世界的に評価の高い自己啓発プログラムの中に、「無限の能力と富があれば、欲しいもの、やりたいこと」を書き出させるという実習がある。
それが有名なので、昔から、これを多くの自己啓発セミナーが真似をして行っている。
しかし、「無限の能力と富があったら何が欲しいか、何をしたいか」と言われても、無限の能力と富の他に欲しいものはない。
つまり、人間の本当の願いは神(仏)になることだ。
知らないかもしれないが(と言うより知らないだろうが)、権威ある自己啓発プログラムというのは、権力側の依頼で作られたもので、それは、庶民に、神になりたいという願いを忘れさせるためのものだ。
つまり、それは愚民に、地を這う虫の王者のようになりたいと思わせるものなのである。
悪意はないのだが、トランプ大統領だって、その意味では権力側と言えるのだと思う。彼は、能力がない者が権力側に行くと世の中が乱れると思っているので、庶民は庶民として幸福にしてやろうと思っているのだろう。

自己啓発プログラムがなかった時代には、宗教がその役割を果たした。
つまり、宗教は、愚民に、神になるという願いを忘れさせるために作られた。
信者に、厳しい戒律を押し付け、それを守れない者は駄目な人間だと蔑まれ、劣等感を持たせ、守れたら、褒めて奴隷扱いを喜ばせる。

法然が「念仏だけ」を教えた時、権力側は慌てたのだ。
それで、配下の権力側の高僧を使って、法然を潰しにいった。
親鸞も似たようなものだったと思う。
権力側は、念仏に似たことをやって、ある程度の超常能力を得ていたが、邪な欲望が強過ぎ、神(仏)にまでは、全く至らなかった。
おそらく、日本では、神道系の神を崇めるシステムを作っていたのだと思う。
ただ、腐っていたといはいえ、ヨーロッパあたりと比べたら、はるかにマシだったと思う。
それで、日本は、外国から見れば驚愕するような力を持っていたのである。
ただ、日本の権力者(政府より上のレベル)も、かなり腐ってしまったかもしれない。

念仏のようなことをしていた権力側が念仏を迫害したことは全く知られていない。
ただ、権力側と言ったって、意外と普通の人で、庶民の腰が痛いお婆さんに「アビラウンケンを唱えよ」と教え、そのお婆さんが、それを「油売らんか」と憶えたが、それが尊い仏に呼びかける言葉だと思って唱えていたら、腰も治り、超能力が身に付いてしまったのである。
大切なことは、高次の存在に意識を向けることだけである。
よって「南無阿弥陀仏」でも「南無観世音菩薩」でも良く、「アマテラスオホミカミ」ももちろん良い。
ただ、「南無妙法蓮華経」や「アジマリカン」は、よく分からないが、中身が分かっていないと厳しいのではないかと私は思う。
「南無阿弥陀仏」は浄土三部経はじめ、それらの注釈書や派生書が沢山あるし、「南無観世音菩薩」は法華経の中の観音経のところに記述があって分かり易い。

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(1)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(2)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)
(3)ナーマスマラナ ~神の名前の不思議な力~
(4)浄土三部経(浄土真宗本願寺派総合研究所)
(5)密教の聖なる呪文(正木晃)
(6)現代日本語訳 法華経(正木晃 )
(7)現代日本語訳 浄土三部経(正木晃)

山の精
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「山の精」
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