人生が夢であると認識した者の勝ちである。
しかし、人生は本当に夢なのだろうかというと、ほとんどの人は、そんなことは「どうしたって」信じない。
以下、眠っている時に見る夢を「夢」、目覚めている時を「現実」と呼ぶ。
人生が夢であるという論に対する最も一般的な反論は「現実には継続性があるが夢にはない」だろう。
つまり、現実は、記憶がある3歳か4歳の時からずっと一貫した継続性があるが、夢は見る度に異なる状況だ。
ところが、「世界五分前仮説」といって、世界は5分前(この「5分」は少し前という程度の意味で特に5という数字に意味はない)に始まっているが、我々は、ずっと前から世界があると錯覚しているだけという仮説がある。
5分以上前の記憶は捏造されたもので、本当はないというものだ。
それに、夢に継続性がないというのは、目覚めてから分かることで、夢を見ている間は、その夢の世界は昔から続いていると思っている場合が多い。
世界、あるいは、人生が夢のようなものであるという考え方は太古からあり、最も有名なものの1つが『荘子』の「胡蝶(蝶)の夢」だ。
マジカルミライ2019のテーマ曲である初音ミクさんの楽曲『ブレス・ユア・ブレス』(作詞作曲編曲は和田たけあきさん)の中の、
どうせ妄言 この世界なんて蝶の見る夢で
だけどその羽ばたきで 全てが塗り替わってく
も『荘子』からの引用であると思う。
『荘子』の中で賢者たちが言う。
「私もお前も、間違いなく夢を見ているのだ」
1996年のアニメ『美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』の、原作にはない「ネヘレニア復活編」や、1985年の日本の映画『テラ戦士ΨBOY(サイ ボーイ)』(主題歌や挿入歌の作詞は秋元康さん)では、物語の内容全部が、幼い女の子が一瞬見た夢の話であったという面白い設定であったが、当時、子供や若者であった視聴者は、あまりそのことを憶えていないか、そもそも気にかけてもいなかったかもしれない。
有名な推理作家の江戸川乱歩は、色紙にサインをする際、必ず、
「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」
あるいは、
「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」
と書き添えた。つまり、眠っている時の夢の方が、起きている時よりよっぽど本物だという意味である。
これをまともな意味と受け取る人は滅多にいないだろうが、大昔から賢者たちはそう言ってきたのである。
視覚、聴覚がなかったヘレン・ケラーが、「五感は幻想、イデアが本当」と言った「イデア」はプラトン哲学のイデアのことだと思う。
一般には、イデアは簡単に「観念」などと訳されるが、そもそも、共通する見解はない。あえて言えば、「世界の真の姿」みたいなものだ。
それで言えば、夢だろうが現実だろうが、全部夢、あるいは幻想である。
つまり、悟りを開けば、全てが夢、あるいは幻想であると分かる。
悟りを開くとは、解脱するとも言い、ラマナ・マハルシは「真我を実現する」と言ったが、悟りなんてものがあると本当に思っている人は少ない。
最近では、世界や人生が夢であると言うより、世界はコンピューターが作ったシミュレーションである・・・つまり、『マトリックス』や『ソードアート・オンライン』の世界であるという説が人気があり、イーロン・マスクやニック・ボスとロムらの有名人達が、この世界はシミュレーションであると断言しているが、これも一般人には関わりのないことのように思われる。
ちなみに、引き寄せが起こるのも、世界が夢、あるいは、シミュレーションだからである。
そもそも、息をいっぱいに吸って止めると、一瞬悟りの状態になるので、世界が幻想であることは、誰でも気付いている。
もちろん、頭で分かるわけではないし、知覚・感覚的に「感じる」わけでもない。
あえて言えば、魂の声のブロックが弱くなるのである。
深呼吸をしっかりやれば、ますます魂の声が聞こえるようになり、世界、あるいは、人生が夢、あるいは、幻想であることが分かるようになる。
それを、頭であれこれ考えて理解しようとしても、もう絶対に駄目である。
なぜなら、頭は、世界、あるいは、人生が客観的現実であるとしか理解出来ない構造になっているからだ。
自動車で空を飛ぼうとするようなものだが、魂の力を使えば、自動車で空を飛ぶことは造作もない。
1968年のイギリス・アメリカ映画『チキ・チキ・バン・バン』が、やはり夢のお話であるが、そんな映画であった。
『チキ・チキ・バン・バン』は子供向けミュージカル映画であったが、やはり、あれを見たはずの子供達は、肝心なことを忘れたのである。
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(1)チキ・チキ・バン・バン [DVD]
(2)荘子〈1〉 (中公クラシックス) 新書
(3)量子力学の奥深くに隠されたもの コペンハーゲン解釈から多世界理論へ
(4)ラマナ・マハルシの教え
(5)スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運
しかし、人生は本当に夢なのだろうかというと、ほとんどの人は、そんなことは「どうしたって」信じない。
以下、眠っている時に見る夢を「夢」、目覚めている時を「現実」と呼ぶ。
人生が夢であるという論に対する最も一般的な反論は「現実には継続性があるが夢にはない」だろう。
つまり、現実は、記憶がある3歳か4歳の時からずっと一貫した継続性があるが、夢は見る度に異なる状況だ。
ところが、「世界五分前仮説」といって、世界は5分前(この「5分」は少し前という程度の意味で特に5という数字に意味はない)に始まっているが、我々は、ずっと前から世界があると錯覚しているだけという仮説がある。
5分以上前の記憶は捏造されたもので、本当はないというものだ。
それに、夢に継続性がないというのは、目覚めてから分かることで、夢を見ている間は、その夢の世界は昔から続いていると思っている場合が多い。
世界、あるいは、人生が夢のようなものであるという考え方は太古からあり、最も有名なものの1つが『荘子』の「胡蝶(蝶)の夢」だ。
マジカルミライ2019のテーマ曲である初音ミクさんの楽曲『ブレス・ユア・ブレス』(作詞作曲編曲は和田たけあきさん)の中の、
どうせ妄言 この世界なんて蝶の見る夢で
だけどその羽ばたきで 全てが塗り替わってく
も『荘子』からの引用であると思う。
『荘子』の中で賢者たちが言う。
「私もお前も、間違いなく夢を見ているのだ」
1996年のアニメ『美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』の、原作にはない「ネヘレニア復活編」や、1985年の日本の映画『テラ戦士ΨBOY(サイ ボーイ)』(主題歌や挿入歌の作詞は秋元康さん)では、物語の内容全部が、幼い女の子が一瞬見た夢の話であったという面白い設定であったが、当時、子供や若者であった視聴者は、あまりそのことを憶えていないか、そもそも気にかけてもいなかったかもしれない。
有名な推理作家の江戸川乱歩は、色紙にサインをする際、必ず、
「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」
あるいは、
「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」
と書き添えた。つまり、眠っている時の夢の方が、起きている時よりよっぽど本物だという意味である。
これをまともな意味と受け取る人は滅多にいないだろうが、大昔から賢者たちはそう言ってきたのである。
視覚、聴覚がなかったヘレン・ケラーが、「五感は幻想、イデアが本当」と言った「イデア」はプラトン哲学のイデアのことだと思う。
一般には、イデアは簡単に「観念」などと訳されるが、そもそも、共通する見解はない。あえて言えば、「世界の真の姿」みたいなものだ。
それで言えば、夢だろうが現実だろうが、全部夢、あるいは幻想である。
つまり、悟りを開けば、全てが夢、あるいは幻想であると分かる。
悟りを開くとは、解脱するとも言い、ラマナ・マハルシは「真我を実現する」と言ったが、悟りなんてものがあると本当に思っている人は少ない。
最近では、世界や人生が夢であると言うより、世界はコンピューターが作ったシミュレーションである・・・つまり、『マトリックス』や『ソードアート・オンライン』の世界であるという説が人気があり、イーロン・マスクやニック・ボスとロムらの有名人達が、この世界はシミュレーションであると断言しているが、これも一般人には関わりのないことのように思われる。
AIアート520 「真昼の夢]Kay |
ちなみに、引き寄せが起こるのも、世界が夢、あるいは、シミュレーションだからである。
そもそも、息をいっぱいに吸って止めると、一瞬悟りの状態になるので、世界が幻想であることは、誰でも気付いている。
もちろん、頭で分かるわけではないし、知覚・感覚的に「感じる」わけでもない。
あえて言えば、魂の声のブロックが弱くなるのである。
深呼吸をしっかりやれば、ますます魂の声が聞こえるようになり、世界、あるいは、人生が夢、あるいは、幻想であることが分かるようになる。
それを、頭であれこれ考えて理解しようとしても、もう絶対に駄目である。
なぜなら、頭は、世界、あるいは、人生が客観的現実であるとしか理解出来ない構造になっているからだ。
自動車で空を飛ぼうとするようなものだが、魂の力を使えば、自動車で空を飛ぶことは造作もない。
1968年のイギリス・アメリカ映画『チキ・チキ・バン・バン』が、やはり夢のお話であるが、そんな映画であった。
『チキ・チキ・バン・バン』は子供向けミュージカル映画であったが、やはり、あれを見たはずの子供達は、肝心なことを忘れたのである。
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(2)荘子〈1〉 (中公クラシックス) 新書
(3)量子力学の奥深くに隠されたもの コペンハーゲン解釈から多世界理論へ
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