ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

腕振り運動

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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『老子』第55章を一言で言えば「無理に頑張るな」

今回は『老子』第55章である。
この章を一言で言えば「無理に頑張るな」である。

超人的武術家であった佐川幸義が「特訓なんかしない」と言っていたらしいことを思い出す。
確かに、佐川は90歳を過ぎても大変な量の訓練をしていたが、無理に頑張っていたわけではなく、楽々出来るようになっていたのだ。
ところが、日本に限らないが、根性で無理に頑張ることが称賛されることが多い。
だが、そんなこと(根性で頑張ること)は長続きしないし、ストレスがたまっていき、それでも無理して続ければ破綻する。
たとえ根性ではなくても、イケイケどんどんでやっていれば、笑顔で爽やかな汗を流し「努力なんかしていません。楽しいからやってるんです」なんて言ったところで、やっぱり破綻するのだ。
「新進気鋭の研究者」「新進気鋭の青年実業家」「新進気鋭の期待のホープ」などと言われたら、転落は目の前と見て良いだろう。

そこのところを、老子は「物壮則老」と4字で見事に言い表した。
まあ、本当は、最初の「物」は取って「壮則老」とすれば、第22章の「曲則全」とセットで、最大の教訓が得られるのだが。
「壮則老」とは、壮(勢いがあること)であれば、老(衰退に向かう)になるという意味だ。
勉強やスポーツで活躍しても、いつか必ず衰える。
イチローだってそうだったし、大谷翔平も、いつかは誰も見向きもしなくなる。しかも、それはすぐだ。
成長企業だって、今は良くても、いつかは駄目になる。
何百年も続く企業があるが、それは無理をせず、細々とやってきたところだ。

火星着陸船


AIアート
「火星着陸船」


私は、運動でも勉強でも、なんらかの訓練でも、「やらないよりマシ」でやることが肝心だと思っている。
腕立て伏せでも、ギリギリ30回出来る人が、その30回を毎日やっていたら、やがてストレスになり、腕立て伏せをやる時間が来ると憂うつになる。
それで、いつか、1回もやらなくなり、惨めに肥満する。
だが、無理なく出来るのが10回なら、毎日10回気楽にやれば、いつまでも、歳を取ってもやれる。

私は、運動なら、腕振り運動や、上で取り上げた佐川幸義が重視した佐川流四股という、ほとんど足踏みである運動をお奨めする。
これらなら、全然シンドくないばかりか、少し慣れると気持ちが良いので、ずっと・・・それこそ、死ぬまでやれる。
佐川幸義だって「四股を踏みながら死ねる」と言ったのだ。
また、私がやった感想では、これらは腕立て伏せやスクワットよりも、はるかに良い作用がある。

そして、神の無限の力を取り戻すには「私は誰か?」と自分に問う探求をすれば良いだけである。








『老子』第43章を一言で言えば「何もせずに全てをなす」

今回は『老子』第43章である。
この章を一言で言えば「何もせずに全てをなす」だ。

本当に、老子は、『老子』全81章を通し、同じことを、微妙に言い方を変えて語っている。
つまり、どの章も、本質的には違うことを言っているのではない。
そのことが分かれば、もう老子は分かったことになる。
一方、世の中の『老子』の解説者が、『老子』各章を違ったもののように言うなら、それは『老子』を全く誤解しているのである。

この章は、特に、真理をストレートに語っている。
「最も柔らかいものが、最も堅いものを突き動かす」
「形のないものが、隙間のないところに入って行く」
こんなものを見て老子は覚醒したという。
この「最も柔らかいもの」「形のないもの」を水のことだと言う者がいるが、それは、喩えとしても最悪である。
「最も柔らかいもの」「形のないもの」とは「無思考」であり、「最も堅いもの」「隙間のないところ」とは「思考」である。
そして、老子は、最上のものとは、「不言の教え」と「無為の益」だと言う。
「不言の教え」とは「無思考で教える」ことであり、「無為の益」とは、「無思考で行う行為こそ有益」という意味だ。

つまり、何にしても、考えないことが最強であると言うことは、『老子』の中で、常に述べられていることである。                                   
だが、世の中では、考えないことが悪いことのように言われる。
「自分の頭で考える俺は偉い」
「この思考停止の馬鹿者どもめ」
といった感じだ。
考えないことが愚かなのではない。
愚かなことを考えるから愚かなのである。
本当に考えなければ、人間は正しく答え、正しい行為をし、真に有能である。
逆に、考えていれば、どんな簡単なことも間違う。
ヴァーノン・ハワードのどれかの本に、「世間の人は、お腹が空いた時に、リンゴでなくリンゴの絵を求める」と書かれていたと思う。
これは、もっと親切に言えば、「お腹が空いた時、考えなければリンゴを求めるが、考えればリンゴの絵を求める」である。世間の人は、いつも考えている。愚かなことをね。

だが、世の中では、思考を消す方法を教えない。
誰も知らないからだ。
そこで、時々、無心にマントラや念仏を唱えることを教える者がいた。
それは、続きさえすれば有益で、覚醒に導くが、続けられる人が滅多にいない。
それで言えば、身体を動かす腕振り運動(スワイショウ)や足踏み四股(佐川流四股)のように、身体を動かすものの方が、気持ちが良く、肉体強化や美容につながる分、ずっと続きやすい。
だが、最上の方法は、いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問うことだ。
真の自分は、全知全能の無限の魂(=神)である。
それを思い出すためにも、問うのである。
そして、そう問うている間は、思考は消える。
考える主体である「私」を探求し、「私」に引き戻されるのであるから当然である。








『老子』第42章を一言で言えば「無の力こそ最強」

今回は『老子』第42章である。
この章を一言で言えば「無の力こそ最強」である。
余計なことかもしれないが、私が好きな章である。

無が最強無敵の力であることは、『老子』の中で何度も何度も繰り返し説かれていることである。
そして、無の力とは何かというと、「私がない」ことであり、「私がない」とは、簡単に言えば、「考えないこと」である。
つまり、思考を捨てた者が一番強い。
だが、このことは、世間の人には最も理解されないことだ。
ならば、それを知っている我々に敵はいないということである。

この章では、どうすれば思考を捨てられるかを、ささやかに語っている。
要は、徹底的に遜(へりくだ)ることだ。
ところが、世の人は、承認欲求の満足を求めて、徹底的に自分を持ち上げるのだから、全く恐れるに足りない。
恐るべき敵がいるとすれば、遜り、低いところで満足する者、すなわち、思考を捨て、無になった者だ。

古の大王がそうであったように、自分を「孤児」「独り者」「善くない者」と言え。それを自称とせよ。
世間の人が、自分を、良い出身の者、誉れあるグループに属する者、善い者と言うのを憐れんで見るだけである。

だが、それよりも、「私は誰か?」と自分に問い続けることだ。
そうすれば、自分は、孤児とはいえ宇宙全体である孤児、唯一の存在である独り者、善悪を超越した者であることが分かってくる。
そうであってこそ、真に安心であり、敵する者など存在しないのである。

尚、やはり、腕振り運動や佐川流四股を行うことをお奨めする。
なぜなら、これらの運動を淡々とやることで澄み切った心にとって「私は誰か?」と問うことは容易いからだ。
尚、佐川流四股とは、音を立てずに行う足踏み程度のものと思う。ただし、多少、両足を開き、いくらか身体を左右に振ることに意味がある。








生命力の神秘

この世界には、エントロピー増大の法則がある。
これは簡単に言えば、全ては無秩序に向かうというもので、こう言うと難しそうだが、例で言えば簡単だ。
たとえば、水に落としたインクが水全体に広がっていくことだ。
また、熱いコーヒーが冷めるのもそうで、これは、コーヒーの熱が外部に広がっていくことである。
このように、無秩序に向かうとは、「まとまったものが広がっていく」ことを指し、この世界では、あらゆるものがそうなる。

たとえば、死体は腐り出し、崩壊し、散り散りになっていく。
つまり、上で述べたように、まとまったものが広がっていく。
ところが、生きていると、そうはならず、まとまったままだ。
つまり、エントロピーは必ず増大するはずが、生命があれば、エントロピーは増大しない。
まあ、正確には、生命がエントロピーの増大を抑え、それによって増大が遅れるだけだが、いずれにしろ、生命とは、ある意味、この世の絶対法則に逆らうのである。
だが、歳を取れば、生命力が弱り、エントロピーの増大を抑える力が弱くなり、肉体の崩壊が進む。

面白いことに、お金というものにも、エントロピー増大の法則が働き、放っておいたら散り散りになって、お金がなくなっていく。
お金の持ち主に生命力がなくなると、お金を放っておくようになり、どんどん消えていく。
(元気がない年寄りが財産をがっちり握ると、生命力を浪費する)
実際、お金は、生命力が高い人のところに集まる。

ところで、生命力の正体は、気功で言う気、ヨガで言うプラーナ、中村天風が言うところのブリルで、関英男博士は、これはグラヴィトン粒子(GTP)であると考えた。
関英男博士の研究で、腕振り運動をやれば難病奇病が治ってしまうのも、腕振り運動でGTP(気、プラーナ、ブリル)が増大し、生命力が高まるからである。
だから、腕振り運動を十分にやれば、お金も集まると思われる。
そんなわけで、若さ、美しさ、強さ、そして、豊かさのために、腕振り運動を十分にやるべきだということを再認識したいものである。

このように、この世の不思議な現象も、今は、ある程度は理屈で説明がつくのである。

尚、佐川幸義流四股は、やり方によって、腰の機能を極限まで高めるものと、気・プラーナ・ブリル・GTPを集めるものがある。
実際は、完全に別れるわけではなく、どちらかの効果がやや高いというものである。
ただ、一度に説明するとややこしいので、また別に語る。
だが、とにかく、気、プラーナ、ブリル、GTP(全て同じものだ)を集めることは大切である。








腕振り運動や四股が運を良くする原理

人間は、なぜ生きようとするのだろうか?
死んだらどうなるか分からないからとか、生きることは凄く重要なことだと思っているから、あるいは、生きるのが楽しいから生きる・・・というのではなく、実は、脳に「生きろ」という命令が与えられているから生きるしかないらしい。
そして、脳に与えられた命令は、「生きろ」だけだという説もある。
自殺する人や、死に場所を求めているという人だって、別に死にたいわけではない。
「死にたい」と言う人だってそうだ。

生きるためには、当然過ぎるが、命が必要だ。
命、生命は、どのように発生したのだろう?
生命が偶然に誕生する可能性は、ほぼゼロで、その喩えとして、「腕時計をバラバラに分解して100mプールにまき散らし、プールの水を動かしたら、偶然に元の腕時計が組み立てられるようなものとか、ゴミ捨て場のゴミを竜巻が巻き上げ、偶然にコンピューターが組みあがるようなものとか、猿がデタラメに紙に黒インクをなすり付けたら、偶然にノーベル文学賞級の小説になるくらい、あり得ないことらしい。
つまり、人間が考える神とは、おそらく、かなり違うだろうが、とにかく、神がいるのは間違いないようだ。
神は、我々の想像の範囲をはるかに超えて万能であり、我々に思いつく程度のことは、いかなることも、健康な若者が腕を曲げたり伸ばしたりするよりはるかに簡単に出来る。
ならば、楽しく生きられるよう神にお願いするのが一番である。
実際、神は、我々1人1人に対応する能力は十分にあると思うが、いくら我々が馬鹿でも、何でも無分別に言うことを聞いてもらえることはないくらいは分かる。
とはいえ、我々の脳に「生きろ」という命令を与えたのはきっと神なので、それに対する責任は取ってくれるはずだ。
そこで、基本的には、生きることに前向きな人には、良い条件を与えるように思われる。
ところが、おかしなことに、命を捨ててかかった時に、人間は奇跡を起こす(神が起こさせる)。
この矛盾に気付き、その理由を洞察出来た者が人間を超えた力を持ち、地上を自由に闊歩する。
なぜ、命を捨ててかかる時、奇跡が起こるのかは、自殺との違いを考えれば分かる。
自殺は、命を無駄にすることだが、命を捨ててかかるのは、命を生かすためだ。
また、怠惰な人生を送ることも、命を無駄にしているのであり、自殺と変わらないか、近いことだ。
美味しいものを食べたり、ゲームをして楽しんだり、色事に興じて喜んでも、命を生かしているとは言えない。
正しく命を生かしている時、幸運に恵まれ、ついでに願いが叶うのだと思われる。

命の生かし方は、考えて分かることではない。
実を言えば、命を生かす準備をしている者に、命を生かす道が用意される。
つまり、エゴを支配する術を身に付け、心身を健康にすることが、その準備になる。
スポーツトレーニングは、競技に勝つためとか、力を自慢するためのものである部分が大きく、必ずしも、心身を健康にしない。
だから、いくらマッチョになっても、命を生かす道が見つからないことが多い。
だが、腕振り運動や、正しい四股といった、心身を真に鍛えることをしていれば、命を生かし易く、その道が開く。
腕振り運動や四股を淡々と行うと、自我を支配する術も得られるので、尚更である。

そんなわけで、今回は、いつも勧める腕振り運動や、佐川幸義流四股をやれば、なぜ運が良くなるかの原理を少し語ってみた。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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