ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

自愛

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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自分の褒め方

私は2社の大手企業に勤めたことがあるが、そこで思い知ったことの1つが、「美人から順番に結婚する」である。
橘玲(たちばなあきら)さんの大ベストセラー『言ってはいけない ~残酷すぎる真実~』という本があるが、まさに「残酷過ぎる真実」である。
まあ、大手企業というのは、今は違うように言われるが、やはり、あまり個性的な女子社員は採用しないので、「変な子」はいない・・・というか性格が良い子が多い。いや、それは見かけだけと言う人もいるだろうが、少なくとも見かけ上は性格が良い。
ちなみに、私は若い頃は見てくれはそこそこ良かったがチャラ男ではなかったので、そんな美人達と平然と接していたが、彼女達は、性格が良いどころか、「性格も抜群」と思ったものだった(私が騙され易いタイプであることは認めるが 笑)。

ところで、その中で印象深い女子社員がいた。
話を分かり易くするためストレートに言うが、はっきり言って彼女はブスだった。
年齢も30歳くらいだった。
ところが、若さ爆発といった感じではないが、可愛らしく、非常に魅力的だった。また、仕事も出来る人だった。
ちなみに、私は、その会社へは転職の入社で、彼女は元々そんな人だと思ったのだ。しかし、誰も言わないので、私も親しくなった人に少し聞いただけだが、彼女は元々は、そんな人では全くなかったと言う。
どんな人だったかというと、はっきりはしないのだが、非常に尖った性格で、人に厳しくてうるさいところもあり、また、納得がいかないことに対しては感情的に激しく、手がつけられないタイプであったと思われる。
そんな性格であったから、見かけの悪さもあり、男性社員には相手にされなかったと思われるが、実際、そう(モテない)であったというのは、意外なところから聞き、また、彼女のその劇的な改善振りの秘密が分かった。
その意外なところとは社長である。
社長と夕食に行った帰りだったが、社長が、なりゆきでその女子社員の話をした。
社長は、少し昔のその女子社員を見て、「大変だ。この子は一生嫁に行けない」と心配したのだった。
彼女は、はっきり言ってブスなので、子供の時から劣等感を植え付けられてしまったのだと思われた。頭は良いので、成績は悪くなかったと思われる(学歴もそこそこ立派)が、日本ではどうしても、女の子は見かけで扱いが変わることはご存じと思う。
それで、教育の達人でもあった社長は、彼女を見る度に褒めまくったらしい。
どんなふうに褒めたのかの詳細までは分からないが、まあ、可愛いとか、他にも美点を見つけて褒めたらしい。
今なら・・・というか、当時でも、そんなことをしたらセクハラ扱いされかねない。
しかし、それで彼女は今のようになったと言うのは、私には非常に納得出来た。
やはり、褒めることは大切だ。ただし、褒める人や褒め方もやっぱり大事で、社長は、そのあたりは抜群だった。
そして彼女は、私が入社してしばらくしたら、良い相手と社内結婚した。
私が知る範囲でだが、美人社員は結婚したら退職する場合が多いのは、やはり美人は高収入の男と結婚する確率が高いのかもしれないが、その女子社員も結婚と同時に退職した。

やはり、人は褒めるべきである。
確かに、「こいつにだけは褒められたくない」と思われる人も確かにいるので、自分を顧みる必要もあるが、やはり、基本的には、人間はほとんどが「褒められて伸びる」のだと思われる。
しかし、褒めてくれる相手がいない場合は、「自愛(セルフラブ)」というものが良い。
そもそもが、褒められて伸びるのは、褒められることによって自愛が出来るようになるからだ。
つまり、自愛が出来る人だけが良くなるのである。
そして、自愛なら、『マスターの教え』のマスターや、音楽家、歌手、啓蒙家であるコニー・メンデスが教えたように、
「私は(I AM)〇〇」
の形で行うべきである。
「私は若い」「私は美しい」「私は優秀だ」「私は天才だ」「私は魅力的だ」「私はマジ天使だ」
もう何でもいい。褒めて褒めて褒めまくるのだ(笑)。
「私は幸運だ」「私は富んでいる」「私は栄えている」と唱えれば、成功の引き寄せも起こる。
ただし、肝心なコツがある。
感情を込めずに唱えることだ。このことで大抵、皆、失敗する。
正確には、無思考で唱えるべきである。
そのためには、呼吸を極めて静かにしながら唱える必要がある。
「呼吸を止めて」あるいは「微かな呼吸をしながら」あるいは「極めてゆっくり息を吐きながら」といったように、ほとんど呼吸をしていない状態で心で唱える。
呼吸が静かであれば心も静かになり、思考も感情も起こらないからだ。
私のお薦めは「微かな呼吸をしながら唱える」だが、ここらは各自、自分がやり易いようにやれば良いだろう。
尚、「私は(I AM)」の重要性は、ネヴィル・ゴダードも強調している。

春風
AIアート885
「春風」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)マスターの教え(ジョン・マクドナルド)
(2)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(3)メタフィシカ1(コニー・メンデス)
(4)言ってはいけない ~残酷すぎる真実~(橘玲)

自愛について

自分を愛することを「自愛」と言い、自愛がないと幸福になれないという。
だが、自愛が苦手な人が多い。どうしても自分が好きになれない人だ。
だが、自愛というか、自分が好きでないと、いろんな問題が起こる。
『新世紀ヱヴァンゲリヲン』というアニメは、元々は、シンジという14歳の少年が自愛を手に入れる物語で、最終話の最後の場面で、シンジは独り言をつぶやく。
「僕は自分が嫌いだ」
「でも好きになれるかもしれない」
そう言った時には、既に何かに気付き、自分を好きになりかけているのである。
なぜ、そうなったのかというと、まあ、最終話までにいろいろあったからだろう。
だが、我々は、レイやアスカやミサト、その他の魅力的なキャラクターとはなかなか出会えない。
それで、やっぱり自愛が苦手な人が多く、スピリチュアル界隈で奨められる「私を愛している」なんて言葉は気持ち悪くて言えないという人もいる。
だが、愛とまではいかなくても、自分が好きでなければ、やっぱり、人生は苦しいものになる。

自分が嫌いな原因なんて探っても仕方がないかもしれない。
「いや、それが重要だ」と言う人もいるが、面倒だし、時間がかかるし、そもそも、そんなことやりたくない。
そこで、私はこんなお話を思い出す。
アメリカのある小学校でのお話だ。
ある女性教師のクラスに、問題のある黒人の男子生徒がいた。
生まれた時からスラム街で生活し、家庭環境に問題があるなどというレベルではなかったのだろう。
その生徒は、授業中、ずっと後ろを向いていた。
その女性教師は、この生徒には自愛というものが全くない・・・自分には何の価値もないと思っているのだということが分かっていた。
そこで、この女性教師は、その生徒に、こんな奇妙な指示をした。
「これから、私に何を聞かれても、『それは僕が賢すぎるからです』と答えなさい」
これは、される側にとっても、嫌な指示ではない。
教師は、早速、質問した。
「どうして後ろを向いているの?」
「僕が賢すぎるからです」
「あなたのようなハンサムが後ろを向いているのはもったいないわ」
これで、その生徒は前を向くようになり、後に全米屈指の脳外科医になり、大統領が頭部を狙撃された時、一番に声がかかったのは彼で、そのことはニュースでも報道された。

自愛もやりようなのだ。
もし、その教師が、その生徒に、「『私を愛している』と言いなさい」などと言ったら、その生徒はより屈折したかもしれない。

プロボクシングの歴史で最も有名な選手は、世界ヘビー級チャンピオンだったモハメド・アリかもしれない。
彼が絶頂期に、日本のどこかの企業のテレビCMに登場したことがあった。
彼は、カメラに向かって、自信たっぷりに、
「I'm prettiest(俺は一番美しい)」
と言ったが、CMの企画というより、彼らしい、実際に、彼が言いそうな言葉だった。
彼はいつも、「俺ほどハンサムで強いボクサーはいない」と言っていたのも確かだ。
彼は、強いより先に、美しいことが重要だったのだろう。
もしかしたら、自分が偉大であることが最も重要だったのかもしれない。
彼は、うまい自愛のやり方を見つけたのかもしれないが、どこか作為的・・・無理矢理過ぎた。
それで、歳を取り、自分より強く美しいボクサーが現れると、彼の人生は急降下していった。

上の女性教師が、あの生徒に教えた自愛は、もっとマシだった。
「賢い」は生涯使えるし、それに、本当に賢くなったら、もう、自分が賢いなんて言う必要はなくなる。
だが、アリは、自分が美しく、強くなければ、自分は偉大ではなく、偉大ではない自分を愛することは出来なかったのだろう。
明らかに、一種の悲劇である。

そこで、最も賢い教師は、こう教えたのだ。
「何があっても、自分は完璧だと言いなさい」
勉強が出来なかろうが、「私は完璧」なのだ。
運動が出来なくても、「私は完璧」だ。
不細工だろうが、弱かろうが、「私は完璧」と言わないといけない。
ロリコンの変態であっても、「私は完璧」なのである。
BL好きの腐女子なんて、「私は完璧」以外の何者でもない。
心の中で言うだけでよろしい。
「私は完璧だ」と。
不細工で弱くても、美人で強くなるし、ロリコンの変態は、変態ではなくなる。
BL好きの腐女子は貴女子になる。
給料が安くても、仕事でミスをしても、卑怯者で責任感がないと言われても、「私は完璧だ」と言うのだ。
「私が完璧だなんてとでもない」と思った自分も完璧なのだと言わないといけない。
ダイエットしたいのに、お菓子を一袋全部食べてしまっても「私は完璧だ」と言うのだ。
それでもう、スリムで美人になっている。

肝は、「私は完璧だった」でも「私は完璧になる」でもない。
今、この瞬間、「私は完璧だ」なのである。
既に完璧なのである。
お金持ちや、モテモテを超えて完璧なのである。
そんな些細なもの(お金、魅力や美)は、ついでのもので、当然ある。
とにもかくにも、「私は完璧だ」と言いなさい。
これが、偉大な賢者の教えである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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