ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

胡蝶の夢

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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世界(あるいは人生)はやはり夢だった

人生が夢であると認識した者の勝ちである。
しかし、人生は本当に夢なのだろうかというと、ほとんどの人は、そんなことは「どうしたって」信じない。
以下、眠っている時に見る夢を「夢」、目覚めている時を「現実」と呼ぶ。
人生が夢であるという論に対する最も一般的な反論は「現実には継続性があるが夢にはない」だろう。
つまり、現実は、記憶がある3歳か4歳の時からずっと一貫した継続性があるが、夢は見る度に異なる状況だ。
ところが、「世界五分前仮説」といって、世界は5分前(この「5分」は少し前という程度の意味で特に5という数字に意味はない)に始まっているが、我々は、ずっと前から世界があると錯覚しているだけという仮説がある。
5分以上前の記憶は捏造されたもので、本当はないというものだ。
それに、夢に継続性がないというのは、目覚めてから分かることで、夢を見ている間は、その夢の世界は昔から続いていると思っている場合が多い。

世界、あるいは、人生が夢のようなものであるという考え方は太古からあり、最も有名なものの1つが『荘子』の「胡蝶(蝶)の夢」だ。
マジカルミライ2019のテーマ曲である初音ミクさんの楽曲『ブレス・ユア・ブレス』(作詞作曲編曲は和田たけあきさん)の中の、

どうせ妄言 この世界なんて蝶の見る夢で
だけどその羽ばたきで 全てが塗り替わってく

も『荘子』からの引用であると思う。
『荘子』の中で賢者たちが言う。
「私もお前も、間違いなく夢を見ているのだ」

1996年のアニメ『美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』の、原作にはない「ネヘレニア復活編」や、1985年の日本の映画『テラ戦士ΨBOY(サイ ボーイ)』(主題歌や挿入歌の作詞は秋元康さん)では、物語の内容全部が、幼い女の子が一瞬見た夢の話であったという面白い設定であったが、当時、子供や若者であった視聴者は、あまりそのことを憶えていないか、そもそも気にかけてもいなかったかもしれない。

有名な推理作家の江戸川乱歩は、色紙にサインをする際、必ず、

「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」
あるいは、
「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」

と書き添えた。つまり、眠っている時の夢の方が、起きている時よりよっぽど本物だという意味である。
これをまともな意味と受け取る人は滅多にいないだろうが、大昔から賢者たちはそう言ってきたのである。

視覚、聴覚がなかったヘレン・ケラーが、「五感は幻想、イデアが本当」と言った「イデア」はプラトン哲学のイデアのことだと思う。
一般には、イデアは簡単に「観念」などと訳されるが、そもそも、共通する見解はない。あえて言えば、「世界の真の姿」みたいなものだ。
それで言えば、夢だろうが現実だろうが、全部夢、あるいは幻想である。
つまり、悟りを開けば、全てが夢、あるいは幻想であると分かる。
悟りを開くとは、解脱するとも言い、ラマナ・マハルシは「真我を実現する」と言ったが、悟りなんてものがあると本当に思っている人は少ない。

最近では、世界や人生が夢であると言うより、世界はコンピューターが作ったシミュレーションである・・・つまり、『マトリックス』や『ソードアート・オンライン』の世界であるという説が人気があり、イーロン・マスクやニック・ボスとロムらの有名人達が、この世界はシミュレーションであると断言しているが、これも一般人には関わりのないことのように思われる。

真昼の夢
AIアート520 「真昼の夢]Kay

ちなみに、引き寄せが起こるのも、世界が夢、あるいは、シミュレーションだからである。
そもそも、息をいっぱいに吸って止めると、一瞬悟りの状態になるので、世界が幻想であることは、誰でも気付いている。
もちろん、頭で分かるわけではないし、知覚・感覚的に「感じる」わけでもない。
あえて言えば、魂の声のブロックが弱くなるのである。
深呼吸をしっかりやれば、ますます魂の声が聞こえるようになり、世界、あるいは、人生が夢、あるいは、幻想であることが分かるようになる。
それを、頭であれこれ考えて理解しようとしても、もう絶対に駄目である。
なぜなら、頭は、世界、あるいは、人生が客観的現実であるとしか理解出来ない構造になっているからだ。
自動車で空を飛ぼうとするようなものだが、魂の力を使えば、自動車で空を飛ぶことは造作もない。
1968年のイギリス・アメリカ映画『チキ・チキ・バン・バン』が、やはり夢のお話であるが、そんな映画であった。
『チキ・チキ・バン・バン』は子供向けミュージカル映画であったが、やはり、あれを見たはずの子供達は、肝心なことを忘れたのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍・メディアのご案内◆
(1)チキ・チキ・バン・バン [DVD]
(2)荘子〈1〉 (中公クラシックス) 新書
(3)量子力学の奥深くに隠されたもの コペンハーゲン解釈から多世界理論へ
(4)ラマナ・マハルシの教え
(5)スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運

夢である自分の世界を救う方法

質素なアパートで暮らしている人が、夢の中でお城に住んでいても、夢の中ではそれを当たり前に感じ、「あれ、俺、なんでお城なんかに住んでるんだ?」などとは思わない場合が多いと思う。
これは、現実では質素なアパートに住んでいる人が、夢ではお城に住んでいるということである。
しかし、目覚めていてアパートに住んでいると信じている人が、実は、それが夢で、本当のその人はお城に住んでいるのかもしれないというのが、『荘子』の有名な「胡蝶の夢」に倣った考え方である。
荘子は、蝶になった夢を見たが、実は、今、人間である荘子の方が蝶が見ている夢で、本当の自分は蝶の方かもしれないと思う。そして、どちらが本当かは分からないのだと言う。

著名な推理作家の江戸川乱歩は、サインをする際、必ず、

「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」あるいは「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」

と書き添えたそうだが、これは荘子の胡蝶の夢で言えば、自分が蝶である方が現実で、人間である方が夢であることにある。
スピリチュアル世界で有名な宇宙人バシャールも、同じようなことを言っているはずだ。

森の妖精さん
AIアート413
「森の妖精さん」
Kay


荘子は、結局、皆、夢を見ているのだと言う。
つまり、我々は、『マトリックス』や『ソードアート・オンライン』の仮想世界にいるということである。
この仮想世界は本来は自由に動かすことが可能で、そのためには、別に知識やテクニックが必要なわけではない。
思考を消せば良いだけで、昔は「私は何も考えない」とか「私は何も信じない」と唱えればそれで良かった。
しかし、この仮想世界がウイルスまみれになっていて、それがうまくいかなくなっている。
もちろん、我々が知っているコンピューターウイルスとはかなり異なるが、世界の運行に逸脱を生じさせるものという意味では同じだ。
そして、このウイルスの蔓延振りは凄まじい。
ところが、実は、思考そのものがウイルスなのである。
こう言えば、まだ少しはマシな状態の者であれば、このウイルスがいかに増殖力が凄まじく、我々の世界を汚染しているかが理解出来るかもしれない。
だが、問題ない。
我々は仮想世界でも呼吸が出来るようになっており、深呼吸をすることでウイルスを駆除することが出来る・・・つまり、思考を消し、全知全能に戻ることが出来るのである。
ところが、このウイルスが、我々が深呼吸をすることを厭うように働いている。
だが、なんとかその作用を回避し、深呼吸・・・「よかった・ありがとう呼吸」「ナ・ダーム呼吸」「神の圧力呼吸」をなるべく多く行うように。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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