ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

自己アピール

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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正しい自己アピールの方法

仏教とは、一言で言えば、「自分を忘れること」であると思う。
ところで、私は子供の時から、アメリカでは自己アピールが重要で、自己アピールが出来ない人間はアメリカでは生きていけないと聞いた。今では、その考え方が日本でもかなり普及しているだろう。
しかし、日本のように、皆がほぼ同じ人種で、似たような考え方を持つ人間ばかりの国とは全然違い、見かけからして、かなり異なり、考え方も極端に違う人間がどこにでもいるアメリカでは、自己アピールをしないと、仲間に入れてもらえないし、仕事ももらえない。
しかし、実は、アメリカも日本も同じで変わらない。

自己アピールの根本はこうだ。
例えば、スポーツで鍛えて立派な身体になった人なら、
「私はたまたま強い身体を持てたので、肉体労働で役に立つ」
だし、私のようなプログラマーなら、
「私はたまたまコンピュータープログラムを身につけたから、プログラムを作って、あなた方の仕事の効率を上げることが出来る」
といったものだ。
つまり、正確には、「自己アピール」ではなく、「自分が持ってるもののお知らせ」なのである。
そして、それは、「自分を忘れた」者ほど、うまくいく。
ところが、日本では、こんな下手な自己アピールをする者が多いのだ。
「私は今は何も出来ませんが、夢がありますので、ここで雇っていただいて、いろいろ出来るようになりたいです」
自分だらけで、雇って得するものは何1つない。
日本でも、アメリカでも最低の人材である。
逆に、良い自己アピールの例を言うと、
「ここの仕事の効率を上げるプログラムを考えて作ります。毎日身体を鍛えてますので、安定した仕事をします」
である。自分は全くない。「身体を鍛えている」のは、「あなた方のため」の分のみアピールしている。個人的には、モテるために身体を鍛えたのかもしれないが、そんなことには全く触れていない。

名医には、手術の前に神に祈りを捧げる者が多いらしい。
そうすれば、自分が消えて、自分の手を通して神が代わりに手術をしてくれ、素晴らしい成果になるようだ。
こんな話も見た。
脳手術の途中、脳出血が起こったりで、どうしようもない状況になった時、普段からお祈りをよくしていると、自然に頭の中に祈り言葉が浮かび、そんな時は、患者は助かり、後遺症もないという。

昔、本宮ひろ志さんの漫画で、こんなものを読んだことだある。
現代(と言っても半世紀ほど前)のお話だ。
剣を修行中の学生が、達人と言われる僧に、立会いを許された。
ところが、その僧の、自分を全く消して立つ姿を見て、学生剣士は、「とても俺が歯が立つ相手じゃない」と悟り、「参りました!」と言って地面に平伏す。
僧は笑って、「いや、あなたもお若いのに、なかなかお強い」と誉め、学生剣士は恐縮する。
立ち会って、その僧と自分のレベルの差を感じるなら、確かに、それなりに強いはずだ。
その層が、自分を忘れる方法は、仏教の修行の中で、お経を読むことで習得したものかもしれない。
だが、その僧の息子は、木彫りの仏像か何かを作ることで、無我の境地に入っていく方法を身につけた。
その息子は、父を恨み復讐に来る。
そして、お互いが無に入った後、息子が父を斬る。
斬られるとき、父の僧は「見事じゃ」と誉めるが、おそらく、望んで斬られたのだし、それが解った息子の方も腹を切ったが、涙を流したらしい。
これも定めであったのかもしれないが、父にも何か間違いがあったのだろう。
今の時代、戦う武術はない方が良いのかもしれない。









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本当に素敵なものに「ステキ!」と言ったりはしない

「格好いい!」
と声を上げる人というのは、本当はそれほど格好良いとは思っていない。
人前で、
「俺はお前が気に入らねえんだ!」
と凄む者は、本当はその相手をさして気に入らないとは思っていない。

人が、騒がしい声や音を立てたり、目立つ行為をするのは、周囲へのアピールが目的である。
アピールとは、受け入れることや、関心を引き付けることである。
つまり、「ステキ!」と叫ぶことで、同調を求めているのであり、「嫌な野郎だ!」と言って示威行為をすることで、周囲の関心を引きたいだけなのである。

歌手のステージで、黄色い歓声を送るなんてのも、本音は、周りの人達の同調を求めているのである。
そして、それが安易に手に入るようにすることで、興行が成り立つのだ。
誇張ではあるが、漫画などで、教師が生徒の前で「ウォッホン!」と咳払いをするというお決まりの場面がよくあるが、あれも、教師は単に生徒の関心を引きたいものであることを表している。

将軍や国王が登場すると、大衆が狂喜乱舞するばかりに歓声を上げるのも、無理矢理やらされている場合も含め、周囲への同調と承認、そして、誰かへのアピールである。
スーパースターのコンサートで失神するとか、英雄が見える中で神懸りのような精神異常を起こすのはどうしてかというと、その理由は3つある。
1つは芝居。
実際、失神するフリをするよう雇われている者はかなりいる。
2つ目は、演技が本当になったもので、自分は失神するほど興奮すると思い、そのように振舞っていると、周りの雰囲気によって強い自己暗示が働き、別段、興奮しているわけでもないのに失神する。
3つ目は、周囲への同調とアピールが過ぎると、意識が外側に向き過ぎるために心身喪失となるというものだ。
心は内側に留めておいてこそ、正常な精神活動ができるのだが、あまりに注意が外に向くと、心を自己に留めておけなくなるのだ。

歓声を上げたり、周囲にアピールして目立とうとする気持ちが強いのは、幼稚で弱い証拠なのだ。
周囲の同調や関心をあまりに求めるというのは、それが得られないことが不安で仕方がなく、恐怖ですらあるのである。

私が中学生の時、たまたまコインを床に落とし、そこに、たまたま校長が通りかかり、コインは校長の方に転がった。
私は校長に近寄らずにいたが、校長は私を目を剥いてじろりと睨んだ。
その時私は、「校長って、なんて安いんだ!」と思ったものだった。
校長が「お金は大事にしなさいよ」と捨てセリフを残していったのは、貧相さの上塗りに過ぎなかった。

優れた人間、本当に強い人間は、歓声を上げたり、自己アピールをしたりなどしない。
木枯し紋次郎がそんなことをするのは想像もできない。
紋次郎が教師であっても、生徒の前で「ウォッホン!」なんて咳払いをするはずもない。
足元に硬貨を転がす子供がいても、その子供を睨むはずがない。
むしろ、紋次郎は、あまりに同調せず、関心を引こうとしないことで、逆に、強烈に引き付け、あるいは、畏怖されるのである。

ただし、一度は周囲の関心を引こうとする時期が誰にでもある。
社会で鍛えられるまでは、そんな気持ちがあるのは、むしろ健全なことで、そんな人のことを未熟者と言うのである。
誰でも初めは未熟者だ。
それは仕方がない。
だが、やがて、安っぽい自己アピールの下らなさ、虚しさが分かり、それを卒業する。
しかし、世間には、未熟な時代の自己アピールすらできないか、幼稚な自己アピールをいつまでも卒業できないかの2通りの人間ばかりである。
若いうちは、少しは、自分が「出来る」ことを示しても良い。
しかし、それをさっさと卒業することだ。
それには、本当は、木枯し紋次郎に学ぶのが最上である。









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本当に力のある者は自己アピールなどしない

駅のホームで電車に乗るために並んでいると、真後ろに並んでいる者が、突然大きな咳払いをして驚くことがある。
もちろん、誰だって咳をすることはあるだろうが、他人の咳払いなんて楽しいはずがないので、知的な人間なら慎み深くするものだが、まるで遠慮がないばかりか、わざと聞かせているようにすら思える。
私とて、何か非常に馬鹿な行いをしている者に対し、言葉で注意や非難をすることがはばかられる時に、わざと咳払いをして気付かせようとしたこともないではないが(今は決してしない)、それとも違うようである。
他にも、オフィスなどで、頻繁にぶつぶつ独り言を言ったり、始終、喉がいがらっぽいのを言い訳にでもしているように喉を鳴らす者がいるが、それらの声や音が耳障りなほどうるさいということがよくある。そんな者が、あなたの周りにもいると思う。
あるいは、ため息ばっかりついている男がいるが、それがやっぱりひどく大きいのである。
美女が小さなため息をつけば気になるものであるが、男のため息は無様過ぎて、聴くのは不快でしかないのに、それが大きければ騒音以外の何物でもない。
そして、そんな男はやっぱりどこにでもいると思うのだ。

猿の世界には、ディスプレーと名付けられた行為があり、それは、力のあるオス猿が、自分の力を誇示するために、大木をキックしたり、池に岩を投げ込んで大きな音をたてるというものである。
猿知恵とはまさにこのことという愚かな行いであるが、上に述べた不快を音をたてる連中がやっていることも同じである。
つまり、なんとも情けない自己アピールなのである。
ところが、大きな咳払いや独り言やため息などは、実は猿のディスプレーにすら劣るのである。
暴走族なら、自動車やバイクのマフラーを改造して騒音を鳴り響かせたり、ヤクザなら、目立つ白のスーツで自己アピールする。
美女ならすまして見せ、スタイルの良い男は格好をつけるという自己アピールをするかもしれない。
物知りが知識をひけらかし、慈善家が慈善行為を世間に知られるようにやるのも自己アピールである。
しかし、ディスプレーをする猿や、騒音を立てる暴走族、極道らしさをアピールするヤクザや、美女、美男、博識者、慈善家というのは、まだしもアピールするものがあるのだが、何もない連中が、せいぜい、咳払いや独り言、ため息で自己アピールするのではないだろうか?

梶原一騎さん原作の漫画で、ジャイアント馬場さんが述べたことになっていたのだが、
「本当に凶暴なやつは普段はむしろ静かなのだ」
と話していたというのを、子供の時に読んだのだが、これが非常に印象的でよく憶えている。
梶原一騎さん作ということで、馬場さんが言ったという点に関しては、イマイチ信憑性がないのだが(彼は実話と言いつつ創作が多い)、梶原一騎さん自身は人間に通じているということはあったと思う。

真に力のある者は、自己アピールなどしない。
学校や会社では自己アピールを勧めることも多いが、本当に優れている者というのは、なりゆきで自分の力を見せることすら避けるものである。
そして、実をいうと、静かであれば、本当の力を獲得できるのであると思う。
どうすれば静かでいて満足できるか、自己アピールの誘惑に乗らないでいられるか。
それは価値ある思索であり、あなたに知恵と力をもたらすだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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