よく知られていると思うが、人が求めるのは自己肯定感と承認欲求で、これらがあると幸せと言えるようだ。
簡単に言えば、自己肯定感とは、「さすが俺」と心から思えることで、承認欲求は「アンタ偉い」と思われたいということだ。
ディール・カーネギーの『人を動かす』では、人間最大の欲求とは自己重要感で、これは、自己肯定感と承認欲求の両方を満たした状態と思われる。
オリンピックで金メダルを取るといった、とんでもなく難しいことを成し遂げても、自己肯定感も承認欲求も、そして、自己重要感も得られないというのはよくある話・・・少しも不思議ではないことだ。
その典型が、実際は、金メダルを取ったのではなく「取らされた」ということ、つまり、自主的にやったのではなく、強制とか誘導でやらされた場合だ。
逆に言えば、ショボいことでも、自分の意思で自主的にやったのなら、自己肯定感が得られる。
そして、ここで重要なことが分かってくるが、自己肯定感が本当に得られたら、承認欲求は消える・・・つまり、人が自分をどう思おうが気にならなくなる。つまり、自己肯定感=自己重要感で、ディール・カーネギーは正しかったことが分かる。
東大に入れたら、一瞬は承認欲求が得られるかもしれない。
それで、自己肯定感らしきものも得られると思う。
しかし、やがて、東大に入ったからといって、人は自分をそれほど偉いと思っていない、あるいは、ちっとも偉いと思っていないことが、直観的に分かる。それが真実だからだ。だが、そのことを頭で理解する、納得する、認めるのに何年も何十年もかかることがある。
直観で、東大に入ったからと言って自分は尊敬されていないことが分かっているので、本当の自己肯定感は得られず、得たいの知れない不安に苦しむことになる。
そもそもが、親や教師にやらされたのなら、自己肯定感などは初めからさっぱりない。
新渡戸稲造は、毎日何かちょっとした修行をすることで、自己肯定感が得られることに気付き、水ごり(冷水を浴びる)をすることに決め、真冬でも決して欠かさず毎日続けた。
ところがある日、新渡戸は風邪で高熱を発したが、それでも決行し、医者に怒られたという。
そこまでやるということは、新渡戸はよほど自己肯定感が欲しい・・・つまり、その時は自己肯定感に欠けていたのだろう。
だが、そこまでやれば、新渡戸はかなりの自己肯定感を得られたと思う。
江戸時代、修行を積んだ年輩の武士が、ある町人に目を惹き付けられた。
その目付き、立ち居振る舞い、只者ではない。
武士は町人に近付き「お前は何者?」と尋ねるが、町人は「いえ、ただの町人でして」としか言わない。
それでも問い詰めると、町人は、
「私に人と違うところがあるとすれば、幼い時からの憶病を治したくて、毎日夕刻になると墓地に行きます」
と明かした。
その町人は、今でも墓地に行くのは恐いのだと思う。
しかし、それを敢えて自主的に行うことで、「やるな俺」と思えるようになり、自己肯定感が得られたのだろう。それによる自信とか貫禄が、人を見る目のあるその武士に感じられたのだろう。
つまり、少しは辛いと感じる修行のようなものを毎日欠かさずやれば、自己肯定感、自己重要感、あるいは、そういったものの元になる力やエネルギーが得られるのだろう。
私は今年(2025年)の7月からプランクを始め、毎日欠かさず行っているが、常にある程度辛いと思えるよう、どんどん1回のプランクの時間を伸ばしていった。
最初は1分、それを、2分、3分と伸ばし、今は、1回4分を1日4回行っている。
同時に、腹筋を中心に格好良い身体になっていくにつれ、やはり自己肯定感みたいなものも得られると感じる。
自己肯定感があれば、引き寄せの威力も増し、毎日いいことだらけだ。あんなことやあんなこと、そして何とあんなことまで(笑)。
腕振り運動や佐川幸義流四股は、それらの効果と共に、毎日長時間やるという根気は得られるが、自己肯定感とは結びつき難いかもしれない。
そこで、少し辛いと感じることを何かやり、同時に渡部昇一の『マーフィー100の成功法則(マーフィーの成功法則100)』を毎日少しずつ読めば、引き寄せバリバリになるように思う。
プランクはいいぞ(笑)。
私は空気椅子もかなり好きである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)マーフィー100の成功法則(大島淳一=渡部昇一)
(2)マーフィー成功の法則100(渡部昇一)
(3)努力嫌いの成功法(ジョセフ・マーフィー。桑名一央翻訳)
(4)人を動かす(ディール・カーネギー)
(5)修養 自分を磨く小さな習慣(新渡戸稲造)

AIアート2248
「モデル」
Kay
簡単に言えば、自己肯定感とは、「さすが俺」と心から思えることで、承認欲求は「アンタ偉い」と思われたいということだ。
ディール・カーネギーの『人を動かす』では、人間最大の欲求とは自己重要感で、これは、自己肯定感と承認欲求の両方を満たした状態と思われる。
オリンピックで金メダルを取るといった、とんでもなく難しいことを成し遂げても、自己肯定感も承認欲求も、そして、自己重要感も得られないというのはよくある話・・・少しも不思議ではないことだ。
その典型が、実際は、金メダルを取ったのではなく「取らされた」ということ、つまり、自主的にやったのではなく、強制とか誘導でやらされた場合だ。
逆に言えば、ショボいことでも、自分の意思で自主的にやったのなら、自己肯定感が得られる。
そして、ここで重要なことが分かってくるが、自己肯定感が本当に得られたら、承認欲求は消える・・・つまり、人が自分をどう思おうが気にならなくなる。つまり、自己肯定感=自己重要感で、ディール・カーネギーは正しかったことが分かる。
東大に入れたら、一瞬は承認欲求が得られるかもしれない。
それで、自己肯定感らしきものも得られると思う。
しかし、やがて、東大に入ったからといって、人は自分をそれほど偉いと思っていない、あるいは、ちっとも偉いと思っていないことが、直観的に分かる。それが真実だからだ。だが、そのことを頭で理解する、納得する、認めるのに何年も何十年もかかることがある。
直観で、東大に入ったからと言って自分は尊敬されていないことが分かっているので、本当の自己肯定感は得られず、得たいの知れない不安に苦しむことになる。
そもそもが、親や教師にやらされたのなら、自己肯定感などは初めからさっぱりない。
新渡戸稲造は、毎日何かちょっとした修行をすることで、自己肯定感が得られることに気付き、水ごり(冷水を浴びる)をすることに決め、真冬でも決して欠かさず毎日続けた。
ところがある日、新渡戸は風邪で高熱を発したが、それでも決行し、医者に怒られたという。
そこまでやるということは、新渡戸はよほど自己肯定感が欲しい・・・つまり、その時は自己肯定感に欠けていたのだろう。
だが、そこまでやれば、新渡戸はかなりの自己肯定感を得られたと思う。
江戸時代、修行を積んだ年輩の武士が、ある町人に目を惹き付けられた。
その目付き、立ち居振る舞い、只者ではない。
武士は町人に近付き「お前は何者?」と尋ねるが、町人は「いえ、ただの町人でして」としか言わない。
それでも問い詰めると、町人は、
「私に人と違うところがあるとすれば、幼い時からの憶病を治したくて、毎日夕刻になると墓地に行きます」
と明かした。
その町人は、今でも墓地に行くのは恐いのだと思う。
しかし、それを敢えて自主的に行うことで、「やるな俺」と思えるようになり、自己肯定感が得られたのだろう。それによる自信とか貫禄が、人を見る目のあるその武士に感じられたのだろう。
つまり、少しは辛いと感じる修行のようなものを毎日欠かさずやれば、自己肯定感、自己重要感、あるいは、そういったものの元になる力やエネルギーが得られるのだろう。
私は今年(2025年)の7月からプランクを始め、毎日欠かさず行っているが、常にある程度辛いと思えるよう、どんどん1回のプランクの時間を伸ばしていった。
最初は1分、それを、2分、3分と伸ばし、今は、1回4分を1日4回行っている。
同時に、腹筋を中心に格好良い身体になっていくにつれ、やはり自己肯定感みたいなものも得られると感じる。
自己肯定感があれば、引き寄せの威力も増し、毎日いいことだらけだ。あんなことやあんなこと、そして何とあんなことまで(笑)。
腕振り運動や佐川幸義流四股は、それらの効果と共に、毎日長時間やるという根気は得られるが、自己肯定感とは結びつき難いかもしれない。
そこで、少し辛いと感じることを何かやり、同時に渡部昇一の『マーフィー100の成功法則(マーフィーの成功法則100)』を毎日少しずつ読めば、引き寄せバリバリになるように思う。
プランクはいいぞ(笑)。
私は空気椅子もかなり好きである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)マーフィー100の成功法則(大島淳一=渡部昇一)
(2)マーフィー成功の法則100(渡部昇一)
(3)努力嫌いの成功法(ジョセフ・マーフィー。桑名一央翻訳)
(4)人を動かす(ディール・カーネギー)
(5)修養 自分を磨く小さな習慣(新渡戸稲造)

AIアート2248
「モデル」
Kay

