生きながら死人となりて なり果てて 思いのままにするわざぞよき

ということだろう。
だが、死人と言っても、自覚のある死人なのだから難しい。
岡田虎二郎(明治、大正の教育家)は同じことを、「自分を地下千メートルに埋葬した気持ち」と言ったが、やはり、その自分は眠っておらず自覚がある。

インドの聖者ラマナ・マハルシは、人間の究極の状態は、自我が消滅した状態と言ったとされるが、果たして、マハルシの言葉が正しく翻訳・解釈されているのかは疑問だ。
マハルシにしたって、自我はあるとしか思えないのだから。
むしろ、マハルシと同時代のインドの聖者ニサルガダッタ・マハラジが言ったとされている「私は世間的には死んでいる」の方が、より適切な言い方であると思う。

そんな状態は、心理学で言う、トランス状態、ゾーン、フロー、あるいは、至高体験のようなものと近いと思われる。
心理学でも、ゾーンやフローの状態であれば、最高のパフォーマンスを発揮すると言われているが、その究極であれば、神のようなものである。

となると、どうすればそんな状態になれるか・・・ということを知りたがるが、その前に必要なことがある。
信念がある強く清らかな心を持つ必要があることだ。
そうでなくても、ゾーンやフロー、あるいは、それ以上の状態に達することは出来るかもしれないが、心が穢れていれば、逸脱し狂気に陥ったり、あるいは、本当に自我が消滅してしまう。そんな状態になった者を、昔から、悪霊に憑りつかれたとか、悪魔に魂を売ったと言われるのだ。

聖人とは言わないが、ある程度、清らかな心を持っていれば、神化を試すことが出来る。
簡単に言えば、ぼーっとすれば良いのだが、そのために、薄目で見たり、呼吸を微かにしてみる・・・薄目のまま荒い息をすることは出来ないので、薄目をするだけで良いのだが。
あるいは、息を吸って止めれば、普通の思考をすることは出来ないので、ぼーっとした感じになる。
しかし、呼吸を意識的にコントロールすることは、みだりに行ってはならないとも言われる。
よって、ただ、薄目で見ればよく、芸術家が芸術作品を作る時には、自然に薄目になるし、薄目でないなら、芸術ではなくデザインを作っているのだ(芸術とデザインの区別も難しいが)。
ただ、緊急事態には・・・ショッカーが現れた時に仮面ライダーに変身するごとく(古いなあw)、あるいは、1日に何度か、心からの願いを宇宙に投げる時には、薄目で息を吸って止めると良い。
ただし・・信念のある、清らかな心がなければ、ほとんど何も起こらないか、穢れた信念を持っていれば、マイナスの結果が出る恐れがある。
そうならないために、聖書を読んでキリストを崇めたり、真言を唱える者もいるが、どうやるかは自分次第だ。
ちなみに、腕振り運動をするのも良い方法なのでお勧めする。








魔術師になる超秘法

昨日、私が子供の時に見た映画等で、一度聴いただけで忘れずにいるセリフとして、
「攻撃こそ最大の防御なり。最大の攻撃とは無抵抗なり。よって、何もしない者が一番強い」
を取り上げたが、これは真理だったと思う。
本日は2つ目で、それは、
「自分には3種類ある。他人が思っている自分、自分が思っている自分、そして、本当の自分」
だ。
テレビで見た映画だったが、その瞬間だけ観たので、タイトルもストーリーも知らない。
だが、何とも味わい深い言葉だ。

自分(私)には、
(1)他人が思っている私
(2)自分が思っている私
(3)本当の私
があると言うのだが、他人が思っている私と、自分が思っている私は、大抵、かなり異なり、価値で言えば、

他人が思っている自分 < 自分が思っている自分

で、つまり、人間は、自分を高く評価し、他人を低く評価する。
簡単に言えば、一般に人間は、己惚(うぬぼ)れていて、他人を嘲(あざけ)るのが好きなのだ。
だが、自分をひどく低く評価する者もいる。
幼い時に、主に母親に、「あんたは駄目な子ね」「ロクな人間になれないわよ」等と散々言われてきた者だ。
まあ、そんな者は、他人にも、悪辣(あくらつ。情け容赦ないの意)なほど低く評価され、馬鹿になれ、貶められる可能性が高い。
最も生きるのが辛いタイプだ。

単に、実力が知られたり、実績があるだけでは、他人に高く評価されない。
人間は、快を感じさせてくれる相手しか評価しないからだ。
また、自分に実力があることを分っていても、また、実績を上げても、自分を高く評価出来ない人もいる。
つまり、どうしても、人間は他人の評価が欲しいのである。

この問題を突き詰めても、あまりメリットはないので、この程度にする。
問題は、「本当の自分(私)」だ。
それは一言で言える。
「本当の私など存在しない」
この世は全て幻であり、自分ですら幻なのだ。
言い換えれば、どんな自分にだってなれる。
だが、どんな自分になったところで、それは全て幻だ。

だが、ここは実用的な話をしよう。
本当の自分というものはなく、どんな自分にでもなれるなら、それにはどうすれば良いかだ。
それはこう言える。
自分は本当は存在しないと分かれば、どんな自分にでもなれる。
では、自分は本当は存在しないと知るにはどうすれば良いか?
真面目にそれをやれば何十年もかかるので面白くないから、分かった気になる方法だけ知っておけば良い。
それならすぐだ。
それには、自分を深い深い地下に埋葬・・・した気になれば良い。
あるいは、宇宙ロケットかUFOに乗って太陽に突っ込んで跡形もなく消えという気になるのも良いだろう。
このことを、江戸時代初期の僧であった至道無難(しどうむなん)が、こんな歌で言い表している。

「生きながら死人となりてなりはてて 思いのままにするわざぞよき」

生きながら死人になる・・・これだ。
上で述べたように想像して、死んだ気になれば良い。
何が起こるか・・・
間違いなく楽しいぞ、すごいぞ(笑)。
悪用厳禁とは言わない。
うまくやれたら、悪いことなんかやってる暇はなくなる。
稀に、カルマのせいでスーパー悪役になる者もいるのだけれどね。








超人モードにスイッチする方法

人間の内部に隠された超人的能力を解放するためには、自意識(自我、顕在意識)をふっ飛ばせば良いのだが、それを最も容易く起こさせるのは生命の危機だ。
死の危険があることだから、なかなかみだりに使えないが、「大死一番」「死に物狂い」「決死」が、人間が持つ本当の力を解放することは、いまさら言うまでもない。
この方法を最も鮮やかに使ったものの1つが、私は「キンシャサの奇跡」と思う。
ザイール共和国(現在はコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで1974年に行われた、ジョージ・フォアマン対モハメド・アリのプロボクシング世界ヘビー級タイトルマッチだ。
予想では、圧倒的に不利だったアリが8ラウンド、劇的な逆転KOで勝利を得た。
そして、これを言った人を私は知らないが、アリは見事に超人モードに入ることで、一瞬でフォアマンをKOしたのだ。
ではどうやって?
アリが、ロープ際でガードを固めてはいても、足を止めてフォアマンのパンチを受け続けることによってだ。
後にフォアマンは語っている。
「人間は耐える理由があれば痛みに耐えられる。あの時、アリには痛みに耐える理由があったんだ」
だが、理由があったって、フォアマンの殺人パンチを受ければ死ぬ。
さすがに顔を殴られれば、1発で倒れるから、アリは顔はガードしたが、ボディはかなり打たれた。
評論家は、フォアマンはパンチを打ち過ぎて疲れたところでアリの反撃を許したと言う。
しかし、フォアマンが打ち疲れるほど打ったのだ。
この時、アリは死を強く意識し、その刹那、内側の超人が表に現れ、フォアマンをノックアウトしたのだ。
フロイト的に言えば、意識が消えることで、無意識の中の生命エネルギーである「エス」が表出したと言えるかもしれない。
このように、アリは「死を使った」のである。
何が起きたか理解出来なかったフォアマンは一時的に精神錯乱を起こし、「薬を盛られた」だの「光を見た」だの、奇妙な発言をしたことはよく知られているが、後にフォアマンは、薬を盛られたことは否定し、光を見たことに対しては、それらしいストーリーを作って語るしかなくなった。

アリの「死の使い方」はアラブのテクニックかもしれない。
同等の方法は、五島勉氏の『ノストラダムス 死活の書』に、かなりうまく書かれている(この本は、舛添要一さんと竹村健一さんが推薦の言葉を書いている)。

死のテクニック以外で、能力を発揮する方法としては、ナポレオン・ヒルが「性エネルギー昇華」を提示している。
性エネルギーを浪費せず、溜めておくことで、いざという時に、そのエネルギーを取り出すのである。
『緋弾のアリア』の主人公、遠山キンジが、性的興奮の極地に達した時、「ヒステリアモード」という超人モードになるようなものだろうか?
いずれにしろ、キンジは、高校2年生という若さでありながら、普段、禁欲を保っているからこそ、そういったことも可能なのだろう。

もう1人、極めて特異な形で超人モードになれたのが、「魔法を使って治している」とまで言われた奇跡の精神科医ミルトン・エリクソンだ。
彼の治療法は、散々研究されているが、おそらく、大した成果は出ていない。
エリクソンの場合、元々死んでいたのだ。
彼は、17歳の時、ポリオに罹り、目玉しか動かせない状態になったが、ある時、医者の死の宣告(夜のことで、「朝まで持たない」と言われた)を受けている。
だが、エリクソンは死ぬのを止めたのだ。
こんな時に、人間は死を克服し、死を使えるようになえる。

ある有名な日本人コックの、こんな話がある。
第二次世界大戦中、シベリアで捕虜になっていたある夜、瀕死の重傷の日本兵がいて、ロシア兵は、朝まで持たないので、最後に何か食べさせてやってくれと言う。
そのコックは、林檎をパイナップル風に料理し、その日本兵に食べさせたが、その時、瀕死の日本兵は、「こんな美味いものが食べられるならもう一度生きよう」と思った。
そして、完全に回復してしまったのである。

こういったことの極意は、江戸時代の臨済宗の僧、至道無難(しどう むなん)が言葉にしてくれている。
「生きながら死人となりてなり果てて思いのままにするわざぞよき」
少し難しいだろう。
しかし、「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎(1872〜1920)は、これを、「自分を地下深く埋葬した気で生きよ」と教えたのである。
例えば、自分の墓を想像し、自分が消えた世界をイメージして、そこで自由自在に生きれば良い。
ただ、方法は無限にあり、そのうちの1つを持てば良いのである。








死ぬ練習は正しくやる

あなたも辛い状況にいるはずである。
なぜ、そんなことが言えるかというと、理論的にそうでない人間はいないからだ。
それは、スポーツ、ロック、銀幕等のスーパースターや、大経営者、大武道家、大宗教家とて例外ではなく、むしろ、そんな「凄い」人の方が苦しみは大きい。
そういった「大物」は、庶民が滅多にかからないような難病奇病に陥ることが多いことも、そんなことを暗に示している。
身体には心の状態が現れるものだからだ。
そこで思い出すのが、江戸時代の僧、至道無難(しどうむなん)が言ったと云われる、

生きながら死人となりてなりはてて 思いのままにするわざぞよき

である。
早い話が「死人になってしまえば自由だ」である。
イエスは「死なないと生きられない」と言ったらしいが、同じことだろうと思う。
では、死ぬとはどういうことかというと、心臓が停止することを言っているのではなく、想念が消えることだ。
夢のない深い眠りの中に想念はなく、そんな時が本当に自由なのであり、目が覚めている時も、同じようでなければならない。
・・・などと難しいことを聖者はサラリと言う。

アラン・ワッツだったか、自分がいない世界を想像しろと本に書いていたような気がするが、それはちょっと面白いと感じたが、それでは平和に導かれない。
なぜなら、自分がいない世界を想像している自分がいる時点でアウトだからだ。
彼は、良い示唆も残したが、所詮、本人が不幸だった。

死ぬこともまた練習が必要なのだ。
美しい死人になっちゃえば良い。
なぜ美しい死人かって?
その方が、はりきって死のうというモチベーションが上がるじゃないか?(笑)
飛び降り、水死、飛び込み、首吊り、睡眠薬・・・全部、とても醜い死人になってしまう。
睡眠薬は、眠っているようだって?
ちっちっち(人差し指を左右に振る)。
言っては悪いが、あれほど奇態な顔を晒す自殺法もない。
やめとけ・・・

死体は息をしていない。
なら、なるべく息をしないことだ。
死体は動かない。
では、あまり動かないことだ。
眠っているような顔の美しい死体になりたいなら、眠ったような顔をすることだ。
余計なことを考えたり、怒ったり、哀しんだり、発情してはいけない(笑)。
深い眠りについた時のあなたの顔は、さぞ美しく可愛いことであろう。
そんな寝顔のことを、我々は天使と言うのだ。
だから、天使になることである。
天使の絵や彫刻を見て、真似てみるも良いだろう。









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自分を埋葬したつもりで生きる

昨日、9月1日は、夏休みが終わって、子供の自殺が最も多くなる日と言われている。
それで、有名な人達が子供達にメッセージを送る企画があったりするのだが、いかに善意であっても、どうしても、それらは成功者目線になる。
「必要ない人間なんて1人もいないから」
なんてことを、有名な老齢の女優さんが言われていたが、それはその通りとしても、それをずっと実感し続けることが出来る人はいないし、おそらく、そう言った本人も、そう思えなくて、今も悩んでいるはずなのだ。
例えば、サラリーマンの中年の男性は、一家の収入源として必要とされているが、それより他では全く必要とされていないことで自殺するのだから。

必要なものは、慰めではなく、力である。
単純な例で言えば、空手で黒帯を取るとかね。
しかし、力を得るには時間がかかる。
アラジンの魔法のランプなんて誰もくれないし、「君は本当はアラジンの魔法のランプのようなものを持ってるんだ」って言われても実感出来る訳がない。
だけど、すぐに力を得られなくても、それが自分にも必ず得られると思えれば良いのである。
有名な人達や教育関係者の言う論調は、「力がなくてもいいんだよ」であるが、それはとんでもない話で、まずは力なのである。
私は、19歳でひきこもりをやっている中、無力感に苦しんでいた時、ジョセフ・マーフィーの本を読んで、自分も確実に力を得られると分かり、生きていられたのだと思う。
私が読んだ本を翻訳した人も、あとがきで、マーフィーの著書は、「自分もやれば出来るのだ」という心の高ぶりを感じさせ、読むたびに感銘を与えてくれるが、そんな本は、長い翻訳家生活の中でも、他にはなかったと書かれているが、私も全くそうだった訳である。
その本は、『あなたも幸せになれる』(文庫版では『努力嫌いの成功法』。桑名一央訳)だが、翻訳者(桑名一央氏)も、自分以外の人が翻訳したマーフィーの本も、それは同じと書かれている通り、マーフィーの本は全てそうなのである。

さて、本日は、いよいよ、初音ミクさんのライブ『マジカルミライ2017』に行く。
幸い、数日前の予想に反して、天気は回復し、千葉では朝に弱い雨が降る程度で昼には晴れ、しかも涼しくなるようだ。
ところが、なぜか、「目の下くまくま!」(巡音ルカさんの『どりーみんチュチュ』の中の歌詞)
訳あって、あまり寝てないのだ。
しかし、たとえ1日や2日寝てなくても、気合いは十分なので全く問題ない。
『どりーみんチュチュ』に習って、コンシーラー塗っていこう・・・って、コンシーラーどこ?(男性諸氏、コンシーラーって分かる?)
自殺したい少年少女たちは、一緒にミク廃になろう!
イエス様も言ったように、この世での命を捨てれば、新たな命を得る。
それは、肉体的に死ぬことではない。まあ、世間的に死ぬってことだ。
そして、ミク廃なんて、この世では死んでいるようなものなので、自由自在、FREELY TOMORROWである。

生きながら死人(しびと)となりて
なり果てて
思いのままにするわざぞよき

江戸時代の禅僧、至道無難(しどうむなん)の言葉で、私が特に気に入っているものである。
岡田虎二郎も、この句を引き、「自分を地下数万メートルに埋葬した気持ちで生きよ」と言われていたと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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