ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

自信

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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自信があれば何でも出来る

通知表(通信簿)というのは、ロクでもないものだと思う人も多いだろうが、子供を全く評価しないというのも不都合な点が多く、他にどんな方法があるのかといったら難しいかもしれない。
だが、通知表の成績というのは、現実的には、ほとんど生まれで決まる。
つまり、生まれついての頭の良さと家庭環境でほぼ決まる。
生まれついての頭の良さが遺伝で決まる可能性は、背の高さや肥満し易さが遺伝で決まる可能性よりも高いことが大規模調査で分かっているらしい。

そんな、自分の努力でどうしようもないものを定期的に出され、親にいじめられるのであるから、頭が悪い子の心が歪む可能性は高いが、それに対する唯一の対応策は、成績なんか気にしないタフな・・・というか鈍感な心を持たせることであると思う。
通知表の成績が悪くても、子供には、「こんなもの気にするな。本当はお前は優秀だ」とうまく伝え、自信を持たせることが大切と思う。
まあ、この真逆をやる親が多いが、学校も、現実的には、それ(成績が悪い子供の自信を奪うこと)を推奨しているように思える。

小学4年生の時、私は、高齢の(50代?)女性担任教師に露骨に嫌われていて、成績も悪かったが、その教師が、気紛れか気の迷いか、あるいは皮肉か(この可能性が高い)、保護者面談で私の親に「あなたのお子さんは、オール4は軽いんですがねえ」と言ったことがあった。
ひょっとしたら、「普通の公立学校でオール4を取るのは簡単ざます。わたしくしのように優秀な人間にとってはですがね」といった意味だったのかもしれない。
しかし、それを親から聞いた私は、誤解して妙な自信を持った(笑)。
それで成績が上がったわけではないが(笑)、4年生終了時に転向し、心機一転すると自信を発揮し・・・女の子にモテモテになった(笑)。
別に、モテる要素はなかったが、根拠もなく、どんな女の子も意のままという、本当に変な自信があり、その気になれば本当にそうなった。
その時、つくづく、自信というのは大事だと身に染みたものだった。

アントニオ猪木さんが「元気があれば何でも出来る」と言い、私も尊敬する超一流セールスマンだった夏目史郎さんが「自信より勇気が大切」と言い、これらの意見も重要とは思うが、彼らは元々自信があったのだ(彼らの経歴はかなり調べている)、
自信があってこそ、元気も勇気も出るのであると私は確信する。
成績も悪い、どこから見ても冴えない男の子であった私が、ちょっと自信を持てば、女の子にモテモテでエッチしまくり(あくまで子供的な意味だがバレたらタダでは済まないレベル)であったのだから、普通の人は自信を持つべきだろう。

自信を持つには、アメリカ最大の賢者ラルフ・ウォルドー・エマソンが言ったように「偉大な人物と自分を同一視する」ことである。
いや、偉大な人物どころか、神であっても良い。
私はナポレオンだ、私は坂本龍馬だ、私はキリストだ、私はルパンだ・・・もう何でも良い。
エマソンも、自分をゼウス(ギリシャ神話の最高神)と同一視するよう教えていたと思う。
昨日もご紹介した、エマソンの言葉(詩)、

私は世界の所有者、
七つの星と太陽年の所有者、
シーザーの手腕、プラトンの頭脳の所有者、
主キリストの愛、シェイクスピアの詩の所有者

を、この通りか、自分好みに改変して、自分に叩き込んでも良いと思う。
ちなみに、小学5年生の私は、自分を怪傑ゾロと見なしていたので(笑)、ゾロが18歳のロリータを軽く口説いたように上手くやれたのだった(ゾロ24~25歳)。

では、「私はキリストだ」と主張する精神病患者との違いは?
それは「人に言わない」ことである。
精神病患者は、人に言うのが商売(笑)である。

私に不可能はない。
世界は私のものだ。私の王国だ。
何ものも私を恐れさせることはない。
何ものも私を止めることはできない。
私が人に何かをお願いすることはない。
単に要求するだけだ。
私は支配者であり、ひざまずくことはない。
私の要求は絶対だ。
私の態度を前にして、敵対者は逃げだしていく。
私は山のように高く、大河のように豊かである。
そして平原をゆくように、何の困難もなく進んでいくのだ。

『人生を変える魔法の物語(原題:The Magic Story)』(フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ著、高橋璃子訳)より
※「彼」を「私」に変えている

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
()自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
()アラン・ドロンのゾロ (字幕版) ※Amazon Prime Video
()怪傑ゾロ(ジョンストン・マッカレー)
()マジック・ストーリー(フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ)
()The Magic Story(Frederick Van Rensselaer Dey)
()エマソン名著選 精神について(ラルフ・ウォルドー・エマソン。入江勇起男訳)

会話が途切れて
AIアート1398
「会話が途切れて」
Kay

本当の自信を持つには

世界中の一流人物にも愛読者が多いエマーソン(エマソン)の『自己信頼』は、とにかく自分を信頼しろ、盲目的に自分を信じろと言う。
たとえば、どんな芸術作品だって、あなたの評価を待っているのだと言う。それほどあなたは信用するに足る重要人物であるということだ。
これを見ると、私は青池保子さんの『エロイカより愛をこめて』(1976~2012。全39巻)という漫画の初めの頃に、エロイカを名乗る同性愛者の怪盗グローリア伯爵が、「私が良いと言えばそれが価値になる」みたいなことを言ったのを思い出す。
エロイカはそんな超ナルシストのかなりイカれた男であるが、エマーソンの主張もエロイカに匹敵するナルシスト振りだ。

だが、エマーソンは「どうやったら自信を持てるか」といったことは何も言っていないように思う。
ただ、「あなたにはそれだけの価値がある」と言うだけだ。
ホルストの『惑星』中の『木星』の曲を使った平原綾香さんの大ヒット曲『ジュピター』に、「夢を失うよりも 悲しいことは 自分を信じてあげられないこと」という美しい歌詞(作詞は吉元由美さん)があるが、「そうは言っても、どうやって自分を信じるのだ?」と言いたい人が多いと思う。
そりゃ、エマーソンは14歳でハーバード大に入学、18歳で卒業した天才だから自信も持てそうなものであるが、はたして普通の人はどうすれば良いのか。まして、普通以下の人は。

ところが、エマーソンは、親にしっかり食べさせてもらっている少年こそが自信を持っていると言う。
つまり、経済的な不安のない少年が、最も強いというわけだ。
どういうことかと言うと、そんな少年は、誰の顔色をうかがう必要もないからだ。それはつまり、自分より強い人間はいないと思っている領主のようなものだ。
少女に関しては、当時はアメリカでも女性の地位が低かったこともあり、少年のようにはいかないかもしれないし、女性の権利問題は今日でも解消されていないが、それなら、十分に権利が保障された令嬢の場合で考えても良いと思う。
だが、世間常識では、そういった自信は、幼稚であり、大人になってもそうであるなら、健康的でなく、不遜であり、謙虚でないことになる。
だが、うろ覚えだが、ビートルズの『ヘルプ!』でも、「僕は子供の時は自信があって、何でも出来た。でも今はダメダメだ」みたいなことを言っていたと思う。
そしてだ。
子供の時のような自信を取り戻してみれば、それは非常に良いものであることが分かるのだ。

で、どうやれば、そんな子供の時のような自信を取り戻せるかだが、最近ここでよく取り上げている、ネヴィル・ゴダードの想定の法則を使えば簡単だと思う。
他に適当な方法がないと思うほどだ。
想定の法則の使い方は、願いが叶ったらどんな気持ちかを想像するだけだ。
そこで、叶ったら自信を持てるような願いを想定すれば良い。
たとえば、仕事で成功するとか、1億円持つとか、憧れのアイドルを恋人にするとか。
本当の願いであることが必要だが、それなら(それが本当の願いなら)、想定の法則のそのメソッドをやった瞬間に自信が出来る。
その瞬間に願いが叶っているからであり、1度や2度では少ないながらも、その実感は得られるのだからだ。
そして、何度も繰り返せば、想定の法則に従って願いは現実化する。

温かい家
AIアート765
「温かい家」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)※電子書籍
(2)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)※紙の本
(3)エマソン名著選 精神について(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(4)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(5)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(6)The Power of Awareness(Neville.Goddard)
(7)エロイカより愛をこめて 1(青池保子)

自由の掟

確かに、私の敬愛する岡田虎二郎が言ったように、地球上を闊歩する力を得、自由に生きるために、努力、克己(自分に打ち勝つこと)、忍耐は必要ない。
だが、だからといって、甘ったれた根性で、人の真似ばかりし、言われた通りにやるだけの奴隷のような人間でも駄目なのだ。
人間の本質が最初からそうである通り、世界に1つだけの花と言えるだけの個性を輝かせ、特別な存在でなければならない。
努力して特別な存在になるのではない。
元々そうであるように、特別な存在であらねばならないだけだ。
それには、ただ、やりたいことをやれば良いだけである。どこに難しいことがあろうか?

好きなことを、自分の意思で行うとは、どういうことだろうか?
それは、3つのことをしないことで証される。
1つは、「泣き言を言わない」こと。
1つは、「言い訳をしない」こと。
1つは、「自慢をしない」こと。
つまりね、何もする必要はない。
ただ、好きなことをやりながら、この3つをしなければ良いだけである。

さて、本当に好きなことをして個性を磨いている者と、したいことをしているフリをしているだけの者との違いは何だろう?
それは、他人の評価を気にするかどうかだ。
無論、必要な時には、正当な評価を受ければ良い。どうせ、大絶賛に決まっているのだから(笑)。
しかし、人目を気にしたり、単なる主観的な意見にいちいち反応してはならない。
たとえ偉い人であっても、その人の個人的評価に惑わされるな。
大切なものは、自分の評価だけだ。
「私が良いと言えば、それが価値になる」
このくらいの自信がなくてはならない。
まあ、ここまで一足飛びにはいかないので、まずは、好きなことをすることだ。
泣き言を言わず、言い訳をせず、自慢をせずにね。








即座にあふれる自信を持つ方法

学校に入学する時や、会社に入社する時に、不安を感じるだろうか?
まあ、かなり多くの人がそうで、そんな不安を感じることが慢性的になっている人も少なくないだろう。

だが、能力さえ高ければ問題ない。
自信たっぷりで入っていけば、その後も快適だ。
では、能力が高いとはどういうことだろう?
それは、自分の能力が高いと決めつけることだ。
では、私がそうなのかというと、たまにはそうだ(笑)。

私は、幼稚園生活が終わる頃には、ズタズタに自信を失っていた。
悪意なのかどうかはともかく、先生達の、私へのあの言動では当然の結果だった。
しかし、小学校入学の時は自信たっぷりだった。
きっと、蝶ネクタイをしたからだ(笑)。
いや、お洒落は、自信を高めてくれることが多いのだ。
ソウルオリンピックで女子100m、200m、4x100mリレーで金メダルを獲得し、今だ、100mと200mの世界記録保持者であるフローレンス・グリフィス=ジョイナー(1959~1998)は、「走るクレオパトラ」と呼ばれるほど、派手なメイク、ユニフォーム、ネイルで出場したが、そんなことをした理由について、彼女は、「お洒落をすると自信が出るから」と言っていた。
しかし、私は、小学校入学からしばらくして、すっかり自信を失った。
女性教師が私を激しくこき下ろし、タチの悪い級友達がそれに乗って私を馬鹿にしたからだ。
そこからずっと、自信のない暗い小学校生活を送ったが、5年生で転校する時には、溢れる自信と共に新しい学校に登場した。
そこはかなり田舎で、私は都会から来たからだ(笑)。
いや、自信を持つ理由なんて何でも良いのである。そこはよく覚えていていただきたい。
もちろん、私の学校生活は、それまでと打って変わって快適で、女の子にもモテモテだった(まあ、おかげで散々な目にも遭ったがw)。自信があれば何でも出来るのである。
しかし、それも中学校入学で終わる。中学校というのは、体制に従わない生徒の自信を徹底的に叩き壊す仕組みがあるからね。おかげで、以降は引きこもりである(笑)。

とにかく、自信を持つことだ。
自信とは、自分は能力が高いと決めつけることだ。根拠など不要だ。
実績も資格も何もなくても、「俺、凄い」「あたし、出来るの」で良いのである。
ただ、こじつけるものが何かあった方が、決めつけ易い。
たとえば、こんなことがあった。
昔、私がTM(超越瞑想)を始めて1か月くらいの時のことだ。
私は、交通違反(運転時の信号無視)で警官に捕まった。
しかし、「俺はTMをやっているから」という自信があったので、警官を下がらせることが出来た。これは誓って事実だ。
TMはその後やめたが、自信を持つことに利用出来たのである。もちろん、TMでなくても何でも良い。
念仏を唱えているから、腕振り運動をやっているから、ナンバ四股をやっているから・・・もう何でも良いのである。
ただ、自信とは、誰かが与えてくれるものではなく、自分で持つものであることを忘れてはならない。
日本人は民族的に言って、十言の神咒(とことのかじり。「アマテラスオホミカミ」と唱えること)との相性が良く、これをやっているから大丈夫だという自信を持ち易いのではと思う。
昔、書いたこともあるが、割と普通の女の子(小5位)にこれを教えたら、3か月で天使に化けた(言い方がおかしいが)ことがあったのだ。
まあ、やれることは無限にある。
そう言えば、最近、私は自信に欠ける(笑)。自信を持つため専用に何かやるのも良いものであると思う。








一番大切なのは自信

人間にとって一番重要なものは自信だ。
自信のない者に見込みはない。
だが、自信はあるが実力が伴わない迷惑なやつがいると言いたい者もいるかもしれない。
しかし、そんなやつ(実力はないが自信だけあるように見える者)は、本当の自信を持っていない。
なぜなら、自信があれば実力は勝手に付いて来るからだ。
そのカラクリはこうだ。
本当の自信があれば、積極的に出て行き、そこで、自分の実力のなさを思い知るが、それはあくまで、現時点で実力がないだけであり、それで自信を失ったりしない。単に、これから実力をつければ良いだけであり、自信があって積極的な者は、すぐに実力を得る。

では、どんな者が自信を持っているかというと、一番望ましいのは、自信があるように育てられた者だ。そんな者は幸運であり、人生を楽に楽しく生きていける。
だが、推測出来ると思うが、そのような者は、今の世の中では少ない。
人工的で権威的な社会では、大人になるにつれて、自信を失うような仕組みになっているからだ。
見える実績や、見える力をどんなに身に付けたって、本当の自信はさっぱり得られない。
見えない力、透明な力を持つ者だけが、本当の自信を持てる。

自信より勇気が大切だと言う者もいるが、それは、そう言う者に勇気があるからで、その勇気は自信に支えられていることに気付いていないだけだ。
自信のない者に勇気があったりはしない。
エマーソンが「根拠のない自信を持て」「無制限に自分を信じろ」と言ったのは全く正しい。
しかし、普通の人には、それは出来ない。

では、自信は、どうすれば得られるか?
腕振り運動をすることによって。
ただし、半端ない数をやらないといけない。
もちろん、腕振り運動が唯一の方法ではなく、何でもいいから、延々繰り返す行を、無駄な努力と了解し、何も求めず、愚直に行えば良いだけだ。
どのくらいやれば良いかというと、自信がつくまでだ。
あらゆる行の中でも、腕振り運動が、結局、一番楽で、一番間違いがないと思う。
一方、坐禅、静坐、読経、祝詞、念仏・・・などで、心身の邪気を祓い、自我を浄化させることは、かなり難しい。
そこにいくと、例えばだが、『気功革命』にある「甩手1」で、邪気を祓えば、身体も心も、自ずときれいになる。
自信がある者が、「雨よ上がれ」と言えば、雨は上がる。
自信がある者には、望まなくても幸運が訪れる。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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