ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

腕立て伏せ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

楽しくて気持ちいい運動

今回は、運動に関する軽い話題だ。

運動と言えば、私は若い頃からインドア派だったので、もっぱら部屋の中で出来る、腕立て伏せ、スクワット、腹筋運動といったものであったが、無理に熱心にやってストレスを溜め、挙句、やり過ぎで身体を壊した。
漫画では、腕立て伏せやスクワットを毎日、数百、数千回と行ってメキメキ強くなる様子が描かれていて、私もそれを信じてしまったのだ。確かにそれでもやれる生まれつき身体が強い人間もいるのかもしれないが、特に弱いわけではない私でも、そうはいかないわけだ。
何より、そんな運動は絶対に楽しくはなく、無理に続けるとストレスになり、まず精神的にいろいろ問題が起こると思う。

私は今は、運動は、腕振り運動(甩手。スワイソウ)や、佐川幸義流四股をメインにやっていて、毎日長時間を楽しく行い、以前より強い身体になった。
だが、西洋流の運動にも一定の良さはある。
それで思い出すことがある。
50代の上場企業の社長さんが少し体調を崩し、療養した時のことを話してくれたものだ。
療養施設には、定年を過ぎた60代の男性が沢山いて、その社長さんも仲良くしていたらしいが、一緒に入浴したら、そのおじさん達が、皆、素晴らしい身体をしていることに驚いたらしい。
腹筋など、バキバキに割れていて、かなり腹に脂肪がついていたその社長さんとはエラい違いだったらしい。
どうやってそんなに鍛えたのかというと、やはり腹筋運動だと言う。
それは、普通の腹筋運動と基本は変わらないが、とにかく、ほんのわずかしか上体を起こさない。
しかもゆっくりやるのだが、それを毎日、何百回もやるので時間がかかる。
ただ、時間に関しては、彼らは定年過ぎていて暇なので全く問題ないらしい(笑)。
その社長さんも、真似してやるようになったら、たちまち腹が引き締まってきたと言う。

また、昔、私がまだテレビを見ていた頃(今はテレビは全く見ない)、テレビでこんなものを見たことがある。
腕立て伏せ世界チャンピオンの少年(10歳くらい)が登場し、ゲスト達と腕立て伏せで勝負するが、その少年の腕立て伏せは、やや手の間隔を広く取った腕立て伏せの姿勢から、ほんのわずか曲げるだけだった。
それでも、この少年は、子供とは思えない素晴らしい身体をしていた。

破滅の天使
AIアート355
「破滅の天使」
Kay


世間では、腹筋運動で少ししか上体を起こさなかったり、腕立て伏せやスクワットで少ししか腕や脚を曲げないと、すぐに難癖を付けたがる者が多い。
しかし、スポーツ選手の場合はいざしらずだが、普通の人が行うには、そんなコンパクトなスタイルが絶対に正解である。
だが、特に医師の中に、「医者が教える健康トレーニング」みたいなタイトルの本で(本のタイトルは大抵、出版社が決めるが)、自分はやっていると自慢げに、しんどくて楽しくない運動を紹介している者が多い。
また、スポーツ選手のトレーニングでも、超一流選手の、宣伝目的のない、日常のトレーニングの様子をたまたま映した映像では、コンパクトに運動を行う様子が収められているのを何度も見たことがある。

私が究極の運動と思っている佐川幸義流四股は、相撲の四股を徹底してコンパクトにしたもので、千回を7分強で出来るが、千回やっても気持ち良いだけである。
また、私も、非常にコンパクトな腕立て伏せやスクワットをよくやっているが、気持ちが良くて楽しいと思う。








やらないよりマシの哲学

「やらないよりマシ」「ないよりマシ」という、考え方・・・と言うより、哲学と言って差し支えないと思うものがあり、私は大切に思っているが、実践していないので損をしている気がする。

「やらないよりマシ」哲学とは、言葉の通り、全くやならい・・・ゼロに比べれば、たとえ少しでもやった方が良いというものだ。
例えば、腕立て伏せと言えば、世間の筋トレマニアは、「多くやってこその腕立て伏せ」「多くやらないと意味がない」「限界までやれ」と言ったり、YouTubeで自分が、普通の人には無理な回数をきっちりしたフォームで楽々やる姿を自慢し、少ない回数しかしないことを、いかにも無価値のように示唆する。
しかし、1日たとえ3回でも、やるのとやらないのとでは、長い間に雲泥の差になる。
腕立て伏せは普段、全くやらず、1回でもシンドイという人が大半だが、1日3回でもやっていれば、1回や2回は、YouTube動画で自慢しているマッチョマンと同じ位出来るようになるし、実際、全くやらない人との差は歴然としている。
黒柳徹子さんはスクワットを何十年も毎日やっているらしいが、彼女のやり方である、非常にゆっくりで、少ししか曲げないことを、「あんなのスクワットじゃない」と言いたげに見下す人が多いが、ああいう誰でも出来るスクワットをやってさえいれば、歳を取って歩行が困難だったり、歩けない老人だって、軽々と歩けている可能性が高いのである。
若い人であれば、すぐに効果が表れ、全くやらない人との差は広がる一方になる。

ある牧師さんは、説教に生かそうと心理学の勉強をしていると言うが、1日15分、トイレで用を足しながら行っていると言う。
しかし、それだけでも、長年やっていると、大学で心理学の講義を受けているのと同等の時間学べ、しかも、自主的にやっているのだから、身に付くのである。

外国のことは分からないが、日本では、「ちょっとやること」「ゆるくやること」を馬鹿にし、苦しいほど多く、ハードにやってこそ偉いという観念が強いように思う。
だが、本当に偉いのは「1年365日やる」ことである。
昔、あるテレビ番組で、腰回し運動の指導者が、ゆっくりした腰回し運動を、1日1分でいいからやって下さいと言って実演すると、出演していた50代の人気女性タレントが「これ、けっこう効きますね」と言い、その指導者が少し戸惑っていた。
「効く」ほどのものであるはずがないことが明らかだからだ。
その女性タレントは「運動は“効く”ほどきつくてこそ効果がある」という世間的信念にどっぷり飲み込まれているのである。
また、やはりその番組に出演していた、やはり50代くらいだが、若々しい人気歌手は、腰を激しく振って見せ、その腰回し運動を馬鹿にしている様子だった。
実を言うと、私自身は、腰回し運動はあまり好きではないが、腰を前後左右にゆっくり動かす運動なら、毎日少しでも行う価値は十分にあると思い、私も、毎朝、前後100回、左右100回で行っているが、10回でも20回でも、やらないよりやった方がずっと良いし、毎日欠かさずやれば、全くやらないのとは雲泥の差になる。
それを、やる日は数千回やっても、やらない日が多いというのでは、効果がないばかりか、身体を痛める危険があると思う。
何ごとも、1年365日、毎日欠かさずやってこそである。
しかし、ストレスに感じるほど、きつかったり、多かったりだと絶対続かないのである。
私は一頃、腕立て伏せを毎晩決まった時刻に200回以上やって自慢していたが、腕立て伏せの時間になると、毎日、憂鬱で仕方がなかった。
何と言ってもシンドイ。
しかし、根性でやる自分を称賛したくてやっていたが、精神的負担もあったのだと思う。肩を壊してしまい、また、全身に変調があった。
今は、何かの武道で行われているらしいが、肘をほとんど曲げず、肩周辺の筋肉を主に使って、数センチの振幅で行う腕立て伏せをやっているが、数十回なら楽々で、私はもう何年もやっているが、素晴らしい効果がある。

法然は、念仏のやり方を教える際、「決まった時刻に回数を決めてやりなさい」と言い、暗に、「多ければ多いほど良い」という雰囲気を見せ、自分は1日6万回唱えていると言い、実質、「数千回やれ」といった圧力をかけていたかもしれない。
しかし、それでは、よほどの悩みを抱えた人でない限り続かないのだ。
まあ、他にやることがない時代だったので、それで良かった部分もあったに違いないが、少なくとも現代では、「10回でいいから唱えなさい」で 良いと思う。
ちなみに私は、毎朝、仏壇に水を上げ、線香を炊くが、その際、5回だけ心の中で唱えている。

アファーメーションも、やるなら、ずっとやるのが確かに好ましい。
しかし、朝、目が覚めた時や、風呂に入っている時、あるいは、夜寝床についた時、どこかの大商人のように千回とは言わず、せめて10回、いや、3回でも唱えれば良いと思う。
まあ、「お金がある」「生きている」「ありがたい」「神様の奇跡が起こる」といった言葉なら、せめて10回くらい唱える気持ちがないのもどうかと思うが、3回でも、本当に1年365日やれば 立派なものである。
ただし、やはり、「今日は忘れた」が何度もあるようでは駄目である。
また、「私はこの言葉を毎日10回唱えています」といちいち報告してくる者は、どこか間違えているのである。黙ってやれである。
黙って、淡々と、一生続ける気でやれば、天の恵みがないはずがないだろう。








上達の秘訣は「楽に長く」

いかなることにおいても、「継続は力なり」が真理であると思う。
そして、面白ければ続き易いが、最初から面白さが分かるものばかりではないし、そもそも、継続より難しいのはスタートであることをご存じと思う。
それで考えれば、楽で便利なことしか取り組めないし、続かない。
勉強でも、運動でも、ピアノでも、引き寄せでも。
ピアノ教室も、いかに楽にスタートを切らせてあげるかが大切なのに、絶対にスタートを切らせてあげない性格の悪い指導者も多く、そんな指導者がいる教室に行ったら、災難としか言えない。
そもそも、学校には、生徒に、一生、音楽のスタートを切ることが出来ないようにさせる音楽教師が多いかもしれない。

コンピュータープログラミングに関して言えば、昔は、BASICインタープリターという、楽で便利なものがあったので、むしろ、プログラミングを始めやすかったが、今主流の、Python(パイソン)やJavaScript(ジャバスクリプト)は、初心者にも楽で便利な開発ツールがないので、プログラミングが出来る人が増えないのである。まあ、ここらは英語も同じであるが。
それなら、ExcelでVBAでプログラミングすることをお勧めする。
これほど、楽で便利なプログラミングツールはないし、すぐに実用になるという利点がある。JavaScriptやRythonで実際に役に立つことをするのはハードルが高い。特に、職業プログラマーになるわけでもなかったら、Excel(あるいはAccess)でのVBA以外、あまり考えられない。
また、小規模な業務システムであれば、JavaやVisualStudio(プログラミング言語は主にC#やVisualBasic)で作るより、Acccessで作るメリットが大きい場合が多い。
私は、いろいろな企業でVisualStudioなどで何か月もの時間とかなりの費用をかけてうまくいかなかったシステムをAccessで数日で試作品を作り、数週間で稼働させたことが何度もある。中には、Accessで試作品を作った後、C#で本番システムを作ろうとしたのだが、Accessでの試作品を使ったユーザーが「これでいい」と言って、少し手直ししただけで本番用にしてしまったこともある。

運動不足で肥満したり、健康度が落ちている人に、世間の人は、何でこんなに、苦しくて不便な運動をやらせようとするのか、あまりの愚かさに驚く。まあ、そんな者達をカモにして儲けたい連中も多そうだが。
私が、運動が苦手に人に勧める運動は2つ。
それは、「壁腕立て伏せ」と「超ショートスクワット」だ。
壁腕立て伏せは、普通の床でやる腕立て伏せを、壁でやるもので、壁に手をついて、腕を真っすぐ伸ばした分だけ離れて立ち、身体を真っすぐにして、顎が壁にかすかに触れる程度まで腕を曲げ、そこから腕を伸ばしてゆっくり元の姿勢に戻る。
非常に楽なはずなので、少なくとも100回、出来れば数百回行う。
超ショートスクワットは、自然に姿勢良く立ち、かかとをつけたまま、そして、上体を真っすぐに保ったまま、10センチ前後の振幅でスクワットを行う。
これも楽なので、最初でも30回以上、なるべく早く100回以上、そして、数百回以上行うようにする。普通の人なら全然楽勝のはずだ。
こんな簡単な運動でも、やるとやらないでは雲泥の差だ。

そして、学校の体育のようでないといけないという洗脳がないなら、腕振り運動と四股をお勧めする。
腕振り運動は『超訳甩手功(スワイショウ、うで振り)』という安価な電子書籍があるが、それに書かれた方法で間違いないと思う。
四股に関しては、相撲の四股のようではなく、足はせいぜい10センチ程度上げ、ゆっくりそっと降ろすようにやる。
書籍で言えば、『佐川幸義 神業の合気』の「第3章 佐川宗範の鍛錬術」の中の「四股(相撲の四股との比較)」が参考になる。
尚、腕振り運動や四股は、ここでは詳しくは述べないが、単なる健康体操ではなく、熱心にやれば超人化する可能性があるものだ。

学校やマスコミの洗脳のせいか、日本人は、辛いこと苦しいことでないと価値がないと思い、それを、出来るだけ短時間で済ませたがる。
しかし、本当の恵みを運んでくれるのは、楽に長時間やることだ。
雑草がアスファルトを突き抜けるように、清水が岩を穿(うが)つ(掘る)ように。
手塚治虫の『火の鳥 鳳凰編』の、細い水流で岩の彫刻を作る和尚さんのお話が面白かった。








私は気持ち良い運動しかしない

私がまだ、時々、テレビを見ていた頃だから、十年以上前かもしれない。
ヨーロッパのクラブで活躍しているプロサッカー選手がテレビのトーク番組に出演していたが、その中で、トレーニングの話になった。
その選手は、腹筋運動が好きだと言う。
それで、司会者が、「何回くらいするのですか?」と尋ねたが、その司会者も、視聴者も、数千回とか、少なくとも、千回以上の答を期待したと思う。
肉体美が売り物の男性芸能人に、そのくらいやっているとアピールする人が何人かいたと思う。
しかし、そのプロサッカー選手は、あっさりと「20回」と言い、司会者は、態度には出さなかったが、戸惑いや落胆を隠すような笑顔をした。

以前勤めていた会社に、素晴らしい体形をした男性社員がいたが、聞けば、彼は、高校野球のエース(チームでトップの先発ピッチャー)だったと言う。
彼は、夏に半袖シャツを着ていると、恐ろしく太い腕が目立ったが、それでも、高校時代と比べれば、随分細くなったという。
私は彼に、「腕立て伏せはやっていたか?」と尋ねると、やっていたと言う。
それで、何回やったかと聞くと、これも、あっさりと「10回」と言った。

また、中年になっても、すらりとした体形の男性と親しかったが、学生時代のスポーツの経験を聞くと、合気道の有段者であることが分かった。
それで、彼にも、腕立て伏せのことを聞いたら、「1回でもいい」と言う。

男性であれば、10回程度の腕立て伏せをやったことは、大抵あるのではと思う。
しかし、昔、テレビ番組内で、普通の大学生に腕立て伏せをやらせていたが、まともに10回出来る者がほとんどおらず、司会者が「これは意外ですね」と言っていた。しかし、きちんとした形の腕立て伏せを10回出来る者は、一番可能性のある高校生や大学生でも、あまりいないと思う。

私の場合、フルレンジという、完全な形の腕立て伏せ(身体を真っすぐに保ち、胸を床ぎりぎりまで落とし、腕を完全に伸ばす)で、10回くらいから、ややきつくなる。
大相撲の横綱だった千代の富士も熱心にやっていた、ショートレンジ(振幅十数センチ程度)の腕立て伏せなら、私は、50回程度までは、そんなに苦しくなく、毎日、連続200回以上やっていたこともある(肩を壊してやめた)。
それで、フルレンジで、何回までなら、楽・・・というか、気持ち良いと感じるか試したら、3回だった。
よって、腕立て伏せは、3回しかしないことにした。ただし、気が付けば、いつでもやることにしているが、気持ちが良いのだから、積極的にやっている。
男性なら、1回位は気持ち良く出来るだろうし、女性でも、膝をついてやれば、やはり1回なら気持ち良いと思う。
もし、1回も出来ないなら、テーブルや机の上など、やや高い位置に手を付ければ、出来ると思う。
それでも駄目な場合、壁から数十センチ離れて、壁に向かって立ち、壁に手をついてやれば、出来るだろうし、それなら、非力でも、ある程度の回数までは気持ち良く出来ると思う。
運動は、気持ち良い範囲で良く、それでこそ、健康増進が出来る。
どうも、特に日本人は、運動は、キツいほど立派、苦しくなければならないという、奇妙な思い込みがあるようだ。
だが、苦しい運動はストレスになり、かえって不健康になる場合が多いと思う。
NHKの筋トレ番組で、腕立て伏せを指導していたが、フルレンジの腕立て伏せを「腕を伸ばしたところで休まず、すぐ曲げる」といった、いじめのようなやり方だった。
この番組では、筋骨隆々たる男性3人がやっていたが、10回に達し、苦しい感じになっていても、指導者は、「後5回、ペースを落とさずやり抜きましょう」と言うが、こんな馬鹿みたいにキツい運動、視聴者のどれだけが出来るか疑問だし、出来たって、こんなシンドい運動が続くはずがない。
いったい、何のためにこんな番組をやるのか疑問だった。
やはり、NHKは見る必要がない(笑)。
受信料を取りたいなら、頭を使って、意味ある番組を作れよ・・・と少し思った(笑)。

最も良い運動は、歩くことだが、適度に歩いて、顔をしかめるほど苦しいはずがない。
スクワットなら、腕を胸の前でクロスする「イヤンのポーズ」(笑)で、背筋を伸ばして、膝が水平になるまで曲げるなんてやり方なら、1~3回で十分だろう。
顔を上げることだけを注意した、短い振幅のスクワットでも、ゆっくりと、気持ち良いと思う回数でないと、長く続かない。

しかし、やはり、運動は、腕振り運動が良い。
腕振り運動を毎日やると、健康になり、無意識と親しくなって能力が高くなり、超能力者になり、願いが叶うようになると思う。
腕振り運動は、肩の力を抜き、楽にやることが肝心で、そのように正しくやれば、初めてでも500回くらいで疲労困憊などするはずがない。
そうでないなら、余計な力が入り過ぎているのである。
よって、誰でも一度に200~300回は出来、慣れてきたら、1日トータルで2000~3000回以上を続ければ、予想しなかった不思議な効果を感じると思う。

ところで、怒られるかもしれないが、『プリズナー・トレーニング』に載っている運動を、例えば、20回と指定されているところを1~5回でやれば丁度良いと思う。
我々は別に、刑務所で、監視人や他の囚人を叩きのめす必要はないのだから(笑)。








昔の日本人はトレーニングなどしなくても身体が強かった

運動は長く続けてこそ効果がある。
言ってみれば、1年365日、体調が悪い日を除き、毎日行うのが運動である。
だから、精神的にストレスがたまったり、身体を損なう危険がある、負荷の大きなきつい運動をする意味はない。
スポーツ選手なら、高負荷の運動も必要だろうが、スポーツ選手の身体は故障を抱えていることが多く、特に、プロ選手など、ハイレベルなスポーツ選手の身体はボロボロである場合が多い。
そんな不健康なスポーツ選手や元スポーツ選手が、一般向けの運動の指導を行い、また、そんなところに行きたがる人が多いのは、おかしなことであると思う。

私は、自然で負荷が軽い運動を、出来るだけ数多く反復することを奨めている。
腕振り運動が一番のお薦めで、他には、振幅のごく小さなスクワットや腕立て伏せ、無理な動きを省いた四股などである。
これらのスクワット、腕立て伏せ、四股を、なんちゃってスクワット、なんちゃって腕立て伏せ、なんちゃって四股などと称している。
ただし、負荷は小さくても、丁寧に、そして、数多くやることが大切である。
例えば、なんちゃってスクワットなら、脚が悪かったり、老齢である場合を除けば、少なくとも一度に百回、可能なら、一度に500回、1日トータルで数千回が望ましい。
それだけやれば、スポーツ選手よりもずっと理想的な美しい身体を持てるのではないかと思う。

そもそも、昔なら、日常、よく歩き、掃除を始め、薪割りや農作業、荷物運び、さらには山歩きなどを行っていた人なら、現代のスポーツ選手など、及びもつかない体力があっただろう。
いや、解剖学者の養老孟司氏が何かの著書(どの本かは分からない)に書かれていたが、昔の日本人は、毎日長時間正座していただけで、腹筋、背筋が鍛えられ、身体は非常に強かったらしい。これこそ、軽い運動を長時間やれば、身体が強くなることを示していると言えるだろう。
軍事関係の専門家で、多数の格闘術の著書があるイギリスのクリス・マクナブも、『徒手格闘術ハンドブック』の「戦うためのエクササイズ」の中で、「座らず立つよう心がける」だけで運動になることを認めているが、別に彼がそう言わなくても、トレーニングにおいて、特に脚を鍛えるものでなくても、立って行うというだけで脚の鍛錬になるというのは常識だ。
腕振り運動であれば。単に立っているというだけではなく、腕を振る反動を吸収して身体を真っすぐにすることで、腹筋や背筋、さらには、脚も十分に鍛えられる。加えて、身体の微妙なバランスを取ることで、体幹も鍛えられるのである。
合気道の達人で、植芝盛平や中村天風の高弟でもあった佐々木の将人氏も、『数霊のメッセージ』で、はあはあ言いながら運動する時代ではないと、従来の「きついのが運動」という偏見を戒めるようなことを書かれている。

無理な運動、きつい運動を称賛、宣伝することを、商売のため、あるいは、自慢するためにやっている者達に影響されず、自然に身体を発達させ、健康で、真に強くなる運動に取り組んでいただきたいと思う。
あまりに極端でなくて良いから、丁寧で美しい運動を、数多く長時間続ければ、充実感があり、楽しく、精神を含め、ますます健康になるだろう。
ぐーぱー運動という、手を握った状態から開く、逆に、手を開いた状態から握る運動(別々にやることをお薦めする)も、非常に良い。
上に挙げた運動は、どれほど悪く言っても、何も運動をしないのと比べれば雲泥の差であり、老齢になれば、天地ほどの差がつくと思う。
ところが、多くの人が、きつい、不自然で無理な運動をやってみるも、続かず、何もしないという状態であると思う。これほど悲惨なことはない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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