私は大昔に読んだので曖昧に憶えているかもしれないが、デール・カーネギーの『人を動かす』には、人間を理解する上で非常に重要なことが書かれている。
人間は「自己重要感」というものを何より求めていて、人生とは自己重要感を求めてさ迷う旅と言えるほどだ。
自己重要感とは、自分を重要な人物だと感じることで、今流には「承認欲求が満たされること」と全く同じと思う。
自己重要感と言い、承認欲求と言っても、他人に大したやつだと思われたいということで、「他人から大した人間だと思われているという実感」を求めるということだ。
(ある程度のレベルになれば、他人の評価は気にならなくなるのかもしれないが)
「マウントを取る」という言葉が流行っているが、これは、自分が大したやつだという根拠を示して、自己重要感を感じ、承認欲求を満たそうとすることだ。
マウントを取る頻度が高いということは、自己重要感を感じることが出来なくて辛い人が、何とか自己重要感を感じようとしているということだ。つまり、承認欲求が得られなくて苦しい人が、それを得るために必死になっているという、滑稽で哀れな行為なのだ。
たとえば、メンサという団体の会員であれば、IQが130以上ということになっていて、自分がメンサの会員だと言えば、自分はほとんどの人より頭が良いとマウントを取れると思われる。
しかし、実際は、自分はメンサの会員だと主張するほど馬鹿にされる。なぜなら、その人が、自己重要感や承認欲求を満たすことが出来ない実力のない人間であると言っていることと同じだからだ。
実際、「私はメンサ会員だ」と必要もないところで言う者は、取り柄のなさそうな駄目人間の雰囲気が感じられるように思う。
これは、言う必要のないところで自分の(立派な)学歴について語る者も同様だ。
ところで、私は昔からIQテストの問題が好きで、どんなIQテストをやっても、そこそこ良い成績が取れるので、時々、自分は頭が良いと誤解しそうになる。
しかし、ある時、衝撃を受けたのは、境界知能と言われるIQ71から85までの人間の特徴と言われる項目を見たら、自分が見事に当てはまっていたことだった。
例えば・・・
上司からの口頭指示の理解が全く出来ない(上司の指示が下手なのだと思いたがる)。
会議に出ても、内容が理解出来ない(会議のテーマや出席者の考えが悪いと思いたがる)。
役所や病院などの手続きが難しくてヒステリーを起こすことがある(相手の説明やシステムに欠陥があると思いたがる)。
会話をしながら食事をすると食事の味が分からない。
受験に受かるかどうか以前に、受験会場にたどり着くのに苦労する。それで、大学受験の時は必ず事前に受験場所に行ったものだった(大抵迷った)。
実際、私は、大学受験では、受験に受かったことより、受験会場にたどり着けたという達成感をよく憶えている(笑)。
IQテストの成績が高い人には、私のような人も多いと思うのだ。
私も、プログラミングはかなりうまいし、学校時代、数学や物理は得意だった。しかし、誰でも出来ることがさっぱり出来ない。
そういえば、映画にはないが、『フォレスト・ガンプ』の続編では、IQ70のフォレスト・ガンプは一流の物理学者になり、宇宙飛行士にもなるらしい。
人間の知能とは面白いものだと思う。
そして、おろらく、無思考になれば超優秀になる。
『葬送のフリーレン』というアニメで、ユーベルという名の若い女性の魔法使いが言った、
「みんな、頭を使い過ぎるんだよ」
が私には金科玉条に思える。
本当に優秀な人は、全くマウントを取らない。
実力があり、ある程度の自己重要感、承認欲求が満たされているので、そんなことをする必要が全くないからだ。
私は、『俺だけレベルアップな件』というアニメが好きなのだが(現在11回目の視聴をしている)、主人公の旬(しゅん)は、最下級のE級ハンターだが、彼を完全に馬鹿にするのはD級ハンター、小馬鹿にするのがC級、しかし、A級の上位は旬を対等に、大抵は丁重に扱い、その上のS級はむしろ遜るということが、よく表現されている。A級、S級でも傲慢なのは、欠点が多過ぎ、酷い目に遭うか死んでしまう。
原作は韓国の小説らしいが、作者は人間をよく分かっていると思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)人を動かす(D・カーネギー)
(2)俺だけレベルアップな件 ※Amazon Prime Video
(3)葬送のフリーレン ※Amazon Prime Video

AIアート1506
「花の眼差し」
Kay
人間は「自己重要感」というものを何より求めていて、人生とは自己重要感を求めてさ迷う旅と言えるほどだ。
自己重要感とは、自分を重要な人物だと感じることで、今流には「承認欲求が満たされること」と全く同じと思う。
自己重要感と言い、承認欲求と言っても、他人に大したやつだと思われたいということで、「他人から大した人間だと思われているという実感」を求めるということだ。
(ある程度のレベルになれば、他人の評価は気にならなくなるのかもしれないが)
「マウントを取る」という言葉が流行っているが、これは、自分が大したやつだという根拠を示して、自己重要感を感じ、承認欲求を満たそうとすることだ。
マウントを取る頻度が高いということは、自己重要感を感じることが出来なくて辛い人が、何とか自己重要感を感じようとしているということだ。つまり、承認欲求が得られなくて苦しい人が、それを得るために必死になっているという、滑稽で哀れな行為なのだ。
たとえば、メンサという団体の会員であれば、IQが130以上ということになっていて、自分がメンサの会員だと言えば、自分はほとんどの人より頭が良いとマウントを取れると思われる。
しかし、実際は、自分はメンサの会員だと主張するほど馬鹿にされる。なぜなら、その人が、自己重要感や承認欲求を満たすことが出来ない実力のない人間であると言っていることと同じだからだ。
実際、「私はメンサ会員だ」と必要もないところで言う者は、取り柄のなさそうな駄目人間の雰囲気が感じられるように思う。
これは、言う必要のないところで自分の(立派な)学歴について語る者も同様だ。
ところで、私は昔からIQテストの問題が好きで、どんなIQテストをやっても、そこそこ良い成績が取れるので、時々、自分は頭が良いと誤解しそうになる。
しかし、ある時、衝撃を受けたのは、境界知能と言われるIQ71から85までの人間の特徴と言われる項目を見たら、自分が見事に当てはまっていたことだった。
例えば・・・
上司からの口頭指示の理解が全く出来ない(上司の指示が下手なのだと思いたがる)。
会議に出ても、内容が理解出来ない(会議のテーマや出席者の考えが悪いと思いたがる)。
役所や病院などの手続きが難しくてヒステリーを起こすことがある(相手の説明やシステムに欠陥があると思いたがる)。
会話をしながら食事をすると食事の味が分からない。
受験に受かるかどうか以前に、受験会場にたどり着くのに苦労する。それで、大学受験の時は必ず事前に受験場所に行ったものだった(大抵迷った)。
実際、私は、大学受験では、受験に受かったことより、受験会場にたどり着けたという達成感をよく憶えている(笑)。
IQテストの成績が高い人には、私のような人も多いと思うのだ。
私も、プログラミングはかなりうまいし、学校時代、数学や物理は得意だった。しかし、誰でも出来ることがさっぱり出来ない。
そういえば、映画にはないが、『フォレスト・ガンプ』の続編では、IQ70のフォレスト・ガンプは一流の物理学者になり、宇宙飛行士にもなるらしい。
人間の知能とは面白いものだと思う。
そして、おろらく、無思考になれば超優秀になる。
『葬送のフリーレン』というアニメで、ユーベルという名の若い女性の魔法使いが言った、
「みんな、頭を使い過ぎるんだよ」
が私には金科玉条に思える。
本当に優秀な人は、全くマウントを取らない。
実力があり、ある程度の自己重要感、承認欲求が満たされているので、そんなことをする必要が全くないからだ。
私は、『俺だけレベルアップな件』というアニメが好きなのだが(現在11回目の視聴をしている)、主人公の旬(しゅん)は、最下級のE級ハンターだが、彼を完全に馬鹿にするのはD級ハンター、小馬鹿にするのがC級、しかし、A級の上位は旬を対等に、大抵は丁重に扱い、その上のS級はむしろ遜るということが、よく表現されている。A級、S級でも傲慢なのは、欠点が多過ぎ、酷い目に遭うか死んでしまう。
原作は韓国の小説らしいが、作者は人間をよく分かっていると思う。
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(1)人を動かす(D・カーネギー)
(2)俺だけレベルアップな件 ※Amazon Prime Video
(3)葬送のフリーレン ※Amazon Prime Video

AIアート1506
「花の眼差し」
Kay


