ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

自殺

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

自殺がなぜ人生最大の罪か

人間は、呼吸の中に魂の解放や宇宙創造のためのコントロールシステムが組み込まれている。
自殺がなぜ最大の罪であるかというと、呼吸が出来なくなるからだ。
だが、深呼吸をすれば、世界のコントロール権を手に入れ、世界は意のままになる。

映画『パピヨン』の中で、パピヨンは夢の中で裁判にかけられ有罪を宣告された。
「俺は殺していない」と主張するパピヨンに対し、裁判官が言う。
「その罪ではない。だが、お前は人生最大の罪を犯した」
驚き、「何の罪だ?」と問うパピヨンに裁判官はとどめの言葉を告げる。
「人生を無駄にした罪だ」
すると、パピヨンはうろたえ、うなだれる。
「認めるよ。有罪だ」

では、人生を無駄にするとは、本当はどういうことか?
それは、深呼吸を十分にしなかったことだ。
人に従い、魂の声に従わなかっ者は、深呼吸をしなかったのだ。

森の呼び声
AIアート491
「森の呼び声」
Kay


1ページか、長くとも3ページで深呼吸のやり方を完全に語った本以外は、著者が儲けるために書いた本だから見ない方が良いと思う。
深呼吸に決まったやり方などない。
ただ、沢山空気を吸う・・・これだけだ。
後は、自分で、楽で気持ちよく行えるやり方を工夫すれば良いだけだ。
私が思う深呼吸について語られている良い本を以下に紹介する。

◆当記事関連書籍のご案内◆
(1)弓と禅
(2)人生を思うように変える呼吸法
(3)神さまの周波数とシンクロする方法
(4)ナ・ダーム―あなたの中の不思議な力
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(5)Papillon(パピヨン) [Blu-ray]

逝ってしまった人達の代わりに

日本が自殺大国だということをご存じだろうか?
これほど豊かな国でありながら、自殺率は世界トップ10に楽々入り、特に豊かな国々であるG7の中ではトップ、そして、主要国の中では、ロシアについで堂々の(?)2位だ。
自殺の多くは、経済的な事情からであるが、日本には、実際は、多くの経済支援制度が存在する。だから、本来、お金の問題で死ぬ必要はあまりないはずだ。
しかし、その支援金を得るための手続きが非常に難しく面倒で、事務手続きに慣れた人ですら、ハードルの高さに怯むほどだ。
例えば、医療費支援が必要な老人がいたが、自分での手続きは到底無理で、心ある医者が親切心で、その老人の代理で申請しようとしたら、あまりの複雑さに心が折れそうになったというから、一般人の手に負えるはずがない。
また、同じ状況でも、役所の担当者によって対応が全く違うということもあると聞く。
少し前、老齢で痴ほう症の母親を抱えた50代の男性が、自分が家でずっと世話をしないと、母親が生きるのは無理だと思って生活保護を申請したら、役所の担当者は「働いてくれ」の一点張りで、男性は、「死ねということか」と理解し、母親を殺して自分も自殺しようとしたが、母親を同意の上で殺害した後、自分は死に切れず、殺人罪となった。

私が、このブログの旧ブログで投稿していた12年程前、彫刻家の小鹿良太氏が、よくコメントを書いて下さったが、以前、ギリシャで制作をされておられた小鹿氏は、
「ギリシャの中でも、貧しい人々が多いところにいたが、そこの人達は自殺なんて考えない。だが、豊かな日本では沢山の自殺者がいる。日本のこの状況を何とかしたい」
と言われていた。
小鹿氏は、東大の博士課程を中退して、予備校の優秀な国語講師になり、特に、「高校入試国語の小鹿」は有名で、小鹿氏は東京で講師をされていたが、私が仕事で関わった関西の予備校でも、国語の先生は皆、小鹿氏の名を知っていて、小鹿氏の参考書を使っている講師も沢山いた。
ところが、その後、小鹿氏は彫刻家に転身されたが、教育者としての心も持ち続けておられたように思う。
ある時期から、小鹿氏とは長く交流が無かったが、昨年、久々に小鹿氏のブログを見たら、2018年に大病をしておられたようだった。しかし、2019年には退院し、回復しつつあるようなので、そのブログで久々にコメントで挨拶をしたら、返事をいただき、私の本も見てみようと書いて下さったが、今年の1月、亡くなられたようだ。
小鹿氏は、一流の彫刻家で、作品の展示会に私は何度か誘われたが、関東の場合が多く、遂に行くことが出来なかった。
昔の私のブログでも、この一流の国語の先生が、私の投稿を「文章がしっかりしている」と褒めて下さり、私は自信を持ち、長くブログを書き続けているのである。

ここはやはり、私が、自殺を含む、日本人の精神の病をなんとかしたいものである。
それで言えば、教育学者の七田眞氏の著書に書かれていた、お金も家もないホームレスの男性が、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けることで、人生に大変革を起こした実話は、非常に救いになる。
実は、私は、元は七田式教育で優秀な講師であったが、独立して幼児教育に取り組んでおられた方ともネット上で親しくしていたが、その方も若くして亡くなられていた。
私は、難しいことは言わないが、私自身が、真言やアファーメーションだけで、ずっと良い想いをしているので、上の「神様の奇跡が起こる」というアファーメーション(あるいは自己暗示)が、非常に素晴らしいことを感じるのである。
これは、誰がやっても、良い成果が出るはずなので、とりあえず、苦しい時、あるいは、ハッピーな時でも、真言やアファーメーションを唱えれば、一切の問題は解決し救われると確信している。
言葉としては、
「神様の奇跡が起こる」
「私は裕福だ。私は幸せだ。私は最高の気分だ」
「神は道なきところに道を作る」
「神に出来ないことはない」
「富」
「成功、富」
「思いがけないことが起こり。私は歓喜する」
など、何でもいいから、心の中で、ゆっくり、静かに、丁寧に唱えるのである。
数は多いほど良い。
言葉が、潜在意識に達し、宇宙意識に送られると、宇宙の活力が働き始める。良い言葉には良い応答があるのである。








自殺の原因が分かることは絶対にない

自殺のニュースで、「動機は不明」なんて言うのは、何とも的外れなことだ。
自殺の動機なんて、どんな場合も絶対に分からないからだ。
「自殺の動機は・・・と思われます」
なんて言っていたら、それは全くの嘘だ。
「大体合っている」なんてことも万に一つもない。
本当の理由は、そんな無責任な推測とは、似て非なるどころか、似たところすらないのだ。

あなたがもし自殺したら、あなたの自殺の原因はこれこれだと報道されたり、あなたを知る人達が「きっとこうだ」と言うかもしれない。
しかし、もしあなたが、霊となって、それらを聞くことができたなら、よくそんなデタラメが言えるものだと呆れ返ることだろう。
それは、自殺者が千人いれば、千人とも確実にそうである。

「いや、遺書があるから」
なんてのも、何の意味もない。
例えば、子供が何かで腹を立てている時、その原因は、その子のお菓子を別の子が勝手に食べてしまったことになっていたとする。
しかし、お菓子を食べられてしまったことというのは、その子の怒りのトリガー(引き金)だったかもしれないが、本当の理由ではないのだ。
本当の理由によっては、お菓子を食べられたからといって怒るとは限らないし、ただ悲しむだけかもしれないし、ひょっとしたら喜ぶかもしれないのだ。

人間ってのは無知無能のくせに全知全能であると思い上がっている。
自分は答を知ることができるし、知る権利があると自惚れている。
それで、「自殺の原因が分からない」なんてことが納得できず、ちょっと理由らしきものが出てくると、「原因はそれだ」と決め付けてしまうのだ。
これが、身の程をわきまえない人間のやり方なのだ。

滅多にいない賢い人は、答を知ろうと思わない。
単に、真実らしいと思えるものは、全て嘘と決め付ける。
それに耐える強さを持っている。
自分は何も知らないということだけを知っている。
もし、本当にそれを受け入れることができるなら、それは地上で唯一の幸いである。









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タナトス(死へ向かう欲望)が開く異世界への扉

朝からの自殺ネタで恐縮である。
だが、あなただって、自殺したいと思ったことの一度や二度はあるだろう。
それならば、想像もしなかった特別な世界に入る方法を知っておくと役に立つだろう。
きっと、あのH.G.ウェルズも、憧れはしたが、入り方を知らなかった場所だ。

自殺というのは、どんなものでも自尊心の問題なのだ。
どうしても自尊心を保てないと思った時、そのまま生きるのではなく、死んで自尊心を保とうとするのである。

自尊心はどうして低下するのか?
屈辱を感じることによってだ。
では、どうして屈辱を感じるのか?
それは、他人に蔑まれることによってだ。

だが、我々は大きな誤解をしている。
他人に蔑まれていると思うことは、実は空想なのだ。
実際に蔑まれているかどうかは問題ではない。問題は、本人が、他人に蔑まれていると空想することだ。
しかし、決して、他人に蔑まれていると想像することではない。
想像とは、頭に勝手に浮かぶものだ。そんなもので人は死なない。
だが、自分の勝手な空想で、自分は人々に蔑まれていると思い込み、屈辱を感じて自尊心を無くす。その結果死ぬのである。

死んで恨みを晴らすというのも、実は、死んで自尊心を保とうとすることなのだ。
憎い相手に太刀打ちできない自分は、人々に蔑まれていると空想し、それを事実と思いこんで屈辱を感じる。そして、自尊心を無くして死ぬのだ。

レイプされて自殺する女性はどうだろう?
やはり、こんな男に、あるいは、こんな風に身体を汚された自分を人々は蔑むだろうと空想するのである。それが屈辱になり、その屈辱が自尊心を奪い、自殺するのだ。
また、相手の男に蔑まれているという空想による屈辱もあるだろう。

これらとは異なった様子の自殺もある。しかし、それらも本質は同じだ。
例えば、後追い自殺というものは確実に存在する。
憧れのスターが自殺した後で、自分も自殺するというものだ。
特に、そのスターが自殺することで、かえって人気が上がり、神聖化されたような時には多くなる。
なぜ後追い自殺するかというと、自分も自殺することで、そのスターと同じような存在になれると空想することで、大きな自尊心を持てると思ってしまうのだ。
多分、後追い自殺する者は、自殺するほどではなくても、普段、屈辱を感じることが多く、人々が自分を蔑んでいると空想していたのだと思う。それで、自尊心を持てないことを悩んでいたのだ。その時、憧れのスターが自殺し、ファンを中心に、そのスターを崇めるような様子があると、自分も自殺すれば、憧れのスターのようになれると思い込むのだ。

自尊心を持たなければ自殺しないかというと、それはそうなのだが、自尊心を持たない人間は決していない。
いるとすれば、悟りを開いた聖者だけだ。

こういうと、浅はかな人間(特に、教育者と言われる者達)は、「自尊心を与えることが大事だ」と言いかねない。
ディール・カーネギーあたりもそう言ったかもしれない。
だが、そうではない。
そんなことでは、何の解決にもならない。
繰り返すと、自尊心を無くさせるものは屈辱だ。
屈辱とは、他人に蔑まれることだ。
そして、他人に蔑まれているというのは空想なのだ。
実際に蔑まれるかどうかは問題ではないのだ。
その本人が蔑まれていると空想するかどうかの問題だ。
間違って不相応な自尊心を与えると、ちょっとした屈辱で自殺しかねないことになる。

結論は、空想をやめることだ。
上にも書いたが、想像と空想は全く違う。
想像とは、瞬間的に閃く考えで、直観と呼ばれるものは全て想像だ。
一方、空想とは、心が時間をだらだらかけて行うもので、妄想と同じである。
我々は、「想像=直観」「空想=妄想」であると認識しなくてはならない。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、ギリシャ神話を高く評価していたが、彼が、ギリシャ神話は想像ではあるが、空想ではないと言った意味をよく考えないといけない。
古代ギリシャの詩人ヘシオドスが、詩の女神ムーサに教わったのがギリシャ神話の起源とされる。これは、ヘシオドスは、ギリシャ神話という物語を空想で考えたのではなく、瞬間的に想像したということだ。だから2700年以上経っても、全く色褪せないのだ。

空想とは頭の中の下らないおしゃべりだ。
メキシコのシャーマンで医師であるドン・ミゲル・ルイスも、旧約聖書のエデンの園でイヴに知恵の木の実を食べるようそそのかしたヘビは、頭の中でおしゃべりをする者の象徴と言った。それ自体は鋭い洞察なのだが、では、どうすれば良いかの彼の方法は複雑で難し過ぎ、誰にも出来ない。
ただ、ミゲル・ルイスは、達成は不可能でも、誰もが一応は、頭の中のおしゃべりをやめるよう取り組むことが大事だと考えたのかもしれない。
そして、もしそれが出来れば、我々は再びエデンに戻れる。

私が教える方法は、誰もやろうとしないだけで、実行自体は極めて簡単なものだ。
空想をやめさせ、自尊心を渇望する自我を弱くすることで、平和すら得られるものだ。
自尊心が必要でなくなれば、心は気楽で平和になる。
自尊心が必要でなくなれば、あくせく無駄なことをする必要はなくなり、世間に騙されることもなくなる。
そして、重要なことは、自尊心があろうがなかろうが、あなたが達成することに何の違いもないということだ。しかし、もはや自分が達成することに何の興味もなくなる。
老子は、聖人は、いかに大きな成果を達成したとしても、その所有権を主張せず、功績に寄りかからず、さっさと引退すると述べる。聖人は空想せず、自尊心が無いので、業績や世間の誉れに何の関心もないのだ。

では、そうすれば空想をやめることが出来るだろう?
それは、単に、この世の単純な真理を知り、それを受け入れるだけで良い。
この世の一切は、ある至高の力が計画し、その通りに動かすのだ。それをする者を神と言って良い。
我々の生涯も、いかなる些細なところまで、生まれる前に全て決められており、決して変わらない。
それは別に理不尽なことでも何でもない。
その理由を以下に述べる。
人間は、自分が主体で、自分以外のものは全て客体だと思っている。しかし、事実は、神だけが主体で、我々を含む一切万物は客体だ。万物の一部である我々の運命があらかじめ完全に決められているからと言って何の不都合があろう?
例えば、太陽が何十億年後かは分からないが、膨張した後に消滅していくとして、それが理不尽で耐えられないということはあるまい。ましてや、太陽と比べればゴミにも満たない我々がどうなろうと、それが何であろう?
我々は、人生でどんなことが起こるかは、神によって全て決められているが、それを知ることは出来ないし、起こる出来事にどんな意味があるかも決して理解できない。そんなことが出来ると思うなら、身の程知らずも甚だしい。
荘子が言った通り、銅が何にされるかは鍛冶師の決めることであり、銅が、「俺は名剣にしかならない」と主張するような不遜は有り得ない。
我々も、「私はこういう職業に就き、こういう生き方しかしない」と言うなど、とんだ筋違いで滑稽なことである。
我々は、いかなる現象をコントロールすることも出来ないし、いかなる出来事に影響を与えることも出来ない。我々は完全に無力である。
それを完全に受け入れれば、空想する自我は弱まり、自尊心を求めななくなる。求める必要がなくなるのである。
そして、それが神の意思であれば、自我は神によって破壊されるだろう。
そうなった者が、老子が述べる聖者の姿の体現者である。
彼は、永遠の道(タオ)と一体化し、至福の中に生きる。

初音ミクの歌に『あなたの歌姫』というものがある(作詞作曲はazumaさん)。
歌の最初は、

この家のこのパソコンが
私の新しい居場所なの。

である。(初音ミクは、本来、女の子の声で歌を歌うWindows用ソフトウェア)
初音ミクは、買ってくれたご主人様のパソコンにインストールされ、ご主人様の決めた通りに歌うのが運命であり、それを完全に受け入れている。
彼女には自我が無いからだ。
だから、彼女は、素晴らしい歌を歌っても誇らず、見捨てられて放置されても悲しまない。
彼女は自我が無く空想しないからだ。
この歌で、ミクは、

ちょっと!なにするの!
こんな卑猥な歌詞を歌わせないで
ちゃんとあなたの「言葉」と「想い」を
伝えさせて

と言うが、実際は、どんな歌詞でもちゃんと歌う。
だが、そこは、ご主人様がつまらない空想をせず、神秘である想像で素晴らしい歌を創るのだということであろう。
ただ、ご主人様が何をするのも運命であり、ミクは素直に受け入れるのだ。
我々もミクのように生きれば幸福になれるのである。









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大学の試験に出た自殺の止め方

昔のことだと思うが、フランスの大学で、「自殺しかけている娼婦を止めるには、何と言って呼びかければ良いか?」という試験問題が出題されたらしい。
正解は、「(値段は)いくら?」である。
その根拠は、自殺しかけている者は、妄想に取り付かれているのだから、現実に引き戻してやればいいからだそうだ。
娼婦にとって、「いくら?」と聞かれるのは、とても現実的だということのようだ。
では、今の日本で、自殺しかけている主婦には、「今日は野菜が安売りの日だよ」とか、「今日、子供が持って帰るプリントを見て下さい」などと言えば良いのだろう。

だが、現実と言われるこの世界の一切にリアリティを感じていない人が自殺しかけていたらどうするのだろう?
その場合、人には止められないのだ。
だが、運が良ければ、神様が止めてくれる。
神様がどうやって止めるかというと、現実ではなく、真の現実を与えるのだ。

英国の作家、コリン・ウィルソンが19歳で自殺しかけた時がそうだった。
青酸カリのビンのフタを開けて、今にも口に含もうとした時、不意にウィルソンの眼前に、究極のリアリティである世界の実相が広がった。
だが、それも彼の運命だったのだろう。
彼は、それを一瞥(ちらっと見ること)しただけだったが、それは彼を変革した。
彼は有名になって、彼の使命を果たしていく。
その使命とは、きっと、人々を混乱させることだったのだろう。
彼の数百冊の本のどれにも真理は書かれていないと思う。
しかし、そんな本が世界中で出版されることは神の意図したことに違いない。
私も沢山読んで、大いに混乱させられたものだ。
だが、嘘の無い真理もまた無い。
それでいえば、彼の本もまた、やはり素晴らしいものなのだろう。

我々は、肉体ではなく、自我の自殺を決意しなければならない。
身体の自殺をする時なら、ウィルソンのように劇薬を手に入れたり、高いビルの上に上ったりするのだろう。
自我の自殺をする時は、目で見える世界は、自分とは何の関係もなく動いていると完全に認めるのだ。それに成功すれば、自我は死ぬ。
この手すら、私の意思とは全く無関係なのだ。
いや、この意思でさえも私ではない。

昔、ある男が、夜通し、壁をじっと見つめて座っていた。
すると、明け方になる頃、ふと気が付くと、壁に目があって自分を見ている。
はっとした途端、それは消えたが、面白いことがあるものだと思った。
そして、朝が来て外に出ると、どうも様子が違う。
草木や岩、そして、あらゆるものが話しかけてくるように感じる。
そのまましばらく歩いていると、高僧に会った。僧は、彼を見ると、「千里先の火を消せ」と言った。すると彼は、「火になる」と答えた。

彼は、自我の自殺に成功したようだ。
以前も教えたが、自我の自殺をしやすくなる呼吸法は次の通りだ。

(息を吐きながら)私はこれではない
(息を吸いながら)私は誰か?
(息を止めて)私は彼である

あまり無理に息を吸ったり吐いたりしてはならない。
また、吸うのも吐くのも、出来るだけ静かにすることだ。だが、極端に静かである必要もない。
そして、自分は世界に対して、何の支配力もなく、どんなコントロールも出来ないことを自然に感じるのだ。無理に信じなくても、上の呼吸法をしながら、冷静に考えれば分かることだ。
肉体を道連れに自殺すれば、そこから一歩も動けないことになりかねない。しかし、自我が自殺すれば、千里先でも万里先の火でも消せるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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