フランスの作家(映画監督、外交官でもある)ロマン・ガリーの小説『自由の大地』に、我々が精神の力を獲得するための、面白いヒントがある。
それは、この作品の中で、第二次世界大戦中、フランス兵がドイツ軍の捕虜になった時の話にある。
私は、この部分を引用したコリン・ウィルソンの『至高体験』で読んだ。
捕虜生活をしているうちに、フランス兵達は堕落し、モラル、品格をなくし、怒りっぽくなり、下品な言動を平気で行うようになった。
このままではまずいと思ったのだろう。フランス兵の隊長は、彼らに奇妙な命令を下す。
それは、「ここに少女が1人いると空想しろ」だった。
それだけで、フランス兵達は向上した。
下品なことを言ったら、少女に謝ったし、シャワーに行く時は身体をタオルで隠した。
フランス兵達は、モラルや品格を取り戻したが、おそらく、もっと重要な精神の力を取り戻していたはずだ。
ところが、わけあって、フランス兵の隊長が独房に入れられることになった。
独房というのは、刑務所等で、囚人に罰を課すためのもので、特に、このフランス兵の隊長が入れられた独房は厳しく、生きて戻ることは不可能と思われた。
だが、隊長は帰ってきた。
少女の空想を発案したことで分かる通り、隊長は精神法則を理解していた。
暗い独房の中で、隊長は、象の行進を想像したのだ。
コリン・ウィルソンは、これが重要な話であることは認識したが、どう重要なのかは全く分かっていなかった。
この作品では述べられていないが、隊長のやり方は、十分に引き寄せの力を得ることが出来る。
少女を空想するとは、「今、ここに少女がいる」と鮮明に想うことだ。
なぜなら、亀や自転車などはもちろん、他の種類の人間とも違い、男にとって、少女というものは、最も「今」を鮮明に感じさせる存在なのだ。
そして、少女の目を通して見る自分は、まさに、「今」の自分の姿である。
つまり、空想の少女によって、「今」を強く意識するようになるのである。
現代人は、過去の記憶や未来の空想に生きるようになってしまい、貴重な精神の力・・・その中には引き寄せの力も含むが、それを失ってしまっているのである。
だが、それを取り戻すには、ただ「今」を生きれば良いだけだ。
そして、独房に入れられた隊長は、やはり、少女を空想しても良かったのだが、暗くて話し相手のいない独房では、どうしても、過去の記憶や、未来の不安に心を占領される。
そこで隊長は、象の大群の行進という、激しく「今」を感じさせる空想を行い、生命力をMAXにしたのである。
同じ効果を上げた2例を述べる。
1つは、第二次世界大戦中、アメリカの艦船に魚雷で船を沈没させられた、日本の海軍の船の乗員の話だ。
日本兵達は、船の木材に掴まって漂流していたが、果て無く続く暗い海と、襲ってくるサメの恐怖に耐えかね、体力よりも気力を失って、一晩持たずに全員が死んだ。
だが、たった1人、生き残った男がいた。
彼は別に、特別に強い男ではない。
ただ、彼は、並外れた酒好きだった。
そこで、もう一度、陸に戻って酒を飲むことを想像したのだ。
この上なく酒を愛するこの男にとって、その想像は、激しく今を感じさせたのだ。
「俺は、今、酒を飲んでいる」としか思えなかったのである。
男は生命力を高めると共に、引き寄せの力も発揮し、日本船を引き寄せ救助された。実は、この男は、そんなことを何度も体験したのだ。
(『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』より。※実話の部分のみ引用。解釈は私のもの)
最後は、『夜と霧』で世界的に知られる、ナチス強制収容所から奇跡の生還を果たした、精神科医のヴィクトール・フランクルの話だ。
極寒の中、水のようなスープの食事のみで、ロクな服も着ずに、1日中、過酷な労働をさせられ、骨と皮だけの身体になり、ナチスの監視員に殴られ、夜は1つのベッドに9人が押し込めれ(横向きにならないとベッドに入らない)、苦しさに耐えられず、仲間の囚人たちが次々と高圧電流が流れる鉄条網に飛び込んで自殺していく中、フランクルは生き抜いた。
彼は、新婚だった妻のことを思い出していたのだが、ただ思い出に浸るだけでは、生き延びることは出来なかっただろう。
彼は、心の中で、常に妻と対話したのだ。
新婚の妻との空想の対話・・・これは、リアリティを引き起こし、彼に「今」を感じさせた。
これらのような、「今」を感じることで立派に生き抜いた者達の話は貴重である。
今夕の記事では、もっと変わった話を取り上げたいと思う。
それは、この作品の中で、第二次世界大戦中、フランス兵がドイツ軍の捕虜になった時の話にある。
私は、この部分を引用したコリン・ウィルソンの『至高体験』で読んだ。
捕虜生活をしているうちに、フランス兵達は堕落し、モラル、品格をなくし、怒りっぽくなり、下品な言動を平気で行うようになった。
このままではまずいと思ったのだろう。フランス兵の隊長は、彼らに奇妙な命令を下す。
それは、「ここに少女が1人いると空想しろ」だった。
それだけで、フランス兵達は向上した。
下品なことを言ったら、少女に謝ったし、シャワーに行く時は身体をタオルで隠した。
フランス兵達は、モラルや品格を取り戻したが、おそらく、もっと重要な精神の力を取り戻していたはずだ。
ところが、わけあって、フランス兵の隊長が独房に入れられることになった。
独房というのは、刑務所等で、囚人に罰を課すためのもので、特に、このフランス兵の隊長が入れられた独房は厳しく、生きて戻ることは不可能と思われた。
だが、隊長は帰ってきた。
少女の空想を発案したことで分かる通り、隊長は精神法則を理解していた。
暗い独房の中で、隊長は、象の行進を想像したのだ。
コリン・ウィルソンは、これが重要な話であることは認識したが、どう重要なのかは全く分かっていなかった。
この作品では述べられていないが、隊長のやり方は、十分に引き寄せの力を得ることが出来る。
少女を空想するとは、「今、ここに少女がいる」と鮮明に想うことだ。
なぜなら、亀や自転車などはもちろん、他の種類の人間とも違い、男にとって、少女というものは、最も「今」を鮮明に感じさせる存在なのだ。
そして、少女の目を通して見る自分は、まさに、「今」の自分の姿である。
つまり、空想の少女によって、「今」を強く意識するようになるのである。
現代人は、過去の記憶や未来の空想に生きるようになってしまい、貴重な精神の力・・・その中には引き寄せの力も含むが、それを失ってしまっているのである。
だが、それを取り戻すには、ただ「今」を生きれば良いだけだ。
そして、独房に入れられた隊長は、やはり、少女を空想しても良かったのだが、暗くて話し相手のいない独房では、どうしても、過去の記憶や、未来の不安に心を占領される。
そこで隊長は、象の大群の行進という、激しく「今」を感じさせる空想を行い、生命力をMAXにしたのである。
同じ効果を上げた2例を述べる。
1つは、第二次世界大戦中、アメリカの艦船に魚雷で船を沈没させられた、日本の海軍の船の乗員の話だ。
日本兵達は、船の木材に掴まって漂流していたが、果て無く続く暗い海と、襲ってくるサメの恐怖に耐えかね、体力よりも気力を失って、一晩持たずに全員が死んだ。
だが、たった1人、生き残った男がいた。
彼は別に、特別に強い男ではない。
ただ、彼は、並外れた酒好きだった。
そこで、もう一度、陸に戻って酒を飲むことを想像したのだ。
この上なく酒を愛するこの男にとって、その想像は、激しく今を感じさせたのだ。
「俺は、今、酒を飲んでいる」としか思えなかったのである。
男は生命力を高めると共に、引き寄せの力も発揮し、日本船を引き寄せ救助された。実は、この男は、そんなことを何度も体験したのだ。
(『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』より。※実話の部分のみ引用。解釈は私のもの)
最後は、『夜と霧』で世界的に知られる、ナチス強制収容所から奇跡の生還を果たした、精神科医のヴィクトール・フランクルの話だ。
極寒の中、水のようなスープの食事のみで、ロクな服も着ずに、1日中、過酷な労働をさせられ、骨と皮だけの身体になり、ナチスの監視員に殴られ、夜は1つのベッドに9人が押し込めれ(横向きにならないとベッドに入らない)、苦しさに耐えられず、仲間の囚人たちが次々と高圧電流が流れる鉄条網に飛び込んで自殺していく中、フランクルは生き抜いた。
彼は、新婚だった妻のことを思い出していたのだが、ただ思い出に浸るだけでは、生き延びることは出来なかっただろう。
彼は、心の中で、常に妻と対話したのだ。
新婚の妻との空想の対話・・・これは、リアリティを引き起こし、彼に「今」を感じさせた。
これらのような、「今」を感じることで立派に生き抜いた者達の話は貴重である。
今夕の記事では、もっと変わった話を取り上げたいと思う。